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最後の一歩、の形

「話し合い、ですか?」


 木曜の放課後。今日も今日とてせっせと呼び込みへと向かった一ノ瀬達を見送った俺たちは、育才部の部室で向かい合って座っている。


「ああ、っと、その前にこれ」


 言って来る途中買った缶コーヒーを机の上の俺の腕の横に置いて、念のためもう一つ買っておいたレモンティーを村崎さんに差し出す。

 意外と自販機の飲み物って高いよな。二つ買えばもう遠足のおやつ代がなくなってしまう。熱中症予防のためにスポーツドリンク飲むだけで財布の中身は空だからな。


「え? あ、ど、どうも。……えと、お金……あ、すみません、今、手持ちがなくて」


 俺がせっかく格好つけて渡したというのに、それを普通に返そうとする村崎さん。ここで「分かった。じゃあ俺が飲むよ」なんて答える男はいないと思うな。いるかもしれないが、俺にそんなハードルの高いことはできない。何気に奢るときよりゴーダッチ、割り勘の時の方が気を遣うもんな。


「いや、俺が勝手に買ってきただけだから気にするな。まあ、どうしても気になるならまた今度なんか奢ってくれればいい」


 皇もそうだがやはり女の子はお金の貸し借りには厳格なのだろうか。村崎さんはしばらく逡巡した後、「……分かりました。また今度お返しします」と言ってレモンティーを受け取った。野良猫に餌付けした気分だ。


「あの、それで話し合いというのは具体的には……」


 お互い若干のティータイムを楽しんだ後、落ち着いたタイミングを見計らって村崎さんが先ほどの話を振ってきた。

 未だ口に残るコーヒーの苦みを「ああ、苦いな~」というおよそこれを食リポと言ってしまえばその瞬間、業界から追放されそうなほど適当な感想を脳内で思考しつつ、彼女の問いにしっかりと答えるため缶を置いて姿勢を正す。


「昨日先生にはいろいろと知られてしまったからな。君の家庭のことを考えると、すぐにでもこの件を解決したい」


 本題ではないが、まずは彼女の現状を確認しつつ俺の意図を伝えるためにそう切り出す。

 あまり長引かせてしまうと、いよいよ取り返しがつかなくなってしまう。彼女達姉妹の間に生じた軋轢がこれ以上大きくなってしまうのは避けたいところだ。


「はい。……その、できれば私もそれがいいです。昨日のことがあって以来家では姉とほとんど顔を合わせていませんし、顔を合わせてもお互いすぐに目を逸らしてしまって。……今朝も、いつもなら姉が学校まで送ってくれるんですけど、用事があるからと書置きを残して先に家を出ていきました」


 そのことを思い出したのか、村崎さんの顔が悲しみに染まるのが分かった。思った通り昨日の一件は彼女たちの家庭環境を崩すには十分だったようだ。先生は分からないが、村崎さんは姉である先生のことが大好きなのだ。そんな先生との間に気まずい空気が長引くのは耐えられないだろう。いくら覚悟はしていたからといっても、その感情は変わらない。


「ああ、だからこその提案だ。まずこの件は今週中に片を付ける。来週の月曜には君たち姉妹は仲良く笑って登校する。それは必ず約束する」


 詐欺師のように“絶対”を使うのはためらわれるが、彼女を安心させるためには少し大袈裟な方がかえっていい。


「っ⁉ 今週中、ですか? でもそんなこと……」


 あえて過剰な言い方をしたことで先程までのマイナス思考に上塗りできたようだ。が、それでもその言葉に現実味がないのか、村崎さんは首をひねる。


「いやできる。だが、そのためには少し君にも勇気を出してもらわないといけないがな」

「? 一体私は何をすれば」

「これから君には先生の所に行ってあることを提案して、そしてそれを是が非でも承諾させてもらう。言っておくがこれは君にしかできないことだから、頼めるのは君だけだ」


 俺の真剣な様子に彼女もまたそれが重要なことであるのだと察したようだ。

 もう既にこれまでたくさんの覚悟を決めてきた村崎さんだ。けれどいざそうとなると若干顔をこわばらせる。


「……分かりました。それで、私は何を姉に提案すれば」


 不安げな様子だがそれでも彼女の覚悟は本物だ。「何でもします」とでも言うように胸の前に腕を上げてやる気をアピールしている。こんなときに、こんなチアに応援されたい人生だったなあ、などと思ってしまう俺の脳みそはいっそ一ノ瀬にぶん殴ってもらった方がいいのではないかと思う。


「それは――」



 それから数分。俺は村崎さんにこの計画の要点と先生へ話す内容を説明した。

 俺が喋れば喋るほどその瞳が不安げな、泣きそうな表情に変わっていくのが面白かったのは俺だけの特権だ。これから自分のすることを想像して緊張で真っ青になっていた村崎さんだが、計画を聞いて最終的には前向きになってくれたので良しとしよう。

 部室から出るとき、「大丈夫です。九十九さんの言うことです。きっと大丈夫です」と小声でぶつぶつと呪文のように自分に言い聞かせているのを見て、あまりの期待のされように俺まで緊張してきたのは出来る男として秘密だ。





「すみません、また手を借りちゃって」


 このまま俺たちが職員室へと向かって村崎先生に声をかけたところで逃げられてしまう可能性もあるので、俺はまたも頼れる我らがアラサーの女神、甘地先生へとお願いした。

 実は昼休みの間に先生には今日の放課後教室で俺達と合流して村崎先生を屋上へと呼び出してほしいと頼んでおいたのだ。忙しい先生に無駄な時間を取らせるわけにもいかないので、五時に教室でと言っておいた。ティータイムを挟んだりと、無駄なことをしていたのはそのためだ。

 個人情報なのでいくら先生でもほとんど話せなかったのだが、諸事情あってとだけ説明すると納得してくれた。それ以上は何も聞かず、

「分かった。フフ、君たちも随分と部活らしくなったな」

 とだけ言って笑って引き受けてくれた先生は、もう人格者すぎてマジでアラサー教でも開けばいいと思う。無欲を唱ってちゃっかり子供を作っているどっかの仏様とは違って先生は有言実行できますもんね。……嘘です。ごめんなさい。


「ふっ、他でもない君の頼みだ。手でも足でも貸すに決まっているさ」


 教室のドアを開けて先に来て待っていてくれた先生は、そう言ってニヒルな笑みを浮かべる。当たり前だが教室には既に生徒の姿はなかった。部活動は強制らしいし、もしなかったとしてもこんな時間まで残っている帰宅部などそういない。


「ではさっそくその綺麗な御御足(おみあし)をお貸しいただければ……ゲヘヘ」


 言ってワキワキと胸の前で怪しく両手を握って開く動作をすると、先生も村崎さんもそろってドン引きしたように眉根を寄せて一歩後ろへと下がった。


「……そうか。そんなに言うなら貸してやろうじゃないか」


 言ってすらりと長く、それでいて服の上からでも分かる形のいい右足を体操選手のように自らの耳の横まで高く振り上げる先生。わお、そのいつも着てるパンツスーツってめっちゃ高性能なんですね。

 そんな文明に取り残された古代人のように衣服の発展に感心していた俺だが、その足の意味を理解した瞬間慌てて防御態勢に入った。


「ちょっ⁉ じょ、冗談ですって――」


 …………?

 慌てて両手を頭の上にあげる俺。だがどれだけ待っても衝撃は来ない。

 ? 不思議に思ってもう一度周囲を見回すと――


「あれ? 先生たちは………って、もうあんなとこに⁉」


 俺が防御態勢に入っている間に先生たちは既に教室を出て廊下を歩いていた。

 急いで追いつく俺。

 そんな俺に先生たちは心底可笑しそうに、


「まったく、今は部活中なんだろう? 遊んでいないでしっかり働かないと駄目じゃないか」


 ニヤニヤと楽し気な笑みを浮かべる先生とその隣でくすくすと口元を隠して遠慮がちに笑う村崎さん。


「……まさかからかわれるとは思いませんでした」


 そんな俺の恨めし気な声に、堪え切れないとばかりに二人は声をあげて笑い出した。

 何がそんなにおかしいのか分からないが、今度二人にはもっと恥ずかしい目に合わせてやろうと心に誓った。





「じゃあ、お願いします、先生。俺たちは先に屋上で隠れてますんで、先生は用が済んだら後は構いません。ほんとありがとうございました」


 職員室の前。あらかじめ先生には村崎先生を呼び出してほしいと伝えているため、感謝の言葉を述べてその場で別れた。「ああ、君たちも頑張りたまえ」と先ほどまで俺を指さして笑っていたとは思えない凛々しい声で言った先生には、いろいろな意味で感謝しかない。今度どちらも倍にして恩返ししなければな。


「でも大丈夫なんでしょうか? 姉は呼べても相手の男性は忙しいのでは……」


 階段を上る途中、妙に元気のない様子で言う村崎さん。先ほど俺が言った話をしているのだろうか。


「いや、それについては大丈夫だ。ある消息筋の情報によると今週末は大学の一部工事の影響でキャンパス内立ち入り禁止らしいからな」


 もちろんそれはあのムッツリチェリー先輩なのだが、部活で大学に行ったら美人なお姉さんと連絡先交換しちゃったぜ、なんて言えないので適当に濁す。


 「消息筋?」と不思議そうに首を傾げていた彼女だが、計画に問題がないのだと伝えると安心したように息を吐く。

 階段を上ってそのまま屋上の扉を開く。何度も言うがこの学校は屋上が解放されているからとてもいい。深刻な話というのは雰囲気も大切だからな。そういう意味でも内緒話ができるこの場所はお気に入りだ。特に特別教室棟の屋上などそうそう訪れる人間もいない。


「じゃあ、とりあえず隠れよう。すぐばれたらそのまま逃げられるかもしれないからな」


 甘地先生に呼び出された先生だが、そこに先生でなく俺たちがいればいろいろと察して踵を返されてしまうかもしれない。正当なやり方ではない分、話し合いに持っていくためにはまず彼女の退路を断たねばならない。


 物陰に隠れて待つことしばし。ガチャリとドアの開く音がして、今日も凛々しくスーツできめた先生の姿が見えた。けれどもやはりその表情は優れず、遠目から見てもその姿はどことなく元気がない。心なしか彼女のスーツもしおれているように見える。

 先生はキョロキョロとあたりを見回す。呼び出した甘地先生を探しているのだろう。けれどこの場に先生はいないので、あまり待たせてしまうと帰ってしまうかもしれない。


「よし、行くぞ」


 俺の後ろで緊張でフルフルしている村崎さんに一声かけ、屋上のドアから離れた先生に後ろから声をかける。


「先生、少し、時間もらえますか?」

「っ……⁉」


 ハッとしたようにこちらを振り向く先生。そして俺を見て、そしてその横、今も複雑そうな表情で俺と先生を交互にチラ見する村崎さんに目を向ける。

 驚いた様子の先生だったが何事か察したのか、「なるほど」と一言つぶやいた後、キッと俺たちに鋭い視線を向ける。

 隣の村崎さんがその視線に怯えたように「ひっ」と声を漏らしているので勘弁してあげてください。


「先輩から屋上で大切な話があると聞いて何事かと思っていたけれど……。なるほど。あなたたちだったのね、用事があったのは」


 思ったより冷静な先生。むしろ冷静でないのは隣の妹さんのほうだ。もう何というか、ごめんねと謝りたくなるな。俺悪くないけど。


「すみません、騙すような真似をしてしまって。甘地先生には、ただ先生を呼び出してほしいとしか伝えていないので安心してください。村崎さんがどうしても今日中に先生に話しておきたいことがあると言うので」


 言って俺は軽く村崎さんの背を押して先生の前へと送り出す。甘地先生の性格は理解しているらしい先生は、その言葉を聞いて安心したように息を吐いた後、俺に先生の前まで押し出されて「あ……う……」と緊張している妹へと目を向ける。その表情は複雑そうで、とても和やかな話し合い、とはいかないだろうと思った。


「あなたから話、というのは何かしら? 彼との件なら昨日も伝えたはずよ。あなたたちには関係ないわ」


 わざと厳しい表情を作る先生。それを受けてまたも村崎さんの顔がこわばる。その透き通るような白い頬には若干の汗が滲んでいて、近頃の温かい日差しを感じさせた。


「っ……、その、今週のっ……!」


 先ほど俺が指示した通り話そうとする村崎さんだが、その先は続かない。


「落ち着け。俺の言ったことはあまり気にするな。君の言葉で、先生に伝えたいことを伝えるんだ」


 軽い調子で言って軽く彼女の肩を叩く。感情的になっているとき、緊張しているときに上手く話そうとしたところでできるわけもない。そしてそんなものが相手に伝わるわけもない。大事なのは気持ちだ。彼女の言葉で先生に承諾させること。それが今、俺が彼女に求めていることだ。


「……スー、ハー。……はいっ」


 軽い深呼吸。見開かれたその瞳にはもう緊張の色はない。

 村崎さんはたいやきくんの様に泳ぎまくっていた目を先生の瞳に向ける。その様子に先生もまた無言で見つめ返す。

 両者の間に漂う緊張感はこれまで俺が体験したことのないもので、きっと家族だから、両者にとって相手が特別な関係だからこそ生じたものだと思った。


「ごめんね、嘘ついて呼び出しちゃって」


 嘘はいけないからな。そして他人に嘘を吐かせるようにした奴はもっと悪い。そう、俺が一番悪いです。

 しかし村崎さんは「でも」と続けた。


「でも聞いてほしい。今週末、お姉ちゃんの彼氏……いえ、三島さんと話をさせて。お姉ちゃんとどうやって付き合っていくのかちゃんと聞いておきたいの」

「っ、……それはっ‼」


 驚いて息を飲む先生。流石にその提案は予期していなかったみたいだな。まあ、村崎さんが姉の恋人とはいえ知らない男と進んで会いたいなんて言うとは思わないだろう。当然それを提案して先生を説得してもらうように言ったのは俺だ。


「なんでっ。あなたに会わせる意味なんてないでしょ? これは彼と私の問題なの。あなたも九十九君も、育才部とかいう部も、私たちにはなんの関係もないわ」


 その一言は、彼女にとって許せないものだった。


「~~~っ、関係ならある‼ 私はお姉ちゃんの妹だよ⁉ お姉ちゃんが困ってるのは私も嫌だもん! 何もできないのはもっといやっ!」


 先生の言葉に、ついに溜めこんだ村崎さんの思いが爆発する。関係ない。その言葉の裏は分かっていても、それでもその言葉は村崎さんに刺さった。


「頼ってよっ! 何もできないけど、それでも私はお姉ちゃんには笑っててほしいよっ……!」

「……っ」


 滴った雫は汗ばむ季節が原因ではない。彼女の燃ゆる姉への想いが、その美しい瞳から大粒の雨を降らせたのだ。


「先生、これで最後です。一度話をさせてもらったら、もうそれ以上は言いません。そしてこれが先生の、最後の選択です」


 俺は村崎さんの言葉を補正する。


「……本当に、本当にそれで最後なのね?」

「はい、これが最後です」


 村崎さんに代わって答える。俺の言葉にしばらく先生は逡巡した後、


「……分かったわ。どちらにせよ今週末彼と会う予定だったからその時でいいかしら?」


 と承諾した。


「はい……」


 返事をして、村崎さんに目を向ける。彼女もまたそれに納得したようで、涙を拭って静かに頷いた。


「話は終わりね。では私はこれで。詳しいことは追って伝えるわ」


 言って先生は校舎へと向かった。

 平素と変わらぬ凛々しいその後ろ姿を、ただ黙って見つめる村崎さんの瞳は、どこか怒りにも似た感情を伴っているように見えた。


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