ある姉妹の選択、の形
「今回あなたには本当にお世話になったわ。……ありがとう」
特別教室棟の屋上。
放課後、村崎先生に呼び出された俺は今、彼女と向かい合って立っている。
「いえ、俺は部の依頼を解決しただけですから。それに結果的には先生の恋路を潰しただけですし」
別に俺としてはどちらでも良かった。村崎さんの笑顔を選ぶか、それを捨てて三島とともに世間と戦うか。どちらの選択をしても、俺はいいと思う。ただ一番好きだと言いながら、愛していると言いながら、世間体や今の生活を気にして選ぶことから逃げて、それで俺の依頼者に涙を流させる三島や先生の現状が、気に入らなかっただけだ。
「今更ですけど、いくら村崎さんの依頼があったからとはいえ、人様の事情に他人が首を突っ込みすぎました。いろいろと失礼なことも言ってしまいましたし、……本当にすみませんでした」
言って俺は頭を下げた。
けれど先生は困ったように苦笑した後、
「あなたに頭を下げられてしまったら、一体私はどれだけ深く謝ればいいのか分からないわね。それに、……あなた自分で他人じゃないと言ったじゃない」
そう言って何故だか少し拗ねたように口を尖らせる先生。
言われて思い出す。そういえばあの時三島の前で先生に、「愛してるから他人じゃない」とか言ったな、俺。
「いえ、あれは、……分かるでしょ?」
「ええ、……けれどあなたには本当に迷惑をかけてしまったわ。頭を下げたいのは私の方よ。本当にごめんなさい。そして、ありがとう」
久々に人から感謝された。
悪くないな。
「さっきも言いましたが、俺たちは妹さんに頼まれたからやっただけです。その感謝も謝罪も、俺じゃなく妹さんにしてあげてください」
「……ふふ、やっぱりあなたはそう言うのね。実は昨日妹に同じように頭を下げたら、
『全部九十九さんたちのおかげだから、お礼は全部九十九さんたちに言って』
と言われたの。でもその後に、
『でもきっと九十九さんは自分は何もやってないとか、私のおかげだとか言うと思うから、その時は二人で勝手に恩返ししていこうね』
とも言われたわ」
「それは、……よくできた妹さんですね」
身に余る言葉に気恥ずかしくなったので、軽口で逃げる。
「ええ、優しくて可愛い自慢の妹だもの。いくらあなたでも、妹をあげるわけにはいかないわね」
嬉しそうに言って笑う先生。
ああ、やっぱりこの笑顔が見られたのなら、俺のしたことは間違っていなかったのだとあらためて思った。
「いえ、別に俺は……」
俺が恩返しなんてしなくていいと伝えようとすると、
「だから、私が一生をかけてあなたに恩を返すわ」
「……は?」
良く分からないことを言われた。
この俺が一瞬思考したくないと思ったのだから、大したものだ。なのでもうそれ以上は口をつぐんでいただきたい。
「あなたには返しきれない大きな恩がある。けれどいくらあなたでも、私の大切な妹を差し出すわけにはいかないわ。そして私はちょうど恋人もいなくなった」
とても嫌な予感がした。
「あなたになら私は――」
「ストップ‼」
生徒指導の先生が生徒に向かって言ってはいけないランキングぶっちぎりトップの言葉を躊躇なく口走ろうとした先生を、慌てて止める。
「? ……なぜ? ……ああ、別に正妻でなくていいの。こんな手垢のついた私があなたの初めてをだなんて、そんな図々しいことは言わないわ。けれどあなたのためならなんだって」
「だーか~ら~、そんなことしなくていですって! というか、それじゃあ男が変わっただけでなんも解決してないじゃないですか!」
この人こんなキャラだったっけ?
学校ではもっとクールでカッコいいイメージだったんだけど……。
というか俺は別にそんなこと気にしない。先生が経験済みだろうがなかろうが、手垢だらけだろうが、美人な先生を相手にすればそれなりに緊張も興奮もするので、あまりその手の自虐はやめてもらおう。
「その点は心配いらないわ。妹もあなたが相手なら心配ないって言っていたから。まあ、別の意味で心配、というか反対はされたけど……」
妙に複雑そうな表情でそんなことを言う先生。
そうかそうか、村崎さんが心配ないというのなら問題ないな……。
「っていや、いいわけないでしょう⁉ というか反対されてるじゃないですか!」
「もお……。仕方ないわね。ではまずは、あなたのためになることをするわ」
ようやく諦めてくれたのか、先生が真面目なことを言い出す。
「さっそくだけれど、前にあなたに頼まれた育才部の顧問の件。保留にしておいたけれどまだ大丈夫かしら?」
やっと俺の目的の言葉を引き出せた。
「ええ、先生のために空けておきましたから」
俺の言葉に先生は笑って。
「そう。ならまずはそれを引き受けるわ。これであなたといられる時間も増えるし、万々歳ね」
……良く分からないことも言っていたけれどとにかく、引き受けてくれるというのならありがたい。
「それは助かります。実は今週末で締め切りなんですよ」
「ならできるだけ早い方がいいわね。……明日にでも手続きはしておくわ」
これで抱えていた問題はすべて解決だ。
一ノ瀬達に何とかすると約束していたので、なんとかなって本当に良かった。
先生には感謝しかない。
ガチャ。
俺達がそんなやり取りをしていると、突然、屋上のドアが開く音がした。
「あ、やっぱりお姉ちゃんここにいたんだね……って九十九さん⁉ ど、どうして九十九さんがここに。……お姉ちゃんと二人で何してたんですか?」
すっかり俺達にも慣れ、姉の心配事も解決した村崎さんは、初めて部を訪れた時とは比べ物にならないほど明るくなった。
「失恋後の女教師と男子生徒が屋上ですることと言ったら一つしかないじゃない。察してあげなさい」
「ちょっ⁉ 一ノ瀬さん⁉ あなた何を言っているの! というか、あなたそんなこと言う生徒だった?」
まったくいらない気を遣う一ノ瀬に先生が驚く。そういえばこいつは成績優秀の優等生だったな。そして先生はみんなから恐れられる生徒指導。
……どいつもこいつも実際はまったく違っているな。
「ふふ、一ノ瀬さんも先生に心を開いてきたということです。いつも九十九さんにしている口撃ではなく、ボケ気味の皮肉だったところがポイントですね」
その後ろから一ノ瀬の生態を解説する皇。
……野良犬や猫の慣れ方だな。というか俺にはまったく心を開いていないってことか?
完全に流れ弾だな。銃殺された。
「……それで、どうしたんだお前ら。これから部活だろ? 村崎さんも……あれ? そういえば君、何部なんだ?」
「わ、わたしですか? 私は紅茶研究会です……」
何故だか俺が話しかけるともじもじと顔を赤らめる村崎さん。眼福ですな。
「へえー、そんな部があるなんて知らなかったな」
「ええ、私も是非一度見学に行ってみたいわね。今度寄らせてもらっていいかしら?」
俺以上に興味を示したのは一ノ瀬だった。人間アレルギーの一ノ瀬にしては珍しい。紅茶大好きなこいつならそのうち入り浸りそうだな……。
「はい。是非見に来てください! ……その、みなさんで……(チラッ)」
「「「…………」」」
皆さんなのに俺の方を向いていたのはなぜだろう?
ああ、確かに俺、いろんなやつに嫌われてるもんね。そんなやつは連れて行きたくないか。
「……なかなかやるわね………翠……」
「ええ、これはなかなか男運のない姉妹だわ」
「「なっ⁉」」
呆れたようにそう言った一ノ瀬に、その可哀想な姉妹が抗議している。
と、
「それはそうと、……どうして先生と九十九さんが二人でこんなところにいるんですか? あの後、解決した経緯を村崎さんから聞いて、他にもいろいろと聞きたいことがあったのでみんなで九十九さんを待っていたのですが。……なぜ時間になっても部室に来ずに、村崎先生と屋上でイチャイチャしているんですか?」
言って皇は俺に優しい目を向ける。さっきまでなんだかんだと言いあっていた一ノ瀬達の会話が止まった。
穏やかな口調なのにその言葉の端々には棘があって、俺は何と答えてよいかとても困った。
「な、なるほど、それは悪かったな。実はさっき先生が俺たちの部の顧問の件、引き受けてくれることになったんだ。それについて話してた……です」
嘘ではないのになぜだか浮気の言い訳をしているような気分だ。おかしいな?
「ああ、なんだ、そういうことですか。すみません、疑ってしまって」
「そ、そうだったんですね。……安心しました」
一体何を疑って何を安心したというのだろう?
まあ、怖いからこれ以上は聞かないが。
「あら? それだけじゃないでしょう。私のあんな熱烈なプロポーズを受けておいて、まさか忘れたって言うの?」
「「はあ……っ⁉」」
何故だか自分から火にガソリンをぶちまけた先生。
途端始まった姉妹げんか(皇含む)。
それを遠い目で眺めていると、
「それで、……結局あなた、この結果をどこまで見越していたの?」
一人、俺と同じ目で彼女たちを見守っていた一ノ瀬が俺の隣に立って尋ねてきた。
「何のことだ?」
とりあえず濁してみる。
「とぼけないで。あなたの今回の行動。単独行動の多さ。そして今の結果。どう考えても偶然ではないでしょう? それにあなたは私たちに顧問の件を一任していたけれど、私たちに何とかすると言ったあなたが任せきりにするのは不自然だわ。期限が迫っているのにまったく焦った様子もなかったし。あなたには、最後には何とかなるという確信があった」
その迷いのない目は、俺がこの結果を見越していたということを確信しているようだ。
誤魔化してもしょうがないので正直に話す。
「……最初に村崎さんにこの学校に姉がいると言われたとき、うまくいけば顧問の件も並行して解決できるんじゃないかと思った」
そして村崎さんから相談を受け、甘地先生から村崎先生を紹介された時点で大体の見通しは立てていた。
別にそれがなくても依頼はこなしたが、そういう打算があったことも確かだ。そしてきっと一ノ瀬や皇も考えなかったわけではないだろう。みんな言葉には出さないが、もしかしたらという考えはあったはずだ。
「そう……。だから、あなた一人での行動が多かったのね?」
「ああ、俺一人なら何とかなると思ったからな」
男女平等だと社会は言うが、すべての場合でそれが成り立つとは思わない。今回は俺が男だったから、部活動としてではなく先生を愛す恋敵という役を無理矢理にでもこじつけることで“他人”の問題に“他人”の俺が介入する言い訳ができた。これが俺ではなく一ノ瀬や皇なら妹の友達、先生の教え子という関係にはなれても、他人という壁を超える立場にはなれなかっただろう。同性愛を否定はしないが、それではまた別の問題が出てくる。
「……なるほど。確かにこのやり方なら生徒会から出された期限にもギリギリ間に合うわ。そもそも先生の気持ちを否定するのではなく、あなたはただ先生に情報と選択肢を与えただけ。そして先生自身も今の状況には思うところがあった。最終的な選択は先生がしたのだから、この状況を改善してくれたあなたにはどちらにしても感謝することになるわね」
村崎さんからの依頼は浮気調査だ。その後追加で頼まれたのは『先生の気持ちが知りたい』だった。だから俺は三島と、その彼との関係は否定しても、一度も先生の気持ちは否定していない。様々な情報を提示して、先生に選択を迫っただけだ。一番大切なものを選ぶように逃げ道を塞いだ。
それに……まあ、ないとは思ったが、もしも三島が逆上して殴りかかって来ても、俺ならどうとでもできる。彼にはボロクソ言ったからな。でもそれは仕方ない。そもそも先生や村崎さんが悩んでいるのはすべてあの男が原因なのだ。すべてを捨てられないくせに先生を愛していると宣う。その気持ちに嘘はないのかもしれないが、すべてを投げだせない時点で一番ではないのだ。一番でないのならそれは偽物なのだから、そんなもので先生たちを傷つけた彼を俺は絶対に許さない。
「ああ。……先生が俺に大きな恩を感じてくれたら、顧問の件は何とかなると踏んでいた。……まあ、ぶっちゃけ賭けだったけどな」
最悪先生の気持ちがどうであれ、名前を借りることは三島が既婚者だったと判明した時点で可能だった。もちろんそんなことはしないし、そもそもこいつらが許さなかったとは思うが。
もっともこれも確実とは程遠かった。もし先生が村崎さんではなく三島を選んでいたら、最悪教員自体をやめる選択をしたかもしれない。そうなってはすべてが台無しだ。そういった意味では、ある程度上手く立ち回る必要はあった。
つまりは結果オーライだな。それにもっと安全で確実なやり方はたくさんあったが、脅したり隠したり嘘をついたり洗脳したりするのは違う。あくまでも依頼は先生の正直な気持ち、一番大切なものだった。それを無視してというのは誰も認めないし、そんなことをしては部を続ける意味がない。
「今回は、……いえ、今回もあなたに任せきりになってしまったわね」
悔しさを誤魔化すように俯く一ノ瀬。下唇を薄くかんでいるのは唇が乾いたからではないだろう。
今回も、というところには多少引っ掛かりを覚えたが、そこは触れないでおく。
「いや、そうでもないさ。確かに俺一人いればなんとでもなることはたくさんあるが、できないことだってたくさんあるからな」
村崎さんが依頼をするまでは本当に無策だった。そもそも一ノ瀬や皇があの部を俺の居場所だと認めてくれなければ何もできなかった。
できることとしていいことが必ずしも同じだとは限らない。
だから理由を与えてくれるこいつらがいなければ、俺は何もできない。
「……良く分からないわね」
「そうか」
ああ、お前には分からないだろうな、一ノ瀬。
俺がどれだけ今の生活を気に入っているか。
俺がどれだけお前たちを大切に思っているか。
傷つけたくないと思っているか。
別に分からなくてもいい。
ただこんな毎日がずっと続けばと、そんなことを考えて頭を振る。
……薄気味悪い笑みを浮かべて首を振る俺を見て「どうしたの? 病気?」と引かれてしまったのは無視だ。
でもきっとこれも偽物なんだろうな。
きっといつか終わる。
めちゃくちゃに壊してしまう日が来る。
だって俺は俺ではないのだ。
こいつらの目に、俺は映っていない。
俺の目にだって、こいつらは映っていない。
――だって俺はそれをやめてしまったのだから。
「ねえ、なら今こうなることも、あなたの予想通りなのかしら?」
俺が思考に浸っていると、さっきの話の続きなのだろうか。一ノ瀬が未だ何事かを言い会っている皇たちを見て聞いてくる。
「いや、俺が考えていたのはあくまでも先生に部の顧問を引き受けてもらうためのシナリオだ。さっきから言っているが、俺はべつにどっちでも良かった。先生がどっちを選択しても、結局最後には部は何とかなる」
「ええ、そうだったわね……」
分かっていたような言葉。きっと一ノ瀬は分かっているのだろう。
それでもわざと尋ねたのは――
「だから今こうしてあの姉妹が笑顔でいられるのは、姉を心から思う妹と、初恋の恋人より可愛い妹を選んだ彼女たち自身の選択だな」
だから言っただろ?
俺は何もしていない。冗談でも謙遜でもなく、ただの事実だ。
「…………」
俺の言葉に満足気に微笑んだ一ノ瀬。
その笑顔はこれまで見た彼女のどの笑顔よりも美しく、今先生たちが浮かべているものと同じもののように見えた。




