夏祭りの形
祭りというものに初めて行ったのはいつだっただろうか。
幼い頃に何度か行ったとは思うが、そのどれもがまなみや姉さんの付き添いだった。
中学になる頃には二人ともあまり祭りに行こうと言ってくることはなくなり、各々の友人たちと行くようになった。
二人の付き添いという任務がなくなった俺は当然、祭りなど行く理由がないため、それきりあの花火を眺めることは無くなった。
俺の呼称が僕から俺に変わってからは、またまなみに誘われるようになったが、きちんと祭りの雰囲気を楽しめるようになったのはその頃からだ。
密集した人々の喧騒や熱気、興奮と不快感。そんなものを感じるようになったのは、俺が周囲に意識を向けるようになったからだろうか。
少し自分が変わるだけで世界の見え方が変わる。
そうじゃないものになりたかったはずなのに、その変化に若干の心地よさを感じてしまっている自分が、俺には腹立たしかった。
「お兄ちゃんお待たせ~~♪ ねねっ、どうどう? お兄ちゃん! 似合ってる?」
待ち合せの駅前で手持ち無沙汰で待つこと数十分。なぜか後から行くから先に行って待ち合わせしてほしいというまなみの言う通り先に来て待っていた俺の下に、パタパタ手を振って駆けてくる浴衣姿の我が妹。
「ぐっはあっ‼ 可愛すぎて目がやられそうだ」
「……てきとーだねえ」
思ったことをそのまま言ったのだが、真顔で言っても意味がなかったみたいだ。
「いや、ほんとに似合ってるぞ? やっぱ胸が薄いからかな?」
「…………。お兄ちゃん、わたしじゃなかったらぶん殴られてるからね?」
正直な感想を伝えると、ジットリとした視線を向けられる。ぎゅ~~っと脇をつねられるのは地味に痛い。
とはいえ、冗談でもなんでもなく、去年の夏に新調した紅色の鮮やかな浴衣は明るい雰囲気の彼女とマッチしていて、我が妹ながらとてもよく似合っていた。おしゃれは足元からと言うのなら、浴衣に下駄ではなくスニーカーを履いているところは減点されてしまうかもしれないが。
ふと周囲に目を向けると、俺達と同じように浴衣を着ている男女が先ほどより増えてきている。俺が一人駅前のベンチに腰かけていたときはあまりの虚しさに目を閉じ、本の世界に没頭していたのだが、今ではむしろ至る所から嫉妬に狂った視線を向けられている。その視線を心地いいと感じられるほどのエリートであれば嬉しいのだが、生憎とまなみは妹だ。家族サービスの一環だと思うと、その的外れな嫉妬は腹立たしいな。
*
「さて、それじゃあまずはどこからまわる?」
行く場所はみんな同じなので、浴衣を着ている人々が多い方について行くと、次第に賑やかな喧騒が聞こえてくる。
それほど大きな祭りではないのだが、それでもなかなかの混み具合だ。
歩いているうちにいつの間にか周囲には屋台が並んでいた。
俺は隣を歩くまなみに屋台を見舞わし尋ねる。
「んん~……んっ! やっぱりまずはりんご飴かな!」
口元に手をあて、むむむと長考したあと、ニコッと花が咲いたような笑みを向けてくるまなみ。
「了解、いつも通りだな」
「そだねえ~」
毎年まなみと祭りに来ると、一番にりんご飴の屋台へと向かう。
どうやら今年も例年通りめぐるようだ。
思いのほか並ぶことなくりんご飴を購入した俺達は、人ごみに気を配りつつ通りを歩く。
「ほんとにお兄ちゃんは買わなくて良かったの? りんご飴、好きだったよね?」
小さな口で必死にりんご飴にかぶりついていたまなみは、ふと思い出したように言う。
「ああ、好きだな。でも今はあんまり腹が減ってないから」
腹をさすりつつ答える。
りんご飴は好きだが、あれをまるまる一つ食べるとなると結構な量だ。
まなみを待っている間、小腹が空いてしまい、たまたま駅前で売っていたタイ焼きを食べたのが失敗だったな。
「へえー、……あっ! な、なら私の一口食べる……? その、私もこれ一個はちょっと多いし……」
もじもじと顔を赤らめ、視線を逸らし逸らししながらこちらにかじっていない側の飴を差し出すまなみ。
その様子はまるで恋人と初めて祭りに赴いた少女のように可愛らしいのだが、生憎と相手は俺だ。
というか、毎年最初のりんご飴などぺろりと平らげ、さらにその後も焼きそば屋やたこ焼き屋を片っ端から連れまわすくせに、今日はどうしたというのだろうか?
「どうしたんだ? 具合でも悪い………ああ、ダイエットか? あまり若いうちからしていると体に悪いぞ? あと、お前はどちらかというと今のうちにもう少し食べといた方が」
「ちっ、ちがうからっ! 一人だけ食べてるのが恥ずかしかっただけだから! あと、ぜったい! ぜ~っったい! そんなことほかの女の子に言っちゃだめだからね!」
突然先ほどとは違った意味で顔を真っ赤にしたまなみはプンプンと声を荒げる。
「わ、わかったわかった、冗談だ冗談。………それじゃあ、お言葉に甘えて」
「………あ」
どうして怒っているのか謎だが、くれるというのならもらっておこう。お腹が減っていないから買わなかったが、俺もりんご飴は好物だ。
シャリッ。
怒ってひっこめられてしまったりんご飴を握るまなみの手を取って、先ほどの位置まで持ってくると、落とさないよう上からまなみの手ごとぎゅっと握り、できるだけ飴を汚さないよう気を配りつつかじっていない箇所を一口いただく。
飴でコーティングされた外側はかじるとカリッという音を立て、口の中では内側のりんごの果実のシャリシャリとした触感と、飴のバリバリという音が入り混じる。
甘ったるい飴を果実のみずみずしさがさっぱりとした味わいにし、しつこくなく食べやすい。
りんご飴はアメリカ発祥の食べ物らしいが、果実をそのまま飴でコーティングするという発想は、流石は自由の国だな。
「っっ~~~‼ ふっ、ふいうちはずるいよ……///」
「……ん? どうかしたか?」
なぜか今日見た中で一番顔を真っ赤にしたまなみは、俺のかじった個所をまじまじと見つめながら声を震わせている。俺が手を離した後もずっと同じ位置にあるりんご飴を持つまなみの腕も、心なしかぷるぷると震えていた。
「なっなんでもないよ! それよりほらっ、次のお店いこっ!」
そんなまなみの様子に具合でも悪いのかと顔を覗き込みながら言うと、はっと再起動したまなみは俺と視線をあわせることなく、落ち着きのない足取りで俺の手を引く。
俺はされるがままに手を引かれつつ、一瞬見えたその横顔はりんご飴よりもよっぽど赤かったなと、そんなことを思った。
*
「――……さて、そろそろだな」
一通りまなみと屋台をまわった俺たちは、少し大通りから離れた住宅街の小さな公園のベンチに腰掛けていた。
購入した焼きそばや串焼きを頬張るまなみの世話を焼きながら、ふと公園の時計に目を向けた俺は、念のため自分の腕時計でも現在の時刻を確認し、一言つぶやく。
「……んモんモ?」
そんな俺の様子に、視線とそれっぽいニュアンスの音をこちらに向けるまなみ。おそらく「そろそろ?」と言いたかったのだろうが、なんでも声に出せばいいというものではない。
もぐもぐと肉を咀嚼する頬はパンパンに膨れ、その口の周りには串焼きのタレをべったり付けている。
とりあえず俺は普段からこういうときに備えて常備しているウェットティッシュ(もちろんノンアルコールだ)をポケットから取り出し、それを拭う。
「んん~……んふんふ。えへへ」
小さな子供のようにされるがままになっているまなみ。
正直わざとやっているのではないかと思うときもないわけではないが、可愛いからまったく苦ではない。むしろ俺の方こそお金を払ってでもお世話したいまである。
「来る前に言っただろ? 途中から俺の入ってる部活のやつらと待ち合わせすることになったって」
学校から帰った後、まなみに二人を誘っていいか許可をもらった俺は、電話で二人と少し話をし、俺は先にまなみと祭りをまわっていて、後から二人が俺たちに合流するということになった。
いきなりのことだったためそのまま行けばいいのではと思ったが、一ノ瀬がせっかくなのだからきちんと浴衣を着て祭りを楽しんでほしいと言い出し、その準備やらで少し遅れて来るらしい。
一ノ瀬にはべつに俺はいらないと言われたが、流石に祭りにあいつらだけで行かせて何かあっては綾さんに合わせる顔がないと頼み込み、俺も合流することを許してもらった。
「そういえばそうだったね。……てゆか、お兄ちゃんが部活に入ってるってことすらまだ信じられないんだけど。……その人たちってイマジナリーなんとか? ってやつじゃないよね?」
先ほどまでの可愛らしいまなみはどこへやら。
口の中のものを飲み込んだまなみは、若干の悲壮感すら漂わせながら、心配そうな目を俺向けて来る。
「大丈夫だ、安心しろまなみ。あいつらはきちんと人間だし、俺はイメージの世界でだって一人だ」
ちょっとカッコよく言い換えるなら『想像上の孤独』。
「…………」
決め顔で言うと、まなみは無言で残っていたお肉を口に運んだ。
とてもお祭りでする目じゃないな。
「まあ、いつか紹介するつもりだったし、ちょうどいい機会だ。心配しなくてもいい奴らだから大丈夫だぞ」
もう一度時計を確認すると、あと数分で待ち時間となる。
「……そっか」
前から会いたいと言ってはいたが、いざ知らない人間と会うとなると緊張しないやつはそういない。
俺が言うと、まなみは少しほっとしたように言って、公園の入り口に視線を向けた。
*
「おっ、お待たせしました~~~っ」
それから少しして、待ち合わせの時間から十分程遅れて到着した二人は、目を見張るほど美しい浴衣姿だった。
着いて早々言って頭を下げる皇。
「いや、気にすることないぞ。いきなりだったし、むしろよく間に合ったな?」
「はっ、はい! 一ノ瀬さんに手伝ってもらってなんとか。……少し恥ずかしかったですけど、新鮮でした!」
……………。
気にしない。
そう言って思い出したように顔を赤らめる皇と、その隣で「……良かったわ」とぼそりと頬を緩める一ノ瀬を見ても、俺は何も気にしない。
「そ、そうか……。まあ、何はともあれ、二人ともすげえ似合ってるぞ。双子コーデってやつか?」
改めてもう一度二人の姿を観察する。
二人とも珍しく髪を結っており、お揃いの髪型にお揃いの浴衣。少し身長差はあるが、双子であると知らなくてもそう見えるくらいにはそっくりだった。
「ええ、せっかくだからそろえてみたの。この、今皇さんが着ている浴衣は生前、母が子供の頃に使っていたものよ。幼い頃に私がもらったものだけれど、皇さんにぴったりだったわ」
まじまじと満足気な表情で皇の浴衣姿を眺めながら、一ノ瀬が言う。
…………。
綾さんの浴衣……。
「それより、そちらの方が九十九さんの妹さんですか? ちっちゃくてとても可愛らしいですね!」
一ノ瀬の言葉に少し考え込んでいた俺だが、皇の言葉に気を取り直す。
「っ……ち、ちっちゃくありません! あなたとそう変わらないじゃないですか……っ!」
突然話を振られたまなみは、俺の後ろに隠れるようにしていたが、皇に小さいと言われたことがショックだったのか、ムッとした様子で言う。
「ああ、妹のまなみだ。まなみ、こいつらが俺の入部している部の部員たちだ。こっちの小さくてあんぽんたんなのが皇……そんで、こっちの大きくて怖そうなのが一ノ瀬だ」
「……なぜ私の名前を言おうかどうか渋ったのか教えていただけますか? あと、あんぽんたんではありません! まったく……。初めまして、皇きら……皇です。お兄さんとはお互い初めての友人です」
恨みがましい視線を向けられるが、自分だって名前を名乗らなかったじゃないか。
「あなた、あとで覚えておきなさい。……一ノ瀬雅よ。あなたのお兄さんの部の部長をしているわ。よろしく。………なに? なぜそんな目で私を見るの?」
俺は今猛烈に感動していた。
「いや、まさかあの一ノ瀬がまともな挨拶ができるなんて思いもしなくてな」
「…………。一度あなたとはきちんと話し合う必要があるわね」
殺意の塊のような視線だが、初対面の俺に蝙蝠だのと言っていたことを考えれば、俺のこの感動は自然だと思う。俺は保護司か。被害者も俺だな。
「つ、九十九まなみです。兄がいつもお世話になってます。……本当に甲斐性なしの不甲斐ない兄で、ご迷惑をおかしていますよね?」
言ってぺこりと頭を下げるまなみ。
あのー、なぜふたりともうんうんと頷いているのでしょうか? 普通そういうときは、「いえいえ」とか、「そんなことないよ」とかって答えるものなんじゃないでしょうか。
「と、とにかく挨拶も済んだことだし、そろそろ祭りを回らないか?」
会ってすぐに仲良くするのは難しいかもしれないが、まなみは俺とは違い人懐っこい性格だ。むしろお姉さん二人の方が問題は多いかもしれない。まあ、今の三人で俺のダメなところを楽し気に語らっている様子を見ていれば、きっと大丈夫だろう。
……というか一ノ瀬さん、今日は随分饒舌ですね。
*
「んんっ! このクレープすっごく美味しいですねっ! あっ、その綿菓子も食べてみたいです!」
「あ、はい。いいですよ! なら皇さんのクレープと一口交換しましょうか!」
「ちょっと待ちなさい! 妹さんには私のクレープを一口あげるから、代わりに皇さんのクレープをっ」
「いえ、わたし抹茶のクレープはちょっと……」
「なっ! この美味しさが分からないなんて正気⁉ さすがあの男の妹ね……」
「あっ、兄と一緒にしないでください! すっごく心外です!」
…………。
物慣れない皇の様子を新鮮に感じつついろいろと案内してまわり、各自欲しいものを購入した俺達は、道路脇のベンチで買ったものを食べる。
四人掛けのベンチに三人が座り楽し気に話しているのを、俺は一人、その近くに突っ立って、りんご飴の屋台で買ったいちご飴にかぶりつく。
祭りに来てすぐは食欲がなかったが、歩いているうちに小腹がすいた。
金魚すくいやヨーヨー釣りなど、食べ物以外の屋台もいろいろとまわり、射的で一ノ瀬がまさかの才能を見せたため、俺の手には大量の景品がぶらさがっている。金魚すくいでは皇以外は慣れていたので比較的簡単にとれたのだが、皇は何度も網が破けて苦戦していた。俺たちは家に金魚を入れる水槽がないため的屋のおじさんに返したが、皇はなんとかとることができた、どことなく腹立たしい顔をしたデメキンを妙に気に入り、持って帰って家で飼うそうだ。
始めはぎこちなくどう接していいのか分からない様子の三人だったが、何にでも目を輝かせる皇にあれやこれやと教えたり、一緒に体験しているうちにだんだんと緊張もとけ、今では俺など放って女子三人姦しく笑いあっている。
……というか一ノ瀬たちはともかく、まなみはここにきてからずっと何か食ってるな。腹を壊さないか心配だ。
だが一つ言わせてもらえるなら、彼女たちが仲良くなれた一番の功績は俺に対する悪口だと思う。誰か賞状でもくれないだろうか。
「――さて、一通り歩いてまわったが、初めての祭りはどうだった? 皇。期待には応えられたか?」
三人が口に食べ物を含み、静かになった瞬間を見計らって皇に尋ねる。
結局、クレープはみんなで一口ずつ分けることになったんだな。
「ん! …んぐんぐ………はいっ! お祭り、すっごく楽しいです‼ デメサンも可愛いですし、りんご飴も初めて食べましたが、とっても美味しかったです!」
口の周りにクリームをつけた皇は目をキラキラさせて、ぱっと花の咲いたような笑顔を浮かべる。
そんな皇を優しい目で見つめながら、一ノ瀬は仕方ないわねと言ってハンカチで皇の頬を拭う。
「……そうか。それなら安心だな?」
一ノ瀬に視線を向けて言うと。
「いいえ、まだまだこれからよ」
不敵に笑んだ彼女の言葉の意味は、きっと俺にしか分からないだろう。
俺は首を傾げる二人に思わず頬を緩めつつ、
「――だな!」




