アンアンアン
サンノメお披露目会から一夜明けて、魔王城の使用人は束の間の休息を終えて仕事に戻っていく。そんな中、一番上の立場である王様は再びサンノメに降り立った。
今回は愛の巣側から入っている。階段を下りて小屋に入る。昨日『襟巻小僧』から教わった転移で高原地帯の小屋に移動する。
そう、アキはスキーをしに来たのだ。
アキの仕事は遊ぶこと。健やかで幸せな生活を送ることが望まれている。だから皆が働いている中、のうのうと遊び呆けていてもいいのだ。寧ろ推奨されているまである。それ故に羨ましいだとかズルいだとかグチグチと文句を言われることはない。本当に遊んで暮らしているのだ。全く羨ましい。
片割れの王様であるぶさだが現在ここにはいない。出る前に『襟巻小僧』に預けている。イチノメの時と対応は同じだ。朝食時になんだか落ち着かないような様子だったが、特に何も言ってこなかったので個人的な事情か何かがあったのだろう。アキにも関係あることならば言うだろうし、自ら藪蛇をつつく失敗はしない主義なので気づかないフリをした。
要らぬ心配は頭から追い出して切り替える。今はスキーだと納屋に向かう。薄情である。人間不信だから仕方ない。
「おお、いな……」
納屋を開けたアキは驚いて目を瞠る。納屋には大量
の道具が置かれていた。スキー板やストック、スノーボード板は長さや幅が僅かに違う物が作られその数は十や二十では無かった。それは壁一面にきれいに並べられていた。左にスキー道具、右にスノーボード道具、正面には大きな木の葉。
…………うん、木の葉がある。
これはイチノメにあるスライダーの物と同じだ。縁が上に沿ってカーブしている乗り物もどきだ。スノーチュービングの代わりだろうか。まあ、面白そうなのでこれも後でやろうと心に決める。アキは深く考えない。そして面白そうな事には寛容だった。
「先ずは……スキーからやるか。久しぶりだな」
アキがスキーをしたのは小学生の頃だけ、それも片手で数えれる回数しかない。スノーボードも同じだ。と言うのもアキは雪国出身では無い。そのためウィンタースポーツをやりたければそちらに旅行する必要があった。気軽に遊べるものでは無かったのだ。だから回数は少ない。しかし、その一回の密度はとても濃いものだった。
先ず二日は絶対だ。動くの大好きアキはスキーもスノーボードもどちらもやりたい。だから一日目はスキー、二日目はスノーボードと言うのがお決まりだった。だから回数が同じなのだ。そしてスキー場のオープンから入って営業時間終わりまで休憩無しのぶっ通しで滑り続けていた。リフトに乗って滑る。これの繰り返しだ。一度だって飲食はしないし、そのためトイレも行かなかった。だから本当にずっと滑り続けていた。質より量。それでも運動神経抜群のアキはぐんぐんと上達していく。体力おばけのアキは疲れず最後まで変わらず滑り続けれた。傾斜面でも転ばないしジャンプもできる。怪我も事故もしないで流れるようにスイスイと滑っていた。
「……どれがいいんだ?」
けれどもアキは久しぶり過ぎた。そして日本は親切だった。ズラリと並ぶスキー板。どれも微妙に形や大きさが異なる。本物を知らない『襟巻小僧』が闇雲に作ったからだ。どれかは正解だろう、またはその人に合ったものだろうと。アキは詳しくない。その彼女から抽象的に伝え聞いたので正確に把握することは不可能だろう。それでもここまで再現度が高いのはもう天才と言っても過言では無い。
スキー場では道具は決められているようなものだ。渡されるからそれを使う。だから自分で選ぶことはなかった。それにやっていたのは幼少期だ。記憶は十分薄れている。とりあえず覚えていることと言えば板は長かった。それだけだ。
「うー、あー……もうなんでもいい!」
うじうじうだうだと迷うのは性にあわない。直感で一つ選び取った。それは自分の身長と同じ長さの板だった。
「うっし、滑るぞ」
チラリとドアの横にあるコースマップを見てから雪山の頂上に転移した。とりあえずは全コース制覇することを目標にした。
さて、通常ならば慣らしから入るものだ。約二十年ぶりで体も成長しているし感覚は全くと言っていいほど覚えていない。しかしスキーは一度滑ったら体は覚えていると言う。そうでなくともアキは感覚派だ。勘が鋭く、また運動神経抜群だ。別に驕っているわけではないのだが、単純に考えが足りていないだけである。だから、一発目からフルコースを滑るつもりでいる。
「ひゃっほーぃ! ハハッ、楽しい……!」
久しぶりであるはずなのに全く衰えていなかった。さすが肉体最強。笑みを浮かべながらも彼女の動きは上級者の動きだった。両スキーが平行で完璧なパラレルターン。こぶもジブもジャンプだってなんのその。やりたいことを思い通りに動けるアキは止まることを知らない。ボーゲンで止まることは出来るのでそこは安心して欲しい。
スキーで全コース制覇し終えたのはちょうどお昼時だった。最後の一本を滑り終えたアキの元に見計らったように『襟巻小僧』がやってきた。
「お疲れ様! お昼ご飯を持ってきたよ。キリのいい所で食べよう?」
「ん。今行く」
まるで予想していたかのように動く『襟巻小僧』。タイミングが完璧過ぎではないだろうか。しかしアキは言われると途端に腹の虫が主張を始め、ご飯のことしか考えれなくなった。
納屋に道具を置いて小屋に入ると暖かい空気に包まれる。美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐり、ぶさが鳴いて急かす。
朝のようなよそよそしさはなくなり、『襟巻小僧』はいつも通りアキを眺める。知らんけど解決でもしたんだろう。アキはそれ以上は考えずに目の前のご飯に集中した。
高原地帯は断崖絶壁である。魔王城側から見れば立派な雪山であるが、愛の巣側から見れば立派な絶壁だ。つまり山の縦半分は切り取られているのだ。雪山はアキが午前中にスキーで滑ったゲレンデになっている。では絶壁はどうなっているのかというとスノーパークやビッグエアが設置されている。さらには空中に雪の道が浮かんでいた。物理法則ガン無視である。魔法が存在する世界なので物理法則なんてあってないようなものだろう。転移とか飛行が出来るし。
午後からはスノボードに切り替える。これから時間はたっぷりあるし、遊びたい時に遊べるので今日は一通り遊ぶだけの予定だ。そういうわけでハーフパイプの前に立つ。
競技の知識を持たないアキはトリックの種類を知らない。ただとにかく高く飛んでクルクル回るものだと思っている。これは地球でもやったことがなかった。やる機会がなかったとも言える。行っていたスキー場にはなかったから。
「よっ、ほっ? 出来てっか分かんねー」
昔見た映像を真似するように飛んでみる。スーッと行ってピョンからのグルングルスー。何度かやって首を傾げる。
ビデオで撮っていれば客観的に見れるだろうがここにはそんなものはない。だからといって誰かに見ててもらっても意味は無い。アキが自分の動きを見る手段がないのだ。だから記憶のように出来ているのか判断出来ずにいる。そんなわけでハーフパイプは一回で飽きてしまった。だってトリック知らないし。
さてさてお次はアイテムゾーンだ。見るからに楽しそうで滑る前からワクワクしている。アキの知っているアイテムはキッカーとレール、ボックスぐらいだ。そして目の前のスノーパークにはなんか色とりどり形さまざまなアイテムが置かれていた。さすが発想力のある子供は色々と思いつく。アキの知識に加えて、巨大スライムとか横並びに置かれた丸太とか地面に垂直に突き刺さった棒とかがある。彼の頭の中ではどんな光景を想像していたのだろうか。全くもって謎である。
「おおぅ、フハッ! サイッコー」
トランポリンのように跳ねる巨大スライムも思いの外滑れた丸太の上も不思議で楽しい。棒はマジで分からなかったが。急な方向転換する用か?
十分楽しんだ所で納屋に戻りスノボードを片付ける。さて待ちに待った木の葉の番だ。この日最後は木の葉である。木の葉と言えばスライダーである。ここで言うスライダーはジェットコースターのようなものである。そう、ビッグエアも空中雪道もスライダーのコースだった。イチノメでは山の中なので外からは見えない。しかしサンノメは地下空間が広すぎたために無駄な空中を利用したのだ。開放感しかないとんでもスライダーだ。もうジェットコースターと同じじゃないかとアキは思った。だって走行するだろうコースが丸見えなのだ。どういう風に滑るのかが容易に想像できた。
一発目に急降下からのビッグエアで大ジャンプ。そこから空中雪道を進むのだろうがなんだかぐるぐるしている。水平ループも垂直ループもコークスクリューもある。対してライドは大きな木の葉である。体を固定するバーなどない。掴む所は縁の沿っている部分しかない。ジェットコースターは落ちないとは言ってもこんな無防備では無理があるだろう。
「まあ……大丈夫か」
何とも軽々しく挑戦しようとするアキには恐怖心はないのだろうか。頭が悪くても危機管理は正常に機能していたはずだが地球に置いて来てしまったのだろうか。
だが思い出して欲しい。これを作ったのは誰か。そう、『襟巻小僧』だ。安心安全が第一の『襟巻小僧』である。だからきっと大丈夫だ。スタート地点からすぐに真っ逆さまと言えるような傾斜面をしているが多分大丈夫なはずだ。……それは大丈夫なのか?
しかし今ここにはアキしかいない。昼食を片付けた『襟巻小僧』はスケート靴制作に取り掛かっている。ぶさは『犬人間』の膝の上で眠っている。誰彼は魔王城にいる。
アキが死ねばぶさが悲しむ。アキが死ねば『襟巻小僧』は絶望する。アキが死ねば『犬人間』は悲嘆する。『田舎婆』も『和女郎』も『はね女』も『肉弾野郎』も『三下野郎』も『クズ男女』も『首輪野郎』も、みんなみんな、悲しみに暮れる。アキの命は今や彼女だけのものではない。だから、危ないことを好奇心で行ってはいけないのだ。せめて、『襟巻小僧』が近くにいる時にやるべきだ。彼がいるだけで安心感が違う。
このとんでもスライダーを作ったのがその『襟巻小僧』である。そう言えばサンノメを作っている時の彼は結構疲れた様子だった。空元気で無理矢理笑みを浮かべていた。アキの食事中に船を漕いでいた時もあったし、フラフラしている時もあった。彼も人間だ。人間は疲れている時は正常な判断が出来ないという。注意力散漫になったりうっかりミスをしたりする。……これは危なくないか?
木の葉セット完了。ドカりと腰を下ろして足を伸ばす。ニコニコ笑顔で頭を揺らしている。その姿はまさに遊園地にはしゃぐ子供のようであった。
そんなアキが深く物事を考えているわけがないだろう。危険だなんだと躊躇するわけがないだろう。
どうして登山家は山に登る。そこに山があるからだ。
どうして冒険家は海に出る。そこに男の夢があるからだ。
どうしてバカは痛い目見る。何も考えてないからだ。
「よっしゃー行くぜー!!」
さてここにとんでもないバカが居た。怖いもの知らずのバカが居た。地位は最上位だが知能がドン底のバカが居た。自分勝手で手に負えないバカが居た。
そのバカは無謀にもとんでもないスライダーに挑もうとしていた。傍から見ても危険極まりないスライダーに挑もうとしていた。想像しただけで心臓が縮み上がるようなスライダーに挑もうとしていた。
アキが怖いのは人間だけだ。高所も絶叫も平気だった。加えてアキの感覚は麻痺していた。恐怖の原因である避けたい存在のせいで、これはその副作用ともいえよう。危機意識の低下と諦めの早さ。ここで言う諦めは思考が該当する。ただでさえ頭が悪いのにさらに残念になってしまった。そんな彼女は二八歳、もう手遅れだ諦めるしかない。
アキが前方に体重を掛けると木の葉が揺らぐ。傾いて、浮いて、ズレて、地獄のスライダーが発車する。
ほとんど垂直の急落下。その勢いのままビッグエアで大空に投げ出される。アキの下半身と木の葉の間に隙間が出来る。暫しの無重力感がアキの体をふわりと浮かせる。繋がっているのは縁を掴む手だけだ。これ、今手を離したらどうなるのだろうかと疑問が頭を過ぎる。浮遊感を感じたのは束の間、ダンっと打ち付けるように空中雪道に着地するとすぐに滑り降ちる。大きくカーブし水平に垂直に回転する。道が途切れ木の葉は宙へ、浮遊感を感じた後再び雪道を滑走する。ぐるぐるコークスクリューも落ちなかった。
これ、終わりはどうやって止まるんだろう。
回転を楽しむアキの脳裏に一つの疑問が浮かび上がる。本物のジェットコースターにはブレーキがある。木の葉にも雪道にもブレーキなんてない。イチノメのスライダーはド派手な水飛沫を上げて着水する。雪に突っ込むって窒息するんじゃなかったか?
呑気に小首を傾げるアキ。もっと焦るだろうに全く危機意識が足りていない。ダメだこれ。
思考を置き去りにするかのように降下し加速する。階段のように段々に降って垂直な壁を登る。徐々にスピードが緩くなりながらカーブに沿って横にズレる。それを二回繰り返してゆっくりと停止した。終着地点は小屋の近くだった。最後まで緻密な計算をして作り上げたのだろう素晴らしい出来だった。
いや本当にスゴいとしか言いようのない。だって安全装置はないんだよ。遠心力と言っても机上の空論で、スピード不足だとか重心のぶれとかでその通りにならない要因は大いにある。それに、なんと言っても木の葉で鷲掴みだ。不安要素しかない。完走できたのは奇跡と言えるかもしれない。魔法も奇跡のようなものだが……。
「っはー、楽しかった!」
そんなことは一欠片も考えていないアキは満足気に木の葉を引きずって歩く。木の葉を納屋に仕舞って、小屋で転移して愛の巣に帰る。地上に出て森を抜けるとちょうどぶさを連れて夕食を運ぶ『襟巻小僧』の姿が見えた。
「あっ! おかえりなさい。スキーは楽しかった?」
「ん、ありがとな!」
満面の笑みを浮かべるアキに喜び微笑む。この笑顔を見るために頑張ったのだ。彼にとってはこれ以上ない褒美である。デレデレと顔が緩まり表情筋が仕事を放棄するのを理性で叱咤して顔を引き締める。
「ぶさも一緒に木の葉に乗るか?」
「わん!(うん!)」
何も分かっていないぶさは大好きなアキの言葉に反射的に頷く。もちろん最後に遊んだサンノメのスライダーを指している。
あれって二人乗りは出来るのだろうか?
抱えると手を離すことになるが大丈夫なのだろうか?
色々心配になるが残念ながらここにはツッコミは不在だった。危機意識のないアキと、アキ大好きぶさと、アキとぶさの幸せ命な『襟巻小僧』だけだ。誰一人不安を抱かずに家に入り、そのままの流れで食事に入ったのだった。