へっへっへっ
辺りが暗くなる。もうすぐ夜がやってくる。風はビュウビュウと吹き、濡れた体を冷やす。ブルルと身を震わせ水滴を飛ばすも完全にはなくならない。
待てど遊べどアキは来ない。遊ぶのは楽しいけど、心は全然晴れなかった。空元気も次第に虚しくなって楽しいがなくなる。だってここには大好きな飼い主がいないから。
優しい瞳で見てくれるのが好き。名前を呼んでくれるのが好き。温かい手で触ってくれるのが好き。笑う顔が好き。
空が暗くなれば来てくれる。今までがそうだったから。でも、今はいない。それにここは家じゃない。
捨てられた?
ぶるりと体が震える。寒さと寂しさが相まって震えが収まらない。丸まってもダメ。足先を舐めたってダメだった。
ぶさは鼻を鳴らすようにくうくうと鳴く。
また独りになるの? やだ、嫌だよ。捨てないで。置いてかないで。どこにいるの? 会いたい。会いたいよ。ここにいるよ。ここね、とても寒いの。寒いよ。
ぶさは眠るまでくうくうと鳴き続けた。
体を丸めて眠るぶさの元に一つの人影が近づく。
「みぃつけた!」
爛々と輝く眼を細め、口の端を上げる。その声は喜悦に満ちている。ぶさは誰かが近づいたことに気づかずに眠ったままだ。その人物は眠るぶさに手を伸ばし、嬉しそうに笑みを漏らした。
* * *
魔王城に行く道は二つある。一番楽なルートが橋だ。国王城と魔王城を繋いだ真っ直ぐの道は最短距離かつ平坦な道だった。加えて、そこには魔物は現れない。簡単に安全に気軽に通れる唯一の道だった。
ではもう一つのルートはと言うと、森の中にあった。そっちは迂回路らしく橋の手前に森がある右方向に分岐した道があった。『ローブ野郎』の話によると橋が架けられる前に使われていた道とのこと。木々の合間を縫って行くため移動距離は伸びるし、道も傾斜になっているので大変だ。道に沿って歩けば迷うことなく魔王城に辿り着けるが安全道と違ってここには魔物が出てくる。
「救世主様お気を付けください。魔物です!」
「あれが……?」
アキは目の前に道を塞ぐように置いてある物体を見やる。それはプルプルとしていて少し透明でゼリーのようで、丸くてカラーボールみたいだった。見た目からして柔らかそうである。
犬用の玩具にするには固さが足りないか。玩具を目にするとすぐにぶさを想像するのが習慣になっていた。
道の上に居たスライムは一つだけだったが、すぐに森の方から二つ三つとぴょんと飛び出してきた。アキはボールが出てきた方に歩み寄り森の中を覗き見る。誰もいない。
「おいっ、誰かいるのか!」
返事もない。少し待ってみても誰も来る様子はない。眉を寄せながら後ろに居る『ローブ野郎』に尋ねる。
「この辺りに公園ってあるのか?」
「コーエン?」
「あー広場みたいな遊ぶとこ」
「森の中にそんな場所はありません」
否定されてアキは頭を掻く。ボール遊びの最中に誤って飛ばし過ぎたのかと思ったが違うかもしれない。よく見るとボールが小刻みに震えていたりその場で飛び跳ねたりしている。風もないのに。不思議。
「最近のボールって自動で動いたりするのか」
感心したように呟く。これならぶさと遊ぶ時にいちいち投げなくてもいい。いやでも小型犬の玩具にするには少し大きいか。などなど考えていると足に何か当たった感覚がした。視線を下に下げると足元にボールが転がっていた。
「お……おお? えぇ……?」
足元に転がってきたボールを拾い上げたアキは困惑の声を漏らす。ぷにぷにしている。つるつるサラサラしていて手にべたつかないし、ちょっと冷っとしていて気持ちいい。弾力があるのに驚くほどによく伸びる。
「餅……いや、パン生地か?」
遠い記憶を呼び覚まして思考に耽る。餅つきやパン作りをしたことがあったがそれらは幼少期のことだ。多分、こんなような感触だった……気がする。
ぐにぐにぶにゅぶにゅぐにゃーん。ちょっとハマった。手が止まらない。いつまで触っても飽きない。やべぇ楽しい。
アキ、スライムの触感に癒される。
そんなアキを置いて道の上。何体ものスライムの前に『鉄人間』と『バラ女』が立つ。
スライムには物理攻撃が効かない。倒すには火系統以外の魔法もしくは凝固させなければ倒せない。しかし、倒すのが難しいというだけのことであって退けるのは至極簡単だった。
スライムは攻撃されたと分かれば酸攻撃をしてくる。これが厄介ではあるが逆に言えば敵対状態でなければ攻撃はしてこない。そして敵対状態時は動きが遅くなる特性がある。従って有効な手段は一つ。
『鉄人間』がスライムを持ち上げ宙に放る。それを『バラ女』が凶器棒を振って打つ。強振からの本塁打。バッティング練習のような光景がスライムが居なくなるまで続いた。
これが現在の魔法使用無しスライム撃退方法である。討伐ではないのでそこは注意するように!
スライムが敵対状態になってもその場に居なければ攻撃されない。持って投げるくらいであれば敵とみなされない。あとは思いっきり遠くに飛ばすだけだ。コレが安全で簡単な方法と伝えられている。まあ、タイミングやら筋力やら多少の技術が必要だが。
アキに弄ばれているスライムがぷるっと震えた。なぜならその二人はアキを、正確にはアキの腕の中にいるスライムを凝視しているからだ。次はお前だと言っているような雰囲気が漂っている。
「ふむ……」
バッティングを見ていたアキは謎の闘争心に火がついた。手の中のボールをコネコネとこねくり回して丸いボール形にしていく。それと同時に軽く足の先で地面をトントン突く。ぐるりと回して足首の調子を確かめる。
「……フッ! …………しゃあ!」
少し前方にボールを浮かして蹴り飛ばす。蹴飛ばされたスライムは『バラ女』のスイングより高く遠い軌道を描く。アキは勝った! と拳を握る。
こうしてスライムたちは星になった。少し経ってから手放したのは勿体なかったとアキは落ち込んだ。手持ち無沙汰な両手が柔らかな感触を思い出してワキワキと蠢く。
その後は順調に進み、空が暗くなってきた頃。
「救世主様、本日はこちらでお休みしましょう」
そう言って『ローブ野郎』は目の前の家を指す。そう、家があるのだ。森の中に。割と結構しっかりしたログハウス。少し汚れているが十分キレイだった。
中に入ると室内には家具が置いてあり普通の家だった。埃もなく、ともすれば誰かが住んでいてもおかしくない状態だった。
「誰かの家か?」
不法侵入ではないかとアキは眉を寄せる。やんちゃ期もあったがそれでも法に触れるような行為はしなかったし、したくなかった。これでも真っ当な常識人である。人を殴るのはいいのかって? あれは正当防衛だよ。
「ここは一般公開の休憩所です。言うなれば国の所有物です」
公共施設だった。貸別荘みたいなもので部屋数もそこそこある。
夜の森は危険だ。街灯が無ければ月明かり以外の光源はなく、暗闇が続いてる。加えて足場も悪い。さらには夜行性の獣やら魔物が彷徨いているそうだ。だから日が昇るまでここで一晩過ごすのが最適解だ。
アキは頷く。夜になってから少し冷えているし、月は出ているにしろ、こうも暗いと歩くのも困難だ。
携帯食を胃に詰めたアキは立ち上がると、極めて自然な動きで外に出る。
「き、救世主様っ!? どちらにっ!」
それが正解だから朝まで待てと言うのか。仕方がないと諦めるのか。そんな事、出来ない。一秒でも早くぶさに早く会いたい。離れてから一日が経とうとしている。こんなに長い間会えないのは初めてだ。だから心配だった。ちゃんとご飯食えてるか、寂しくしてないか、悲しんでないか。心配で心配で堪らない。
こんなにも過保護だっけと自分でも驚くぐらいには頭の中がぶさでいっぱいだった。
「道に沿って行きゃあ着くんだろ? なら、別に案内は要らねえ」
これまでずっと道を歩いていた。ご丁寧に森の中だと言うのにずっと道が続いていたのだ。それなら別に道案内は要らない。邪魔する同行者は要らない。休みたいなら休めばいい。アキはそのまま魔王城に向かって歩くだけだ。別に疲れてないし眠くもない。休憩なら今取ったし、体力はまだある。だったら少しでも距離を稼ぎたいと思うのは当然だろう。少しでも早くぶさに会えるように頑張るのは当然だろう。
アキは明かりを持ってないが暗くても割とよく見えた。この歳になって新発見。夜目が効く。特技欄にでも書こうかな。
道がはっきり見えるから逸れることはないだろう。方向音痴ではないし。
じゃあ、と手を軽く上げてアキは外に出る。
協調性に欠ける人だ。元からだ。
アキは他人との馴れ合いが好きではない。話し掛けられれば答えるが自分から話し掛けることはあまりしない。自分のことを話すのはしないし、正直な話アキが喋らなくても関係ないぐらい周りがうるさかったのもある。聞き役、というより勝手に自分の周りで会話が発生していたまでのこと。別に一人になろうが気にならない。というかその方が楽だと思っている。
集団行動なんてのは周りが自分に合わせていたから成り立っていたようなものだ。基本的にアキは自分がやりたいようにしか行動しない。社会人になってからは多少改善したはずだけどやはりマイペースと評価されるぐらいには自分の世界に持っていた。
しかしだからといって『ローブ野郎』も引き下がれるかと言われればそうはいかなかった。
「ここはちょうど中間に当たる地点です。翌朝早くから出れば昼頃には着けます」
「なら朝には着けるな」
「魔王城が近くなるにつれ魔物も凶暴になっていきます。加えて夜は活発化する傾向が確認されております」
「活発も何もボールだろ? なんともねえよ」
ここに来るまでの道中、出会った魔物はスライムのみである。だから凶暴だの活発だのと言われてもいまいちピンときていない。アキはボールのことをここではマモノと呼ぶと思っている。
なおもなんやらかんやら言い連ねて何とか留まってもらおうとしている。が、相手が悪かった。
「ッ!」
「ごちゃごちゃうるせぇよ。指図する権利はお前にはねえ」
胸元を掴んでは引き寄せる。至近距離になって『ローブ野郎』の心臓は大きく脈を打つ。それは恐怖からくる動悸だった。喉が詰まり、体が竦み、その強い瞳に魅入られる。
突き飛ばすように離すと尻もちをつく。それを一瞥して、アキは先を行く。その後ろを『鉄人間』と『バラ女』が続く。『ローブ野郎』と『クソ野郎』は夜に怯えながらも三人から離れないようについて行くのだった。