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トトノイを知る者、の形

「……古いわね」


 海を満喫したあと、甘地先生の車で今日泊まることになっている宿に向かった。

 そしてその旅館に着いてすぐ、車から降りてその旅館を見た一ノ瀬の開口一番の言葉がそれだ。


「たしかにふる……いえ、オモムキがある? ……でしたっけ? た、たぶんそんな感じです!」


 あまりにも正直な一ノ瀬の感想にやんわりとフォローしようとする皇だが、うまい言葉が思いつかなかったのか、だんだんとその声はしぼんでいく。


「いや、今のシーズン、海近くの宿はどこも予約いっぱいだったんだよ。いろいろ探してようやく見つけたんだ。少し古臭いくらいは我慢してくれ」


 予約した身としては、あまりそう酷評されると肩身が狭い。

 俺は言い訳がましく言う。

 ツタに覆われた壁、ところどころにひび割れも見られる。建物自体は想像より大きく、どうやら大きめの中庭もあるようだ。庭はきちんと整備されており、あまり活気があるとは言えないが、手入れは行き届いているように思う。


「それに、ここは歩いて五分のところに砂浜があるらしいぞ?  遊泳は禁止らしいから海には入れないが」


 俺は頑張ってこの宿の印象を良くしようと努める。


「海に入れないのならあまり意味はないじゃない」


 冷静に一ノ瀬に言われる。こいつらさっきまで水着着て海に行って砂遊びしてたくせに……。


「それに、外観は多少古いけれど、それだけが判断材料にはならないわ。そもそもあなたに任せきりになってしまった私達に、文句を言う資格はないもの」


 これでこの話は終わりとばかりにそれだけ言って宿の方へと歩いて行く一ノ瀬。というか最初に文句言ったのはお前だろ……。


「……ふふ、ですね! ありがとうございます九十九さん!」

「あ、ありがとうございます!」


 その背中を微笑ましく見送った皇は元気よく言ってその後を追う。それに続いて村崎さんもぺこりとお辞儀して皇を追いかけた。

 …………。

 そう正面から礼を言われると、何とも言えない気分になる。


「ふふ、良かったな九十九。珍しく君の行いが褒められたじゃないか」

「……ごめんなさいね九十九君。私が日にちを間違えて伝えてしまったから」


 バンッと俺の背中を叩いた甘地先生がにんまりと頬を緩めて言う。その後ろから申し訳なさそうに村崎先生が出て来た。


「言っているだろう? そう気にすることはないさ、菫。なっ?」


 村崎先生の肩を抱いて励ます甘地先生。ぱちりとウィンクされる。


「そうですね。てゆか、先生が日にちを間違えてくれたから、たまたまこの宿がとれたのかもしれませんし。今日が楽しい思い出になれば、それはむしろ先生のおかげですよ」


 甘地先生の指令に、俺は全力で乗っかる。


「そ、そうかしら? ……そうね。そう思うことにするわ。でも、やっぱり今日の宿代は――」

「その話はまたあとでなっ。ほら、早く行こう! 九十九の話によるとこの宿は温泉旅館。露天風呂が人気らしいぞ?」

「ちょっ……せ、せんぱい⁉」


 それ以上めんどくさいことを言おうとした村崎先生の言葉を遮って、甘地先生はそのまま肩を抱いて宿へと向かう。顔を赤らめて恥じらう村崎先生の気持ちはよく分かった。

 そんな先生たちの背中をしばらく眺めていた俺だが、ふとこちらに振り返った甘地先生に、「ほら、君も早く来たまえ」と笑みを向けられ、俺も急いでその背中を追った。





 チェックインを済ませた俺たちは、今日泊まることになる和室に通される。

 アニメや漫画などでの定番イベントであるところの、「すみませんお客さま~、一部屋しかあまっていなくて~」という憧れの展開は残念ながら発生せず、着物姿の似合うベテラン女将にてきぱきと案内され、きちんと予約していた通り、四人部屋を一つと二人部屋を二つ用意されていたので、まったく問題なかった。……問題はながっだ!

 四人部屋には先生二人と村崎さん、それと同じ階の二人部屋には一ノ瀬と皇が泊まる。俺の泊まることになる二人部屋は、生憎あいにくと一つ上の階だ。


「それじゃあ、また後で。部屋が違うと一緒にいる時間が限られてしまうが、風呂に行くときは時間を合わせよう」


 女将さんに案内され、先生たちが泊まる部屋の前にきた俺達。部屋に入る前、甘地先生にそう提案される。


「分かりました。それじゃあお前たち、先生に……甘地先生と村崎さんに迷惑かけるんじゃないぞ?」


 俺は父親のような気分で三人の問題児に告げる。


「ちょっとまちなさい! 二人はともかく、なぜ私があなたにそんなこと言われないといけないのかしら? もの凄く不愉快なのだけれど」

「い、一ノ瀬さんっ⁉ わ、わたしも迷惑なんてかけてませんよね? かけてません……よね?」

「………え? ()()()()って。 ……え? もしかしてそれって、私のことじゃなくてみどりのこと? 問題児って私のことなの、九十九君⁉」


 わめく三人だが、どう考えても問題児はお前たちだ。

 俺はそれらの苦情を一切無視し、


「そうか、それじゃ、またあとでな」


 爽やかに挨拶して、今日俺の泊まることになっている部屋へと女将さんの後に続いた。

 後ろから聞こえる騒音にセミの唄声を重ねながら、心中思う。

 この女将さんマジで動じねえなあ。





 俺の泊まる部屋は『鶴の間』というらしい。

 入ってすぐ、踏込ふみこみに靴を脱いで歩いた先、ぱっと目に入ったのは、床の間に駆けられた何かの掛け軸と、その下に丁寧に飾られた生け花。蓮の花だろうか。外観からして一ノ瀬の言っていたように古い印象を受ける宿だが、飾られた花はとても美しく、一通り部屋を見回してみても、畳が敷かれた主室には座卓ざたくと二人分の椅子、テレビが一台あるくらいで、質素であまり豪華とは言えないが、隅々まで掃除が行き届いており、汚い感じはまったくしない。むしろあまり華美なものがない分心地よく、一人はもちろん二人で泊まる分にも十分な広さだ。

 とりあえず俺は荷物を隅っこに下ろし、用意されていたお茶菓子をつまむ。シャワーを浴びたとはいえ、慣れない海風に長く当たっていたせいか妙に体がべたつく。早く風呂に入りたいところだ。

 そう思い、少し早いが風呂の準備をしていたところで、ちょうど皇から電話がかかって来た。


『あっ、九十九さんですか?』


「ああ、風呂の時間の連絡か? 俺はもう準備できてるぞ」


 というか、よく考えたら、べつに男湯と女湯で別々なのだから一々待ち合せる必要もないがな。


『私たちもちょうど今終わって、先生たちとも一緒なんですが、良ければ今からお風呂に向かいませんか? 今の時間は空いていておすすめらしいですし』


 どうやらみんなも考えは同じだったようだ。断る理由もないため、それに了解の返事をする。


「分かった。それじゃあこのまま風呂の前で集合しよう」


 皇の返事を聞き、電話を切った。

 夕食の時間は七時らしいから、それまでまだ一時間以上ある。

 たまにはゆっくり温泉に浸かるのも悪くない。

 たかだか風呂にワクワクする自分の感情を不思議に思いつつ、軽い足取りで風呂場へと向かった。





「やあ、さっきぶりだな、九十九。どうだった、そっちの部屋は? こちらは思ったより綺麗で、少し驚いたくらいだったよ」


 各々着替えやなんやらの荷物を抱えた先生たちが、先に来て、風呂の前のベンチで座っていた俺に手を上げて近づいてくる。


「そうですね。俺も想像以上にいい感じで驚きました。これも村崎先生のおかげですね」


 俺は先生の意図を組んで、それに乗っかる。


「ああ、君のおかげでとてもいい宿に巡りあえた。だから宿代はみんなで割り勘でいいな?」


 どうやら先生たちは部屋でそれについて話していたようだ。そんなに気にしなくていいのにな。


「そ、そう言ってもらえると気は楽になりますが……」


 しかしこれだけ言ってもまだ表情のすぐれない村崎先生。昼間、海で遊んでいたときはあまり思わなかったが、今日はずっとそれを気にしていたのだろうか。

 そんな先生の様子にどうしたものかと考える俺達。

 が、それを早々に断ち切ったのは、意外なことに一ノ瀬だった。


「いい加減にしてください、村崎先生。失敗は反省するべきですが、あなたのそれはやり方が間違っています」


 これまで、そのことについて何も言わなかった一ノ瀬の声に、俺達は一瞬目を丸くする。心なしかその声音は若干、怒気を孕んでいるようにも思えた。


「あなたが九十九君に間違った日にちを伝えていたため今日の出だしがばたついたのは確かです。ですが、それだけです。結局みんなこうして旅行に参加でき、水着も購入して海を楽しめたのだから、事実上なにも問題はありません。ですが、いつまでもあなたがそのことを気にして、甘地先生や九十九君に気を遣わせ続けるのは、……はっきり言ってそっちの方が迷惑です。もし申し訳ないという気持ちがあるのなら、あなたはここの宿泊費を支払うのではなく、楽しい思い出を作ることで贖罪すべきです」


 珍しく一ノ瀬が俺や皇以外の人間に長文で話している。村崎先生とはケーキ作りや砂の城作りなどで共同作業する機会が多かったため、始めの頃より慣れているのかもしれない。

 一ノ瀬の正論……というか説教に、本来説教するべき立場である先生はしっかり反省していた。


「はい……。みんな、ごめんなさい。一ノ瀬さんの言う通り、私が間違っていたわ」


 どっちが教師と生徒か分からないな。


「楽しい思い出にしましょうね!」


 今は空元気なのが分かるその笑顔が、明日帰るときには本物になっていたらいいなと思った。





 男湯と女湯に分かれ、俺はもちろん男湯に向かう。全力で男湯と女湯の間、壁の木目の間までよ~~~く調べたが、あいにく『混浴』の二文字は見つけられなかった。みんなごめんっ!

 服を脱いで荷物の中から着替えの浴衣を取り出し、畳んだ服と入れ替える。貴重品は持ってこなかったが、一応百円だけ持ってきた。案の定、百円入れて鍵を閉めるタイプのロッカーだったため、裸のまま外に出ずに済んだ。ふと隣の壁から、


「なっ、百円玉がいるなんて聞いていないわよ⁉ 無料ではないの⁉」


 という知り合いの声によく似た声が聞こえた気がしたが、きっと空耳だろう。銭湯に行くときは百円持って行って、帰りに牛乳を買って手ぶらになるのが常識だ。これ、就活に出ます。


 作りは古いが建物は大きかったため期待していたが、思った通り立派な風呂だった。奥には露天風呂に続く扉が見える。皇の言っていた通り、この時間は割と空いているのか俺以外に人はいなかった。

 まずは壁に取り付けられたシャワーで頭と体を洗う。

 しっかりと泡を流し、お湯に浸かった。


「…………ふう」


 何とも言えない声が出た。じわじわと身を包む温もりに、ついまぶたが重くなる。

 だが本当の楽しみはここからだ。

 風呂で2~3分温まった俺は、極楽浄土の誘惑を振り切って決戦の舞台へと向かう。


 ――そう、サウナだ。


 サウナはいい。サウナは最高だ。疲労回復、ストレス解消。血圧低下や血行促進などなど、正しく入れば素晴らしい効果が期待できる。絶対に裏切らない存在、それがサウナだ。


 十分ほど入り、頃合いを見て一旦外に出て、かけ湯をしてから水風呂に浸かり、外気浴でととのう。この時、水風呂の前にかけ湯をするのは絶対のマナーだ。忘れてそのまま入ろうとすると、ベテランのいかついおっさんにしこたま怒鳴られるから気を付けよう。

 これを何度か繰り返していると、体の芯の部分から不思議な高揚感に包まれ始める。きっとポケ○ンセンターに預けられたあとはこんな感じだろうな。


 ♪♪♪♪

『ツクモンは元気になりました。またのお越しをおまちしています』



 ととのい終わった俺は、ぽわぽわとした心地でロッカーへと向かい、浴衣に着替えて外に出る。


「おや、君も()()()()()かい?」


 俺が出たのと同時、隣の女子風呂の扉が開く音がした。みると、どこかスッキリした顔の浴衣姿の甘地先生が、いつもの数倍爽やかな笑顔を向けてくる。白い歯がきらりと光ったように見えたのは気のせいだろうか。


「ええ、そういう先生も()()()()を知る者ですか?」


 だがサウナ効果でスーパー()()()()()となった俺には、邪な心などありはしない。まさに明鏡止水めいきょうしすいの境地。俺は汚れなき笑みを先生に返す。

 目だけの会話。


「――ふ」

「――ふ」


 そして俺たちはがっしりと握手を交わした。


「……なんなのこれは?」


 その後ろ、扉の前で分かりあう俺たちを鬱陶しそうに眺めていた一ノ瀬は、心底不思議そうな声を漏らした。





()()()()()九十九、これを君に預けよう」

()()()()()甘地先生、ありがとうございます。俺も先生にこれを送ります」


 言って俺たちは互いの購入した苺牛乳を交換する。


「ねえ、なんなのあの二人は? さっきからなんか変じゃないかしら?」


 そんな俺たちの様子に、怪訝な顔を向ける()()()()を知らぬ者、村崎先生。


「まあ、九十九さんが変なのはいつものことですが」

「た、たしかに……。トトノウ?って、サウナのことだよね? サウナに入ったら、みんなあんな風になるのかな?」


 皇の失礼な言葉に、村崎さんがぎこちなく笑いながら言う。


「そんなわけないでしょう。適当なことばかり言っていると怒られるわよ?」



「いや、それにしても整ったな、九十九?」

「はい先生、整いました」

「何というか、生まれ変わったような気分だな」

「はい、俺はたった今生まれたニュー俺です」



 牛乳瓶をそれぞれ片手に「トトノッタ、トトノッタ」と連呼する二人を遠目に(心理的距離)眺めながら、


「で、ですよね……」

「だよね……」

「そうね……」


 三人の声が重なった。


 人に迷惑をかけず整いましょう。

 社会の基本だ。


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