自立と姉離れ、の形
姉さんは昔から厳しくて、笑った顔なんてほとんど見たことがなかった。
どんなに俺がいい成績を残しても、それでも姉さんは喜んではくれない。
俺が何をしても、姉さんはいつも通りの表情で言うのだ。
『強くなりなさい。弱いあなたはいらないの』
厳しい言葉に厳しい瞳。
姉さんは俺に一度だって笑いかけてはくれなかった。俺に弱さを見せてはくれなかった。
でも俺は知っている。
俺が習い事を受けるための費用は、姉さんが新聞配達をしたお金から出ていたことを。
夜中、疲労でフラフラの体にムチ打ち、物音を立てないようこっそりと玄関から出て行く姉の姿を、昔の俺はどんな気持ちで見ていただろう。
学校ではいつも優等生であり続け、帰ってきたら家事をすべて請け負う。幼い俺の勉強をみて、弱音一つ吐かずバイトに向かう姉さんに、俺はいつだって感謝していた。
姉さんからかけられる厳しい言葉はすべて俺のためで、辛い家庭環境の中、姉さんの存在は俺の光だった。
俺に強くなければならないと教える彼女の本音は、いつかくると分かっていた姉さんとの別れの日、その日から俺が生きて行けるようにあえて厳しく、強く成れと言い聞かせたのだ。
友達と遊んでいると親に嘘を吐き、放任主義の両親に代わって俺を育ててくれた姉さんを、俺は心から愛している。
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「――今度は俺が、姉さんを守れるようになりたいんだ!」
真さんは真剣な目でそう続けた。
日が落ちて来た駅前。人通りは少ない。
既に会長の姿はない。気を遣って席をはずしてくれたようだ。
「俺はこれまで姉さんに頼りきりで、ずっと姉さんに依存して生きて来た。でも、それじゃあ俺は姉さんに何も返せないと思ったんだ。俺は姉さんにたくさん助けられたのに、俺は姉さんのために何もしてあげられない。……俺はそれが凄く悔しくて、そんな自分が嫌だと思った」
私は真さんの話をただ黙って聴いた。
本当はすぐにそんなことない。私はあなたがいるからあきらめず生きてこられたのだと伝えたかったけれど、ぐっと言葉を飲み込んで、真さんの姉であろうと努めた。
「だから俺は変わりたいんだ。姉さんと一緒に暮らすのは凄くっ……凄く魅力的で、楽しそうで、幸せで、ずっと望んでいたことだけど、……でも俺は、一緒には暮らせない……っ」
何かを我慢するように、堪えるように言って、真さんは断言した。
ああ、そうか。
私は今になって気づいた。彼がその言葉を口にするのに、どれだけ苦しい思いをしているのか。
あの時も。……父の死の後、九十九さんに伝えた時、そして今日、今。その度に彼は一緒に暮らせないと、はっきりと拒絶を示したけれど、私はその言葉しか気にしていなかった。その言葉を言う彼の身を裂くような苦々し気な表情に、私は気づけなかった。
それは姉として、とても恥ずかしいことだった。
「俺は一人立ちして、一人の力で立てるようになって、姉さんに頼ってもらえるような存在になりたい! ならなくちゃいけない。今度は俺が……っ」
真さんは続ける。その優しい瞳からは幾筋もの雫が流れている。
私のための、私への言葉。何度も何度も、少しも私に勘違いなく、余すことなく気持ちを伝えようと真さんは言葉を紡ぐ。それはどれも彼の気持ちを精一杯言葉にしたようなもので、十六年分の彼の感謝の言葉だった。
「――俺は姉さんに凄く凄く……すごくっ、すごく感謝してるから! 俺にとって姉さんだけが家族で、俺は……っ――」
いつまでもいつまでも、少しも止まることなく続く感謝の言葉。
その声を聞いて、やっと私の覚悟は決まった。
「分かりました」
「っ……!」
私はできるかぎり落ち着いて、
「っ……わかり……ました」
姉らしく、弱さを見せないよう、
「わかりっ……ました……っ」
声を震わせないよう拳を握り、嗚咽が聞こえないよう息を止め、
「わかりました……っ。あなたの気持ちは、よくわかりましたっ。わたしはあなたといたいけどっ……、でも、あなたがそう望むのならっ……わたしはもう、なにも言いませんっ……‼」
最後まで、彼の姉であろうと思った。きっとこれが、私が真さんの姉として言える、最後の言葉だと思ったから。
「ねえさん……」
「っ……あなたが望むのなら、わたしはそれを応援しますっ‼」
だから最後に伝えようと思った。
これまでずっと厳しく接してきたから。
彼の向けてくれる愛情に、応えることを我慢してきたから。
私は彼の、たった一人のお姉ちゃん(家族)だから。
曇って見えない眼鏡を外し、震える唇をかみしめ、溢れる涙を拭って、私は精一杯の笑顔で、
「これまでもこれからも、ずっとずっと愛しています―――真さん」
――私はこの日、また一人家族を失った。




