女神に仕える者、の形
お洒落なクラシックが流れる店内。
どこもかしこも雅やかな雰囲気を放つ紳士淑女が優雅に食事を楽しんでいる。その中には俺が普段行くラーメン屋の様に、くたびれたスーツを着崩し、額に汗をかきながら激辛ラーメンをすするようなサラリーマンの姿などなく、あはは、おほほとスーツやドレスに身を包んだ男女が一々目を閉じて料理に舌鼓を打つ。庶民派な俺としては、正直言ってとても居心地が悪い場だ。
なぜこうもヨーロッパの上流階級の連中は格式ばった堅苦しい雰囲気を好むのか不思議でしかないが、これはいわば格付けというやつだ。一般的に優美だとされる作法を知っている、教養がある、余裕がある。そういう自分は他とは違うという格付けがみんな大好きなのだ。若しくは、自分はあんな低俗な連中とは違うという安心。
飯を食うためだけにわざわざ椅子には左から腰掛けるだとかドレスコードだとか、そんなものは必要ないが、そういう恰好や作法があるということが一種のブランド、上品な雰囲気づくりには大切なのだろう。それが特別な場所となり、特別な場所にいる人間、すなわち特別な人間ということになる。
つまりは見栄っ張りたちが全力で見栄を張る場、自尊心に肥をやるための場がこういういう場所なのだろう。
その可愛い可愛い付属価値に夢中になるのだから、生まれてこの方格付けランキング最底辺の俺としては悲しい限りだ。
(注意:すべて万才個人の意見です)
――チッ
「あんた、……どんな顔してんのよ。というか今、舌打ちしなかった?」
そんな底辺思考で格差社会に舌打ちしていると、隣に座る姉さんに怪訝な表情で窘められる。
危ない危ない、知らぬ間に舌打ちが漏れていたようだ。
「今日はありがとうね、さいちゃん。みんなで久しぶりに食事に行きたいとは思ったけど、まさかこんなに素敵なところを予約してくれるなんて思わなかったわ」
次々と運ばれてくる料理を楽しみながら、ふと母さんは俺に笑みを向ける。年相応の洗練された上品な笑み、その微笑みを向けてもらえる男がこの世に何人いるだろう。そういう特別感を味わえるのが、このような場の目的なのかもしれない。
「気に入ってもらえたようで何よりだよ。とは言っても、俺は予約しただけで金を払ったわけではないんだけどね」
カッコつけてはみても、結局金の出どころは母さんだ。そういうところがまだまだ自分はガキなんだということを自覚する。
もちろん俺が勝手に予約した手前、多少無理を言って予約した分の料金や、母さんのワイン代くらいは俺のお小遣いから出している。極薄財部がいよいよもって擦り切れるくらいの出費だが、まあそれはべつにいい。
レディーファーストを最重視する点は、生まれて此の方、底辺をはいずりまわっている俺でも理解できるからな。
「てゆかお兄ちゃん、今日は何かあったの? 珍しく自分の財布持って行ったけど」
薄く化粧し、少し大人っぽいドレスで幼い印象の抜けたまなみが鹿の肉をナイフで切り分けながら尋ねてくる。来る前に一応みんなにテーブルマナーなどについては確認しているので、特に問題はなかった。母さんや姉さんはもちろん完璧だったが、まなみは若干あやしかったからな。
「ああ、今日は学校で普段世話になっている先生の誕生日だったんでな。部活の連中と先生の誕生日会を開いていた」
普段あまり学校のことについてまなみから聞かれることはないため、めずらしいなと思いつつ俺は今日あったことを話す。
「不慣れな奴ばかりで大変だったが、ケーキも美味かったし……って俺食えなかったけど……。先生も喜んでくれてたみたいだし、なかなかよかったな」
結局あのめちゃくちゃに崩れたケーキは女子たち(=俺以外の連中)がぺろりと平らげてしまったからな。結構楽しみにしていただけに、少し残念だ。
「……そう。私たちも普段から先生にはお世話になっているし、今度何か催すべきかしら」
手元の料理を切り分けつつ、姉さんが考える仕草をする。
「するべきかどうかで言えば別にする必要はないんじゃないか? 先生も仕事だからな」
俺が言うと、三人から何か言いたげな視線を向けられる。
「お兄ちゃん」
まなみが諭すように何か言おうとするのを、俺は分かっていると遮り、
「いや、そういう意味で言ったわけじゃない。ただ姉さんがするべきかどうかと言っていたから、べつにそれをする義務はないって言いたかったんだ。日頃世話になっている先生に何か恩返ししたいと思って、自発的に催しをするんならいいと思うぞ」
言葉の掛け違いというのは難しい。他の家族であれば相手の言いたいことを察して、かけ違えることなく会話ができたりするのかもしれない。しかし生憎と俺達は少し前まで、その積み重ねをしてこなかった。もちろんそれはすべて俺の責任で、俺が悪いとしか言いようがないのだが、そのせいで、俺達家族は相手の言葉以外の部分をこれまでの経験から察して会話するというようなことが下手くそだ。そのため、こうして一つ一つの引っかかりを言葉にして解消していくことが大切になる。
俺が説明するように言うと、ぽかんとした様子の母さんたちだったが、少ししてなるほどと顔をほころばせた。というかまなみはなぜか「あのお兄ちゃんが立派になって」と感動したように言って俺の頭を軽くなで、母さんは瞳を潤ませていた。俺は一体どれほどの鬼畜外道だと思われていたのか。
「そ……」と一言言った切り、食事に集中し始めた姉さんは流石だと思う。
*
「うふふ、フレンチなんて久しぶりに食べたけど、とっても美味しかったわね~。予約してくれたさいちゃんに感謝しなくちゃ♪」
「というか、みんなで外食したのも久しぶりだもんね。料理も美味しかったし、たまにはこういうのもいいよね?」
「……まあ、悪くはなかったわ」
店を出てタクシーを拾うため少し歩く道すがら、前を歩く三人は楽し気に笑いあっている。その言葉の端々から、みんな満足してくれたみたいだ。
「満足してくれたようで何よりだ。まあ、俺が稼いだ金で奢れたら恰好もついたんだけどな」
気恥ずかしさを隠すように言うと。
「ふふ、それじゃあさいちゃんが大人になったらお願いしようかしら?」
母さんの言葉にまなみもにこにこと笑顔で頷き、心なしか姉さんの唇が少しだけ緩んだように見えた。
そうしているうちにバス停の近く、ちょうどタクシーが数台停車していたので、俺達は一番近くのタクシーの運転手に一声かける。ドアが開き、母さんは助手席に、姉さんとまなみは後部座席に乗り込む。三人が先に乗車したのを確認したら、まなみが少し真ん中に寄って俺も座れるように席を確保してくれるが、俺はそれに首を振った。
そんな俺の様子に母さんとまなみが首を傾げている。
「俺はこの後ちょっと用事があるから、みんな先帰っててくれ」
俺は言ってドアに手をかける。
「あら、そうなの? ……もう高校生だし、さいちゃんはいい子だからあんまりうるさく言うつもりはないけど、あんまり遅くなっちゃだめよ?」
一旦助手席から下りて、母さんは俺の顔の前に人差し指をピンと立て、幼い子供に言い聞かせるように、冗談交じりの中に少しだけ真剣さをにじませつつ言う。見ると後部座席に座るまなみもコクコクコクコクと何度もうなずいていた。
「はは、分かってるよ。もうみんなに心配かけることはしない。この後ちょっと人に会う約束をしているだけだよ。それじゃあそろそろ時間だから」
言いながら時計に目をやると、待ち合わせの時間が迫っている。あまり待たせても悪いので俺は口早に言ってドアを閉め、「またな」と手を上げて目的の場所へと歩き出す。ドアを閉める前、俺の言葉を聞いたまなみが「……は?」と見たこともないような何とも言えない顔をしていたが、ちょっと怖いので考えないことにした。
「ありゃ彼女ですかね。いや~、息子さん男前ですし、なかなか将来が楽しみ」
「「はあっ⁉」」
美しい乗客に気を良くした運転手が冗談まじりに振った話題は、ぴったりと重なった二つの凍り付くほど冷たい声によって遮られ、その道中、夏真っただ中の車内は震えるほど寒かったと、運転手の男性、岡村正明((46)は語った。
九十九麗香はそんな母と妹の姿に深いため息を漏らしつつ、大嫌いな愚弟の背中に今日の料理を重ねていた。




