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少女は考える、の形

『ごちそうさまでした~』


 会計を済ませた私たちは個々にそう告げて店を出る。

 午後八時過ぎ。すっかり遅くなってしまったイベントはお開きだ。

 『割り勘』とはいつどうやって決めるのか初めてのことで不安だったが、甘地先生がまとめて支払い、後日一人千円ずつ渡してくれればいいと言ってまとめてくれた。最初は奢ると言ってくれていたが、それは全員断った。

 とはいえ、会計用紙をちらりと見た限りでは四桁はあるように見えたので、とても一人頭千円では足りないのだが……。それを言おうとした九十九君が、

「シー。そういうときは、次回も頼むと笑ってほしいな」

 と華麗にいなされていたのでやめておいた。

 自然と次回の催しを要求するのだから、甘地先生には敵わない。ただ店主の初老の男性が妙に九十九君と親しげだったのは不思議だった。まあ、彼のことだから考えても仕方ないけれど。



 あの後、九十九君の話を聞いた私たちの間には沈黙が続いた。

 そもそも彼の話はなんの脈絡もなく、ただ例え話をしていただけなので、正直何を言っているのか正確には理解できなかった。ただそれでも彼のそのいつもとは違った様子から、彼にとって本心に近い内容だったのだとは思う。

 そのことは他のみんなも心得ていたようで、


「……なら君は、今後も卒業するまでずっとこのまま、テスト結果は変えないでいるつもりなのか?」


 口を開いたのは甘地先生。先生はいつもこういった空気の時、真っ先に空気を整えてくれる。


「……はい。先生方には迷惑をかけてしまいますが、でもやっぱり今はそのつもりです」


 彼はそう言って頷く。その様子になぜか私は少し苛立ちのような……いや、似ているけれど少し違う、不思議な感覚を覚えた。


「なら、次からはあなたを勉強会に呼ぶ必要はないということね?」


 だから少しだけ言い方がきつくなってしまった。


「……そうだな」


 私の言葉に、彼はいつも通りへらりとした顔で答える。


「っ……そう。ならもう次は――」


 自分でも何故だか分からないが、彼のそのいつもと変わらない様子に、少し腹が立った。今度は先ほどの妙な感覚ではなく、不快な方の苛立ちだった。

 しかし、私がそれ以上続ける前に、


「九十九さん!」


 皇さんが彼の名を呼んだ。それは別に特別大きいというわけでもなく、際立った高低があるわけでもない普通の声。

 しかし私は彼女の声を聞いた途端、それ以上の言葉を飲み込んでしまった。


「正直先ほどの九十九さんのお話。何が言いたいのかよく分かりませんでした。あなたが何を思って、どうしてこのような点数を取っているのか、それは私には分かりません」

「……そうか」


 皇さんの言葉に少し残念そうに肩を落とす九十九君。

 直接伝えるのは難しいから曖昧に示唆しようとしたのだろうが、言いたいことがあるのなら皇さんには面と向かって言うべきだ。私はそれをこの一か月と少しの付き合いでよ~く学んだ。


「……ですが、だからと言ってあなたのやり方を否定するつもりもありません。私は学校の先生ではありませんし、そもそもどんな点数をとるかはあなたの自由。……少し悔しい気もしますが、あなたはあなたのやりたいようにすればいいと思います」


 そこで言葉を区切った皇さんは手元のオレンジジュースの残りをグイっと一気に煽ると、


「ん、ん……プハッ……でも! でも勉強会には参加しください!」


 先ほどまでの落ち着いた様子から一変して、ドンとグラスを机に置いて声を張った。


「別にあなたのテスト結果がどんなに低くても、高くても、わざと赤点ギリギリで何を考えているのか分からなかったとしても、あなたが勉強会に参加しない理由にはならないじゃないですか‼」

「「っ……」」


 酔っぱらいのように言った彼女の一言に、不覚にも私と九十九君は揃って息を呑む。

 そんな私たちの様子を見て、先ほどまで真面目な表情をしていた甘地先生は「ハハハハ……そりゃそうだ」と愉快気に笑い、村崎先生は「うふふ、やっぱり九十九君は優しいいい子ね」と彼に見とれていた。


「九十九さんが勉強できるのなら、私の勉強を手伝ってほしいです! 今回は一ノ瀬さんのおかげでなんとかなりましたが、いつまでも自分の勉強もあるのに一ノ瀬さんに無理をさせてしまうわけにもいきません! だから九十九さん、私とお勉強しましょう‼ というか、一緒にいてください!」

「っ……わ、わたしは別に」


 聞き捨てならないことが聞こえた。まずい、このままでは私と皇さんとの二人きりの時間がなくなってしまう。

 そう思い口を挟もうとした私だったが、


「……はは、確かにそうだな、皇の言う通りだ。分かった、俺でよければ付き合うよ。いや、付き合わせてくれ。……その、俺もお前たちといる時間は気に入ってるからな」

「っ……ふふ、はいっ! よろしくお願いします!」


 皇さんのそのとても嬉しそうな表情を見てしまったら、もう何も言えなくなってしまった。見れば先生たちもニヤニヤと愛おしいものでもみるような目で二人を見ている。

 ……言っておくけれど、別に彼の私たちとの時間がどうという話は全く関係ないので勘違いしないでほしいわ。



 その後はテストのことは忘れてみんなで雑談を楽しんだ。


「――……ふふ、それでですね、一ノ瀬さん。どうして空は青いのかと尋ねたら綾さんは――」

「――へえ、流石母さんね。そういえば昔――」


 私は皇さんとの会話を楽しみつつ、ふと先生たちと別れた後、私たちの後ろをとぼとぼとついてくる彼を盗み見る。先生たちとは、二人とも車で来ていたため駐車場で別れた。


『ちなみに九十九君は私たちの学校の生徒会長、九十九麗華ちゃんの弟君だよ。彼から聞いてなかった?』

『な~んだ。やっぱり彼、なんにも話してないんだね』


「っ……」


 少し前、姉に言われたことが脳裏をよぎる。

 なんだかんだと言いつつ彼とはもう一月以上の付き合いだ。放課後はほとんど顔を合わせているし、皇さんのことや村崎さんのこと、顧問の件や些細なことではあったが喧嘩とそれに伴う仲直りなどを通して、彼のことも少しは理解していると思っていた。

 コーヒーが好きなことや意外と賢いところ。そして何より私たちの母と知り合いだったこと。

 三か月。もう来週の月曜の終業式が終われば夏休みに入る。彼との約束ではそれまでに結論を出さなければならない。……いえ、もう既に彼の入部を拒否する理由はないのだけれど。


 初めてだった。

 男子を名前で呼んだのも。皇さんのような友達ができたのも。こんなに誰かと距離が近づいたのも。すべて初めての経験だった。

 彼はどれだけ私がきつい言葉をかけても笑って流してくれる。それが心地よいと感じている自分。それも全部初めてだった。


 そういえば、彼の言っていた“犠牲”という言葉を今になって考えると、あれは彼と初めて会った時に言っていたことと重なると思った。

 あの時の別人のような彼と今日の彼。まるで様子は違ったけれど、後悔と怒り。そのどちらも彼にとっては“間違い”だったのだ。

 そのことに思い当たった今、彼がどうしてあのようなことを進んでしているのか、少しだけ理解できた気がする。

 きっと彼は――……


「――? どうかしました?一ノ瀬さん。……あ、もしかしてお手洗い」

「え、……っ! ち、違うから! というかちゃんと聞いてるから!」


 考えに集中してしまっていたようで皇さんに心配されてしまったが、それに何でもないと返す。


「………」


 ついでに後ろを振り向くと、彼は先ほどと変わらず絶妙な距離を保って私たちの後をついてきていた。電車の中でも彼は私たちの隣には座ろうとせず、少し離れたところに腰かけていた。どうせストーカーと誤解されないようにとかそんなことに気を配っているのだろう。

 責任をもって送るとか格好つけていたくせに流石は彼ね。


 ……まったく、そういうところを“彼らしい”と思えるくらいには、彼のことを知っている。


「――? どうしたんですか? 何かいいことでもありましたか?」

「え? ……っ、い、いえ別にっ」


 知らず口元が緩んでいたのを皇さんに指摘され、私はサっと目を逸らす。………違うから。

 今日彼の話を聞いて、私はあらためて理解した。私は彼のことを何も知らない。知った気にすらなれない。


「……約束だから」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 踏み込む覚悟は、もう決まった。


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