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エピローグ

「そうですか……。まさか本当に何とかするとは思いませんでした」


 次の日の放課後。

 生徒会室の扉を叩いた俺は、瀬上先輩に村崎先生が顧問を引き受けてくれたことを報告した。別に先生が諸々の手続きを済ませてくれているので必要はないのだが、親身になってくれた瀬上さんには直接報告しておきたかった。

 そう、本当に親身になってくれた瀬上さんには。


「いえ、これも先輩のおかげです。ありがとうございました」


 言って俺は軽く笑う。


「っ、いえ、私は何もしていませんので」


 傍から聞けばただのお礼に聞こえるだろう。けれど先輩には俺が勘づいていることが分かったようで、僅かに動揺を見せた。


「そうですか。まあ、そういうことにしておきます。でもやっぱり感謝してるってことは伝えておきたくて。どうですか? 俺は先輩の期待に応えられましたかね」

「……ええ、期待以上です」


 その言葉が聞ければ十分だ。俺は、用事は済んだとばかりに席を立ち、


「ハハ、では、俺はこれで。……あ、最後に一つ」


 最後、杉下さんのように去り際に一言残す。その視線は先輩の奥。会議室と書かれた表札がついているドアの奥だ。


()()()に伝えておいてください。……助かったよ、と」


 言って俺は先輩が何かを言う前に廊下に出てドアを閉めた。




 多分、村崎さんは一度生徒会に相談に行っている。

 映画館で俺が「本当かどうかも分からないうわさ話を頼りに俺たちを訪ねて来た」みたいなことを言った時、尊敬していると言われて驚く前に少しだけ、申し訳なさそうな顔をしていたのを見逃さなかった。

 瀬上先輩の様子からもいろいろと察することができたしな。多分生徒会の”誰か”が口止めしたのだろう。


「……まったく、ツンデレなのは一ノ瀬だけじゃないみたいだな」


 もうすぐ七月。日の当たる廊下。運動部たちの威勢のいい掛け声を聞きながら思う。

 あいつら夏服なんねえかなあ。



**



「へえ~、さっすが麗華ちゃんの弟だね。口止めしてたのに全部バレちゃってたみたいだよ? しかも見事翠ちゃんの悩みを解決して、その上自分たちの部も守っちゃった♪」


 万才が去った後、生徒会の奥、扉で隔たれた会議室の中から二人の女子生徒が出てくる。


「別に、あれくらい当然よ。というか多分、私たちが奥にいたのもバレてたわね」


 この学校の生徒六百人余りの頂点に立つ彼女たちは、さきほどこの部屋から出て行った一人の生徒について話している。

 真っ黒な黒髪にこれ以上ないほどの完璧な容姿。ニッコリと細められた目は魅惑的で、彼女が今とても上機嫌であることが一目で分かる。

 一方、明るめの髪に鋭い瞳。忌々し気に彼が出て行った方を見つめる彼女は、誰がどう見ても不機嫌そうだ。


「え~、そんなこと言っちゃって~。本当は嬉しいんでしょう? 自慢の弟君に褒められて」


 そんな不機嫌そうな彼女にまったく遠慮のない様子でからかう黒髪の美女。


「フンっ。今のあいつに褒められたって、不愉快なだけよ」

「ふーん……。なら、いつのアイツになら褒められたいのかなあ~?」

「なっ⁉ べ、べつに褒められたくなんて――」



 そんな先輩二人の会話を聞きながら生徒会書記、瀬上飛鳥は考える。


 彼、九十九万才とはいったい何者なのでしょう?

 彼にはばれていたようですが今回、村崎先生について村崎さんから始めに相談を受けたのは我々生徒会です。育才部の噂は聞いたことがあっても、流石に本当かどうか分からなかったのでしょう。

 詳しい内容までは聞きませんでしたが、彼女が姉である村崎先生との間に何らかの問題を抱えていて、どうしたらいいか分からなくなっているというような相談を受けました。

 もちろん何とかしようと試みた私ですが、それに待ったをかけたのが今、副会長にからかわれて美しい顔を真っ赤にしている我らが生徒会長、九十九麗華つくもれいか先輩です。この前の会議では育才部に先輩の弟が入部したと聞いた途端、すぐに「廃部にしましょう」と言っていたのに、なぜだか村崎さんに先生とのことについて困っていると聞いた途端、

「それはこの二つ上の階で女の子といちゃついてばかりいるうちの愚弟に相談しなさい」

 と言って私に彼らの部について説明するように言いました。私が説明を終えるとやはり見ず知らずの他人、しかも同級生に相談するということで不安そうな顔を浮かべる彼女に先輩は、

「そんなに不安にならなくても大丈夫よ。今のあいつなら、何を頼んでもきっと解決してくれるわ。……多分」

 最後に余計不安なことを言って彼女を励ましました。……まあ、不安がっている彼女を副会長の一ノ瀬華(いちのせはな)さんが「私の可愛い妹もいるから大丈夫」だと励ましていたのは流石副会長ですが……。

 それにしても、いつもは常に正しく何事もそつなくこなしてしまう会長や副会長ですが、どうにも弟や妹のことが絡むとよく分かりません。……私も人のことは言えませんが。

 今も九十九君についての話題で、

「イケメンで賢い弟なんて麗華ちゃんがブラコンになるわけだ~」

 とからかう副会長と、

「いい加減にしなさい! あんな愚弟、嫌いに決まってるじゃない!」

 と何故かその標的を弟の九十九君に向ける会長。


 そんな会長たちを見て、私も少し弟のことについて考えるのでした。



**



「今回は私からも礼を言うよ、九十九。ありがとう」


 それから数日後。

 いろいろと協力してもらったこともあり、村崎さんたちからも許可を得たので、ある程度の事情をかいつまんで甘地先生に伝えると、先生はそう言って心底安心したように微笑んだ。


「いえ、村崎先生にも言いましたけど、別に俺たちはただ部活をしただけですから。それに言い方は悪いですけど、結果的に村崎先生たちをうまいこと利用して顧問を押し付けたようなもんですし」


 というかみんな結構喜んでくれたりするが、俺は正直とても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。珍しく褒められても後ろめたいとは、流石俺。


「ふふ、まあ、君ならそう言うだろうな」


 呆れたような、面白がっているような声音で言った先生は少しの逡巡のあと。


「……菫はね、私の大学の後輩なんだ」

「ああ、そういえば先輩って言ってましたね。あれって大学のって意味だったんですね」


 思い返せば、先生には伝えていないといった時の彼女は心底ほっとした様子だった。他人に話せないようなことだから当然だと思っていたが、どうやらそれだけが理由ではなかったみたいだな。


「本当は分かっていたんだ。彼女が何か悩みを抱えていることも。去年だったか。彼女は生徒指導を任されて、随分と苦労していた。悔しいことに私には何もしてやれなかったが、いつ頃からか顔色が良くなってな。思えばその時にその彼と出会ったのだろう。寂しさや虚しさを恋人で埋めることはよくあることだ。詳しくは聞かなかったが、私もそれで安心していたんだよ」

「……でも結果は違った」

「フフ、君は相変わらずだな。ああ、まさかその恋人が既婚者だったとは」


 俺の知らない話。しかし少し考えればわかっただろう話。

 なぜあそこまで村崎さんが先生を気にかけるのか。どうして先生はあれほど三島に固執するのか。

 知っていても何がどうなったかは分からないが、それでもその背景にまで気を配ればもっとうまいやり方があったかもしれない。


「なら、俺はまた先生を傷つけてしまったんですかね」


 彼女たちは笑っていた。でも結局、先生の寂しさまでは埋められない。


「いや、それはどうかな。菫はその恋人に居場所を求めた。けどそれは本来不要なものだ。菫はそもそも一人ではない。君も見ただろう? 誰よりも彼女を思う人間がすぐ近くにいる。それをあらためて知ることができたんだ」


 先生のその言葉に、一人の少女の顔が頭をよぎる。

 誰よりも姉思いで、いつだって先生の幸せを願っているその少女。

 ……そうだな。確かに先生の言う通りだ。俺でさえ知っている。誰が一番村崎先生を思っているかなんて。


「それにこれからは君たちもいる。君たちも、菫の居場所だよ」

「……それは、なかなかの不良物件に当たりましたね」


 言いながらも俺はそれに納得していた。

 孤独な人間が求めるものなど決まっている。

 温もり。居場所。

 図らずも先生を俺たちの顧問にしたことは、思った以上に価値のある結果だったみたいだ。



「本当に、君たちのおかげで菫は壊れずに済んだ。……ただ、私としては少し悔しいがね」


 言って先生は下を向く。見るとその拳はきつく握られていた。


「できることなら私がなんとかしてやりたかった。菫は私の後輩で、そして友人でもある。そんな彼女が苦しんでいることに、気付けもしない。気づいても、何もできない」


 落ち着いた声音。そのはずなのに、どうしてかとても心がざわつく。


「……結局、私は弱いままなんだよ。だからありがとう、九十九。本当に、君がいてくれて助かったよ」


 言ってそのすらりと長く美しい指が俺の髪をなでる。その目には、どこか憧憬のようなものが感じられた。


 嬉しいはずだ。いつもの俺ならここで一言「ワンワン、このまま僕を一生飼ってください」とでもくだらない冗談を言うだろう。

 でもどうしてだろう。否定したい。それは違うと伝えたい。先生はずっと強い人間で、優しい人間で、俺なんかよりもずっと価値のある人だと言いたい。

 なのにその先生の目を見ていると、その落ち着いた様子を見ていると、何も言えなかった。何も言うなと言われているようで、俺は言葉を飲み込むしかなかった。


「もっと強くて優しい大人に、私はなりたかった」


 去り際。息を吐くようにこぼした彼女のその一言は、しばらく俺の中から消えそうになかった。


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