負けられない戦い、の形
「部屋に戻れば食事の時間だな。その後は何か用事とかはあるのか?」
しばらく風呂の前の談話室で牛乳やマッサージを楽しんだ俺達。
気持ちよさそうにマッサージチェアに腰かける先生に思わず、
「何だかおじさんくさいですね」
と口を滑らせ、
「サウナで整い、マッサージまでした今の私のパンチは普段の数倍の威力だが、試してみるかい?」
と笑顔を向けられるなどのスリルはあったものの、俺達は存分に温泉を満喫することができた。
「そうですね、食事はそれぞれの部屋ですし、とくに集まって何かする予定とかはありませんが」
「しかし、ではこれで明日まで解散というのはなかなか味気ないな。ふむ……。お、どうやら受付に言えば卓球台など貸してもらえるみたいだぞ?」
皇の言葉に何かないかと周囲を見回した甘地先生は、ふと目についた壁に貼られた一枚の紙に目を向ける。
「今お風呂入ったばかりなのですが……。まあ、どちらにしてももう一度入るつもりでいたのでいいですけど」
一ノ瀬がそう言ってみんなに視線を向ける。「私はべつに構わないけど、あなたたちはどうするの?」と言外に伝えてくる。
「卓球は初めてなので分かりませんが、食事のあとみんなで集まるのは賛成です!」
「私も異論はないわ」
村崎姉妹が同意する。
旅先で一人、部屋で何をするでもなく、ただただ天井の木目を数えて暇を持て余す。……無駄すぎる。
俺は勢いよく立ち上がって、空の牛乳瓶を空き瓶回収の箱に入れると。
「それじゃあ、各自夕飯を済ませたら受付に集合ってことで」
*
受付で手続きを済ませ、卓球台とその道具を借りた俺たちは、お風呂場の談話室の隣の部屋、部屋に四台ある卓球台の一番奥のものを使用する。
「ふふふ、ようやくこの時が来たわ。どちらが皇さんにふさわしいか、今日こそ決着をつけましょう」
飯に何か盛られていたのだろうか。
外出テンションでおかしくなっているらしい一ノ瀬が、対面する俺にそう言って不敵な笑みとともにビシッとラケットを向けてくる。
「ふ……、そう簡単にはいかないさ。九十九、私たちの本気をみせてやろう!」
未だサウナの副作用が抜けていないのか、ノリノリでそう言って、こちらも妙に自信たっぷりの笑みを向ける甘地先生。
「私はまだこのチーム分けには納得していないけど………いいわ。これで勝ったら、先輩からあなたを奪って、私もあなたに本当の気持ちを伝えるわ‼」
場の空気に当てられてか、一ノ瀬の隣でバカなことを口走る村崎先生(生徒指導)。
「……俺が勝ったら、とりあえずジュース一本おごってくれ」
見ての通り、俺達は今、卓球ダブルスの試合をしようとしている。
最初はそれぞれの台で個人戦をし、トーナメント形式でチャンピオンを決めようという話だったのだが、予想以上に皇と村崎さんの体力がなく、二人を除く俺達四人で決着を付けようとしたところ、
『どうせならダブルスでやった方が面白そうだ』
という甘地先生の意見により、こうして俺と甘地先生、一ノ瀬と村崎先生のペアで勝負することになった。
「それでは………いくぞっ」
まずは甘地先生のサーブから。
モーションの決まった経験者のような構え。からのまずは様子見のためか、相手のコートに入れるだけの優しいショットだった。
先生の対角線、俺に相対する一ノ瀬がそれを容赦なく俺の方のコートの隅、きわどいところに狙って打ち返す。たしかに優しい球ではあったが、しかしこのコースに狙って返してくるとは……。あまり経験はないと言っていたくせに恐ろしいやつだ。
「お……っと」
しかし俺もペアでやる以上、下手なことはできない。もしかしたらそれが甘地先生の目的だったのかもしれないが、俺はむかし動画で体得した技術でそれをうまく打ち返す。
「なっ⁉」
まさか返されるとは思っていなかったのか、一ノ瀬は驚い様子で声を漏らした。
俺の打ち返したコースは村崎先生の目の前。
「せっかく打ち返したのにごめんね九十九君。でも、もらったわ!」
無理な体勢から打ち返した俺のボールは勢いがなく、チャンスボール。しかもまだ俺が体勢を崩しており、先生の準備は万全ではない。そのまま強くスマッシュを決められれば、俺たちが返せる確率は低い。
勝ちを確信した先生は声を弾ませ、勢いよくラケットを振った。
―――スカッ。
「………え?」
全力で振り切った先生のラケットは、見事に空を切り、コンコンと転がったボールは卓球台の下に落ちた。
困惑した様子の先生。構えからしてそれなりに経験者、まさか空ぶるとは思っていなかったのだろう。
「なっ、なに今の⁉ 弾んだと思ったら、まったく逆の方向に行ったわよ⁉」
「やるじゃないか九十九。流石に、今のは取られたと思ったぞ」
言って甘地先生がハイタッチしてくる。
「……これは本気でやらないとまずいかもしれないわね」
先ほどまで余裕を見せていた一ノ瀬の表情が、緊張を孕んだものに変わった。
「ええと……あっ、甘地先生と九十九さんチーム、ポイント先取です」
旅館の風呂上がりの卓球台で行われるには、かなり高レベルな戦い。審判を務める皇が言って、スコアボードの俺たちの名前の下に一点を入れた。
*
それからは接戦が続き、甘地先生の華麗なレシーブや一ノ瀬の鬼畜すぎる鬼コース攻めなど、終始ギリギリの勝負で、俺達の勝敗は五分五分、五ゲームズマッチのお互い二ゲーム先取で最終ゲームとなった。
「ハァ……ハァ……。ま、まさかここまで苦戦するとは思わなかったわ」
さっき風呂に入ったばかりだというのに、頬に滴る汗を拭いながら、荒い呼吸でサーブを打つ一ノ瀬。
最初の甘地先生の打ったような相手コートに入れるだけの優しいサーブではなく、完全にそれだけで点を取りに来ている、狙いも勢いも桁違いに鋭いボールだ。
「くっ……はっ」
それを甘地先生は抜群の反射神経と瞬発力で、ギリギリで拾った。体勢は崩れている。
ポーンと上に上がったボールは運よく相手コートに落ちる。しかし運の悪いことに、それは相手コートの真ん中、絶好のチャンスボールとなってしまった。
まずいっ。
先生の体勢を横目に確認し、自分の動ける範囲を把握した俺は、できる限り全方面に対応できるよう腰を低くくして構える。
「フッ」
村崎先生の強烈なスマッシュ。
「なんっ―――のっ」
しかし俺はその球筋を完璧に予測し、先生が後戻りできなくなる一瞬を見計らって一歩後ろへと下がり、なんとか相手コートへ返した。
「嘘でしょうッ⁉」
「ハァ……ハァ……っ、なんで今の球が返せるのよっ!」
信じられないという表情で声を上げる村崎先生。一ノ瀬が腹立たし気に歯を噛み締め、またも返すだけのボールとなってしまった俺の球を、真剣な表情で構える甘地先生とは逆方向、入るか入らないか直前まで分からないギリギリのコースを狙って打ち返す。
「っ…これはっ―――ノーだッ!」
直前まで手を伸ばし、しかし寸前で甘地先生はそのラケットを持つ手をひっこめた。
「くっ……、今のを見送りますか。流石先輩ですね」
一ノ瀬が打ったボールはコンマ数ミリほどの差で台に入らず、その勢いのまま床に落ちた。
村崎先生は感嘆の声を上げる。
「凄いですね、先生。俺も今のは一瞬どっちか迷いましたよ」
「いや、私も手を出すか迷ったんだがな。しかし今のは、私の実力では手を出していてもうまく向こうのコートに返せなかっただろう。それならいっそ入らない方にかけようと思ったんだ」
オリンピック後のインタビューみたいだな。
先生は滴る汗を拭いながら安心したような表情を向ける。
ひええ……。イ、イケメンがすぎる! ファンクラブができるぞ。
「……すみません、先生。今のは少し狙いすぎました」
「気にしないで、今のは仕方ないわよ。というか、あそこを狙って打てるあなたもあなたね」
珍しく一ノ瀬が誰かに謝っている。
『私は私を否定しない!』
……………。
いや、今のはチームプレイだから、一応の声掛けかもしれないな。
こちらにボールが渡り、先生がサーブの構えに入る。
一瞬の静寂。
その中で、
「――さあっ、決着を付けようか」
先生の声は主人公のそれだった。
*
「ゲームセット。13―15で一ノ瀬さんチームの勝ちです」
何ということでしょう。
「はあ……はあ……、クッ……、まさか負けるとは思わなかったな」
息を切らせた先生が悔し気に言って、空を見上げる仕草をする。夏が終わった高校球児みたいだな。
「か……勝った……」
「……ええ……ええっ! やったわ一ノ瀬さん‼ まさかあの先輩に勝てるなんて……。ふふふ、あははははは」
「……べつに、当然の結果です」
疲れを忘れ、大喜びする村崎先生に澄まし顔で言ってハイタッチを交わす一ノ瀬。プイっとそっぽを向いているが、その口元は緩んでいるように見える。
「惜しかったですね、先生」
俺は勝者たちに拍手を送りつつ、もう一度スコアボードを見直す。
結果は13―15。
マッチポイントからの接戦。最後は俺と先生がそれぞれ一回ずつミスをして、それが敗因となってしまった。
「……まっ、仕方ないさ。いい勝負だった。いつかまたやろう!」
さっぱりとした顔で言って、先生は二人に右手を差し出す。
「ええ、次は私と一対一で勝負してください!」
それに応え、村崎先生も晴れやかな笑顔で言って二人は握手を交わした。
「ほら、君たちも」
そんな二人を黙って眺めていると、ふとこちらを向いた甘地先生が俺と一ノ瀬とを交互見やりながら頬を緩める。
目が合う俺達。
どうしたものかと数舜迷う。
だがどう考えても、この状況で俺が手を出さなければ一ノ瀬は絶対に握手しない。
…………ええい、ままよ!
「悪くない勝負だったな」
「…………ええ、とてもいい気分だわ」
俺が言うと、一瞬、怪訝な表情を作った一ノ瀬は、しかしすぐににんまりと頬を緩めると、負け犬を見下ろす飼い主の瞳で俺の手を取った。
「も、もう少し穏やかに握手できないんですか……?」
そんな皇のつぶやきは、スポーツマンシップを何よりも心掛ける俺達の耳には届かなかった。




