へっへっ
誰かの声が聞こえてぶさは目を覚ました。アキが来たと思って起き上がろうとして、動けなかった。パニックになったぶさはジタバタと暴れる。
「――……おっ! 起きた…………おおぅ」
声の主は困惑した。スライムの上で横向きに寝ていた犬がばったんばったんと寝返りを打っていた。さらには四肢をばたつかせていた。慌ただしく、また必死な様子だった。不安になった声の主は憐れな犬を助け起こそうと近寄り――
「あ……」
手を伸ばしたところで犬はスライムから落ちた。時が止まったような静寂な時間が流れる。
「アッーーー! 待ってーーーっ!!」
パニック状態に陥ったぶさは落ちただけでは止まらなかった。起き上がるや否やそのまま真っ直ぐ駆け出した。周りの状況なんて見えていない。とにかく走る。真っ直ぐ前に走る走る。
次に慌てたのは声の主だった。走り出した犬に向かって叫び、手を伸ばす。しかしその声は空しく僅か数秒で犬の姿を見失ってしまった。自分の声が木霊して聞こえてくる。それは悲しい響きをしていた。ガクリと肩を落とす声の主の横でスライムがぷるんっと小さく震えた。
猪突猛進、暴走列車の如くぶさは止まらない。ひたすら真っ直ぐ走っていた。が、広大な大地と言っても終わりは当然あって、その終わりは割とすぐに訪れた。
ばっしゃーーーん!
落ちた。水に落ちた。そして、パニックは落ち着いた。頭を冷やした(物理)。
ぶさはキョトンとする。状況が理解できておらず瞬きを繰り返す。
ぶさは走った末に川に突進した。思いっ切り水飛沫を上げて動きは停止した。びっしょぬれになったぶさはポカンとしている。次第に状況、いや今自分がいる場所を把握する。陽光が反射する水面に負けず劣らずと思えるほど眼をキラキラ輝かせる。
水遊びだー!!
一度寝たぶさは体力全回復、元気百倍犬だ。そのまま川で遊び始めた。
***
腹ごしらえよし。着替えよし。諸々よーし。
外人側も準備が整ったとのことでようやくアキはぶさを取り返しに建物から出た。
現在、国王城の門を出て一歩目の場所。目の前には城下町がある。
「それで、そのナントカ城ってのはどこにあるんだ?」
隣にいる『ローブ野郎』に尋ねる。アキは知らずに突進しようとしていたのだ。無謀無鉄砲無思慮。
これが小休止が入ったことにより冷静さを取り戻したアキの第一声だ。ちなみに『ローブ野郎』は先程――無差別威圧のガンギマリーアキ――のが尾を引いて大袈裟というほど過剰にビクついている。
「魔王城です。国を出て左にまっすぐ進むと橋があります。その橋を渡れば魔王城が見えます」
魔王城。はて……日本にそんな名前の城ってあったっけと考える。百名城っていうぐらいだから百以上あるのは確実だ。知らないだけで実際にあるのかもしれない。……そういえば日本の武将が魔王って名乗ってた気がする。その人が建てた城かとアキは結論づけた。
『ローブ野郎』は恐怖からか態度が萎縮している。無遠慮な物言いは鳴りを潜めて丁寧な口調だ。少し声が震えてるのは気の所為だろう。だがこれもアキには懐かしさを感じる態度であった。
やんちゃ期はつっかかってきた奴らを肉体言語で黙らせてきた。その結果はまあお察しである。彼のように態度が軟化する者がほとんどだった。
残りの少数はアキの下について勝手に持ち上げてくる困った奴らだ。称賛されるのは悪い気はしない、というかめちゃくちゃ嬉しかったが、だからといって勝手に抗争に乗り出すには止めて欲しかった。別に頂点は狙ってない。
ちなみにあの恥ずかしい渾名が広まったのもその困った奴らのせいである。ありがたくない迷惑行為である。
閑話休題。
「どれくらいかかる」
「今から向かって昼前には着くかと思います」
時計がないので正確な時間は分からない。太陽の位置と体内時計――機能しているかは置いといて――から今を十時とする。根拠はない。そこから約二時間かかるとして、距離は10kmぐらいと予想される。
「ド田舎隣家の距離じゃねーか!?!?」
「ひぃっ」
思わず叫んだアキに『ローブ野郎』が悲鳴をあげる。周りにいる同行者並びに通りを歩く人々がアキに不思議そうな視線を向ける。
魔王城殴り込み隊はアキ含めて五人いる。一人は居なくては話にならない『ローブ野郎』、一人はお帰り願いたい『クソ野郎』。あとの二人は初めましての奴らだ。
一人は全身鎧を着て頭一つ飛び出た身長の奴。見事な完全防備で肌露出無し。『鉄人間』は一度も喋ってない(おそらくきっと多分だろう)ので性別は不明だ。
もう一人は先端にトゲトゲボールが付いた棒を持った女だ。頭に花冠を乗せてさらに髪にこれでもかと花を付けてる頭の周りお花畑。『バラ女』はなぜかすごく話し掛けてくるけど現地言語なので理解不能。通訳……はいらないな。
隊列は前列に『ローブ野郎』と『鉄人間』、後列にアキを挟んで『クソ野郎』と『バラ女』になった。両隣にうるせぇ奴らが陣取っている。何言ってるのか理解出来ないけど、止まない大きい声に徐々にアキのフラストレーションは溜まっていく。チラチラと後ろを振り向き様子を窺っている『ローブ野郎』の行動も加算されている。
城下町の終わりには大きな門があった。内と外を隔てる城壁が両側に伸びている。高さは五階建てマンションぐらいありそうだ。城門は閉ざされていた。
「救世主様……」
ポカンと呆けて見上げていたアキは呼びかけられたことで我に返る。感動していたわけではない。ただ、でかい門が必要なほどでっけぇ生物が存在しているのだろうかと考えていただけだ。それこそ恐竜みたいなものが……
「敵だったら必要なくね?」
非常にどうでもいいことだが気になっては頭がその事を占めてしまう。だって人間用の出入口らしき大きさの通り口が門の横に付けられているのだから。四人がそこでアキを待っていた。
アキが四人と合流すると門番っぽい人が木製の両開き扉を開ける。内側にはL字型のでっぱりがあって壁に木の棒が立てかけられている。ドアノブとかはない。当然鍵の類いもなく、木の棒を差して開かないようにしているだけだ。原始的な物理策である。
扉を抜けるとすぐに森が見える。五人全員が扉をくぐると閉められた。外側にはドアノッカーがあった。動物の装飾とかはない。大変地味で、しかも扉と同色ときた。近くじゃなければ分からないぐらい見事に同化している。どうかしてるぜ!
「なあ、あっちの門はいつ開くんだ?」
日中に開かなければいつ開くというのだ。祭りの時期限定とかか?
気になって仕方がないので『ローブ野郎』に聞く。するとキョトンとした顔をされる。
「開きませんよ」
「は?」
「あれは飾りのようなものです」
「ええ……」
「魔物が外を彷徨いているのにわざわざ招き入れるようなことはしませんよ」
何当たり前のことを聞くんだという顔で返される。いや知らんがな。ナンだ、魔物って。
アキは初聞きの単語に眉根を寄せる。単に考え込んでいるだけだが『ローブ野郎』はそれを怒っていると捉え、怯える。
アキはこれまでの『ローブ野郎』の話を全くと言っていいほど聞いていなかった。哀れ『ローブ野郎』、ドンマイ。
外に出ると一本道があった。草木が生えていない土の道だ。それが門の中央から始まって左にまっすぐ伸びている。一行は道の上を歩く。
しばらく歩いて……アキはバッと背後を振り向く。
「なんで門からなんだよ?!」
時間差でツッコミした。思い出しツッコミとも言うとか言わないとか。
右手側には森、左手側には城壁が見える道をまっすぐ、本当にまっすぐな道をひたすら歩く。次第に城壁がカーブして無くなり、代わりに平地になった。変化はそれしか無かった。
少しして、土の道が途切れて石の道に変わった。道の境界から先は石の道以外の地面がなかった。
「救世主様、あの橋を超えれば魔王城はすぐです」
石の道はどうやら橋らしい。アキの知っている橋は上にアーチがあるやつだ。車が通る大橋である。だから、両端に腰ぐらいの高さの手すりがある道が橋とは思わなかった。
橋の下は崖になって水が流れていた。川幅は広く大きな河川だ。河原もある。見る限り流れも緩やかそうで水遊びに適しているなとアキが考えていると遠くで叫ぶような声が聞こえた。橋の下を眺めながらゆっくりと歩いていたアキは隊列から遅れていた。集団行動? ナニソレ今必要?
「救世主様っ、大変です!」
「んぁ?」
「橋が……橋が壊れて渡れなくなっています……!」
慌てた様子の『ローブ野郎』の言葉を聞いてアキは走る。他の三人が居るところまで行き、眼前の光景に目を大きく開いた。
橋の中央が崩落していた。被害の度合いは大きく、とても飛び超えて渡れるような状態ではなかった。
「下の川を泳いで渡れば」
「危険です! 流れは緩やかでも水深が深く、さらに水棲の魔物がいます」
視線は動かさずに呟いた声は間髪入れずに否定される。ああ言えばこう言う。
「じゃあどうやって向こうに行くんだよ!」
怒り心頭なアキが感情のままに声を荒らげる。ぶさが心配だ。不安が焦りを加速させる。その焦りが予想外の事態により怒りに変換される。のんびりしている時間はない。しかし、彼らを頼らなければいけないのもまた事実であった。
発散できない憤りが胸の内に募っていく。アキはあまり我慢強い方では無い。社会人としての習性、諸々の忍耐力が鍛えられたとはいえ元が超が付くほど短気である。口より先に手が出る。いや考える前に手が出ている。理性って知ってる? と聞きたくなるほど本能任せである。
それでもこれまで耐えれたのはアニマルセラピーないしぶさの存在が大きかったのだろう。
「クソっ!!」
気が立ったアキは近くにあった瓦礫を思いっきり蹴る。それは橋が壊れた際に生じた破片ではあるが片手で持つのは無理だろう大きさだった。当然、それを蹴ったところで痛みが自分に返ってくるのは目に見えている。
けれどこの時のアキはそんなちょっと考えれば分かるようなことすら考えられなかった。
感情のまま行動した結果、アキは足に尋常ではないダメージを……負わなかった。
ドガーン!!! パラパラ……。
アキが蹴った大きな瓦礫はそのまま蹴り飛ばされ、反対岸の橋にぶつかって轟音を響かせながらさらに橋の崩壊を大きくさせた。
「…………」
これにはさすがのアキもびっくりだ。怒りも忘れてポトンピチャンと川に落ちる瓦礫を凝視する。
「き、救世主様……何を……?」
震えたか細い声が聞こえて振り返る。四人の視線がアキに刺さる。顔が見えている三人は似たような表情を浮かべている。驚愕、恐れ、あるいは困惑。それはアキとて同じだった。
何があったのか理解できない。
アキは瓦礫を蹴った。瓦礫がぶっ飛んだ。橋に当たって壊れた。……うん、謎!
「フゥー……で? 城にはどうやって行くんだ?」
アキ、n回目の現実逃避である。