涙の理由、の形
「それで、そんなに真剣に考えてたことって何なんだ?」
結構な大声で皇も先生も話していた。それでも乱れないほど、こいつを集中させていたこととはいったい何だろう。
「いえ、まあ、別にたいしたことではないけれど、……その、昨日あまりにも皇さんのできが悪かったから、どうやって教えればいいかシミュレーションを」
言いにくそうにちらと皇を見やりながら、言葉を選んで話す一ノ瀬。
最近気づいたことだが、こいつは意外と人に気を遣う質のようだ。いや、俺は遣われたことはないから皇限定かもしれないが。
それにしても、一ノ瀬があれほど真剣に悩んでいたのは、この集まりの目的であった皇の学力についてだったのか。
『…………』
一ノ瀬の言葉に気まずそうに俯く先生たち。皇に至っては若干嬉しそうに頬を緩ませつつ、それ以上の罪悪感でなかなか愉快な表情をしていた。
「それで、結局何の話をしていたのか教えてもらえるかしら? 正直私は先生が殲滅するべき敵だということしか認識していないのだけれど」
こいつ……、まだ先生が貧乳いじりしたことを根に持ってんのか。というか先生は妹の村崎さんに言ったのであって、こいつの乳については一言も言っていないのだが……。
ギロリと一ノ瀬に睨まれて、「ひっ」と悲鳴を上げて怯える生徒指導担当。
またしても会話が逸れそうなので話を進める。
「ならまずは俺の疑問から聞かせてもらっていいか? 今日は昨日の続きの勉強会だと聞いていたんだが、どうして村崎さんがいるんだ?」
部屋に入った瞬間からいて、しかも泣いていたのでそのまま流したが、まずはそれが疑問だった。
「わ、私は昨日ここで勉強会をしたと姉に聞いて。……め、迷惑だったでしょうか?」
怯えたように声をしぼませる村崎さん。その様子を見て気づく。
「いや、悪い、聞き方が悪かったな。ただ純粋に疑問に思っただけなんだ。迷惑なんて思わないから気にしないでくれ」
危なかった。コミュ障のコミュ障たる理由は、こうした些細な言葉の掛け違いによる誤解に気づけないことだ。言葉は難しいな。
「それについては私にも連絡があったから知っているわ。……あなたが泣きながら入ってきたときは驚いたけれど」
一ノ瀬が補足する。
「では村崎さん。どうしてあなたが泣いていたのか。それを教えてもらえるかしら」
やはり話の論点はそこか。
何となく察しはつくので嫌な予感がしなくもないが、聞かないわけにもいかないだろう。
「そうですね。多分、噂の真偽もそれを聞けばわかりそうですし」
皇がそう言って一ノ瀬の言葉に続く。先生もまたその視線を妹に向けていた。
「えっと、その、実は――……」
それから村崎さんは昼間の一件について話し始める。
段々と三人の視線が村崎さんから俺に移り、そのクズでもみるような視線を向けてくる様子は、木綿で首を絞めるという言葉がしっくりくるような、ぞくぞくする感覚でした。
*
「最低ね」
「最低ですね」
「ごめんなさい。恩人にこんなこと言いたくはないけど、でもあなたは最低だと思うわ」
お手本のような最低。
俺の底は一体どこなのだろうか。温度ですら絶対零度という限界があるというのに、俺の底は底知れないな。
「いや、でもあの場合仕方ないだろ?」
何せ話しているだけで村崎さんが俺に手籠めにされていたからな。
どこをどうしたらそうなるのか不思議だが、俺は女の子を泣かせるくらいなら自分の玉を潰す男だ。
「……馬鹿ね、あなた」
「ええ、九十九さんっていつもはあれですけど、こういうとき結構頭悪いですよね?」
全否定されてしまった。不思議だ。俺がしたことはどう考えても正しい判断だと思うのだが。
「まったく、あなたは出会った時からちっとも変りませんね」
「っ」
呆れたような皇の言葉。
彼女からしたらただ思ったことを言っただけなのだろう。しかし俺はその言葉に思考が一瞬停止した。
変わっていない? 変われていない?
ダメだろ、それじゃあ。それじゃあ俺は何のために変わったんだ? いや、変われていないのか?
「九十九さん?」
「……え、ああ、いや、何でもない。変わってないなんて当たり前だろ? 人間そう簡単に変わるわけない」
言っていて、自分の言葉の矛盾に気づく。しかし今は何とか形にして返せただけでマシだ。
「? まあいいです。それよりまだ聞いてませんよね? 村崎さん、どうしてあなたは泣いていたんですか?」
皇の言葉に俺たちの視線は村崎さんに向く。
「ええ、そうね。多分それを聞けば、あなたの行動がいかに愚かだったか分かるはずよ」
「ふふ、不器用なところも素敵よ、九十九君」
なんか先生だけおかしいが、今は聞き流そう。
「えっと、その、……あらためて聞かれると恥ずかしいですけど」
照れたように頬を赤らめる村崎さん。普通泣いた理由などをこれほど何度も聞かれたらもっと恥ずかしがると思うが。
まあ既に彼女の泣き顔はたくさんみているからな。今更そこまで恥ずかしがることもないのかもしれない。
「……お昼、九十九さんが立ち去った後、みんな私にすごく優しくて。良く分からないけど、たくさん励まされました」
「? それならいいんじゃないのか? 泣くようなことはないように思うが」
心底分からないと首を傾げる。
そんな俺に三人は「はあ……」と呆れたようなため息を吐いた。
「その、私にはみんなとても優しかったんですけど……。みんな私を励ますとき、必ず九十九さんを悪く言うんです。セクハラ野郎とか性犯罪者とか。クズやカスなんてことも言っていて、みんなで訴訟しようなんて話も」
「よし、もういい分かった。それ以上は俺泣いちゃうから」
分かってはいたが、実際に聞いてみると心が折れそうだ。
「黙って聞きなさい、九十九君」
先生に言われて、渋々村崎さんに続きを促す。
「みんなが話す九十九さんは、私の知っている九十九さんとは全然違って……。いえ、分かっているんです。あんなことを言っているのを聞いたら、勘違いしてしまうのは分かるんです。ですが……、その、九十九さんがあまりにも悪く言われているのを聞いていたら、胸のあたりが痛くなって。なんだか悔しくって。なんでかわからないけど、その、九十九さんはとても優しくて、私たちのことも助けてくれて。言い返してやろうって思ったんです。九十九さんはそんな人じゃないって。本当は優しい人なんだって。でも、これは九十九さんが私のことを思ってやってくれたことだから……、その、我慢して」
言いながら、その時のことを思い出したのか悔しそうに唇をかむ村崎さん。
見れば先生たちも複雑そうな表情を浮かべていた。
「ああ……なるほどな。……悪かったな、もう少し考えて行動するべきだったと思う」
結局また俺が間違えたのか。
俺が勝手に行動したから、また村崎さんを泣かせてしまった。
俺がまた選択を誤ったから、こいつらにこんな顔をさせている。
……そういえば以前にもこんなことを言われたな。確か甘地先生に説教されたときだったか。
その後もまなみに叱られた。
「そうか。マジで変わってないんだな、俺」
ふと漏らした声に、一ノ瀬たちは首を傾げる。
それに「いや、何でもない」と苦笑交じりに返した。
変わらないのか変われないのか。
答えはもう既に出ている。
ただそれでも否定したいだけ。全てを否定して、否定されたくて、それでも肯定を望むのは、やはり俺がガキだからだろう。
「すまなかったな。……次からは気を付ける」
言って俺は席を立つ。
「どこへ行くの?」
「悪いが今日は先に帰らせてくれ。少し腹の調子が悪いんだ」
一ノ瀬に尋ねられ、適当な理由を返す。いや、腹の調子が悪いのは本当だ。と言っても今朝はあれだが、今は落ち着いている。つまりはまあ、嘘だ。
「……そう。明日はあなたも参加するのよね?」
「ああ、俺は成績が悪いからな」
それを最後に、俺は扉を出て、後ろを振り向くことなく扉を閉めた。
また明日。
彼女たちの声が重なったのを後ろに聞きつつ、俺はまた一つ意味のないため息を吐くのだった。




