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栄光に満ちた彼の思い出、の形

「さて、ではそろそろ見せてもらえるかしら? 今回のテスト結果の反省をするわよ」


 一つ笑いが収まったところを見計らい、先ほどまでいつになく優しい目で妹の笑顔を堪能していた一ノ瀬が、いつも通りの鋭い瞳で言った。


 緩んでいた頬が強張る。


 ピシリと凍り付く皇。

 トイレに立つ俺。しかし四方八方から伸びてきた腕により強制的に着席させられた。ニヤニヤと楽し気に笑う先生たちが腹立たしい。


「なあ、それはまた今度でいいんじゃないか? ほら、今日はそのお疲れ様会でもあるわけだし……」

「だからこそでしょう? お疲れさまなのだから徹底的に疲れさせるのよ」


 分からない。何が「だからこそ」なのか俺にはまったくわからない。


「し、しかしっ」

「そうだぞ九十九。見られて問題があるのなら、少しは真面目に試験を受けるんだな。いい加減、私も君の将来が心配になってきたよ」


 一ノ瀬に続いて甘地先生までそんなことを言う。


「先生まで。……あ、でもほら、今は俺、私服だから。鞄も家においてきてるからテストなんてそもそも持ってないんです。いや~、そういうわけだから。悪いな。俺もできればみんなとテスト結果で盛り上がりたかったんだけどな」


 俺はここに来る前、一旦家に帰宅し、外食する旨を妹のまなみに懇切丁寧に誠意を込めて説明するという手順を踏んでいるため、私服に着替えなおして、鞄もその時自室へ置いてきている。今は薄い財布と携帯電話がポケットに入っているくらいで、他に荷物はないのだ。

 やったぜ、まなみ。めちゃくちゃ機嫌悪そうにしてたけどまなみのおかげでなんとかなった。……ただ帰った時が怖くて仕方ないんだけどな。


 そう思って胸をなでおろす俺だったが、もちろんそんなことは一ノ瀬達も承知していた。


「ええ、だから学校を出る前、甘地先生に頼んであなたの今回のテスト結果のコピーを持ってきてもらっているから問題ないわ。……もちろんあなたの分もよ、皇さん」

「ウェッ⁉ ……ち、ちがいますよ? べ、べつに何をしようとしていたわけでもありませんよ?」


 一ノ瀬は俺を絶望に落としたその足で、今度は先ほど俺がテストは持っていないと聞いた途端「はっ! ……その手がありました!」と小声でつぶやき、自分の鞄を持ってトイレに立とうとする皇の退路を断つ。鮮やかすぎて背水の陣どころか、もうすでにのど元にナイフが突き立てられていた。活殺自在という言葉がふと頭に思い浮かんで、俺は自分の首を何度かなでた。よかった、まだ繋がっているな。


「ってそれ俺たちのプライベートはどうなってんですか⁉ 流石に人のテスト結果を写して持ち出すのはヤバくないですか?」


 最近では個人情報がどうのこうのと言われて、家庭訪問から連絡網、運動会の保護者の参加までなくなっているような時代だ。個人のテスト結果などマジのマジで問題になるぞ。


「そうなんだよ。私も少しヒヤッとしたぞ。菫以外の教員に見つかれば本当に不味いからな」


 言って「ハハハ」と空笑いする甘地先生。ヒョイとサンドイッチをつまんで手元のコーラで流し込む。

 言っていることは普通に犯罪なのに、この人が言うとカッコよさに見とれて気にしないでいいような気がしてくるから不思議だ。


「いやいや、というか先生はいいかも……いや良くないけど、でも村崎先生は一応生徒指導でしょう?」


 誰がやってももちろん不味いが、甘地先生にはとても勝てる気がしないので、今度は村崎先生に振る。


「ええ、私も最初一ノ瀬さんに頼まれたときはもちろん断ろうと思ったわ」


 と、思いのほかまともな返答が返ってきた。

 先生は「もちろん分かっているわ」とでも言いたげな表情で、姿勢を正して手元のコーヒーのカップを両手に持つと、真剣な目で頷いた。


「ですよね? だったら」

「……でも」


 そして目を閉じて一口コクリとコーヒーを飲むと、


「でもふと思ったの。いずれ私たちは家族になる。……いえ、そもそももう既に私はあなたのものなの。私のものはあなたのもの。……なら? あなたのものも私のものじゃないか……と」

「アウト~っ‼ なんでそんなちょっと可愛く首傾げながら言ってんですかっ! 家族になりませんし、先生は別に俺のものじゃないですよ! あとジャイアンは差し出す方じゃなくて奪い取る方です! 何ですかその新手の押し売りは⁉」


 どうやら俺は思い違いをしていたようだ。甘地先生ではなく本当にヤバい先生はここにいた。というか、最近の村崎先生は俺の話になると薬でもキメてるんじゃないかと本気で思ってしまうくらい話が通じない。今も「? 何かおかしなこと言ったかしら?」とか言って目をぱちぱちさせている(可愛い)先生は本気で俺が引き取るしかないんじゃないかとそんな不安が募る日々だ。


 俺は助けを求めるべく同士である皇に目を向けるが、あいつは現在一ノ瀬にがっちりと手を繋がれて、無駄口すら叩けないほどの至近距離で見張られていた。若干距離が近すぎるのはちょっと俺にはよく分からない。

 と、俺がどうやってこの場を乗り切ろうかと考えていると。


「ふむ……確かに私たちがしたことは明確な違反行為であったな。すまない、九十九。少しやりすぎた。……でも、君は許してくれるだろう?」


 言って甘地先生が両手を顔の前で合掌し、上目遣いに俺を見上げる。その拍子に目に入ったパンツスーツ越しからでもわかる豊満な胸元と、お互いの顔が近づいたことで感じる爽やで癖のない、大人のたしなみ程度にかけられた香水の匂いが鼻腔をくすぐった。


「っ……! い、いえ、まあ、俺は別に気にしませんが」


 ずるい。でも抗えない。

 男に産まれた時点で、俺は一生先生には勝てないと悟った。

 先生にそんなふうに言われて反発できる男などいない。俺は言葉を詰まらせながら目を逸らして答える。そんな様子を見て村崎先生が唇を尖らせていたのはとても可愛かった。

 というか別に俺は何をされてもいいのだ。家族とこいつらになら、何をされたって許せる。プライバシーを侵害されようと、財布の金を抜き取られようと、ナイフで刺されたって別に構わない。

 だから俺が今これだけ渋っていたのも別に、もし他の誰かにやっていたら大問題なので言っているだけだ。


「……俺は別にいいですけど、皇はいいのか?」


 だからこそ、俺以外の被害者である皇に話を振る。

 すると彼女は、


「エエ、マッタクモンダイアリマセン。イチノセサンダイスキ」

「……分かった」


 ニッコリと顔の横一センチほどの距離から瞳孔ガン開きで瞬き一つなく見つめられる皇は、目だけで必死に俺に、

『助けてください九十九さん‼ 私たち友達じゃないですか! ねえ! ねえ⁈⁈』

 と語りかけてくる。

 そんな皇の訴えをすべて見なかったことにした俺は、どんなロボットよりも感情がなさそうなのに、どんな人間よりも恐怖で死にそうになっているその声に優しく答える。

 『あ……』と最後に小さく感情をともしたきり光を失った皇の目は、死んだ魚のようで、俺から逸れることはなかった。人が絶望に落ちる瞬間を見るのは久しぶりだな。


「……では先生、見せてもらえますか?」

「あ、ああ。ええと、こちらが九十九で……こちらが皇のものだ」


 場をまとめるように一ノ瀬が言って、甘地先生が二つに分けられたプリントの束を先ほどのごたごたの間に店員さんがお皿を下げてくれたおかげで空いているテーブルのスペースに広げる。


「ではまずは皇さんの方から」


 言って俺たちは皇のテスト結果に目を向ける。



現代国語  92点

数学Ⅰ   29点

化学基礎  53点

物理基礎  38点

生物    73点

地理歴史  66点

公民    68点

情報    51点

基礎英語Ⅰ 49点


合計    519点



「おお……、やるなあ皇。この前より65点も上がってんじゃねえか。これも一ノ瀬の特訓の成果だな」

「そっ、そんなに褒められると照れますね……。……ありがとうございます」


 と、俺が素直に賞賛したのだが、


「ふむ……、思った以上に化学や世界史で落としているわね。ケアレスミスがなければどれも70点は超えられたはずよ。数学と物理……はまあ仕方ないにしても英語、これもあれだけやったのに簡単な単語の綴りミスが多いわね。だから読みながら覚えた後、確実に書けるようにするよう言っておいたのに。……全体的にみて今回良かったと言えるのは現国ぐらいかしら」


「は、はい……」

「「「………」」」


 各教科の採点が終了されているテストを一通りぺらぺらとめくりながら、一ノ瀬は淡々と今回の皇のテストを評価した。

 その先生よりも先生のような容赦のない評価に、本職である教師二人と俺はドン引き。先ほどまで俺に褒められてテレテレと頬をかいていた皇は泣きそうな顔で頷いていた。


「……では次はあなたね」


 お次は俺。その結果は、



現代国語  32点

数学Ⅰ   32点

化学基礎  32点

物理基礎  32点

生物    32点

地理歴史  32点

公民    32点

情報    32点

基礎英語Ⅰ 32点


合計    288点



「「「「………」」」」


 みんなの視線が痛い。俺はしれっと視線をはずす。目が合った初老の店長に「ガンバッ」とサムズアップされた。……ウインクを返すと、後ろの女性店員が投げキッスを返してくれた。


「ああ……その、……テスト中すっごい腹が痛かったんだよ」

「「「「………」」」


 重たい沈黙。


 先に口を開いたのは、やはり一ノ瀬だった。


「あなた……やる気はあるの? 今回のことといい前回のことも。あなたはどうしてこんなしょうもないことをするの?」


 その声には怒りよりも呆れの方が多かった。

 ……当然だな。俺は裏切ってしまったのだ。こいつらがせっかく時間をとってくれて、村崎先生は俺のために忙しい時間を割いてテスト勉強に付き合ってくれた。それをすべて台無しにしてしまったのだ。


「……そうだな。いい機会だ。そろそろ聞かせてくれないか? 私もいい加減気になっていたんだ」


 甘地先生もまた神妙な面持ちで一ノ瀬に続いた。


 一ノ瀬や先生はもはや答案を見ることもしない。ただ俺の方を向いているだけだった。その様子に俺はふと少し前、この部に入部したときのことを思い出した。


「…………」


 問い詰められて言葉をなくす俺だったが、


「言いたくないのなら言わなくてもいいのよ九十九君。あなたがどうしてこんなことをしているのか分からないけど、でもあなたにはあなたの考えがあるのでしょう?」

「……先生」


 今回一番思うところがあるはずの村崎先生は、そう言って微笑を浮かべる。

 先生のその答えには俺だけでなく、一ノ瀬や甘地先生も驚いていた。


「……ただごめんなさいね」


 だから俺はその後に続いた先生の言葉に耳を疑った。


「なんで先生が?」

「もしあなたに何か事情があって、私たちの理解できない考えがあってこういう結果を望んでいるのなら、私は迷惑だったわよね」

「っ!」

「「………」」


 先ほどまでの和気藹々したとした空気はなく、重たい沈黙が場を支配した。


「九十九さん……」


 皇が何かを我慢するように、心配そうに声を漏らす。



 ああ――違う。違うんだ。俺はそんな顔をさせたいんじゃない。先生を迷惑だなんて思ったことはない。

 違う。俺が皇にしてほしかったのは、そんな顔ではない。そんな顔をさせるために、今日の催しを主催したわけではない。



「……例えば、一人のマラソン選手がいて、彼は前しか見ないとします」


『?』


 突然の独白に、みんなは困惑したように首を傾げている。

 だが俺はそれには構わず話を続ける。


「前だけを見て、決して後ろは振り返らない。ただ一つの目的(ゴール)に向かって、それ以外のすべてから目を逸らして走り続ける」


 懐かしむように、懺悔するように、俺はこの場のすべてから目を逸らし、脳裏に焼き付く記憶の扉の前に立つ。


 ピアノ、ヴァイオリン、ギター、フラダンス、茶道、華道、柔道、剣道、空手、合気道、護身術、将棋、チェス、囲碁、算盤。バスケットボール、サッカー、バレー、水泳、卓球、フェンシング……etc……。


 とにかくありとあらゆるものに挑戦し、そのすべてをマスターした。挫折どころか、ほとんど努力することなくこなせた。勝つつもりで挑んだ勝負には負けることがなかった。


「……いつかその答え(ゴール)にたどり着いたとき、きっと分かると思っていた。すべて手に入ると。それが最も正しい選択だと、そう思い続けて、走り続けて来た」


 目に浮かぶのは沢山の経験と賞賛の声。しかしその声のほとんどに心当たりがなかった。絶対に忘れることのない頭脳を持ちながら、誰一人としてまともに認識していなかったことに、我ながら呆れた。


「……でもある時ふと立ち止まってしまうんです。理由はなんでもいい。走ることに飽きたとか、ふと周りに目が向いてしまったとか。ちょっとした些細なきっかけでした」


『――少年』


 いつだって、きっかけをくれたのはあの人だった。


「立ち止まって、周囲を見回したとき、彼は見てしまったんです。気づいてしまった」


 胼胝(たこ)だらけの指で、小さなトロフィーと二位の賞状を抱える幼い少女。震える背中。

 痣だらけの身体で、必死に繰り出される拳。空を切る度、悔し気に顔をゆがめる彼。

 泣きながら退場する男の子の頭をガシガシと乱暴に撫でまわし、涙だらけの顔で、厳しい言葉とともに励ます父親の姿。

 隈だらけの目で死に物狂いに盤上を睨みつける大人たち。痛む身体にムチ打って、最後の一手まで勝つための思考をやめなかった雄姿。


 そしてそんな彼らの努力を、情熱を、すべて嘲笑うように、あっさりと勝利を手にする―――“(オレ)


「……彼が走り続けた道の後ろには、おびただしい数の人間の犠牲があったんです。彼が一歩進むたび、知らない誰かが涙を流していた。……怖いって、言われたんです」


「「「「っ……」」」」


 俺の言葉にみんなが息を呑むのがわかった。

 俺は閉じていた目を開き、一ノ瀬たちの方を見る。

 そして「ふっ」と口元をゆがめて、


「……それを知ってしまったら、もう前に進むことなんてできないでしょう?」


 いつも通りの軽口を叩いた。


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