アンアンアンアン
「で…………っきたーーーー!!!!」
早朝の魔王城に魂の叫びが響き渡る。それは偶然にも同じタイミングで二ヶ所から発生していた。二人ではない、二ヶ所だ。二つの場所から同じ時間同じ言葉が重なり合うように発せられたのだ。それはもうとてつもなく傍迷惑な行為である。ここには二羽ニワトリが居る。ニワトリのような煩い迷惑野郎が居る。眠りが覚めてしまうような大声が魔王城に轟く。誰だ何だと強制起床させられて不審な様子の住人が続々と廊下に顔を出す。
そんな中で――
「殺す」
壊れるんじゃないかと思うほど強くドアを打ち開けた二日酔いの『クズ男女』は頭を押さえる。誰か知らないが超絶迷惑なクソがこんな早朝に叫んでいやがる。その声が彼の頭にキーンと響く。高い声音だったから余計に響いた。そういうわけで今の彼はとっても不機嫌だ。眉間に皺を寄せて歯を噛む。少し青くなっている顔には青筋が浮かんでいる。
その表情を見た『三下野郎』がギョッとするぐらいには怖かった。叫ばなかったのは奇跡かもしれない。もし叫んでいたら標的は自分になっていたかもしれない。だが眠気は一気に消え去った。
魔王城の居住区は密集している。ちゃんと自室で就寝すればすぐに生存確認出来るぐらいには集まっている。間に客室があったりするが見えなくなるほどの距離は離れていない。
さて現在廊下にひょっこり顔を出したのは『クズ男女』、『三下野郎』、『犬人間』の三人だ。魔王は執務室の隣に自室があるからここにいないのは当然として、料理担当の二人も朝が早いと聞いたから居ないのは仕方ない。残る三人は仕事が趣味の女二人と怠惰の強欲の男一人。
「うわ、まだ寝てる。気持ちよさそうに寝やがって、このまま永眠してくれないかな……」
怠惰の強欲である『首輪野郎』は今しがた『三下野郎』が確認した。残る二人の所在も見当はついている。殆ど仕事部屋で生活しているからだ。徹夜だとか寝落ちだとかで自室に居る方が珍しい。
そもそも誰が叫んだかはもう分かっている。ここで大声を出す叫人は四人しかない。発狂癖と脳天気と暴走癖と間抜け。だから消極的に考えれば誰かなんてすぐに判明できるのだ。
不機嫌を隠しもしない『クズ男女』が衣装部屋のドアを開ける。ノックも声掛けもない。バンっと叩くようにドアを開けた。ズカズカと入っていく彼の足元には色鮮やかな布や糸が転がっている。それらを踏み潰して部屋の中を進んで行く。その後ろではドアから中の様子を窺う『犬人間』と『三下野郎』の姿があった。二人は色々心配でついてきていた。彼の体調や殺人事件の気配などなどの危険を察知したからだ。
ちなみに『クズ男女』の手にはナイフが握られている。彼は殺る気に満ち溢れている。医療担当が人を傷付けて〜とか聞いてはいけない。「いいに決まってる」と真顔で即答されるからだ。仕事に私情は挟まない主義だがその逆もまた然りだ。私情で仕事はしない。時間外労働なんて論外で、時間内でも暇になればサボろうとする。主義と言っても意見または主張に過ぎなかった。口だけは達者の一番厄介な能力のある働かない蟻。古参勢は皆その嫌いがある。困ったものだ。
「……いる?」
「いない、です」
無造作に部屋を荒らす『クズ男女』の様子を気にしながら二人は部屋に入らずコソコソする。
「チッ、どこ行ったあのアバズレ。…………ガキのとこか」
舌打ちした後に低い声で悪態をつく。ガラの悪いヤンキーのようだ。
「アバズレって先生も……っ、なななんでもないです!」
お前も同じだろと言おうとした『三下野郎』は殺気を受けて口を噤む。舎弟は上には逆らえない。舎弟じゃないけど。
「いたーぁ!! 魔王様っ、これ、これっ! 出来たの、っ、完成したの!」
三人が衣装部屋で騒いでいる同時刻、御館でもひと騒ぎが起きようとしていた。廊下を走る『はね女』がその勢いのまま御館のドアを開け放つ。中に『襟巻小僧』の姿を発見してパァっと表情が明るくなる。一直線に目にも止まらぬ速さで近づいて、手に持った物を彼に見せる。顔に押し付けるように眼前に近づけて見てと言う。見づらい事この上ない行為だが興奮している彼女の知ったことでは無い。
「……? っ、あぁ、おめでとう! ボクもね、今しがたスケート靴が完成したんだ」
「早く早く! そんなこといいから、早く魔物化して!」
「急かさなくてもちゃんとやるから落ち着いて。……え、もうこんな時間!? 朝ご飯を作らないと……」
汚部屋からもぞりと起き上がって、疲れた様子でふわふわしている彼が顔を上げる。ふと窓の外に視線が向けるとすでに太陽が昇っていた。気付かぬうちに外が明るくなっていたことに驚く。それと同時に焦躁感が掻き立てられる。
「どこ行くの! あたしが先よ」
「全てにおいて運命の人が優先だよ」
部屋から出て行こうとする『襟巻小僧』をしっかりと掴んで引き留める。強引に突破しようとする彼を『はね女』は体で止めた。さすが自己中女。自分の事しか考えていない。
朝ご飯の支度が遅れてアキに迷惑を掛けたのは記憶に新しい。今回は以前の様なイレギュラーが起きたわけではない。いや前回も別にイレギュラーがあったわけではないが……。というか今回も理由は概ね同じと言える。一言で言えば熱中し過ぎた。あと少しあと少しだけと事を進めて、気づいたら朝になっていましたという事だ。
二人がせめぎ合う中、廊下から足音が響く。三つの足音が御館に向かっていく。その先頭にはキラリと陽光に反射して眩い光を放つ鋭い刃があった。その先頭には光とは真逆の暗澹たる雰囲気を放ち影が落ちて顔が見えない男がいた。
その男はまっすぐ騒ぎの中心に向かう。その男は無言で騒ぎの中心に向かった。
御館のドアの前で『クズ男女』はピタリと足を止めた。グルンと顔だけ横に向く。言い争う女子供を認めると鋭く睨めつける。心做しか彼の周辺の温度が下がったような気がする。
グッとナイフを握る手に力が入る。ゆらりと体が揺れると足先を御館に向ける。彼の後ろをついて歩いていた二人の顔が青ざめる。
「朝っぱっからうるせーぞクソどもぉ!」
振りかぶったナイフ。低い怒鳴り声。怒気を孕む彼の目は血眼になっていた。
「わー待つっすダメです! ドードー、ドードー」
「おお、落ち着いてくださいっ」
二人がかりで殺人鬼に変貌した男の腰とナイフを持つ手を掴んで抑える。『犬人間』は元騎士で鍛えていた。『三下野郎』は犬やバカの相手をしなくてはいけなかった。つまりは力が強い二人だが、怒りに身を任せた彼の気迫に押されたのか、火事場の馬鹿力でも発動させているのか、力負けしそうになっていた。
そんな鬼気迫る状況を前にして取っ組み合いしていた『襟巻小僧』と『はね女』はそのままの体勢で呑気に首を傾げている。諸悪の根源は己が悪いという自覚がない。何をやっているんだろうと自分のことは棚に上げて不思議そうに見ている。
「殺す」
「物騒ダメ怖ぁ! ちょ、魔王様!? そんなキョトンと見てないで手伝ってください」
「えっと……何かあったの?」
「何かも何もアンタらのせいだよ!」
「もー魔王様! 早くやってよ」
「んでアンタはブレねぇな!?」
ツッコミが一人だと大変だ。大変だからチョット口が悪くなってしまうのも仕方のないことだ。
「うるせーって言ってんだろ!」
「あ、危ないっ」
「ひやぁあああ掠った! チョット掠ったぁ!? え、先生? な、なんでオレの方見てんの? 嘘でしょ嘘だよね嘘だって言って……いやんっ?!」
迫る凶器に間一髪のところで躱したが、ナイフの刃先に当たった『三下野郎』の髪が切れた。切れ味抜群だ。
状況は刻一刻と変化する。騒ぎの中心に行けばそこは当然煩いに囲まれる。そうなると『クズ男女』の矛先も更新されていく。それは一番近くに居て一番煩い者へと標的が移り替わる。『クズ男女』の怒りの矛先は煩いヤツだ。行動原理は終始貫徹変わっていない。ただ、過去より現在を優先しただけのこと。
「ふあ……〜ぁ。眠い……ん? みんなして何やってるんだ?」
騒ぎの中心に程近く、なんなら同じ部屋に居た『和女郎』は目を覚まして欠伸を零す。眠気まなこを擦りながら顔を上げると何だか騒がしい。まだ覚醒しきっていない頭でそれを見てこてんと首を傾げる。一番図太いのは彼女かもしれない。
彼女は最近忙しかった。『襟巻小僧』のスケート靴と『はね女』のリュック製作に付き合わされていた。もちろん彼女には物造担当としての通常業務もある。二足のわらじを履いているような状況に頭が上がらなかった。疲れは溜まり、半ば気絶のように眠ったのが数時間前のことだ。確か、日は跨いでいたと思う。だから眠りが深くなって、少しの騒ぎでは起きなかったのも仕方ないだろう。もしかしたらこのまま昼まで眠っていた可能性も否定できない。
そんなお疲れの彼女の目の前には五人の男女が騒いでいる。緩慢に目を瞬かせる。
「ああ……」
なんだいつもの事かというニュアンスを含んだ眠そうな声。そのすぐ後に糸が切れたようにバタンッと突っ伏した。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、ちょ、まっ、うそ……助けてぇえええ!!!」
ゴツっと頭をぶつけた音が大きく、心配した『犬人間』がつい『和女郎』の元に駆け寄って行った。二人がかりで抑えていた、なんなら標的が変わってからは彼女一人で抑えていた『クズ男女』が解放されてしまった。自由になった彼は理性を失っている。もう手遅れだ。
「チョット諦めないでくれます!?!? クソッ、こんなことなら盾持ってこれば良かった」
悪態をついたところで状況は変わらないが分かっていてもつきたくなるのが心理だ。鬼気迫る彼の脳内にはイエーイとピースする『首輪野郎』の姿が浮かぶ。自分で想像しておきながら一人でイラついている。そして同僚を肉壁要因として考えている彼も人の事を言えないアバズレだった。
* * *
魔王城では一大事に発展しそうな騒動が起きている頃、アキにもまた別の騒動のタネが芽を出していた。
早朝、いつものようにぶさと散歩をしていた。馴染みの散歩コースで、ぶさが煩いことを除けば静かで心地いい時間を過ごせる時間だ。早朝散歩で誰かと出会ったことは一度も無い。だから油断していた。何も起きないのだと決めつけていた。絶対なんて存在しないのに。未来のことは誰にも分からないのに。日常が崩れるのはいつだって突然だ。それが良いも悪いも人それぞれで、どちらに転ぶかはその後の行動しだいだろう。けれどもアキはひとつ確信していた。これはアキにとって良くないことなのだろうと。
「何やってんだ?」
何とか口に出した声は困惑を露わにしていた。人は呆れると何も言えなくなるらしいが、驚きすぎても言葉が出ないらしい。唖然とするアキの目にはチョット……いやだいぶ奇妙な光景が映っていた。
『犬人間』が男を連行していた。
それもお姫様抱っこで。
「み、見ないでください……」
恥ずかしそうに顔を両手で覆っている『男姫サマ』が消え入りそうな声で懇願する。
いや、お前じゃねえとアキは思った。彼女が聞いた相手は『犬人間』であって、見知らぬ男ではない。『犬人間』の性格上、こんな蛮行をするヤツでは無いのだが……人の心は他人には計り知れない。それを一番良く知っているアキは足を踏み入れるべきではないと視線を逸らす。その直前に……
「……お前、誰だ?」
違和感を覚えた。