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兄と姉、の形

「よし、数学は一通りできるようになってきたな。それなら今度は社会にするか」


 週はじめの日曜日。

 いつも通り昼前に起床した俺は現在、スパルタな姉に代わって妹のテスト勉強に付き合っていた。


「は~い、了解。ならまずは、お姉ちゃんが作ってくれたこのプリントの問題からやるね」


 言ってまなみはきちんと整頓された鞄の中からパンパンに膨らんだファイルを取り出し、その中から数枚の問題プリントを取り出して机に広げる。基本家事万能なまなみは整理整頓もお手の物なのだ。


「歴史か。……まあ、中学の社会科なんてほとんど暗記だけどな」


 先生から配られるプリントの赤字の部分を覚えておけば何とかなる。特に成績以外に興味がないやつはそれで十分だろう。

 とは言っても、意外と分かってきたら面白いんだけどな、歴史。思っている以上に過去から学べることはたくさんある。地震の予想なんてほとんどが歴史的見地からの予想らしいし。


「それは分かってるんだけど……、でも私暗記にがて~」


 言ってまなみは広げたプリントの上に身をかぶせる。


「泣き言言ってても仕方ないだろ?」

「ちぇ~、……そだね。なら、はじめよっか♪」


 そう言って頬を膨らませ、渋々だという体を装いつつまなみは「ふふ」っと笑ってプリントの上にシャープペンを走らせ始める。


 思ったよりすらすらと回答欄を埋め始めるまなみ。かるく見た限りではそこまで間違いもない。

 ……なんだかんだ言いつつ、これまで姉さんのスパルタ指導についてきたんだもんな。

 想像以上に賢かった妹の姿を眺めながら、思ったより暇を持て余した俺は目を閉じ、一人思考に耽る。


 ……というか、そもそもなぜ今現在、姉さんに代わって俺がここにいるのか。

 いつもは死んだ魚の目でペンを握るまなみが妙に上機嫌な様子に心癒されながら、俺は今朝の出来事を思いだす。




 チュンチュンチュンチュン。


 小鳥のさえずりが鼓膜を揺らす爽やかな朝。


「ん、んん~………むにゃむにゃ……」


 チュンチュンチュンチュンチュンチュン―――――ガタンッ‼


 バンッ‼


「もうっ! なんでそんなことばっか言うの⁉ お姉ちゃんのいじわる! もうちょっと優しくしてくれたっていいじゃん‼」

「いじわるって……あっ、……こら、まなみ! 待ちなさい! あんたのためを思って言ってるんでしょう⁉ だいたい、こんな問題にいつまでも躓いてるのを見て、どこをどう優しくしろってのよ……‼」


 ドタンッ。バタンッ。ガタン。ドドドドッ。

 朝から可愛い姉と妹の怒鳴り声というエレガント極まるモーニングコールに目を覚ました俺は、


「むにゃむにゃ………なんだ夢か」


 瞬時にこれは夢の中なのだと結論付けて、可愛い妹か幼馴染に「もう~、に~におきろ~♥」と布団をはぎ取ってほっぺにキスされる現実へと、本当の愛を求めて浪漫飛行へインザスカイ。


 ドドドドド――――バタンッ。


 ………ん? バタン?


「おに~ちゃ~ん」

「グへェッ……」


 絶叫そのまま俺の部屋に飛び込んできまなみ。勢いそのままに、睡眠中の無防備な姿の俺の腹に飛び乗る。

 呻く俺。


「おにいちゃん助けてよ~。お姉ちゃんがいじわるばっかり言うんだよ?」


 朝から人の腹に飛び乗りかました妹は、そのまま俺の腹の上から退くことなく、それどころか腹を抑えようと上半身を起こした俺の首に抱き着いてすりすり体をこすりつけるように俺の首を落としにかかる。俗にいうだいしゅきホールドの形だ。

 朝からスキンシップ強めの妹に死にそうになる兄。


「ヷ、分かったから……ウ……分かったからまなみ、いっだん……いったんそこどいて……」


 死にかけのカエルの様に青い顔となっている俺には目もくれず、まなみはさらに言葉を続ける。


「もうお姉ちゃんに勉強教わるのやだよ。ねえ、代わりにお兄ちゃん教えてくれない?」


 そう言ってまなみはやっと俺の首から手を離し、顔の前で可愛く合掌。そのまま上目遣いに首をコテンと傾げておねだりの構えだ。


「っ…ハアッ……ハア、ハア……」


 可愛い妹のおねだりだが、正直今の俺はそれどころではなかった。

 やっと締め技から解放され、薄れかけた意識を取り戻した俺は、必死に足りなくなった肺の酸素を補給する。


「ねえお兄ちゃん、お願い、お姉ちゃんの代わりに私に勉強教えてよ」

「ハア…ハア……え? ああ、別に構わないぞ」


 だからだろう。

 この時の俺が、何の考えもなく、適当に妹に返事をしてしまったのは。


「……へえ、そう。あんたが私の代わりにまなみの勉強見てあげるの」

「「っ……!」」


 だからだろう。

 いつもなら絶対に言わないだろうことをまなみが口走り、それに気づくことなく俺が返事をしてしまった。

 そしてそのことを、最も聞かれたくない相手に聞かれてしまったのは。


「お、お姉ちゃん⁉ っち、ちがうの! い、今のは冗談って言うか……えっと、その……」

「………」


 慌ててベッドの上(俺の上)から飛び降りたまなみはわたわたと言い繕う。

 俺は話した方が余計面倒なことになると判断し、無言のまま姉さんの方を向いた。

 正直このまま二度寝を決め込んでしまいたい。

 姉さんはまなみが続ける言い訳を聞き流し、ある一点、ベッドの上で正座する俺の目にのみ視線を向ける。


「「………」」


 見つめあう俺達。

 まるでこの部屋に俺達二人しかいないような気がしてくる。


「――でね、お姉ちゃん、今のはまったくの冗談でね、ただお兄ちゃんとじゃれてただけっていうか」

「いいわよ、別に」

「……え」

「………」


 ふいに目を閉じた姉さんは俺から視線を逸らし、それまでまったく相手にしようとしていなかったまなみの方を向いてそう言った。

 困惑するまなみ。

 俺はただ黙ったまま姉さんの言葉の続きを待った。


「別にいいわよ、まなみ。あんたが私に勉強を教わりたくないって言うんなら、それでも。そもそもあんたが私に勉強を教わらなきゃいけない義務も、私があんたの勉強を見なきゃいけない義務もないんだから。ただ私はあんたに頼まれて勉強を教えていただけ。ちょっと熱が入ってしまったけど、元をたどればそれまでなんだから」

「っ……‼ ご、ごめん! ちがうのお姉ちゃん。わたしはっ」

「何も違わないわ。……それに謝るのは私の方よ。悪かったわね、今まで私の我儘を押し付けて。でももうその必要もないわ。これからは毎週末に何十枚もプリントを解くことも、同じ問題を間違えただけでペナルティとして夕飯のおかずを私に渡すこともしなくていい。これからはきっと、お兄ちゃんが優しく教えてくれるわよ」

「っ……お姉ちゃ」

「それじゃあ私はもう行くわ。私も明日からテストだから。あんたに割く時間が必要なくなった分、今回はいつもより楽になるわね」


 最後にこちらにちらりと目をやった姉さんは、そのまま部屋から出ていった。


「……お兄ちゃん」


 何か言いたげな表情のまなみに俺は、


「ああ、……勉強するか」


 そう言ってベッドから出た。

 不思議ともう、眠気は感じなかった。


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