憧れの友人、の形
俺の友人はとても優しい。
クラスの誰もそれに気づかず、嫌な奴だと彼を否定するけど、それもまた彼の優しさなのだとみんなは知らない。
茨の道を誰かに変わって進んで歩き、向けられる憎悪の弓を笑って受け止める。
どんな時も飄飄とした態度で、ときに言葉を間違えるけれど、しかしそれすらも誰かのためだったりする。
空気を読まず、読んでいるのにあえて無視したり、落ち込んでいる人がいればそれ以上の不幸話でその悩みすら軽くしてみせる。
誰かのためなら自己の犠牲を顧みず、傷ついても傷つけられても、誰にもそれを悟らせない。そっとその傷に手を添えて、なんでもないように蓋をする。
彼のあの赤色の瞳には、一体何が見えているのだろう。
ガラス玉のように空っぽで、木漏れ日よりも優しい瞳。
その不器用な優しさは俺の大好きな人とそっくりで、そんな彼は―――俺の憧れだ。
**
「バイト始めたって言ってたが、ここに決めたんだな」
いつもの喫茶店。
鈴宮から先輩とのことで礼がしたいと呼び出された俺は、人を呼び出したくせにいつまでも待たせるウェイター姿の鈴宮に皮肉を込めて言う。
あれから数日が経ち、鈴宮はすぐにバスケ部を退部した。うちの学校は部活動に入部することが義務付けられているのだが、バイトや他の外部活動などの理由を申請すればその限りではないと瀬上先輩が教えてくれたらしい。
レギュラーとして無責任だと言われるかもしれないが、すぐに行動に移さなければ先輩をまた不安にさせてしまうかもしれないからと言っていた。連絡先は以前この店に来た時に交換していたので、俺にもそう連絡が来たのだが、まさかこれほど早くバイトまで始めるとは思わなかった。
「すまない万才、思ったより来るのが早かったね。もう少しでシフトの時間が終わるから待っていてくれ」
休日ということもあってなかなかの込み具合だ。
午前中だけのシフトだから昼過ぎに来てくれと言われていたので正午ぴったりに来たのだが、正確にはこいつのシフトは十三時までだった。
昼食はまなみが妙に張り切って用意してくれたので、生憎とお腹いっぱい。
しかし喫茶店に来て何も注文せずいつまでも席を占領し続けるのは申し訳ないので、いつも通りコーヒーと小さめのコーヒーゼリーを注文し、それを味わいながらこの前図書館で記憶した本を読んで鈴宮の業務が終わるのを待つ。
「待たせてすまない万才、やっと終わったよ」
数冊読み終わったところでエプロンを脱いで急いだ足取りでやってきた鈴宮は、言って俺の対面に座る。前と同じ最奥の二人掛けの席だ。
「大変そうだな。始めてすぐにしてはなかなか手慣れてたじゃないか」
鈴宮が新しく自分の分のコーヒーを注文したのを確認し、俺は軽い調子で言う。
「はは……いや、まだまだ全然だよ。初日なんて何していいか分からなくてただ突っ立っていたからね。でもそう見えたのなら、俺も少しは手慣れて来たのかな」
俺の賞賛に鈴宮はそう謙遜し、けれど少しは嬉しかったのか笑顔を見せた。
なかなか仮面が剥がれてきたな。
「けどなんでここにしたんだ? お前の家からここまで結構距離あるよな?」
毎度毎度呼び出していて今更ではあるが、この喫茶店まではこいつの家から何駅かある。この前ストーカーしたから分かるのだ。
「ちょっとね。俺もコーヒーについて興味があったからね」
俺が尋ねると鈴宮はそう言って意味深な視線を俺に向けてくる。
「そうか、お前もついにこちら側の人間になったか! 皇は最近一ノ瀬に毒されてきて紅茶ばかり飲んでいるからな、仲間が増えて嬉しいぜ」
昨日も一昨日も部室であいつらと会ったが、二人とも村崎さんに誘われて紅茶研究会の方に行ったからな。いよいよ俺たちの部の主飲料がエレガントになってきた。
「はは……、これで少しは近づけるといいんだけどね」
「? なにがだ?」
ぽつりと漏らした鈴宮の声に俺が首を傾げるのを、鈴宮は「いや、気にしないでくれ」と言って店員が運んできてくれたコーヒーを一口すすった。
「それより今日君を呼んだのはこの前のお礼がしたかったからなんだ。君と会長にはとてもお世話になったからね。姉さんともそう話してて……ああ、姉さんも君には感謝してて、謝罪もしたいから今日この後……って来たね」
「は……?」
♪
鈴宮が話の途中何かに気づいたように店の入り口を見る。
その直後、喫茶店特有のあの鈴の音とともに私服姿の瀬上先輩が入店した。
「なんだ、この前のお返しか? 先輩が来るのなら先に言っとけよ」
俺も思春期男子だからな。女の子と話す時は心の準備が必要なのだ。
「これが君のやり方だろ?」
得意気な顔をする鈴宮は、やはり出会った頃より少し子供っぽかった。
*
「すみませんでした! 九十九さん」
入店するなり俺たちの姿を確認した先輩は、まっすぐこちらに歩いてきて、開口一番そう言って頭を下げた。
「……はい?」
「あっ……いえ、その前に挨拶がまだでしたっ。こんにちは、お久しぶりです九十九さん」
妙にてんぱった様子の先輩は突然俺に謝罪した後、顔を上げて挨拶する。
「は、はあ? こんにちは……」
俺はその様子に戸惑いつつ挨拶を返す。
「その、姉さんはこの前君に酷い態度をとってしまったことを凄く気にしてて……、緊張してるんだよ」
困惑しっぱなしの俺を見かねたのか、言って鈴宮が補足してくれる。
「? ひどい態度?」
と、何のことか一瞬分からなかったが、これまで先輩と顔を合わせた場面は意外と少なく、そのなかで先輩を怒らせてしまったのはいつだったかと考え、すぐにこの前のことかと思い至る。
「ああ、あれか。あれは俺の態度が悪かったんですから先輩が怒るのは当然です。むしろ俺の方がすみませんでした。本心でああ言ったわけじゃないんですが……」
先輩に謝罪されるのはどう考えても言語道断、俺がクズ過ぎてあれなので、もう手遅れかもしれないがすかさず俺は土下座……は流石に店の中なので途中で気づいてやめ、頭を下げる。
「い、いえ、あの、あれもすべて私たちのことを考えての行動だったのでしょうし、むしろ助けていただいたのは私で、そもそも九十九さんは私たちのことを考えていろいろと手をまわしてくださったみたいで……ええと、あらためて考えるとそれにも気づかず勝手にあなたに失望して、見限ってしまったことにとても罪悪感を覚えまして……ええと」
そんな俺に先輩はわたわたと口早に言って慌てている。その要領を得ない声はいつもの彼女らしくなく、彼女もまたこの前のことで変わってきたのだと思った。
……というか、先輩や鈴宮は今回のあれこれはすべて俺の手のひらの上のできごとで、彼女たちの仲を取り持ち、お互い腹を割って話し合える場を作るために行動したのだと思っているみたいだが、正直そんなことはない。
もちろん最終的な終点や、それまでの経路は考えていたし、彼女たちの意志や結論以外はおおむね予想通りなのだが、始めからこうなることを見越していたかと言われると行き当たりばったりに決まってるよね、である。
だってそもそもこいつらの家庭の事情もバラバラに知らされたし、面倒くさい友人はなかなか本音を話さないし、それですべての筋書きを考えられるのなら俺は未来が見えるのかって話だ。
つまりこれもすべて結果論で、この前の村崎先生のときとあまり変わらない、彼女たちの選択した結果だ。
「はは……万才、やっぱり君はそう言うんだね。こんな狼狽えている姉さんを見たのは生まれて初めてだよ」
俺と先輩がお互い俺が悪い、私が悪いの押し問答をしていると、そんな俺たちを静かに見ていた鈴宮が笑い出す。
「……なんかお前だけ落ち着いているのはむかつくな」
「……はい、やっぱりこの前まで初めてのバイトであたふたしていた姿を写真に残しておくべきでした」
俺と先輩はどんどんと低くなる腰を戻し、二人そろって鈴宮にジト目を向ける。
そんな俺達の視線を受けて鈴宮は、
「っ! ……あの時写真をチェックしておいて本当に良かったよ」
心底良かったと、安心したように息を吐いた。
というか……
「やっぱり先輩はこいつのバイトしてる姿、観に行ってたんですね?」
さっきの先輩と鈴宮とのやりとりから、俺はそう先輩に尋ねる。まあ、予想通りだけどな。
「当然です。真さんが迷惑をかけていないか姉として確認しなければなりませんので」
先輩は眼鏡をくいっと上げて得意げに言う。
「ハハハ……知らない間に俺のシフト把握されてて、生徒会の仕事が終わればずっとこの店にいるよ……」
疲れた目で言って、鈴宮は苦笑いする。その目はどこかまなみを相手にしているときの俺に似ていた。
「いえ、確かに真さんのシフトは初日にあなたのスマホを暗記して把握していますが、それでも万が一があるかもしれませんので、シフトが入っていない日も毎日ここを訪れていますよ?」
当然です、という顔で言う先輩。
「「………」」
「……お前も苦労してるんだな」
少しだけ鈴宮に同情した。
「は、ははは………はは」
下手くそな苦笑いだな。
…………。
まあ、それはそれとして、
「というか、そんなに先輩が張り付いていたら、結局前とあんまり変わらないんじゃないか?」
そもそもこいつがバイトを始めたのは一人立ちの一環だ。
気持ちは分からんでもないが、流石に少し自重した方がいいのではないだろうか。
「いいえ全然違いますっ‼ 私はこの店のコーヒーがとても気に入ったから毎日通っているのであって、真さんの観察はそのついでです! ……という大義名分があります」
ものは良いようだな。
というか、大義名分って言っちゃってんじゃん。
…………。
「――ですか。だとよ鈴宮、がんばれ!」
俺が言って元気にサムズアップすると、鈴宮は『ツッコまないのかい⁉』という表情で目を見開く。
もちろんツッコまない。
おかしなことを言っていると自分でも分かっているのに、それでも曲げないということは、それだけ今の先輩はイッチャッテル(ルンルン♪)ってことだ。そんな藪蛇に顔からツッコむような真似はしたくない。
とはいえ、二人の様子からもそれが今の二人のちょうどいい距離なのだろう。これまでは会いたくてもできるだけ会わないよう気を付けていた分、そのタガが外れたのかもしれないが。
「とはいっても姉さんも俺が仕事している様子を見ているだけで、話しかけてきたりはしないからね。……それに俺も姉さんと会えて嬉しいし」
最後に妙なとこもあったが、まあ、二人がいいのならいいのだろう。
「そうか」
俺は一言言って、残りのコーヒーを飲み干した。
*
「――さて、それじゃあ俺はそろそろ帰るよ。お前のバイトしてる姿も見られたし、先輩とも話せたしな」
なんだかんだと言いつつ長居してしまった。今日はまなみにおやつ作りに挑戦するから手伝ってほしいと頼まれていた。材料も買って帰らなければならない。
「もう帰るのかい? ……それじゃあ俺達もそうしようかな」
「そうですね、お二人が帰るのなら私もここにいる理由はありませんし」
……コーヒー飲んでやれよ、マスター泣くぞ。
「それじゃあ俺はこれで。……悪いな、おごってもらって。でもお前がおごってくれるのなら、もっと頼んどけばよかったな」
一度でいいから『ここからあそこまでぜ~んぶちょうだい♥』ってやつをやってみたいもんだ。
「いや、今日は俺が君にお礼がしたくて呼び出したんだし、むしろ気のすむまで頼んでくれてよかったんだけどね。それより本当にいいのかい? 何かほかにお礼を――」
「いいよ別に。話せって言ったのは俺だからな。お前の友人特権で特別にコーヒー一杯にまけてやるよ」
鈴宮の言葉を遮って気にするなと伝える。それに鈴宮は「そうか」と何かを察したように頷いて、笑みを浮かべた。
「本当に構わないのですか? それに真さんも、支払いは私が持つと言ったのに……」
鈴宮の隣でまだ納得いかないのか、先輩は申し訳なさそうに言って財布をしまう。
そう、今日の支払いは鈴宮が持ってくれたのだが、その時に誰が支払うかでひと悶着あったのだ。と言っても俺は端からお世話になる気満々だったので、俺だ私だの悶着をしていたのは二人だが。
「さっきも言ったけど、これは俺が万才に頼んだことだから、礼をするのは俺の役目だよ」
「ですが今回のことは私も」
「姉さん……。俺が何のためにバイトをしていると思う?」
先輩の言葉を遮って鈴宮は尋ねる。
「っ‼」
「これからもっと姉さんに返していくから、これはその一回目だと思ってほしいな」
それはもうとてもイケメンだった。先輩の前だといつものイケメンムーブが鳴りを潜めるこいつにしては、なかなかのクリーンヒットだ。
「……そうですね。ではここは素直にお礼を言っておきます」
納得した様子の先輩。
そして。
「九十九さん! 今回は本当にお世話になりました。会長にも既に伝えたのですが、もし今後何か困ったことがあれば何でもご相談ください」
何でも⁉ 今何でもって――(略)
「はい、それはとても頼もしいですね」
――が、
「でもそれは俺じゃなく、鈴宮や姉さん、それから一ノ瀬たちが困ったときに使ってやってください。俺はもう鈴宮が友人として体育の相手をしてくれるだけで十分ですし、今回もそのためにいろいろしたって部分もありますから」
俺が俺個人として困ることは多分そうない。ならば使わないまま放っておくのはもったいないというものだ。もったいないお化けが来るぞ。
と、俺はそれくらいの軽い気持ちで言ったのだが。
「つ、九十九さん……っ」
「万才っ……」
なぜか二人は目の端に涙を浮かべて感激していた。
「感動しました九十九さん‼ あなたは我が校の模範です! 素晴らしい人格者です! ぜひっ、ぜひ来年は生徒会に――」
「万才! やっぱり君は俺の憧れだよ! きっといつか俺も君みたいに――」
そんな興奮気味に詰め寄ってくる二人を見て俺は、
「ああ、そだな、俺凄いよな。それじゃ、またな、二人とも」
めんどくさくなってきたので適当に言って別れた。
俺が模範の生徒なら全校生徒がオール赤点すれすれになるぞ。学校崩壊だな。学生運動か。




