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ウー

「……お前、誰だ?」


 アキは目の前の『犬人間』……いや、ソイツを睨む。それは犬のぬいぐるみだった。着ぐるみに似ているがよくよく見るとぬいぐるみだった。なんかこう、人っぽさがなかった。綿が詰まっているようなもこもこな全身(ボディ)。それに、少し考えればすぐに分かることだった。彼女はすでに脱皮済み(殻を破った)。今になって着ぐるみを着る必要が無いのだ。後、身長(タッパ)が全然足りてない。


 目の前の(ぬいぐるみ)が『犬人間』ではないと証明するようにぶさも反応しなかった。いつもなら挨拶するように煩く鳴き吠えるぶさが全くの無反応だった。


 さてそれはそれでアキは困る。目の前にいるぬいぐるみ(ぬいぐるみ?)と何故かそのぬいぐるみにお姫様抱っこされている『男姫サマ』。コイツらをどうするか。

 今さら見なかったフリして通り過ぎるには関わり過ぎた。目が合った? し、会話? もしてしまった。


 アキは人間不信だし人に興味が無い。それでも完全に無関心にはなれなかった。無情にはなれなかった。

 良心と言うよりは常識と言った方が正しいかもしれない。目が合えば挨拶するのと同じで、僅かでも接点を持てば放ったらかしにするのは気が重い。これが例えば喧嘩をふっかけてきたヤツとかだったら話は早い。殴って沈めて終わりだ。正当防衛が成り立つから要らぬ気を回す必要はなくなる。


 だが目の前のコイツらは違う。アキを襲う素振りはない。というよりどんな状況かも定かではない。というか本当にどんな状況だ?


「もうヤダぁ……」


 泣き言を吐く『男姫サマ』は恐らく今の状況を好ましく思っていないのだろう。どこに好き好んでお姫様抱っこされて喜ぶ男がいるというのだ。

 だがアキの記憶には居た。お姫様抱っこではないが、椅子になりたがる男がいた。もちろんソイツは避けたい存在である。どこか『バラ女』に似ていた。……これ以上は止めよう。思い出しても良い事なんかない。悪戯に神経をすり減らすだけだ。


「なあ、その……大丈夫か?」

「これが大丈夫に見えますか!?」


 人を避けて生きてきたアキにコミュニケーション能力を求めてはいけない。これでも彼女は頑張っている。頑張って話そうとしている。ただ何を話せばいいのか分からない。それでも何か喋らないといけないと思って口を開いても話し始めを見失う。そうなると先ず視覚情報から入る。つまりは見て分かることを聞くことになるのだ。


 彼は信じられないというように手を退けてアキを見る。質問者であるアキもまあ、その返しをするよなと思った。だけど仕方がない。他に聞くことがないから。


「…………」

「…………」


 ここで悲しいお知らせです。会話が終了しました。


 無言でお互いを見つめ合う。二人の間には緊迫した空気が流れる。まるで食うか食われるかの狩りの世界の様に互いが互いの出方を窺っている。


 だが思い出して欲しい。この状況を、二人の今の状態を。片や犬の散歩中であり、片や犬のぬいぐるみにお姫様抱っこされている。なんとも気の抜けるような(ほのぼのとした)状況だろうか。超大まかに見たらどちらも犬を連れた飼い主に見えやしないか?

 散歩してたらたまたま他の飼い主と犬と出会って、犬同士が仲良くなっても飼い主同士は微妙な空気感のまま苦痛な時間を過ごすアレ。お互い気まずいけど離れに離れられないあの時間。アキはそんな経験したことないが。ぶさが他犬と仲良くなるなんてありえないから。何はともあれそんな感じである。


「あの……すみませんが助けてくれませんか?」


 最初に口を開いたのは『男姫サマ』だ。もうこの状況に耐えられなかった。彼の心はボロボロだ。とにかく恥ずかしい。穴が入ったら入りたい。誰もいない場所で一人で泣きたかった。


「助け……?」


 どうやって? とアキは首を捻る。


 そもそも、そのぬいぐるみは一体何なんだ。人間は信じられない光景を目にした時、取る行動はおおよそ決まっている。静かに立ち去る(無かった事にする)か、動画を撮る(大々的に騒ぐ)か。そこに彼のように巻き込まれている場合は上記に加えて対話を試みるが追加される。


 しかしアキの頭は単調だった。脳みそに筋肉が詰まっているのかぐらい思考回路が単純だった。ぬいぐるみが何かは分からない。けれども助けを求められている。だったら助けた方がいいのだろう。


 考えたのはほんの少しだけ。思考より先に体が動くアキはすぐに動き出した。見切り発車だ。そして彼女が取った行動は殴るだった。

 アキにはやんちゃ期があった。昔の血が騒ぐ……というわけではないが全てを拳で解決してきた過去がある。だから、そう、何かあれば拳が飛ぶのだ。


「っ!?」

「うわぁああ」


 アキの拳は宙を切る。ぬいぐるみは男一人を抱えたまま後ろに飛び下がって拳を避けた。


 アキは大きく目を見開いてぬいぐるみを見る。その後、無意識に口の端が上がった。


 コイツ、強い(やれる)


 闘争心が剥き出しになったアキは構える。ぶさを放ったらかしにして、『男姫サマ』の助けも頭からすり落ちて、ただ目の前の(ぬいぐるみ)を見据える。


「え? え、え、え……ぇえ?」


 ここで一番の被害者は間違いなく『男姫サマ』だろう。突然の羞恥プレイ(お姫様抱っこ)から始まり、次いで公開処刑(その姿を人に見られ)終いには(助けを求め)戦闘に突入した(バトルが始まった)。出会った人がアキでなければまた結果は変わっていたかもしれないが、そんなもしもはない。アキに出会ったばかりに、可哀想……だが現実を受け入れるしかないのだ。


 なんでこんな事になったと遠い目をする。これは夢か。そうだ夢だ。目を閉じれば元通り……なんてことはならなかった。現在進行形でグワングワンと体が揺れている。逆に夢なら良かった。目が覚めたら泣いて喜んでいただろう。悲しいかな、これは現実だ。受け入れ難くても現実である。


 一人悶々と頭を悩ませる『男姫サマ』。そんな彼は今ぴょんぴょんと跳ねて攻撃を躱す誘拐犯(ぬいぐるみ)に抱えられている。彼の上では拳で空気を切る様な音が発生している。その凶器のような音は美しい女性の細腕が発していると。もう意味が分からなかった。渦中でありながら状況についていけない。理解することを脳が拒否している。


「もう……誰か、助けて……」


 心の底からの切望が口から漏れ出た。それはとても小さく細く、今にも消えてしまいそうなロウソクの火のような声だった。儚い願いは誰の耳にも届くことなく風切り音(アキの拳)によってかき消さ(打ち砕か)れた。



 どれほど時間が経っただろうか。集中しているアキは短い時間に感じるし、疲れ果てた『男姫サマ』はとても長い時間に感じる。楽しい時間ほどすぐに終わり、苦しい時間ほどものすごーく長ーく感じるものだ。実際は同じ時間なのに。その実際の時間は数分のことだった。


 ここで新たに行動を開始した者がいた。今まで行儀良くおすわりしていたぶさである。リードを投げ出して駆けて行ったアキの後に続かずその場に留まっていたぶさである。いつもは煩いのに鳴かずに静かに待っていたぶさである。そのぶさがついに重たい腰を上げて動き出した。止まっていた時間が動き出したかのように存在を主張する(吠えて騒ぎ出す)


「わんわん!」


 ぶさはアキの元に駆ける。リードを咥えるなんてことはしない。引き摺って駆ける。ぶさに賢さを求めてはいけない。ペットは飼い主に似るという。つまり、そういうことだ。


「うわっ、ぶさ!? あっぶな」


 ぶさはアキの元に行くとアキの周りをぐるぐると駆け回る。リードを引き摺ったままだとか関係ない。

 アキは足元で動き回るぶさを蹴らないように、リードを踏まないように注意する。そうすると動かないのが最善だ。注目が(ぬいぐるみ)から(ホンモノ)へと移り変わる。


「危ないだろ?」

「わん!(お腹空いた)」

「はあ? あー……」


 ぶさを叱っても無駄だと思いながらも言わずにはいれない。案の定聞いちゃいないが。代わりと言うわけでもないが己の欲求を主張してきやがった。犬に対話を求めるのは間違っているだろうが、もう少し賢くならんかと項垂れる。ペットは飼い主に似るという。その想いはブーメランとなって自分にも帰ってくるということには気付かない。


 眉根を寄せて考える前に唾棄しようとしたアキだが今が散歩中だったことを思い出した。散歩は一日で一回しかしない。それは決まって起床後だ。散歩を終えてから朝ご飯が毎朝の決まり事(ルーティン)だ。

 アキはガシガシと頭を掻く。チラリとぬいぐるみを見て唸る。彼女の頭の中では天秤が揺れている。喧嘩かご飯か。


「…………ハァ、帰るぞ」


 熟考の末、溜息をついて諦めた。ルードを拾って、ぶさに声掛けする。


「………………よ、かったぁ……」


 呆気ない幕引きだった。なんか良く分からないが、戦闘が終了したらしいことだけは分かった。それだけで良かった。十分だった。深い息を吐いて脱力する。ずっと抱えられているだけだけど、何だかとても疲れた。

 だらんと体の力を抜いた『男姫サマ』は横目で美しくも危険(バラのよう)な女性と彼女の飼い犬を見る。そして心の中で犬に手を合わせる。ありがとうと最大限の感謝を送る。彼の現在の姿勢に敬意の欠片も感じられないが。


「…………」

「…………」

「……………………なあ」

「はい、すみません……」


 帰路に着くアキとぶさ。その後ろを一定の距離を保ってついてくるぬいぐるみと『男姫サマ』(お姫様抱っこ中)。最初は無視していたアキも明確についてきていると感じ、聞かずにはいられなかった。それは『男姫サマ』も感じていたようで、けれど彼は自分の意思では動けないので謝るしかなかった。彼自身は何も悪くはないけれど、謝罪が口に出た。もう気まずかった。ただただ申し訳ない気持ちになる。もう一度言おう、彼は何も悪くない。


 どうしようかと悩んだアキはさり気なく進行方向を変えた。行き先を家から魔王城に変更したのだ。なんとなく、家までついてこられるのは嫌だった。誰が好き好んで見ず知らずの他人に家を教えようとするのか。普通に嫌だった。


 いつもはアキが散歩から帰るとすでに『襟巻小僧』が朝食の準備を終わらせている。だからすぐにご飯を食べることが出来るのだ。これは毎日のことであり、アキも知っていることだ。けれどもこの時、『襟巻小僧』に対する配慮が欠けていた。いつものことだったからこそ、深く考えつかなかったのかもしれない。急な予定変更は相手にとても迷惑をかける。今回の場合で言えば、食事場所の変更するだけの話ではないのだ。もう食事の用意を済ませ、準備万端でアキの帰りを待っているとすれば可哀想過ぎる。


 アキは会社員だった。会社員であれば報告(ホウ)連絡(レン)相談(ソウ)は基本中の基本だろう。特にイレギュラーが発生した場合にはとても重要視とされる。耳にタコができるぐらい口酸っぱく言われてもなんらおかしくない教訓である。だから、いくら頭が悪くても、知識に定着しずらくても、覚えざるを得ない教訓となる。


 だと言うのに、アキは『襟巻小僧』に連絡しなかった。連絡手段がないというのもあるが、そもそも連絡するという考えすら持たなかった。頭の出来が残念過ぎる。会社員としての心構えすら地球に置いてきてしまったのか。


 きっと彼女の精神年齢は二歳ぐらいだろう。自我が強いが良いと悪いの判断がつかず、また行動範囲が増えて好奇心旺盛になる。

 俗世では魔の二歳児と呼ばれ、イヤイヤ期が始まる頃だ。言うことを聞かず、駄々をこねたり癇癪を起こしたりと手に負えなくなる。


 ……彼女は今や二八歳だ。二六年間成長が止まっていたとか考えたくもないが、もしそうなら絶望だ。そんなの哀れを通り越して愚かだ。救えない。

 女はバカな方が良いとかのレベルじゃない。もう人間として終わってる。子供からやり直すでは足りないだろう。だって今も子供のようなものだから。もう生まれ直した方が手っ取り早いのではないだろうか。それも遺伝子レベルから。


 転生するなら原始人がお似合いかもしれない。知能が未発達だが好戦的な狩猟民族。まさにアキのことを指している。そうか、彼女は生まれる時代を間違えたのだ。はるか昔に生まれていたなら彼女はきっと英雄になれただろう。




戦聖で救世主で王のアキ……もうすでに英雄だった件。

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