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部長の答え、の形

「楽しかった~~っ」


 翌日、旅館を出て甘地先生の車で学校まで帰って来た俺達。

 車から飛び降りた皇は、大きく伸びをしながら声を上げる。


「ちょっと……いきなり大声をあげないでちょうだい、皇さん。うっ……頭が……」


 そんな皇に続いて車から降りた村崎先生は見るからに体調が悪そうに、頭痛を堪えながら言って、ふらふらとした足取りでその場にしゃがみこむ。


「ああもうっ、お姉ちゃん! 二日酔いが辛いのは分かるけど、こんなところで座り込まないでよ! ご、ごめんなさい、お姉ちゃんがまた迷惑かけて」


 そんな先生の背中をさすりながら、村崎さんが申し訳なさそうに言う。


「まったくよ……ううっ……お酒の匂いがきつくて少しっ……」


 こちらはそんな先生のせいで車酔いしたらしい一ノ瀬が、ふらふらと皇の下へと歩いて行く。そしてここぞとばかりに皇に身体を預けるようにもたれかかる。


「だ、大丈夫ですか? お水飲みます?」


 甲斐甲斐しく世話を焼く皇だが、心なしか一ノ瀬の表情は恍惚こうこつとしている。何に酔っているのか、一度診断しなおすべきだ。


「ええ、ありがとう。っ……ごめんなさい、もう少し時間がかかりそうだわ」


 キャバクラで延長を頼むおっさんにしか見えなくもないが、しかし車酔いしたのは本当のようで、たしかに顔色があまりいいとは言えない。目の下には薄く隈ができていて、寝不足に長時間の車移動、そして村崎先生のお酒臭さがあわさって、車酔いしたのだろう。

 先生たちは昨日、俺達と分かれてからも夜遅くまで飲んでいたようだ。朝フロントに集合したときには、二日酔い状態の村崎先生に肩を貸して、珍しく困った表情をした甘地先生が苦笑いしながら、

『………すまない』

 と目を伏せていた。

 予定では朝食後、旅館を出た後、また海で遊んでから帰るつもりだったのだが、村崎先生がこの状態なので、どこにも寄り道することなく学校まで帰って来た。


「あ……あたまが割れる……ううっ……き、気持ちわるい……」

「ちょっ、ちょっとお姉ちゃん⁉ こんなところで吐かないでね! トイレ! トイレ行こ!」

「くっ……思った以上にしんどくて集中できないわ……」

「だ、大丈夫ですか⁉ ど、どうしたらいいですか。なにか、食べたいものとか」

「皇さん……」

「はいっ」

「皇さん……」

「はい、ですから何か食べたいものは」

「皇さん……」

「ええと、一ノ瀬さん? で、ですから何か食べたいものとかありますか?」

「皇さん……」

「あ、あの、ですから――」


 ……酷い絵づらだ。

 助手席から降りた俺は、そのあまりに酷い惨状に思わず目を伏せたくなった。


「……まさかすみれがあれほど酒に弱いとは思わなかったな。三升ほど焼酎をロックで飲ませただけなんだが」


 駐車場に車を止めて来た甘地先生が、俺の隣に並んでそんなことを宣う。


「そんだけ飲んで酔わない方がおかしいですよ。アルハラって言われてもおかしくないです」

「ちっ、違うぞ九十九! 私が強要したわけじゃないんだ。私が飲んでいると菫が自分も飲んでみたいと言うから、てっきり強いものだとばかり」

「強かったとしても、三升も焼酎飲んだら足腰立ちませんよ。というか、生きてるだけ奇跡です。本当に村崎先生が弱かったら一升もってないですから」


 というか三升も飲んで二日酔いで済んでいる先生も凄いぞ。それで弱いとか言ってるこの人がぶっ飛んでいるだけだ。


「村崎さんによくよく尋ねると、菫は普段ほとんど酒を飲まないらしい。弱いわけではないらしいが」


 まあ、旅先でついつい慣れないことをしてしまいたい気持ちは分かる。分からないのはこの人の酒の強さだ。


「……先生って普段、お酒を飲むときは一人で飲んでますか?」

「なっ! そ、そんなことはっ……、まあ、家で一人で飲むことが多いな。バーに行くこともあるが、………大抵は一人だ」


 言いながら、どんどんと先生の表情が沈んでいく。一人という言葉は禁句だったな。


「ちなみにその時はどれくらい飲まれます?」

「そうだな。日にもよるが、一番多かった日で蒸留酒を何本か……。二桁はいっていなかったと思うが」


 指折り数える先生だが、俺はもう十分ですと止める。


「? それがどうかしたのか?」


 不思議そうな表情で首を傾げる先生。


「いえ、……大変そうですね」


 先生と結婚するにはまず肝臓を鍛えるべきだな。





「それじゃあ俺はそろそろ帰りますけど……」


 二人が落ち着いてきたところで、遠慮気味に甘地先生に告げる。


「ああ、一ノ瀬はもう大丈夫みたいだが、菫はまだ辛そうだから、村崎姉妹は私がこのまま送って行こう。君たちはここでいいかい?」


「はい、問題ありません。今日は車だしてもらってありがとうございました」


 まだ辛そうにしている村崎先生を車に詰め込みながら言う先生に、俺は言って頭を下げる。


「そうか。まあ、一応君が二人を送って行ってやれ。今日は楽しかった、また学校でな」


 お荷物を詰め込み終わった先生は爽やかに言って車を発車させる。


「そ、それではみなさんお疲れ様でした! とても楽しかったです!」

「うっ……ご、ごめんなさ……ううう」

「わっ、わあああああ―――お姉ちゃああん⁉⁉⁉」

「まっ、待て菫! ビニールだっ! ビニールを」


 ……………。

 俺たちはそっと目を逸らした。


「………行くか」


 無言でコクリと頷いた二人に俺も頷きを返し、粛々と帰路をたどる。



「……ねえ皇さん、あなたは今の部をどう思う?」


 電車から降りて皇の家までの道すがら、それまでの沈黙を無視して、一ノ瀬が口を開く。


「育才部のことですか? もちろん大好きです!」


 迷いなく言い切った皇。


「みなさんのおかげで今回の旅行のように、今まで知らなかったことをたくさん経験出来ましたし、まだまだやりたかったことはたくさんありますから!」


 元気よくそう続けた皇に、一ノ瀬は「……そう」と息を吐くほどの小さな声で言って少し歩調を緩める。

 皇の家の近くの交差点、横断歩道の手前で足を止めた一ノ瀬。


「後期からの部活だけれど」


 それまで皇と前を歩いていた一ノ瀬は、俺に視線を移した。真剣な目を向けられる。

 重々しく開かれた口。それを見て、俺は今から一ノ瀬が言おうとしていることを察した。


「覚えているかしら? 初めて会った時、私はあなたに言ったわよね?」


 ――私はあなたのその目が嫌い。


「っ」


 そう続けた一ノ瀬の言葉に、わずかに皇が驚きを見せた。普段の冗談ではなく、事実一ノ瀬は出会った時から俺のことを嫌いだと公言していた。

 何か言おうと口を開きかけた皇だが、一ノ瀬の言葉とは裏腹の穏やかな目を見て、言葉を飲み込んだ。


「今でもそれは変わらないわ。あなたはとても不真面目で、不埒ふらちで、隠し事が多くて、嘘つきで、ひねくれ者で、わけの分からないことばかり口走って、とても私の好感の持てる人種とは言えない」


 指折り数えられる『九十九万才の悪いところ~』を俺は黙って聞いていた。わずか数秒でここまでたくさん欠点を指摘される人間というのも珍しいのではないだろうか。


 けれど――

 一通り俺の悪口を言い終わった一ノ瀬は、ふと言葉を区切る。


 続いた一ノ瀬の言葉は驚くほど純粋で、俺は一瞬言葉を失くした。


「……不思議ね。あなたを拒絶する言葉はたくさん思い浮かんで、あらためて考えても、やっぱりあなたは私の嫌ってきた人種に当てはまる。本来であれば、関わりたいとは思わないはずの人種。でも、それなのにあの約束をあらためて考えた時、不思議ともう私の中にあなたを認めないという選択肢はなかったの」

「一ノ瀬さん……」


 それは純粋な疑問。ただ本当に、自分でもどうしてなのか分かっていないのだろう。


「これだけ多くの時間を共有していても、私はあなたのことを何も知らない」


 それは前にも言われた言葉だ。ちょうどこうして二人を送った夜。

 俺は何を言っていいか分からず、黙って彼女の次の言葉を待った。

 長い沈黙。信号が変わる。


「あなたを認めるとか、そういうことではなくて、自分でも驚いているのだけれど……」


 言葉を探す一ノ瀬。

 結論はきっと彼女のなかに既にあって、けれどそれがなぜなのかその理由が分からない。そのことが、一ノ瀬には気持ち悪いのかもしれない。


「一ノ瀬さんは九十九さんのことが嫌いですか?」


 駄々をこねる子供に接する母親のような優しい声音で、皇が尋ねる。


「ええ、決して好ましいとは思わないわ」


 即答だった。グサッと心臓に矢が突き刺さる音がした。

 苦笑いをして皇は、


「あはは……、それでは、一ノ瀬さんは九十九さんともう関わりたくないと思いますか? あの部に、九十九さんは必要ないと」

「っ! おも……わ、……ないわね」


 その質問に、一ノ瀬は酷く忌々し気に言って唇を噛む。その反応はちょっと悲しいんだが。


「なら、もう答えは出ているじゃないですか」


 そんな一ノ瀬に、一瞬、見惚れてしまうほど優しい目をした皇は、きっぱりと言って笑顔を浮かべた。


「……そうね。その通りかもしれないわね」


 あまりにも真っすぐなその言葉に、一ノ瀬は「なんだか悩んでいたのがばかばかしく思えて来たわ」と目元を抑える仕草をする。その表情はどこかすっきりとしいるように見えた。

 晴れやかな顔、俺の目を真っすぐ見た一ノ瀬は、


「三カ月経ってあなたのことを知った時、どうするか結論をだすという約束だったけれど、私はまだまだあなたのことを何も知らない。だから今の時点では、あなたを認めるわけにはいかないわ」

「……そうか」


 だから―――一ノ瀬は続ける。


「延長よ!」


 ………は?

 一切の曇りなく言い放った一ノ瀬。その予想外の答えに、俺は首を傾げる。


「今すぐ結論を出すことは簡単だけれど、それでは私は納得できないわ。だから延長よ」

「延長って、つまりあの約束をか?」

「ええ、もちろんあなたがそれで構わなければだけれど」


 言った一ノ瀬はじっと俺の言葉を待つ。皇もまた俺を見ていた。

 あらためて一ノ瀬の言葉を考える。

 本来であれば今月末、一ノ瀬雅いちのせみやび九十九万才つくもばんさいが育才部の正式な部員として認められるべき存在かどうか、判断を下すという契約だった。契約と言っては少し硬すぎる気もするが、それは曖昧な理由で入部を希望する俺に一ノ瀬が持ち出した条件だ。


 ではそもそもなぜ俺はこの部に入ろうと思ったのか。

 それは甘地先生に頼まれたからだ。

 だがそれ以上に、俺は贖罪の場を求めた。この部でなら過去の罪を償えると。

 皇と出会って、二人が綾さんの娘だったと知って、この部への愛着は始めの頃より遥かに増した。嘘ばかりで動機付けに苦労すると評判の俺だが、その事実に偽りはないだろう。

 そしてあらためて考える。リシンキングだ。


「つまりやることはこれまでと同じってことか? 今まで通りいつでも切れる派遣社員の要領で、もしお前が俺を認めれば即正社員。反対に俺が何かやらかしてお前が見限れば………クビ」

「そうね。まあ大まかにいえばそういうことかしら。けれど、どちらかというと派遣社員というよりバイトの方が近いわね」


 ちょっと大げさに例えてみたのだが、特に気にすることなく一ノ瀬は訂正した。

 働き方改革のこの時代、派遣社員もそう簡単に切れず、困っている企業の重役たちも多いと聞くが、そこはバッサリポッキリ一ノ瀬さん。一応バイトに訂正したが、しかしバイトの扱いも大変なのだ。ブラック企業で有名な我が部の長は流石だな。

 とはいえ、あらためて提案されたその契約は俺にとって困る部分はない。一ノ瀬の考えを正確に推し量ることは難しいが、それでも、一ノ瀬の結論が何よりも誠実なものだということは分かる。

 表面だけを見て、中途半端に知った気になって、相手のことを理解していると思い込む。そんな偽物が、一ノ瀬には許せないのだ。


  …………。


「何故ニヤついているのかしら? とても不愉快なのだけれど」


 眉根を寄せて睨まれる。


「いや、深い意味はないんだが……」


 言いつつ、その隣で俺と同じように頬を緩める皇と目が合う。その分かりますよという視線が妙に腹立たしいな。


「分かった。これまで通りでいいんなら、問題はないぞ」

「……そう」


 素っ気なく言ってそっぽを向く一ノ瀬。

 では――その背中から小さく聞こえた声。


「……これからもよろしく」


 信号が青になる。

 わずかに朱に染まった頬。背けられた横顔。


「ふふっ、これからもよろしくお願いします、九十九さん!」


 そんな一ノ瀬を微笑ましく眺めながら、元気よく言った皇は、急いで横断歩道へと歩き始める。


「ああ、よろしくな」


 月並みの言葉を返しつつ俺は――……


 ―――ごめん。


 仮面(笑顔)を張り付け、心中で謝る。

 きっと、彼女たちの望む未来にはならないのだろうと思った。


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