分け合った勇気、の形
日曜日。
十八時の待ち合わせは先週、先生たちを尾行したときに集合した喫茶店。あのふざけた名前のところだ。
俺たちは先に来て先生と三島を待つ。
あらかじめ、というか先週ここを訪れた時にここのマスターには話をしており、この日は一日貸し切りにさせてもらっている。そのため俺たち以外他に客はいない。
なかなかに話の分かるイケオジで、猫が好きで喫茶店の名前に猫を入れたのに本人は猫アレルギーだから猫カフェにできなかったのだという話は笑った。
もちろんそれは俺が勝手にやったことなので、村崎さんは知らない。けれどそんな客が俺たち以外まったくいないことへの違和感も、今の彼女には気にならないらしい。
軽い挨拶の後、お互いの間に会話と言える会話はない。今日で最後。けれども彼女の辛さもまた、今日が最高潮だ。
「あー、……あまり緊張することはない、……と言っても仕方ないか。でも、君の隣には俺がいる。頼りないのは承知の上だが、まあ、何とかするからあまり気負いすぎないことだ」
「……はい」
けれどもやはり村崎さんの表情は優れない。見ると緊張で若干その細い手が震えていた。
カラン♪
早速気まずい雰囲気の中、俺がコーヒーをすすっているとふと耳障りのいい音、入り口のドアベルが鳴った。ちょっとビクッとするよな、あれ。
見ると一組の男女が。しかし二人ともその表情はとてもデートのそれではなく、どちらも場違いなスーツ姿だ。
入店した後、キョロキョロと店内を見回す二人。それに俺は軽く手を上げる。
「さあ、これで最後だ」
言って隣を見ると、村崎さんもコクリと頷いた。
俺の合図に気づいた二人は頷きあってこちらに向かってくる。男の方は俺を見て、驚いたように眉を寄せた。
「紹介するわ、と言ってももう既に知っているでしょうけれど。この人は三島輝明さん。私の恋人よ」
席に座って店員がコーヒーを運んできた後、始めに口を開いたのは村崎先生だ。
先生の言葉に隣の男、三島が軽い会釈とともに席を立ち、口を開く。
「初めまして……いや、君はこの前会っているね。三島輝明、君のお姉さんとお付き合いさせていただいています」
俺を見ていろいろと察したらしい三島は、村崎さんの方を向いて頭を下げる。
「……初めまして。村崎菫の妹、村崎翠です」
それきり俯いてしまった村崎さんに代わって、俺が話を続ける。
「九十九です。三島さん、この前はどうも。おかげでいい経験ができました」
「いや、私の方こそいい刺激になったよ」
笑顔で答える三島。
流石は社会人。こんなことでは動じないか。
いろいろと思うことはあるだろうが、これ以上はお互い触れなかった。ふとその隣を見ると、俺たちのその会話に、先生が眉根を寄せている。そういえば先生には何も伝えていなかったな。
「忙しい中呼び出してしまって申し訳ないです」
「いや、菫さんの妹さんにはいつか挨拶に伺いたいと思っていたからね。いい機会になったよ」
いかにも誠実な紳士の対応。皮肉をさらりと躱されてしまった。
「……でも浮気じゃないですか」
「「っ……」」
ふと漏れた村崎さんの声。その小さなつぶやきは、確かにこの場の全員の耳に届いていた。
そのことに気づいた様子の村崎さんは気まずそうに俯く。けれども今のは彼女の本音。だからこそ先生も三島も、そして俺も、必死に次の言葉を探した。
「……やはり、もう既に知っているようだね」
口を開いたのは三島。
三島の表情が硬くなるのが分かった。
いよいよここからが今日の本題だな。
「さて、では今日の本題ですが、……構いませんか?」
すかさず俺は場を整えるため確認をとる。
黙って首肯する三島。
村崎さんもまた俯いていた顔を上げて、正面の二人をその瞳に映す。
先生は静かに息を呑んだ。
「先に、……いや、きっとこんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、私は菫……君のお姉さんを愛している。それだけは言わせてほしい」
村崎さんの目をしっかりととらえたその瞳は、確かに嘘偽りのないように思う。そしてその彼の隣で若干恥ずかしそうに俯く先生。いや、可愛いけど……。
「でも、あなたには奥さんがいるんですよね? 浮気――ですよ。分かってるんですか?」
遠慮がちに言う村崎さんだが、徐々にその声は怒りを孕んだものへと変わる。先ほどとは違い、俯いた先生は気まずそうだ。
「……ああ。いくら愛しているからと言っても、世間的には私たちの関係は決して肯定できるものではない。妹の君が、否定的なのは分かるよ」
目を閉じて首肯する三島。だがこいつは少し勘違いしている。
村崎さんは別に、二人の関係を否定したいわけではない。
「ならどうして奥さんとは別れないんですか? 先生を愛しているんでしょう?」
初対面の男性。しかも相手は先生より年上の大人だ。どうしても委縮してしまって踏み込めない村崎さんに代わって、俺が尋ねる。
「それは――っ」
言葉に詰まる三島。
「言えませんか? 先生への気持ちははっきりと言えるのに?」
「っ……、これはそんな単純な話じゃないんだ。子供には分からないと思うがいろいろと事情がっ――」
「そうですよね。あなたは大学の時期教授候補。愛妻家で通っている先生が年下の、しかも元教え子と不倫して、その上そのまま今の奥さんを捨てて不倫相手を選んだ、だなんてことになったら、いろいろとまずいですもんね」
「っ!」
「ど、どうしてあなたがそんなことまで知っているの⁉」
息を呑んだ三島だが、それ以上に先生が声を上げて驚く。
今の言葉のどこにおかしなところがあっただろうか?
「何のことですか? ああ、教え子ってところか。知ってますよ、それくらい。事前に二人の関係はいろいろと調べさせてもらったので」
さっき三島とは濁したが、ここは正直に伝えておこう。ちなみに先生が三島の元教え子だというのは、村崎さんに先生の学歴を聞いて何となく察していた。確証はなかったが、カマをかけてみたら上手いこと成功したな。
「なっ⁉ い、いったいどこまで」
「先週の土曜、映画館デートの後、先生たちが入った竜宮城くらいですかね。なんなら証拠もありますが、……見ますか?」
「「っ……⁉」」
青ざめる先生と、余裕のなくなった瞳を向ける三島。
スマホを取り出そうとする俺を、二人は慌てて首を振って止めた。
「? すみません、竜宮城とは何のことですか?」
一人、俺の華麗な隠語が分からなかったらしい村崎さんがこっそりと耳打ちしてくる。そういえばあの後のことについて、俺はすべてを村崎さんたちに伝えたわけではなかったな。
「いや、なんでもない」
それに軽く首を振ってこたえる。訝し気な表情を浮かべる村崎さんだが、俺が視線を先生たちの方へと向けると、彼女もまた今すべき話はそんなことではないと思いなおしたらしい。
「脅すつもりはありません。あなた方二人の関係を否定するわけでもありません。でも少しだけ、村崎さんの話を聞いてあげてください」
それだけ言って俺は口を閉じる。ここからは村崎さんの頑張る番だ。
深く腰掛けコーヒーをすする俺を横目に、村崎さんは二人へと向き直った。
「お姉ちゃんはどう思ってるの? 三島さんにどうしてほしいの?」
もう彼女の目に迷いはない。しっかりと二人を映すその瞳には、確かな決意が見て取れた。
「……っ」
言葉に詰まる先生。それに村崎さんはさらに言葉を重ねる。
「言えない? ならお姉ちゃんはいいんだね? 浮気相手のままで。三島さんには奥さんがいて、自分はずっと二番目のまま、一生一番になれなくて」
「それはっ‼ ……それは」
声を荒げる先生。だがそれ以上に、隣で気まずそうにしている三島の顔は見ものだ。
「っ、あなたたち子供には分からないわ」
またそれか、とも思うが、しかしそれは確かな事実。
子供。確かにそうだ。俺たちはまだ子供で、恋愛観について語るにはまったくもって経験が足りない。一番になれないからすべてを捨てられるか。当人になったこともなければ、そもそも漫画やゲームくらいでしか恋愛について触れたこともない。そんな俺達は、俺たちの知っている範囲でしかそれを考えることはできない。
そうだな。子供だ。
だが、子供だからなんだというのだ。知らないからなんだというのだ。
「分からないよっ! ずっと考えてる。お姉ちゃんの気持ち。……でも分からない!」
「ならもういいでしょう。私たちのことは私たちで考えるわ」
締めに入ろうとする先生。いつもならこのまま村崎さんは何も言えないで終わるだろう。
けれど、
「良くないよ‼ 私はお姉ちゃんの妹だからっ! お姉ちゃんには幸せに」
「だからっ……! それがいらない気遣いだって言ってるんでしょ‼ 私は今の生活で十分幸せなの!」
「っ……おかしいよっ」
「おかしくない‼」
「おかしいって! ならなんで笑ってないの? なんでそんな辛そうな顔してるの!」
「っ……別に」
「してるよ! 私、知ってるもん! お姉ちゃんは優しくて、綺麗で、前はいつも笑ってたし、そんな目の下に隈なんてなかった! 今のお姉ちゃんが幸せじゃないってことくらい見なくたって分かるよ! 妹だもんっ!」
「…………」
姉妹喧嘩にしては深刻な話だな。ヒートアップする二人の隣で、とても気まずい俺達。妙な親近感がわきそうで困る。
村崎さんの言葉にそれ以上言葉がでない先生。沈黙が場を支配する。
よし、そろそろ口を挟んでいいかしら。
「さて、感情的になってきたところで三島さん、そろそろあなたの話を聞かせてもらえますか?」
「え――?」
突然口を開いた俺に話を振られて、困惑した様子の三島。そんな俺達に少し落ち着いたらしい先生と村崎さんが視線を向けてくる。
「え、じゃないですよ。分かりませんか? 今のやり取りを見ても先生の気持ち。もし分からないならそれでもいいですが、……それはただの逃げですよ?」
「っ」
息を呑む三島。俺はその目を逃がさない。
「……ああ、もちろん分かっているよ」
「ですよね。そもそも何故こうなっているのか、考えるまでもなく原因はあなたなんですから」
否定できない事実をただ突きつける。普段とは違う俺の雰囲気に三島の他二人も驚いていた。
「さっきも言ったが、私は村崎さんを愛している。今の妻とは別れるつもりだよ。その話は前にも菫とした」
「…………」
その言葉にホッとしたように口元を緩める先生。村崎さんもまたそれを聞いて安心した様子だ。
が、
「ならなぜまだ別れていないんです? その気があるのなら、既にこの話は解決しているはずでしょう?」
俺はそんな“つもり“なんていう言葉を聞きたいわけではない。そもそもそれをしていないからこうして話し合いなんていう面倒なことになっているだ。そのことはこの場に居る誰もが理解しているはずだ。それから目を逸らすだけなら、一生この問題は解決しない。
「それはっ、……君のような子供には分からないかもしれないが、大人にはいろいろと事情があるんだ」
若干のいらだちが見て取れるその言葉に、三島の動揺が分かった。
また”子供”か。まあ、それもまた一つの答えだがな。
「ええ、分かりませんね。なら聞かせてくださいよ。その事情というやつを。幸いあなたは大学の准教授。次期教授候補ですもんね。さあ、子供な俺にも分かるように、しっかり講義してください」
まったく感情の伴わない無機質なその声に、俺もまた驚きを隠せない。どうやら俺も少しイラついているようだ。
「なっ……」
「答えられませんか? なら、俺が代わりに講義してあげますよ」
言って俺は三人全員の目をそれぞれ見る。
俺の真っ赤な瞳は、誰一人、今目を伏せることを許さない。ふと奥に引っ込んでいた従業員たちが興味深げにこちらを観察しているのが見え、目が合った彼女たちが「ひっ」と泣きそうになっていたのには申し訳ないと思う。
「さっきの繰り返しになりますが、あなたのことはある程度調べさせてもらっていますからね。次期教授候補で学生たちからも人気が高い。愛妻家で通っていて、毎朝いつも奥さまに手作り弁当を作ってもらっている。そんなあなたが突然今の奥さまと別れて別の女性と再婚したら。しかもそれが浮気で、その相手は元教え子だったら。確かにありますね、いろいろと事情が」
「っ……」
全員それは理解しているはずだ。けれど誰も口に出さない。出そうとしない。
きれいごとで事実から目を逸らして、問題を先送りにするだけの話し合いに意味なんてあるはずもない。
ならば他でもない、『部外者』のこの俺が、それをぶち壊してやろう。
「結局あんたは自分が一番可愛いんですよ。まあ、人間みんなそうですが。でもそんな可愛い可愛い自分を守りたいのなら、何もするべきではなかった。社会的地位も、職も、生活も、何もかも捨てられないくせに先生を愛しているなんて宣うあんたは、誰がどう見ても最低のクズ野郎じゃないですか」
「いい加減にしなさいっ!」
俺の容赦のない物言いに声を荒げて立ち上がったのは、意外にも三島ではなく村崎先生だった。
「いくらなんでも言い過ぎよ! だいたい翠ならまだしも、あなたはただ妹に依頼を受けただけの赤の他人。何がどうであれ、あなたには関係ないことでしょ!」
その怒気を孕んだ声は果たして何に対する怒りなのだろうか。少なくともその怒りの矛先が俺だけではないことは確かだ。
ふむ。流石に言いすぎたか。けれど言い過ぎたかどうかは別としても、言い訳のできない事実なのだから文句を言われても困る。その証拠に三島は悔しそうに唇をかみしめてはいるが、図星を突かれたように黙りこくっている。
関係ない、か。確かにそう言われてしまえば、俺の関わっていい理由がなくなるな。
俺は先生から目を逸らして、隣の村崎さんに目をやる。
「っ……。え、えと……」
このままでは俺が追い返されてしまうと思ったのだろう。村崎さんの表情は不安に染まっていた。
……やっぱりあれしかないか。
はあ~~~~~~~~~。
俺は心の中でとても大きなため息を吐く。
「分かりました。ならその理由があればいいんですね?」
俺は覚悟を決めて先生へと向き直ると、改めてしっかりと姿勢を正す。
「?」
突然シャキッと身を正した俺に眉根を寄せて怪訝がる先生。他の二人もまた不思議そうに首を傾げている。
できればこれはしたくなかった。だってめっちゃ恥ずかしいし。それに何より面倒だ。
どうせなら村崎さんの話だけで決着がつけばありがったのだが……まあ、これが俺の仕事だからな。
「先生、実は俺、初めて会った時からずっとあなたに一目ぼれしてたんです。既婚者のクズなんかじゃなくて、俺と付き合ってください!」
「「「っ」」」
俺の言葉に、三者とも絶句する。
さて、第二ラウンド、ワクワクドキドキド修羅場アトラクションのチケットは完売となりまーす。
場違いな思考で現実逃避する俺もまた、これからの面倒な状況から目を背けているのだった。




