バウバウバウ
夜。みんなが寝静まった時間でのこと。
一人静かに地下に降り立った『襟巻小僧』は地下空間の中心、ド真ん中に立つ。
地下を掘り初めてから数日が経った。ようやく掘り終わった地下は端から端まで何も無いまっさらな平地だ。当初見渡した時に四角に切り抜いたように本当に何も無さすぎたので掘った土を盛っていくつか山は作ってある。
地下の空間だが、広すぎて対極の壁が見えない状態だった。長辺は魔王城から愛の巣まであり、とっても長いことは分かるだろう。加えて短辺の方でも『襟巻小僧』が調子に乗って広げていたのでこちらも対極の壁が見えなかった。真四角ではないけど横幅は爪の幅ほどあった。
さて、ここまででも結構すごいことをしているのだが、これは準備段階に過ぎない。いわばここからが本題だ。さすがの『襟巻小僧』もやり過ぎた感が否めない。後々己の首を絞めるだろうけれど、やってしまったものは仕方ない。そう思うしかなかった。
「よーし、頑張るぞー。おー!」
一人寂しく鼓舞する。掛け声は跳ね返り、地下に木霊した。
まずは練習、と胸の前で手を構える。見えないボールを持っているような体勢だ。魔力を込めると手と手の間に光球が発生した。光量がだんだん収まっていくと球の形を保ったまま薄く、透明なボールのようなものが現れる。その中には氷の結晶の集合もどきの白い物がフワフワと漂っている。まるでオブジェのないスノードームだ。『襟巻小僧』が息を吐いて力を抜くとそれは幻のように消えた。
「やっぱり、掘りすぎた……かも」
改めて辺りを見渡すと『襟巻小僧』は小さく呟きを落とす。さっきの彼の小さな手で丸を作ったような大きさでも、相当集中力を要する。これを地下空間全体に施さないといけないのだ。途方もない広さなのだ。完全に自分の落ち度、自業自得である。
「ううん、大丈夫! ボクはやるぞ。頑張るぞ。みんなで遊ぶためにも。楽しんでもらうためにも!」
彼の頭の中にはイチノメを作った時の心の底から楽しんでるアキの笑顔が思い浮かんでいる。とてもキラキラしていて、とても幸せそうだった。またあの笑顔を見ることができるのなら、少しの苦労ぐらいどうってことない。惚れた弱みだ。でもそれも、悪くない。
目を閉じて深呼吸する。両手を横に伸ばして、ゆっくり目を開ける。
「張り切っていこー!!」
そんな気の抜けそうな掛け声とともに、体内にある膨大な魔力を勢いよく解き放った。
* * *
アキが朝の散歩を終えて家に戻ると、中の様子に首を傾げた。誰もいなかったのだ。いや、一人暮らしなら当たり前の光景であるが、ここ愛の巣では一人暮らしであっても少し異なる。
いつもなら『襟巻小僧』が朝食を用意しているのだ。それがこの家に住み始めてからの日常だった。それは当然ぶさも同じことだ。一人と一匹の王は揃いも揃って玄関口で首を傾げていた。
傍から見ればなんと間抜けな光景か。それも腹の虫が鳴ったことで現実に戻る。アキは食事に無頓着だったが、『襟巻小僧』の甲斐甲斐しいお世話の賜物か、三食しっかり食べないといけない体になっていた。とは言っても、それだけ運動しているということなのだが。ぶさの相手に加え、趣味の水泳で一日の多くを運動に費やしている。それを毎日だなんて体力無尽蔵過ぎるだろう。どんなアスリートだ。
そういうわけで散歩後のアキにとって朝食抜きは厳しい。がっつり歩き、なんなら走りもしたから運動量もなかなかだ。ぶさもお腹空いたと言っている。再び家の戸を閉めて歩き始めた。
向こうが来ないのならこっちから行けばいい。
『襟巻小僧』が朝食を持ってこないのなら魔王城に食べに行けばいい。キッチンの場所は知っているのでなんの問題もない。こうしてアキとぶさは魔王城に向かった。
愛の巣の中には呼び鈴がある。それも見えやすい場所に分かりやすく置かれている。それを鳴らせば『襟巻小僧』に直接連絡が届くようになっている。要は携帯の着信みたいな機能だ。それを使えばすぐにでも転移してくると彼が一番初めに伝えてあった。けれども今の今までアキが使う機会は一切なかった。つまり、背景の一部となって久しく、完全に鈴のことは頭から抜け落ちていた。まず話を聞いていたのかすらも怪しいが。
とにもかくにも、アキはわざわざ手間のかかる方を選んだということに違いない。そうとは知らない彼女はえっちらおっちらまあまあ距離がある魔王城まで歩いた。到着するとまっすぐキッチンに向かった。
「腹減ったー」
キッチンに入ると同時に食事の要求する。さらには腹の虫も鳴って空腹を主張する。一応、キッチンの隣には食堂がある。使用人の面々はそちらで食事を摂るのだが、基本家で食事をしているアキは食堂の存在を知らない。『襟巻小僧』もここで食べることはないだろうと思って案内をしていなかった。今の時間帯であれば食堂に向かえば料理が並んでる。またしてもアキは選択を誤った。当人は知らない情報なので無理はない。
ダイレクトにキッチンにやってきたアキは目を丸くする。そこにいたのは知らない男ただ一人だけだったのだから。男は入ってきたアキに気がつくと慌てて駆け寄る。
「ご、ごめんね。もうすぐで朝食ができるから、もう少しだけ待ってて欲しい」
申し訳なさそうに矢継ぎ早で言って、すぐさま調理に戻った。その背中を見つめているアキはその場から動かなかった。
……料理担当を一人増やしたのだろうか。
疑問が浮かび上がる。けれども何となく、なんとなーく見覚えがある人物だった。既視感の正体までは分からない。知らない男なのに知っているような気持ち悪い感覚がアキを襲う。
「あら、おはようございます王様。キッチンに御用ですか?」
その時、後ろから声が掛けられた。振り返るとそこにいたのは『田舎婆』だった。彼女は食堂に朝食を運び、ゆっくり食事を楽しんだ帰りだった。料理担当も食堂で食事を摂る。各々食堂に来る時間はバラバラなのでそこにいる面子で仲良く食べるというのが使用人たちの食事風景だ。
「なあ、あれ誰?」
渡りに船だとアキはキッチンに居る知らない男を指差す。指の先を視線で追った彼女は小首を傾げる。
「誰って、魔王様ではありませんか」
「は?」
『田舎婆』の返答にアキの思考が停止する。どこからどう見ても『襟巻小僧』には見えな――
「よしっできた! 待たせてごめんなさい。お腹空いたよね? イッヌ様もお待たせしました」
振り返った男の言動は『襟巻小僧』だった。笑顔もぶさの呼び方も彼だった。ただ姿が違った。少年だった彼が青年に成長したような見た目に変わっていた。背は伸びてアキの身長を越え、声音は声変わりしたように低くなり、顔は男前な男性と言えるような精悍な顔つきになっていた。
それはアキが毛嫌いしている顔が良い部類に入る男だった。けれども彼からはヤツら特有の滲み出る強自己愛を感じなかった。故にアキは混乱の境地に達していた。
自分を見つめて固まるアキの様子に男は首を傾げる。見つめられているのが嬉しくて、頬がほのかに赤みさす。が、それよりも心配が勝る。どうしたのと声を掛ける寸前で彼は気づいた。気づいてしまった。
自分の体が元に戻っていることに。
「あ、ああぁぁ……っ!!」
脱力したように膝をつき、蹲って頭を抱える。完成した料理は机の上に置いていたから被害はなかった。
目を限界まで見開き奇声を発する男にアキはたじろぐ。困惑して僅かに後ずさった時だった。ぶさが頭を抱えて蹲る男に近寄り、その頭に前足を乗せて身を乗り出した。
「わんわん!(お腹空いた!)」
尻尾をブンブンと左右に振っている。ぶさはこう見えて警戒心が強い。他犬がいれば動けなくなるほど固まって凝視するし、知らない人には近づかない。基本的にアキにベッタリと引っ付いて離れないし、魔王城では『襟巻小僧』と『犬人間』以外は自分から近寄ることはない。
「ぁ……っああ、うん。そうだよね、お腹空いたよね。ごめんね、すぐにご飯にしようね。あ、えっと、その……」
顔を上げてぶさに微笑みかけると立ち上がる。その後、アキに視線を向けて、でもすぐに視線を逸らした。話しかけるのを躊躇っているような、よそよそしい感じ。
「はいはい。話は食べながらでもできますよ。食堂でも客室でも、どこにでも移動してください。作業の邪魔です」
なんとも言えない空気をぶった斬るように『田舎婆』は手を叩いた。朝食は作った後だし、やることは特にないのだが、このままではいつまで経っても進まないと察した。適当に送り出して二人の背中に向かって親指を立てる。
「……いい事あった?」
「そうですねぇ。大変面白いことがありましたし、現在も面白いことが続いていると思うと、とても楽しい気分です」
少しして、空になった皿を運んできた『肉弾野郎』は上気分で紅茶を飲んでいた『田舎婆』の姿を見て首を傾げた。返ってきた声も分かりやすく弾んでいる。彼から聞き始めたことだが特に深くは聞かずに後片付けを始めた。素っ気ない態度を取る『肉弾野郎』の様子を特に気に留めず、『田舎婆』は上機嫌なままカップに口をつける。
客室に移動したアキは一先ず目の前に用意された朝食を口に入れながら前に座る男を見やる。指を合わせながら頻りにアキに視線を送る。目と目が合っては慌てて視線を外すを繰り返している。大変鬱陶しいことこの上ない。
「なあ」
「は、はい」
アキが口を開くとピーンと背筋を伸ばして正面を向く。呼びかけたはいいものの、アキは二の句が継げなかった。何をどう聞けばいいのかが分からなかった。昨日まで子供だった『襟巻小僧』が翌朝には大人に成長していたのだ。理解が追いつかない。
ただまあ、言われてみれば確かに目の前の男は『襟巻小僧』だ。面影があるし、雰囲気はそのままだ。
何も言わず、言えないでいるアキを見て、彼は観念したように一度目を閉じて口を開いた。
「えっと……あなたを騙していたわけじゃない、んだけど、この姿がボクの本来の姿なんだ。子供の姿は魔法で体を小さくしていただけ。その、黙っててごめんなさい」
「なんで……?」
「だって、体が小さい方がイッヌに触りやすいから。あの姿だと遊びやすいし、みんな寄ってきてくれるから」
少しむくれたような表情で告白した理由はなんとも彼らしい内容だった。あくまで犬と仲良くなるための行動だったと彼は言った。理由は分かったが、アキの疑問はまだ解消されていない。それならどうして、彼はこの世の終わりのような反応をしたのだろうか。理由について恥ずかしがっている様子はない。理由と表情が合致しない。
アキが困惑しているのを察している『襟巻小僧』は視線を落として言葉を続ける。
「それでも、ボクはあなたの前ではこの姿にならないように気をつけていたのは事実だ。だから、その点においては隠していた……騙していたと捉えられても否定できない」
「……」
「ボクは怖かった。あなたが本当のボクを見て、嫌いになってしまうんじゃないかと思うと、とても怖かったんだ」
懺悔するかのように俯いて独白する。紛れもない真実を、偽りない気持ちを言葉にして伝える。顔を上げ、泣きそうな顔で笑う。何かを耐えるような、苦しそうな表情を浮かべている。
「ボクはあなたが好きだ。この気持ちは会った時から変わらない。ううん、会った時よりもずっと強くなっている。ボクは毎日、あなたに恋をしている。……いつかは真実を話さないといけないことは分かっていた。ずっと隠し通すつもりはなかった。でも、ボクは強くないから保身に走った。あなたに嫌われたくなくて、ボクは子供の姿のままでいたんだ」
「……知ってたのか?」
アキの質問に彼はしっかり頷いた。彼はアキがイケメン嫌いだということに気づいていた。そして客観的に見て大人の姿の自分は顔が良いと知っている。自惚れているわけではない。実際に大人の姿のまま国王城に行けば度々女性に声を掛けられるのだ。それが煩わしくて今ではもっぱら買い出しは子供の姿でと決めている。ついでに子供の姿だとおまけがもらえるから二倍嬉しい。まあ、大人の姿でももらえたけど。
まあ、それは置いといて。つまり『襟巻小僧』は大人の姿を見せればアキに嫌われると思ったのだ。後ろめたい気持ちがないわけではないが、それでも伝える勇気が出なかった。
「本当にごめんなさい!」
頭を下げる。許してくれるとは思っていない。もしかしたらもう二度と話してくれないかもしれない。だけど、そこまでのことをしてしまったんだ。悲しいけど受け入れ……たくない。嫌だ。もっと一緒にいたい。毎日会って、喋って、笑っていたい。離れたくない。
…………でも、嫌われるのはもっと嫌だ。
頭を下げたまま涙が零れる。ポロポロと手の上に落ちる雫に嫌気がさす。アキのせいではない。自分が悪いのだ。ただ、自分が彼女の好みの顔ではなかっただけの事。そのことをずっと隠して接していた。だからこれは自業自得なんだ。だから涙を流す資格なんてない。そうと分かっていても体は言うことを聞いてくれない。涙が零れるのが止まらない。それでもアキに泣いているのがバレたくなくて、必死に声を我慢する。未練がましい男は一番嫌われると聞いたから。
カタンっとカトラリーが机に置かれた音が響く。次いでアキが席を立つ空気を感じた。終わった、おしまいだと『襟巻小僧』が目を強く瞑る。儚い夢だった。そう嘆き絶望する彼の頭に何かが触れた。
「別にいいって」
さっきより声が近い。それに自分の頭に触れているのがアキの手だということに気づいた。頭を撫でられていることに気づいて、驚き涙が止まった。
「そりゃ驚いたけど、嫌いにはならねぇよ。お前にはか、感謝、してる」
小さく呟かれた声はしっかりと『襟巻小僧』の耳に入った。照れ隠しなのかくしゃりと髪を掴む手がこそばゆくて、でも愛おしくてたまらない。頭を下げたまま、彼は耳まで真っ赤になっている。
「そ、それに! お前は確かに顔が良いと思うが、その……違うから」
『襟巻小僧』は一つ勘違いしていた。アキが毛嫌いしているのは顔が良い男、ではなく顔が良いと自惚れている男だ。つまり自己愛主張野郎のことだ。「オレってカッコイイからさ、女の子全員から惚れられちゃうんだ。全く、困った子猫ちゃんたちだよ」と言ってアキに迫った男はそのすぐ後、アキに殴られた。一応、その男は避けたい存在のような押せ押せではなかったので、困ったヤツらの位置に留まっていた。
アキの言葉を聞いた『襟巻小僧』は、ふと先日の『はね女』の言葉を思い出した。それは先代魔王に会った時のことだった。魔王城で一番美意識が高く、また面食いでもある彼女は顔が良い先代魔王に惚れ込むかと思って忠告しようとしたのだ。その時に「あれは確かに顔は良いけどダメ。顔が良くても性格最悪は嫌いだわ」と言っていた。つまりアキも同じかもしれない。
ちなみにその後に「魔王様は絶対、ゼッッッタイあんな風にはならないで!」と逆に忠告された。
「うん……うん! ありがとう。愛してます」
頭に乗っているアキの手を取って顔を上げる。両手で大事にアキの手を握って、アキに微笑む。それはとても美しくて、とても嬉しそうな顔だった。
対するアキは、眉間に皺を寄せ困惑を露わにしていた。




