本物の家族、の形
鈴宮と瀬上先輩は人目も気にせずお互いに十数年分の気持ちをぶつけ合い、最後には、先輩は鈴宮の独り立ちを応援するということで決着がついた。
落ち着きを取り戻した二人が電車で帰っていくのを、俺は姉さんとともに物陰から見守っていた。
泣き腫らして、疲れ切り、今にも眠ってしまいそうな先輩に手を貸そうと伸ばした鈴宮の手を、先輩は優しく握り、二人はまるで幼い子供のように二人手を繋いで帰っていった。
その様子がまるでしっかりものの姉が頼りない弟の手を引いているようだったことは俺達だけの秘密だ。いつかその光景が、反転する未来が来るのだろうか。来るのだろうと思った。
「今日はありがとう姉さん。おかげでなんとかなったよ」
二人が乗った電車が出発するのを見送った俺は、ふと隣の姉さんに声をかける。
「……別に、あんたにお礼なんて言われる筋合いはないわよ。瀬上さんが困っているって言うからあんたを手伝っただけ。それ以上でもそれ以下でもないわ」
そっぽを向いていかにも姉さんらしい答えが返ってくる。
俺はそれに緩みそうになる頬をキュッと引き締め、
「でも、鈴宮は俺の友人だからね。結果的にあいつのためになったんだから、やっぱり俺は姉さんには感謝してるよ」
懲りることなく言うと、
「……そう。なら貸し一つ、また追加ね」
素っ気なく言って自販機へと向かう姉さん。
きっとこの結果が二人にとってどうなるのかと言えば、あまり変化はないのだろう。
別に一緒に住まないというだけで、学校では顔を合わせることもあるだろうし、二人が姉弟であるという事実は未来永劫変わりはしない。
ここに来る途中、鈴宮と話したときだ。
前に俺は鈴宮に学校を辞めるつもりだなと言ったが、流石にそうしてしまえば瀬上先輩に心配をかけるかもしれないということで、部活を辞めてバイトを始めると言っていた。せっかく一年でレギュラーなのにもったいないとは思うが、本人曰く、それは瀬上先輩に幼い頃からたくさん経験を積ませてもらえたうちの一つでしかなく、自分自身で成し遂げたことではないから意味がないらしい。相変わらず面倒くさい奴である。
これまで二人は一緒にいたいと望んでもそれができないという関係だった。
しかし今日、彼らは自分たちの意志で一緒にいないという選択をした。きっとそれが二人にとっては大切なことだったのだろう。
鈴宮は自分が先輩に依存していると言ったが、俺はどちらかというと先輩の方が鈴宮に依存しているように思えた。もちろんそれは愛情からくる故の執着なのだろうが、家族へと向ける愛情をすべて一人の人間に注いだ結果、それ以外のものが見えなくなっていたのかもしれない。
二人を見ていると、家族とはこういうものなのかとあらためて思った。
やはり”本物”のそれはすごく――……ん?
「ひゃっ⁉」
「……二つも飲めないから、一つ飲みなさい」
俺の思考を遮って、頬に冷たい感触を感じた。驚いて飛び上がる俺。
そんな俺を無視して、姉さんは脈絡なく言って購入したペットボトルを渡してくる。ちなみに二つあるうちの一つは桃味で、もう一つはただの天然水だった。俺に渡されたのはもちろん桃の味がしない方だ。
「あ、ありがとう。えっと……いくらだった?」
あまりの奇行に天変地異の前触れかと思わず天を仰いだ。異常無し。
恐る恐る礼を言って、しかし怖くなったので俺は自分の分の水代を払おうとポケットから薄い財布を取り出す。
「いいわよ別に、これくらい」
そんな俺を姉さんはいつになく優しい声音で断った。
「……ありがとう」
いいというのならありがたく頂戴しよう。そっと小銭を財布にしまう。
沈黙が流れる。
次の電車が来るまであと五分ほどある。
俺がどうやって間を持たせようか考えていると。
「結局、二人の結末はどうなったのかしら。弟さんと暮らさないってことで話はついたみたいだけど、どのみち死ぬわけじゃないんだからあまり変わらないんじゃないの?」
おもむろに姉さんはそう言って話を振って来た。姉さんから俺に話しかけてくるなんて、いつぶりだろう。
「まあ、二人にしか分からないこともあるからね。お互いに依存しあっていたこれまでの関係を改めて、新しい未来を望むようになった。そういうことなんじゃないかな」
俺は率直な考えを返す。
「……そう」
「今日の結末が終わりじゃなくて、これがあの二人の始まりなんだと思うよ」
今日の二人の答えが果たして正しかったのか。それが分かるのは、きっともっとずっと先の未来だ。
その時二人が笑っていられるのなら、友人としてそれは凄くいいことだと思った。
「あのさ、姉さん……、まなみの勉強のことなんだけど」
こんな風に姉さんと面と向かって話す機会はそうない。話すなら今だと思った。
「私よりあんたを選んだのはあの子よ。あんたの方がいいんじゃないの?」
返事は変わらずそっけなく、イエスではない。
「まなみは今日まで毎日、姉さんに渡されていたプリントを解いてたよ。一日十枚。俺はそれを見てただけ、俺じゃあまなみに勉強を教えることなんてできなかったよ」
「…………」
俺が何をするまでもなく、まなみは姉さんから渡されているプリントを迷いながらも一つ一つ丁寧に解き、間違えた問題は解説を見返し理解して学習していた。途中困っているところを手助けしたりもしたが、まなみはすでに学習の仕方が定着していて、それを教えたのは間違いなく姉さんだ。本当に、俺にできることなんて何もなかった。
今日までまなみに勉強を教えていたのは俺じゃなくて姉さんだ。
「俺のことはどうでもいいけど、まなみと一回話してやってくれないかな?」
相変わらず勉強中はプリントを解きながら軽口を叩くまなみだが、それでもその瞳の奥はどことなく陰っているように見える。
空元気というか無理をしているというか、流石に今のまなみが本調子ではないことくらい俺にも分かる。
「……ノルマは二十枚よ」
プイッとそっぽを向いてぽつりと言った姉さん。流石にムチがでかすぎませんか……。
「……この際だから言っておくけど、私はあんたが嫌いよ。大嫌い。これから先もずっと、私はあんたを否定する」
電車の光が俺たちを照らす。
光に照らされた姉さんの横顔はぼやけていてよく見えない。
ただ俺は知っている。姉さんのその感情はきっと誰よりも純粋で、清らかで、美しいものなのだと。
だから俺は。
「ああ……知ってるよ」
純粋な思いには純粋な気持ちで。
「それでも”俺”は愛してるよ、姉さん」
電車に乗り込む姉さんの顔は見えないが、その足取りは心なしか軽かった。




