表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/42

ウーウーウーウー

「っ、魔王様?! どうされました!?」


 ハウス内で一人、忙しなく働いていた『犬人間』はハウスに入ってきた人物を見て声を上げた。驚きに目を瞠り、慌てて駆け寄る。


「あーううん、大丈夫。ごめんね、見目悪く(心配させ)て。なんともないから大丈夫だよ」


 大丈夫という言葉ほど信用出来ない言葉はないだろう。大丈夫とは間違いなく確かなさま、危なげなく安心できるさまを意味する。対人間に関してはどうしてもその人の主観が邪魔をする。

 そもそもの話、複雑な人間の状態を一つに確立する要因は存在しない。肉体的で見れば数値で測ることも可能ではあるが必ずしも全てではない。それが精神的ともなれば、見えないものを確かめる術など存在しないし、確実性に欠ける。


 さて、現在の『襟巻小僧』の様子を分かりやすく客観的に見ると、傷だらけだ。服はボロボロ、肌には切り傷や打撲が見れる。どう考えても何かあったとしか考えられない状態だ。とても安心感を与える様子ではない。

 それでもいつものように笑って大丈夫だと言った彼は、痛くないし死にはしないから大丈夫(問題ない)と思ってる。実際、この程度の傷は彼にとっては擦り傷のようなものだ。見た目は確かに酷いが、見た目ほど痛くはない。痛覚を感じないだとか、痛みに強いだとかの根性論などと言った論外な考えは抜きにしてもそうだ。結論としては全く問題ないと断言できる。


 だがこの手の話はいくら本人が大丈夫と言っても水掛け論になる。だから『襟巻小僧』は別の話題に意識を逸らす。


「それより、ハウスは君だけ?」

「はい。先輩はお客様の相手をしておりますし、もう一人は……いつも通りです」

「へぇ〜、そう……」

「? ……あっ、だ、大丈夫です。今はみんな食事中ですし、大変ではありませんから」


 静かに怒りをたたえる『襟巻小僧』に気がついた『犬人間』は慌てて弁護する。しかし、それが火に油を注ぐ行為になっていることには気づかなかった。


「ンン、これは後で詰めるとして。王様(彼女)はイチノメに行ったけど、今日はどうする?」


 これは水泳教室を開催して以降の決まり文句になっていた。その後も『犬人間』は足繁くイチノメに通っている。一つは水泳上達のため、もう一つはアキの泳ぐ姿を見るため。


「! あ、でも……」


 今は持ち場を離れることが出来ないと肩を落とす。今までは『犬人間』が空いた穴を『襟巻小僧』が埋める形で対応していた。百匹の犬、加えて犬の王の101匹を世話するには最低でも二人は必要だった。

 さすがの有能魔王(ハイスペ)でも一人でこの数は手に負えない。それでも単純計算で一人当たり五十匹を相手するのは至難の業だろう。……『首輪野郎』? アイツは戦力外だ。最初(はな)から数に入ってないし、誰も期待していない。


「わっ!? え、なに?! ここはドコ? オレは誰?」


 その戦力外が呼び出された。転移で否応なしに強制的に。


「ここはハウス。君は誰でもない、ただのイッヌの玩具だよ」

「へ? あーれー」


 キョロキョロと辺りを見渡す『首輪野郎』の背中が叩かれた。触れた瞬間に一つの魔法を掛ける。毎度お馴染み犬の好きな匂いを発する魔法である。食事を終えた犬たちが匂いに釣られて『首輪野郎』に集まる。


「ここはボクに任せて。安心して、楽しんでおいで(行ってらっしゃい)

「……はい、行ってきます!」


 そうしてハウスから飛び出して走っていった『犬人間』を見送る。ドアが閉まってさあ、やるぞと気合いを入れたところでリードが動く。


「……っ、イッヌ様? そっちはイッヌが……て、あれ?」



 * * *



 裏口を開けた『犬人間』が動きを止めたのは一秒にも満たない僅かな時間だった。すぐさま状況を把握して最適な行動を実行する。

 捕らえられている王様の救出と安全の確保。背後から奇襲して姫を離し、王様を後ろに庇って敵を見据える。


 前方に王子と先代魔王、そして斜め前方近くに姫。他に敵の姿はない。

 背後の王様に外傷は見られない。けれど恐慌状態の傾向あり。


「チッ、誰だ。わたしの邪魔をするなぁ! お前、救世主様を渡せ。さもなくば殺す。……いいえ、わたしに歯向かうことは万死に値する」


 ブチ切れ『バラ女』がどこからか愛武器、朝星棒(モーニングスター)を取り出す。対する『犬人間』は剣を持っていない。素手であの鈍重な凶器を相手にするのは不可能に近い。いや、例え剣があったとしても厳しいだろう。

 朝星棒の重量は見た目の大きさ以上にあり、ペンしか持てない貴婦人には持ち上げることはおろか、僅かに浮かせることも出来ない。それを片手で振り回せる『バラ女』は可憐な見た目に似合わず怪力だ。普通に対峙しても競り合う前に剣の方が砕かれる。


「……っう、ハア! 王様っ、今のうちに逃げましょう」


 その凶器の威力を知っていながらも、『犬人間』は果敢に立ち塞がる。姫と王様の直線上から離れないように位置取りしながらギリギリを見極めて躱す。大振りで重さが乗った攻撃の瞬間を見計らって躱した直後に柄の部分を蹴り弾く。体勢を崩した彼女を見学している男たちに向かって突き飛ばす。


 攻撃は掠りはしたが致命的な外傷ではない。すぐさま振り返った『犬人間』はアキの手を掴んで魔王城の中に避難する。圧倒的戦力差であのまま戦い続けるのは不利だと瞬時に判断した。戦術的撤退は恥ではない。地の利はこちらにあるのだ。それを利用しない手はない。

 『犬人間』は冷静だった。そして、騎士であった彼女の戦闘能力と判断能力は高かった。大きな体に動きの邪魔になろう大きな桃を抱えていながらもその動きは洗練されており、焦りも怯えもなく前を向く姿勢は頼もしかった。


「〜〜っ、逃がさない! お前たち何をしているの!? 手伝いなさい」

「エッ、いや〜俺様戦闘はチョット……」

「姉上、ここは一度戻って騎士を連れてくるべきです」

「煩い! ごちゃごちゃ言わずにわたしに従え。お前は魔法で動きを封じろ。お前は盾にでもなって役に立ちなさい!」


 残念な男たちは高飛車な姫の尻に敷かれる。『バラ女』は発破を掛けるように地面を叩く。鉄球が地面にめり込み、その周辺はヘコんで亀裂が生じた。眼だけで次はお前の番だと告げる。暗に従わなければ潰すと言っているのだ。

 男たちは身の危険を感じて、慌てて女の(ケツ)を追いかける。進むも地獄、戻るも地獄の絶望レース。恐怖に青ざめる『クソ野郎』と、どーしよっかな〜と今後の動きを悠長に考える『パリピ爺』は魔王城内を女に挟まれながらひた走る。


「王様、こちらです!」

「ここって……」

「早く!」


 アキは二つのことを同時にはできない。走りながら思考することはアキの残念頭では並列に実行出来ず、考えるなら止まらなければいけなかった。スポーツでは直感で動くため頭は働いていない。

 そのため『犬人間』が指した道の先にあるもの、目的地を導き出そうとしたアキは動きを止める。しかしすぐに『犬人間』によって思考は中断され、再び走り出す。


 階段を駆け下りて、部屋から飛び出す。ドアを開けたままにしたのは正しく追いかけてもらうための誘導だった。


「ぐぅぅ、なんだここは!? 一面(いちめん)白くて……寒い?!」

「うっひゃー何ココ! くっそぅ〜面白そうなことしやがって。やっぱり右腕から抜いたのは失敗だったー。俺様に黙ってるなんてズルい!」


 案の定、何も知らずに後に続いて小屋から出てきた三人を認めると一定距離を進んだ後、立ち止まる。


「ふふふ、鬼ごっこはおしまい? それとも諦めたのかしら。まあ、どっちでもいいわ。どの道お前はここで死ぬのだから!!」

「わたしは諦めないし、死ぬつもりもありません! 終わるのはあなたたちです!! ――ユキダルマっ!!」


 冷たい空気を肺いっぱいに吸って、思いっきり叫ぶ。それはサンノメに潜む魔物の名。嫌者の排除を実行する魔物の名。その本質は侵入者の排除。好き嫌いはただのユーモアだ。その時の攻撃は本気ではなかった。


 雪原から突如、形が浮き上がる。それは個々で違う形をしていた。それはとても奇妙な光景に見えた。けれども驚いていられるのは束の間だった。囲まれた。白い未確認魔物によって全方位包囲された。


「こーれは、ちーっとマズイかね〜」


 ニヒヒっと悪戯小僧(ワルガキ)のような笑みを浮かべて『パリピ爺』は手を突き出す。


「っと、いっけね!」


 ベッと舌を出して、杖を構える。彼が魔法を使うのに媒体は必要ではない。必要ないが背丈ほどある大杖を用意している。それは何故か。カッコイイからだ。ただそれだけの理由で自らの手で拵えた。


 通常、杖は魔法発動の補助の役割がある。国王城の魔法使いは魔力量も少なければ応用もできない。型に嵌った魔法しか使えないのに精度も良いとは言えない。まあ、杖があったところで元が悪いのに対しいくら補正をかけたとしてもたかが知れてるが。


 そのご自慢の大杖は『パリピ爺』主観のカッコイイを詰め込んだ逸品だ。その杖に補助としての機能はなく、本当に飾りでしかない。杖を翳したところで意味はない。結局、魔法は普通に発動する。本当に形だけの構えだ。無駄なこだわりを持つのは魔王の習性だろうか。


「せーの、どぉーん!」


 だが、やはり魔王と呼ばれていただけのことはある。掛け声と共に同時に全てのユキダルマが爆発した。轟音と揺れがサンノメに巻き起こる。白の空間に黒煙が上がる。


「おぉ、さすが大賢者様!!」

「ふっふっふー、もっと褒め讃えよ! なんたって俺様最強大賢者だからなぁ!」


 いい歳した男どもが子供(ガキ)のように興奮する。まるで鼻が伸びきったガキ大将と舎弟のようだ。王子が舎弟ってどうなんだ?


「万策尽きたようね。無駄な悪あがきもここまで。これで分かったでしょ? お前に勝ち目などないってことを。救世主様は、わたしの物よ!!」


 朝星棒を構えて一直線に突っ込む。喜悦に満ちた表情にアキは悲鳴を漏らす。『犬人間』はアキの恐怖を和らげるように前に立ち、彼女の視線を遮る。


「邪魔だぁぁぁ!!!」

「ユキダルマ……撃てっ!」


 手を前に突き出して合図する。その掛け声に合わせて、煙が上がる場所から雪塊が放たれた。全ての箇所から一斉に。


「っ!? 何故っ?!」


 弾丸のごとき加速度の雪塊を初見で防いだのはさすがと言えようか。本当に姫なのかという疑問は野暮だろう。


「おいおい嘘だろ? 俺様は確かに全部壊した……まっさか〜。……っかー、こりゃやっべーわ」

「な、なにか分かったのか!?」

「うんうん、絶望的ってことが分かっちった☆ この空間にいる限り、あの魔物たちをどれだけ攻撃しても無駄だね。すぐに再生しちゃうもん」


 それらは実に従順だ。創造主でなくとも指示に従ってくれる。それは護る対象だと認識しているから。真に害なす存在を見誤りはしない。

 それらは実に金剛だ。ここがサンノメである限りそれは真の意味で壊れることはない。ユキと冷気がある限り、どんなに破壊されても修復し、動き続ける。

 それがユキダルマという魔物だ。


「なっ!? なにか手立ては……おいっどこに行く!」


 焦った『クソ野郎』が大賢者に状況の打開を仰ぐ。しかし、振り返った先には誰の姿もなく、彼は来た道を引き返していた。


「いやいや、俺様お人好しじゃないからさー。仕事もここで終わりだよーん。心中するつもりはナッシーング。じゃ、後は自力で頑張ってね〜」


 大手を振って走り去る。彼に責任感情は存在しない。手伝ったのは面白そうだったから。状況が変われば早々に離脱する。それも一人で。『クソ野郎』は頼る相手を間違えた。こんな軽い男を信頼したことが大きな間違いであったと今になって気づく。


 『パリピ爺』は走りながら飛んでくる雪塊を魔法で弾く。立ち塞がるユキダルマを遠くに飛ばして退路を確保する。壊せなくても対処法はいくらでもある。

 鼻歌交じりで小屋に向かう。アキがターゲットだったことには驚いたけど、まあ面白いものが見れたので良しとする。暴力女の恐怖顔はなかなか良い表情だった。思い出すだけで笑みが零れる。あの時は笑いを堪えるのが大変だった。


「やあ、これまたおかしな場所で出会ったね。そんなに急いで、どこに行こうとしたんだい?」

「おっとー、これはこれは魔王様。どこも何も、実家に帰ろうとしただけデスよー」


 小屋のドアまで残り僅かという所で『襟巻小僧』が立ち塞がった。これにはさすがに強行突破は無理だと足を止めるしかなかった。


「それでぇ? 魔王様がわざわざ何の御用でぇ? まさか、魔王様ともあろう方が約束を忘れた、なぁんてないよねぇ」


 わざと煽るような口調で話し掛ける。彼は人を嘲なければいけない呪いにかかっているのだろうか。それとも人が怒る姿を見るのが趣味なのだろうか。だとすればとても悪質だ。


 煽りを受けた『襟巻小僧』はけれども表情は変わらない。目を細めてニッコーと笑みを浮かべている。作ったような笑み。それを意味するのは静かな怒り。それはとても厄介で恐ろしい怒り方だとは魔王城の使用人の共通認識である。


「もちろん覚えてるし、約束を違えるつもりはないよ。でも、ボクは言ったよ。今日までのことはってね」

「おうよ!」

「あの日以降の出来事まで不問にするつもりはない。だからさ……イッヌ様に何した」

「おう……エッ」


 底冷えするような冷酷で威圧的な声。表情を無くした『襟巻小僧』が『パリピ爺』を見下す。そのまま、ゆっくりと近づいていく。一歩一歩、確実に追い詰めるように距離を詰める。


「ぎっくぅ。な、なんのことかなぁ?」

「もう一つ興味深い話を聞いた。召喚の儀式」

「ぎくぎっくー。……ええ〜何その話ぃ? 俺様も気になるーぅ。教えてほしぃー……っ」


 口角を上げた彼の頬に一筋の光が走った。鋭く速いそれは赤い軌道を残す。つーっと血が頬を這い滴り落ちる。


「うん、いいよ。簡単に喋るとは思ってないから。大丈夫。ちゃんと死ねないように治してあげるよ」


 笑っていない顔に抑揚のない声。無を体現する少年は想像を絶する恐さがあった。それはしかと『パリピ爺』の胸にも刻まれただろう。彼を本気で怒らせてはならないと。


 『襟巻小僧』の感情は周りに影響を及ぼす。吃驚は落雷、憤怒は強風というように。しかし今は穏やかだ。凍えるような冷気が吹き荒ぶだけ。これはサンノメでは普通のことだった。だから、そう……無だった。灼熱の業火も極寒の猛雪も局地の暴風も、何も起こらず無だった。

 彼は確かに激怒している。よりにもよって愛する王たちに危害を加えたのだ。しかしその怒りを隠して平素に対応している。グツグツと煮えたぎった怒りの炎を解放せずに内包する。それはいつ起爆するかも分からない爆弾だ。


 人は目に見えるからこそ、理解できる。どれほど怒っているのかと説教の終わり。朝日が昇ることを知っているから、人は夜を恐れない。

 けれどもこの場合、何も分からない。判断材料のない中で、完璧な無表情(ポーカーフェイス)を相手に、起爆(激昂)に怯える。明けない夜はなくても、ずっと真っ暗闇に閉じ込め続けられれば時間も何も分からない。


「まっ、ちょ……やめっ、ひぃ、いやぁぁぁぁあああああ!!!!!」


 無表情の少年の影に覆われる。逆光で顔が見えなくなり、言葉を発さずに手を伸ばされる。


 サンノメに憐れな男の悲鳴が轟く。しかし、悲鳴は雪に吸収されて、響き渡ることはなかった。

 誰にも知らずに、一人の男が雪に消えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ