バウバウバウバウ
客室は異様な空気感に包まれる。嬉しさ全開好き好き大好きと甘い雰囲気を晒し出す『襟巻小僧』とその雰囲気に飲まれそうになって引き気味のアキ。手を繋ぐ二人の距離感は近く、だというのに温度差が激しい。
今まで抑えてた分、気持ちが開放的になっている『襟巻小僧』は握るアキの手を愛おしそうに見つめて優しく撫でる。触れるか触れないかの絶妙な触り方に、アキはぞわりと肌が粟立つような感覚を感じた。寒くはない。怖くもない。なぜだろうと疑問に思い、発生源である握られてる手を見下ろすとピタッと思考が固まる。
上目遣いでアキを見つめる『襟巻小僧』と目が合った。その瞬間、花が咲いたように柔らかい笑顔になった。蜂蜜を溶かしたような甘い瞳がまっすぐアキに向けられる。視線の檻に閉じ込められたように体が動かせない。目を逸らすことができなくなった。
「わん!」
そこに空気が読めないぶさが吠えた。その声に我に返ったアキは不可視の拘束から解き放たれた感覚を覚えた。心臓が早く脈打つ音が聞こえる。それは避けたい存在に遭遇した時と同じ動悸だったので、アキは再び心の中で首を傾げた。
声に釣られて『襟巻小僧』はアキの手を握りしめたまま振り向く。そこにはお皿の横で嬉しそうに尻尾を振り回しているぶさの姿があった。
「へっへっへっ(美味しかった!)」
一欠片も残さないほど綺麗に完食したぶさは『襟巻小僧』の足の前で座る。目をキラキラ輝かせている。
「お口にあって良かったです。今日もきれいに完食してくださり、ありがとうございます」
アキの手を離してぶさを撫で回す。これは毎食後の恒例行事のようなものだ。キレイに食べてえらいね〜よしよしと最初にやって以来、毎回やっている。『襟巻小僧』は美味しいと平らげてくれて嬉しくて感謝の気持ちでいっぱい、ぶさは美味しいご飯を食べれて幸せ撫でられて嬉しいと気分サイコーだ。どっちも嬉しいチョーハッピーで一石二鳥だ。
アキは離れた温もりが少し寂しいような感じがして自分の手を見下ろす。けれどすぐに気のせいかと思い直す。さっき動けなかったのは動揺していたからだろう。避けたい存在と同じ言動だったにも関わらず気持ち悪くなかったから。どうしてだろうと混乱したからすぐには動けなかった。そうか、そういうことだったのかと一人納得する。
アキは恋愛とはかけ離れた人生を送ってきた。それ故に恋愛事には疎かった。手紙は果たし状、目が合えば喧嘩のゴングが鳴り、街でぶつかれば殴り合いに発展する。告白されたことはあるにはあるが、よくある「あなたが好きです。付き合ってください」という純粋な恋心ではない。アキが認知してるしてない関係なく初手から熱狂的で深い愛情をぶつけてくる。
アキは異常者の愛を致死量なほど浴びたせいか色々と感覚が麻痺していると言っていい。それは不可抗力で、これは本人自身も知らない無意識下の防衛機能と言えるだろう。
知らないことは知らないままでいい。気づかなければそれが一番だと、感覚が鈍くなっている。知識として意味は知っていても心まで届かない。「愛してる」の言葉がまさにそれだった。頭が悪く、他人に無関心なアキは自身に向けられる愛の区別がつかなかった。親愛友愛といった無償の愛であろうと、執着独占嫉妬などの欲に塗れた偏執的な愛であろうと一緒くたにしてしまっている。
――分からない。いや、分かりたくなかった。
知らず知らずの内に理解することを拒んでいた。だって知ってしまったら、異常な愛執に囚われて飲み込まれてしまう。だから避けたい存在として濁して、でも危機感を持たせていた。それがアキの自衛本能が成した結果だった。見ない聞かない感じない考えない。ないないづくしの現実逃避が、今のアキを形作った。そうして今まで心を守ってきた。
「そういや、なんで今そんな格好してんだ? 隠してたんだろ?」
正常に戻ったアキはふと疑問を漏らす。彼の言い方ではこのままずっと隠すつもりだったと捉えれる。判明した時の反応的にも彼にとっては予想外のことだっただろう。
「あっ、料理はその姿でやってたとか?」
最初の疑問を口にしてから思い出した。今回はいつもと違い、アキが魔王城に来たのだ。いつもは家に届けてきてくれるから実際の調理中の様子は一切知らない。
「ううん、いつも子供の姿だよ。一度魔法をかけたら解かない限りずっとそのままだからね。だけど、今は魔力が空っぽだから魔法を維持するだけの魔力が残っていない。それで魔法が解けたんだ」
「何かあったのか!?」
アキは『襟巻小僧』の両肩を掴む。顔を近づけて問いただす。それは純粋な心配からくる行動だった。そうと分かっても愛する人の顔が近いと嬉しくて胸がドキドキする。見惚れて少しの間ぼ〜としていた彼はアキが僅かに眉を顰めたのに気づいて慌てて意識を持ち直す。
「な、何もないよっ。だいじょ……大丈夫。危ないことはないから心配しないで。魔力を使ったのは、ユキ遊び場を作っていたからなんだ」
「雪…………ああ」
あれか、とアキは記憶を引っ張り出すのに成功した。
それは少し前のことだった。
「ここって雨は降らないのか?」
魔王城の廊下をふよふよ浮かんでいるクラウディアを見てふと疑問を抱いた。それがそのまま口から出た。
「そういえば、ここ最近は穏やかですね」
隣にいた『犬人間』が指を唇に当て、記憶を辿りながら答える。
「空模様は魔王の気分って言いますし、これからずっと晴れだと思いますよ」
そこにたまたま通りかかった『三下野郎』が何気なく答えた言葉に二人の視線が集中する。
これは先代魔王が襲来した日の晩餐会前の出来事だ。パーティーまで時間はあるが家まで戻るのを面倒くさがったアキは『犬人間』と一緒にハウスに向かっていた。その途中で廊下を走っていた『三下野郎』と出くわしたのだ。
「あっ、話に割って入ってすみません」
「いやそれはいいけど……さっきのってどういうこと?」
「魔王には天候を操る力があるって伝承が言い伝えられてるんです」
「っ、聞いたことあります。それって、本当だったんですか?」
目を瞠り、『犬人間』は前のめりになった。だがこの反応をするのも無理は無い。彼女が得たその情報源は御伽噺だったのだから。そもそも国王城における魔王の情報の殆どは御伽噺からである。誰が綴ったのかも分からない作り話で、嘘か真実かも判断できない代物だ。書かれていることが本当ならば喉から手が出るほどに欲する大変夢がある話だが、現実的に考えてしまえば鼻で笑ってしまうような与太話だ。
「操るって言い方はちょっと違うんですけど、大まかに言えば合っています。昔の魔王が暇潰しに魔法で国王城に大量の飴を降らしたのが伝承の始まりだと言われています」
この世界は一年を通して気候が安定している。日本のように四季はなく、毎日が麗らかな春の日だ。そんな世界に異常気象は起こらない。気象は晴天しかなく、曇天雨天などの天候にはならない。だから自然現象の観点で言えば雨が降ることはありえないのだ。もちろん強風も落雷も自然には発生しない。
ではなぜ天候云々の話が持ち上がるのかと言うと、それは全て歴代魔王の行動に起因する。
昔、甘いものが大好きな魔王がいた。かの魔王は自分の好物を他の誰かにも共有したかった。伝承の始まりである飴に限らず、クッキーやチョコレート、終いにはケーキまでもお裾分けした。それが例えばラッピングしていればまた話が違っていたかもしれない。が、その魔王はそこまで考えが至らなかった。食べ物を裸のまま空から降らしたのだ。飴なら少し欠ける程度だろうか。クッキーなら粉々になるだろうし、クリームが乗ったケーキなら言わずとも惨状は想像出来るだろう。そうでなくとも屋根や地面の落ちた食べ物を誰が食べるだろうか。ゴミとなったお菓子は誰が片付けるだろうか。それが毎日でなくても定期的にされたらたまったものではない。
また、花が好きな魔王は空に巨大な花を咲かせ、その花びらを降らせた。クラウディアを作った魔王は国王城に国を覆うほどの大きなクラウディアを作って渡したし、魔王にして筋肉を愛する魔王は鍛錬の途中で誤って思いっきり大岩を砕いてしまい、それが国王城まで飛んでいってしまったことがあった。
そんなバカみたいな経緯もあって、空模様は魔王の気分と言われるようになった。常人の感覚を魔王に当てはめてはいけない。ヤツらは揃いも揃って異常者だ。血の繋がりはないが、やはり類は友を呼ぶと言うことか。非常に厄介なことに魔王は力のある異常者なのだ。
「今代の魔王は魔力量が初代並だと言われています。魔王様の場合は気分というより感情の方が正しいかもしれません」
だからワンダ=ランドと王様方がいる限り悲しむことはない、他所で遊ぶことはないと話を締めた。先代魔王の時は酷かった。もう、色々と酷かった。性格からお察しできる通りにやりたい放題だった。見境なく色んなモノを国王城に降らせた。それらを全て面白そうだからの一言で実行してしまう浅はか愚か不純な思考だった。
そして『三下野郎』は知らない。数時間前に魔王が激怒して暴風を巻き起こしたことを。ハウスは『襟巻小僧』が外界から隔離した絶対安全地帯だ。防空壕のような避難所みたいな空間だ。庭もハウスの一部で、外だけど完全な外ではない。そのためハウスには外界への出入口は一つしかない。その唯一の扉も当然の如く細工が施されている。よって、ハウスから出なければ外がどれだけ騒いでいようと、たとえ魔王城が崩落しても分からないのだ。
「ふーん、じゃあ雪は降らないのか」
「ユキ?」
「白くて冷たい冬の風物詩」
「詳しく話を聞かせて」
にゅっと背後から現れた『襟巻小僧』が口を挟む。彼は食事の用意がある程度終わったので、次は机の設置や飾り付けをするためにハウスに向かっていたのだ。その道中で三人の姿を見つけた次第だ。しかし、ハウスがもう目の前だったために彼は晩餐会の準備を優先して「また今度教えてね」と言った。それからアキとは違って翌日に改めて話を聞いた。
その時に練習で作ったスノードームもどきは今も愛の巣に飾ってある。こっちはちゃんとオブジェも作られている。愛の巣とアキとぶさを型どったオブジェだ。本物のような精巧な作りだった。
記憶を回想していたアキは少し遠い目をしている。雪の説明が大変だったのだ。この世界には雪がない、どころか氷もなかった。だから、本当に大変だった。最後には無い知恵を搾り取ったせいで疲れ果てて知恵熱まで出た。
「完成したのか!?」
密かに楽しみにしていたアキは目を輝かせる。そこにはイチノメの時の満足感も後押ししている。彼ならやってくれると信頼している。
そんな玩具を前にした子供のようなアキに『襟巻小僧』は微笑ましく思いながらも眉尻を下げる。
「ごめんなさい、まだ出来ていないんだ。本当は今日には完成している予定だったんだけど、予想以上に範囲が広くて……一回じゃ足りなかったんだ。また魔力が回復したら取り掛かるから、もう少しだけ待ってて欲しい」
彼は自分で自分の首を絞めたのだ。さすがに地下空間を広く作りすぎた。彼の膨大な魔力を持ってしても完璧に施すには一度では足りなかったのだ。少なく見積もっても後二回は確実に掛かる。細かい部分も加えればそれ以上掛かる可能性が大いにある。なんせアキの要望だ。細かい所までこだわって最高の出来にするのは当たり前だ。
「そっか。まあ、無理はするなよ」
少し残念だと気持ちが沈んだが、今後の楽しみだと思えばどうってことは無い。どうしても今遊びたいって言うほど強い想いでもない。だから大丈夫だと自分の力不足を本気で悔しがっている彼の頭をポンポンと撫でる。それは無意識の行動だった。自分の行動に気づいたアキは驚いて目を丸くしている。そしてそれはやられた『襟巻小僧』も同じだった。突然の頭撫でに頭が真っ白になる。
「わ、悪い」
「う、ううん」
二人の周りに再び甘い空気が漂う。しかし今度のには主導権はなく、両者ともに初々しい様子だった。自分の行動に気恥しいと感じたアキと押されたら弱い『襟巻小僧』。二人は何となく口を閉ざして黙り込む。しかし眼はお互いが気になってチラチラと視線を送りあう。
「そ、そんじゃあしっかり休めよ。……あー、ならこれからは食堂に行った方が……」
「ダメっ!! ……ぁ、えっと、違くて。その、あなたとイッヌ様の食事はボクが作りたい、用意したいんだ」
「でも、大変だろ?」
「大変なんてとんでもない! ボクがやりたくてやってる事だし、とても楽しいんだ。美味しいって言ってくれるのも、笑顔で食べてくれるのも、それを想像しながら作って、実際に目にして、とっても嬉しい!」
「そ、そうか」
「今回はギリギリまで粘っちゃったから遅くなったけど、要領は得たし、次からはいつも通りにできるから。だから、ボクに作らせて」
「お、おう……」
あまりの熱量に押される。そこまで熱い想いがあるなら取り上げる方が酷だろう。
「ならこれからも頼む。お前の料理は、美味しいから」
「うん! 任せて、愛情込めた料理を提供するよ」
食事が終わり、話も一段落したところで解散する。流れるように後片付けを始める『襟巻小僧』から皿を取り上げ、休むように命じるとアキはキッチンに向かう。
「あらあらまあまあいらっしゃい王様。それともお帰りなさいかしら? まあどちらでも良いです。皿をお運びいただきありがとうございます。ささっ、それはここに置いといて、少しお話しましょう」
アキを見た瞬間、突撃するような勢いで目の前に来た『田舎婆』はアキが持っていた皿を『肉弾野郎』に渡してアキの手を引く。椅子に座らせて手際よくカップを用意すると向かいに腰を下ろす。机の肘をついてニマニマ……ではなくニコニコと笑みを浮かべる。完璧でスマートな誘導。口を挟む隙も与えぬ強引さだ。
「それで、どうでした?」
「どうって何が……」
「魔王様のことです。彼はアリなのかナシなのかどっちですか!?」
一人ハイテンションな『田舎婆』はずいずいと体が前のめりになっていく。彼女も女の子だ。恋バナがしたくて仕方がないお年頃だ。
ずっと楽しみにしていた。キッチンから追い出してからちょっと後をつけようかな、なんて思いもしたが野暮だと自制した。覗きは諦めた。だがだからと言って話を聞かないのは別だ。戻って来たのが魔王様ではないのが少し驚きだったが、どちらであっても当事者であることに変わりはない。というか、正直に言えばアキの方が面白そうなので内心両手をあげて喜んでいる。
「……? アリとかナシとか、何の話だ?」
察しが悪いアキに焦れったく思いながらも猛攻は止めない。だってとっても楽しいから。気分ルンルン内心ワクワクだ。
「結婚してもいいか、ですよ。魔王様に告白されたのでしょう?」
その言葉を聞いてアキは思い出す。一番最初、初めて会った時のこと。
「ボクと結婚してください」
そう言った。それは子供の一時の感情だと思っていた。でも本当の彼は子供ではなかった。それはきっとあの時もそうで、今も自分の事を……
「あらあらオホホ」
ぶわーっと顔が真っ赤になったアキを見て『田舎婆』が口に手を当てる。いいものが見れたと大満足だ。だから今日のところはここまでで深く聞くことはしない。詳しい話は魔王様に聞こうっと心に決めて可愛らしい王様の姿を網膜に焼き付けるようにじっくり隅々まで凝視した。




