へっへっへっへっ
起きたら犬がいっぱいいた。
ぶさはキョトンとする。右を見る。左を見る。顔を正面に戻して瞬く。
外にいた。外で寝た。でも今は中にいる。ここには犬がいっぱいいる。
なんでーぇ?
床を嗅ぐ。くるんと丸まった尻尾は小刻みに震えて脚の間に挟んでいる。そして、ダダダッと駆け出す。犬と犬や犬の合間を縫って通り抜ける。犬が居ない場所を探して駆け回る。
ぶさは他の犬が怖い。散歩で会った時はアキの後ろに逃げていた。ぶさは必死になってアキを探す。怖くて怖くて仕方なかった。知らない匂い、知らない場所、怖い犬たちがいて、アキがいない。安心出来る要素が何一つなかった。
走って走って、必死になってアキを探す。すると大きな音がした。驚いて飛び跳ねる。隅っこの場所に身を寄せて丸くなる。
ぶさは大きな音が苦手だった。カミナリが鳴る間は布団の中に隠れたり、アキにくっついてやり過ごしていた。それは安心出来る匂いがあるからでここにはそれらは無い。
ぶさはへっぴり腰になってその場から動けなくなった。
「…………――。ぶさー」
耳を立てる。遠くで声が聞こえる。自分の名前を呼ぶ声。大好きなアキの声。
心ハレルヤぶさは声が聞こえた方に向かって猛突進する。
* * *
夜間強行軍により日の出から少し時間が経った頃、アキたちは魔王城に着いた。一日歩き通しだったので疲労困憊だ。アキと『鉄人間』以外。この二人は疲れた様子もなくまっすぐ立っている。体力無尽蔵かよ。
疲れてヘトヘトになった三人の足は笑っている。膝に手をついて、あるいは地面に座り込んで荒い息を吐いている。
そんな三人の状態は気にも留めず、アキは城の門前に立つ。門は閉まっていた。
こっちは外壁がなかった。どころか城下町もない。すぐに城があった。ちなみに国王城みたいに見栄だけの門はなかった。いや目の前の門も大きいけどまあ人間用サイズではある。
「たのもー…………え?」
門を叩いたその時、下手を打つ。
軽く拳を握ってドンドンと門を叩こうとした。ノックのつもりだった。だから、橋の時みたいに力は込めてない。少ししか。
それがどうだ。一ドン目で門が壊れたぞ。
「器物損壊……」
え、どうしよう。貯金はしてるけど心許ない金額しかない。いや正確な賠償金額は分からないけれど! でも城って言うからには数百はするだろう。さすがに千はいかない……と思いたい。いかないであって欲しい。切実に。
アキの内心大荒れである。主に金銭面の心配で。
天を仰ぐ。視界は青い空と城で半分半分だ。口から乾いた笑い声が漏れる。
「やっべー」
敢えて軽く言ったのに言葉が重い。逆に現実を突きつけられた気がする。墓穴を掘った。言い訳……のしようもないよなぁ。潔く謝るしかないかと遠い目をする。
許して、くれないだろうなぁ。あーヤダヤダ。ここに来てからいいこと何一つありゃしない。こんな良い天気なのにどうして後ろ暗い気持ちにならなきゃいけないんだ。深い溜息を零す。頭の中で愚痴が止まらない。
しかし、素直に現場で待っているが誰もやってこない。気づいていないのか? と思ったがなかなかの轟音だったのでそれはないだろうと思い直す。いや、朝早いからまだ家で寝ているか出勤途中だったりするか?
それならそれで好都合である。自由である内に用事を済ませてしまおうと切り替えて、アキは魔王城の中へと足を踏み入れた。
「ぶさー! ぶさー! どこだー、ぶさー!」
大声で呼びかける。犬の聴覚は人間より優れている、らしい。ぶさも当てはまるのかは知らない。
こんなに広い城を無闇に探すよりぶさの方から来てもらう方が断然早いだろう。一日中歩いていたとは思えないほど、朝早くから出す声量ではないと思うほど、腹から声を出す。運動部員かな。自分の声がエコーとなって聞こえてくる。
「ぶさー」
「探し物? 手伝おうか?」
「っ!?」
アキの前に急に少年が現れた。頭の大きさほどの襟が立っているマントを羽織った少年だ。しかしアキが驚いたのは体の小ささではない。彼の言葉が分かるという点だ。彼は『ローブ野郎』と同じように日本語が話せる人だった。
『鉄人間』がアキを庇うように一歩前に出る。腰に差した剣の柄に手をかけている。いつでも戦闘準備万端である。
「やあ、君たちが国王城からのお客人だね。遠路はるばるようこそボクのワンダ=ランドへ。壊した門の賠償は後程、国王に抗議させてもらうから安心して忘れてくれて構わないよ。だから今は何も気にせず、ボクからの歓迎を受けて欲しい」
賠償という言葉にドキッとして、自分には請求されないっぽいことに安堵する。アキはもらえる厚意はもらっておくの精神で生きている。ただし、自分に害がない範囲で。ここ大事。
困った奴らのように厚意という名のありがたくない迷惑は全然全くこれっぽっちも嬉しくない。焚き付けときましたグッ! じゃない。グッドじゃなくてバッドだ。堪らず立てた親指を掴んでへし折ったぐらいには最悪だった。
だから、そう。困った奴らに似た雰囲気を感じていた一名がやりやがった。
「救世主様、ご無事ですか!?」
疲れ果てていた三人の体力が回復した。アキの後を追いかけて魔王城に入り、声を頼りに進み二人の姿を見つけた。目の前にいる人物を認めて問答無用で『バラ女』が攻撃した。少し遅れて男二人が合流した。説明終了。
『襟巻小僧』が居た場所には煙が出ている。『バラ女』が凶器棒を振りかざしたのだ。地面が抉れてる。
すぐに飛び下がった某犯人はアキに振り向いてキラキラした笑顔を向ける。言葉がなくても分かる。n回見た顔である。「やってやりましたよ姐さん! 見ててくれましたか!」と声が聞こえる。幻聴かな。幻聴であって欲しい。いやどっちも嫌だわ。やべー疲れてるわ。
思わず眉間に皺をつくって口を窄めたのは仕方の無いことだった。辛い。
余計な真似を、と思った。当然である。なんせ彼は日本語が分かる人だから。通訳大事。
「刺激的な挨拶をありがとう。ボクもなにかお返しした方がいいかな。それなら少し待ってくれない? 頑張って頑張って頑張って君たちが心躍り胸高鳴るおもてなしを考えるから」
普通に生きてた。良かったと胸を撫で下ろす。知らん奴が死んでも別に何も思わないが目の前だと後味悪い。何より彼は大事な人間だ。易々と死んでもらっては困る。国王城の奴らはいけ好かないし。
「********」
「確かにそう呼ばれているのは否定しない。しかし今のボクはただの潤滑油に過ぎない。ここ、ワンダ=ランドのね」
「*********」
「……?」
相変わらず『クソ野郎』の言葉は分からない。しかし会話している『襟巻小僧』の言葉は分かる。しかししかも二人は会話が成立しているようだ。
どういうこと? アキは一人取り残されたように首を傾げる。
『ローブ野郎』はどちらの言葉も使っていた。アキに話す時は日本語を、他の人と話す時は現地語を。だから通訳だと思ったのだ。しかし『襟巻小僧』はどうやら違うみたいで?
アキが諸々理解するのを諦めていると『襟巻小僧』が急に指差してきた。それから下向きにに手を開き、指を山なり動かし、指先を開閉して指を振る。何やってんだ?
「ああ、なるほど。異なる世界の……。じゃあ言葉は……それは、御大層な扱いだね。うんうん、それじゃあまずはあなたからだ」
『襟巻小僧』が突然目の前にやってきた。距離は離れていたのに一瞬で目の前に現れた。少年らしい小さな手が伸びてきて、その手の向こうで純粋な笑みを浮かべている。アキの頭に手を置こうとして、しかし触れる前に止まった。
止めたのは他でもないアキだ。反射的に彼の手首を掴んだ。
「あ、あれ?」
手を掴まれた『襟巻小僧』は笑顔のまま固まる。これは予想してなかった。一歩も動けないほど、体を後ろに引く余裕もないほど、反応出来てなかった……はずなのに。アキは少年の手を止めた。
『襟巻小僧』はアキを見て目を丸くし、口の端をめいいっぱい上げた。まっすぐ見つめる力強い瞳。それは一度も瞬きをしていない。肝が据わっているのか野生的本能なのか。あるいはその両方なのか。
「勝手に触るな」
「ごめんなさい。でも頭に触れないと魔法を施すことが出来ないんだ」
「まほう?」
「うん、自然言語理解の魔法。これをかければあなたは全ての言語媒体を所持することができるよ」
「つまり?」
「言葉が分かるよー」
「乗った」
アキは掴んでいた手をパッと離す。呆気ないほどに軽く、なんて事ないように頭を差し出す。しゃがんで、腰を低くして、頭を前に傾ける。そこに警戒はないが信用もなかった。ではなぜアキは今しがた出会った『襟巻小僧』に頭を差し出したのか。
なんとなく、だ。
それ以外に理由はない。いやそれすらも理由にはなっていないが。深く考えるな。
「はい、もういーよー」
「んー……?」
頭を回す。特に変わった様子はない。
「貴様、救世主に何をした!」
「っ!」
『クソ野郎』の言葉が分かる。『襟巻小僧』に視線を向けるとダブルピースされる。こちらも軽い。
「ボクのおもてなし、気に入ってくれた?」
「ふっ、まあまあだな」
アキが言葉を発すると二人が驚き目を見開く。『クソ野郎』と『バラ女』である。驚いたのはもちろんアキの言葉が分かったからだ。
え、『鉄人間』? 微動だにしてませんが?
相も変わらず柄に手をかけたまま『襟巻小僧』を見ている。臨戦態勢バリバリである。いやいつ仕掛けんだよ。
『ローブ野郎』は言わずもがな割愛。
「救世主様! わたしあなたの強い瞳に一目惚れしましたの。それだけではありませんわ。お美しいご尊顔。煌めく漆黒の御髪。華奢でありながら引き締まった肉体。細腕からは考えられないほどの怪力。その細く長いおみ足でわたしを、わたしめをお踏みくださいませ。ああ、それともようやくお言葉が伝わるようになりましたので罵詈雑言からでしょうか? それも滾りますわ。ああ、とても興奮していますわ。さあ救世主様! 最初は何からに致しますか! わたしはどんな命令も喜んで受け入れますわ! どうやって虐めますかどの部位から壊しますかあなたの奴隷にしてください!!!」
「げっ、うえぇ……」
『襟巻小僧』を押し退けて『バラ女』がアキの両手を握る。爛々とした目はハートでも浮かんでいるように見える。圧がすごい。それはもう押して押してゴリ押しである。身を引こうとしたアキをがっしりと捕まえている。物理で。
アキの口の端が引き攣っている。困った奴らより手強い輩だった。アキが避けたい存在の性癖の一つ、狂愛給餌だ。まともじゃない巫山戯た愛情表現だ。普通にめちゃくちゃ怖い。
このままでは手が出そうだ。と思った時には足が出ていた。なぜかって? 手が封じられているからだ。考える前に体が動いた。これは自衛行為である。手に残った体温が気持ち悪い。うへぇ最悪だぁ。