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鈴宮真の形

 ふと考えることがある。


 たとえばバスケットをした時、華麗なシュートで試合を決めれば一躍ゲームのヒーローだ。

 たとえばテストで百点を取った時、返却時に先生が一言褒めてくれれば周囲の生徒たちは「賢いな」と褒めてくれる。

 しかし、その功績は決して自分の努力だけがすべてではない。もちろんそれもあるが、それ以上に支えてくれる誰かがいるからこそ、それは得られる。


 なら、俺はこれまで何か成し得ただろうか? 

 誰の支えでもなく、誰のおかげでもない。自分一人の力で、何かできただろうか?


 そしてその結論はいつも一つ。

 俺はこれまで、すべて姉さんに頼って生きて来た。

 姉さんのおかげでほとんどのことはこなせるようになったし、姉さんのおかげで人に好かれるようになった。

 いつもいつも、俺のそばには姉さんがいた。

 それがとめどなく温かくて嬉しくて、一生このまま居たいと思った。


 ――けれどそれは無理だった。


 心のどこかでは分かっていたことだけれど、それでも俺はそれから目を逸らして、ずっと見ないようにしてきた。ぬるま湯のような家族(姉さん)の保護下で、ただ姉さんに言われるように生きて来た。それが一番正しい道だと信じて。


 でも姉さんはそれを知っていた。いつか別れの日がくることを。

 両親が離婚して、姉さんと離れることになって、一人の時間が増えた。習慣になっている勉強や部活動の傍ら、俺は姉さんとの日々を思い返していた。それまで考えることもなかった、考えることから逃げていた、姉さんのいない日々。それから目を背けるように毎日、毎日、飽きることなく。


 そして気づいた。俺はこれまで、何か一人でできただろうか――と。

 このままではいけない。そんな不安が常に胸の内に渦巻いて、眠れない夜もあった。


 そんな時、父が事故に遭い亡くなった。

 父には申し訳ないけど、いい機会だと思った。

 すぐに姉さんは一緒に住むように母に言い、母も望んではいないかもしれないが流石に断ることもなく、また姉さんたちと住むよう話が進んだ。

 しかし俺はその話を断った。

 独り立ち。

 姉さんに依存して生きて来た人生。

 変わるなら今しかないと思った。


 ――なあ、万才。君ならこういうとき、きっと迷ったりしないんだろうな。

 

 迷わない友人。誰かを羨んだのは、初めてだった。





「今日は来てくれてありがとう、姉さん」


 万才と話して数日後、俺は話がしたいからと家に姉さんを呼んだ。

 数年ぶりに姉さんが家にいる。何年も一緒に住んでいた家。しかし随分と懐かしく感じた。


「いえ、構いませんよ、私も真さんともう一度あらためてお話ししたかったですし。……はい、紅茶です」


 言って姉さんはキッチンの方からお盆にポットとティーカップを載せて運んでくる。


「あ、ありがとう姉さん。……うん、やっぱりすごいね。俺が自分で入れるのと全然違う。美味しいよ」


 数年ぶりだというのに姉さんの所作は手慣れていて、つい昔を思い出して甘えてしまった。家事もすべて姉さんから教わったので、食器の置く位置も昔のままだ。


「そうですか。ですがこれからは私がいつでも沸かして上げますので、大丈夫ですよ」


 いつになく穏やかに言って目元を緩める姉さん。

 微笑ではないけれど、いつも表情が変わらない姉さんが時折見せるふとしたそれは昔から俺が大好きな表情で、それに曇りをかけるのはすごく心苦しかった。

 でも、今日の本題はそこなのだ。


「っ………そのことなんだけど……」


 俺は言葉に詰まり詰まりしながら、姉さんの顔色を窺うように待ったをかける。


「……やはり、今日はその話をするために呼んだのですね」

「驚かないんだね」


 案の定、姉さんの表情が陰るのを見て、俺はこれから自分が告げようとしている言葉が、果たして本当に正しいのか疑った。



「……まだ考えは変わりませんか?」


 机に向かい合って座り、一口紅茶で唇を湿らせた姉さんは早速切り出す。


「……いろいろ考えたんだけど、やっぱり俺は、姉さんたちとは一緒に住めないっ」


 この前、万才と話してからあらためて自分の中で整理して、そしてやっぱり俺はその結論に落ち着いた。

 さっき紅茶を飲んでのどを潤したはずなのに、姉さんと目を合わせられない。声が上手くでない。


「っ……どうしてですか? 私に何か至らないところがありましたか? あったのなら直します。あなたに不自由な思いはっ」

「ちがう! ちがうよ姉さん……っ! 姉さんに悪いところなんてない! 姉さんといて嫌なことなんて一つもないよ!」


 感情をあらわに声を震わせ、眼鏡の奥の凛々しい瞳を不安に染める姉さん。こんな姉さんを見たのは初めてだった。

 俺はたまらず姉さんの声をさえぎって全力で否定する。どんな理由でも、俺が姉さんを嫌っているなんて思ってほしくなかった。


「俺も姉さんと一緒にいたい。ずっとずっと、姉さんと一緒にいられるならそれがいい!」

「でしたらっ……、でしたら私たちと住みましょう? もう既に母さんには話をつけていますし、これからはずっと一緒にいられます! もう離れることはないんです!」


 俺の言葉に姉さんは期待のこもった目で言葉を重ねる。

 その様子はいつもの姉さんとは似ても似つかず、感情的になったそれからは姉さんの本気が感じられ、俺はどうしてか胸がいっぱいになった。


「っ……それでもっ……、それでも俺は変わりたい! 変わらなくちゃいけない! 自立しなくちゃ……っ! これまでみたいに姉さんに甘えてばかりじゃ、俺はいけないんだ!」


 迷いを振り切るように、自分に言い聞かせるように、俺は姉さんに気持ちをぶつける。


「っ! いいじゃないですか、甘えたままで! それでも私はあなたと……っ」

「俺もいたいよ! いたいけどっ……‼ でも、俺は姉さんに依存したままでいるのはイヤなんだ! 俺は姉さんを――」


 俺が続けようとしたとき、


「……もういいです」


 小さく姉さんがもらした声。


「……姉さん?」

「~~~っ‼ もういいですっ。……もういいですっ‼」

「っ!」


 聞き慣れた声、しかし聞いたことのないほどの大音量でリビングに響いた姉さんの声。

 自分の耳を疑った。それが姉さんの口から出た声だと気づくまで数舜を要した。

 勢いよく椅子を引き、ティーカップが倒れたのも気にせず席を立ってリビングのドアに手をかける姉さん。


「ね、ねえさん」

「っ……」


 ガチャッ―――バンッ


 振り返ることなくリビングを出て行った姉さん。

 少しして、玄関のドアが開閉される音が遠くに聞こえた。


「っ……姉さん……」


 俺は姉さんの出て行った方をただ見ていることしかできなかった。


『あなたもまた、私から離れていくんですね……』


「っっ………クソッ」


 すれ違いざま、レンズ越しに見た姉さんの涙。

 それを思い出し、俺は身が焼けるほどの苛立ちをおぼえた。こんなに自分に腹が立ったのは初めてだ。

 無意識に伸ばしていた、行き場のない右腕。爪が皮膚に食い込むほど握りしめた拳。

 痛いほどの怒りは、壁を殴ったくらいでは覚めることはなかった。



「ッ……とにかくまた話をしないと……――ん?」


 じんじんと赤く腫れた拳の痛みを無視して、俺が姉さんを追いかけようとリビングのドアに手をかけたとき、ふと聞きなじみのあるスマホの通知音が聞こえた。

 一刻も早く追いかけようと無視しようとも思ったが、なぜかそうする気にならず、俺は一度落ち着いてスマホを確認する。


「っ! これは――」


 一件のメール。


 ……本当に、君は頼りになるな。


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