ターゲットは最後の砦、の形
「九十九」
放課後。席を立って教室から出てすぐに、今日は昨日とは立場逆転して甘地先生から呼び止められた。
「どうしました先生。こんな公衆の面前で愛の告白ですか? いくらなんでも追い詰められすぎですって。大丈夫、まだ先生ならいけますよ」
「公衆の面前で何を言っているんだ君は」
言って先生はこつんと俺の頭を小突く。
「冗談ですよ。それにちゃんと周りに人がいない時に言ってます」
「そういうことではないのだが。……まあいい。それより昨日君が言っていた顧問の件だが、一応声をかけておいたぞ。ただどんな部なのか説明してほしいと言われてしまった。というわけで少し時間をもらうぞ」
言って先生は俺の肩をがっしりと掴む。
「時間をもらうって、……今からですか?」
「ああ、彼女もいろいろと忙しいらしくてな。今日の放課後少しだけ話を聞いてくれるそうだ」
「はあ、なるほど。……すみません、手間をかけて」
先生だって忙しいはずだ。それでも約束を律儀に守ってくれたことに感謝しかない。
「ふっ、気にするな。君たちのためならなんだってすると言っただろ?」
「……そんなことばかり言っていたら今に誤解されますよ?」
「?」
俺の言葉に先生は首を傾げる。
そんな先生に何でもないですと首を振りつつ、やっぱり先生が顧問になってくれたらなと、そんなことを思ってしまう。
「ちなみに誰なんですか? その先生って」
「ああ、君も何度か見たことがあるだろう? 生徒指導の村崎先生だ」
……やっぱり先生が顧問になってくれたらなと改めて思った。
*
コンコンコンコンコン
「はい」
「失礼します」
連れてこられたのは生徒指導室。俺はノックして扉を開く。
甘地先生はこの後用事があるらしく、そのまま職員室へと向かった。
部屋に入ると目の前には長机に机が二つ向かい合って並べられていて、正面にはスーツ姿の女性が座っている。
後ろで束ねた長い髪にきっちりと皺なく着られたスーツ。隙の無い大人の女性。そんな言葉がふと浮かんだ。
「あなたが先輩……いえ、甘地先生の言っていた育才部の部員ね? 名前は確か、つくも君……だったかしら?」
先輩? ああ、先輩教師だから先輩か。
「え、ええ……。よく名前まで知ってますね?」
「あなたには前にその目のことで言いがかりをつけてしまったから覚えているわ。あの時は悪いことをしたわね」
「いえ、慣れているので気にしないでください」
「っ………そう」
俺の言葉になぜだか余計申し訳なさそうな顔をした村崎先生。
だがそれより今日は忙しい。この後まさに先生関連のことで土曜日の計画を立てなければならないのだ。
「それより先生は俺たちの部の顧問を引き受けることに乗り気なんですか?」
とりあえず率直に尋ねてみる。
「……いえ、申し訳ないけれどあまり乗り気でないわ。甘地先生に話だけでも聞いてほしいと頼まれたからあなたに来てもらったけれど………正直、時間の無駄になるかもしれないわね」
確かに俺が今どれだけ熱心に語ったところで先生がそもそも乗り気でないのなら時間の無駄だな。
「先生は何か他の部の顧問をしているんですか?」
「いえ、特に何の部の顧問もしてないわ。だから生徒指導を任されているというのもあるけれど。それもあって私は厳しくて怖いと評判だから。進んで私に顧問を頼む生徒はいないわ」
負のサイクルか。この学校の教師はみんなそれに陥りやすいのだろうか?
「……私ばかり質問されているわね。まあ、別に構わないのだけれど。それよりそろそろ座ったらどうかしら?」
言われて俺がまだ立ったまだだったことを思い出す。
「あ、はい……。失礼します」
何となく生徒指導室で生徒指導の先生の前に座っていると、どうしても気まずくなるな。
「そんなに緊張する必要はないわ。……いえ、特にしていないみたいね。なら早速本題に入りましょう」
まあ、俺はあまり顔に感情が出る方ではないからな。だからと言って緊張していないわけではない。美人の前では常に緊張してしまうのは男である限り仕方のないことだと思う。
「あなたたちの部のことについてはある程度甘地先生から聞いているわ。生徒の問題等を解決したり相談に乗ったり、いわゆるお助け係、生活サポートみたいなことをする部だと」
「ええ、まあ、俺もあんまり詳しくは分かってないんですが、多分そんな感じです」
「そう。……だいたい理解したわ。どうやら甘地先生の言っていたことは本当だったようね」
「?」
良く分からないが納得してくれたのなら良かった……のか?
「いえ、さっきも言ったけれど大体のことは昨日甘地先生から聞いていたの。正直あなたを今日ここに呼んだのはそれが正しいかどうかの確認のためよ」
「なるほど。……なら、俺たちがなぜ顧問を探しているのかも?」
「ええ、生徒会から催促されているのだと」
「………」
ならほんとに俺いらねえじゃん!
そんな声が漏れそうになるのをなんとか耐えた。
まあ、人づてに聞くより当人に聞いた方が正確ではあるからな。
「……それで、どうでしょう? 顧問の件、引き受けてもらえませんか?」
これ以上俺に尋ねられても何も答えられないので、さっさと結論を尋ねる。
「そうね。話を聞く限りそれほど大変というわけでもなさそうだし、必要なとき以外は放っておいて構わないのなら名前をかすこともやぶさかではないわ」
つまりそれはいいのか? 悪いのか?
「……でもごめんなさい。今はあまり面倒ごとを抱えたくないの」
その言葉に何となく察しはついた。当然声にも顔にも出さないが。
「そうですか……。では俺はこれで失礼します。お時間とってもらってありがとうございました。もし気が変わったらまた声かけてください」
断られてはもうここにこれ以上長居する理由はない。
例の件について探っても良かったが、ここで踏み込みすぎるのは危険だろう。それに調査自体をするのは村崎さんだ。俺たちはあくまでそのサポート。していい理由はない。
「いえ、こちらこそ申し訳ないわね。……もう少し時間が空いていいのならもう一度考えてみるわ」
先生の言葉に俺は「ええ、ではその時はまた」と会釈しながらドアを開けて廊下へと出る。
俺の先生への印象はとても真面目そうな責任感のある女性、だ。頼まれただけなのにわざわざ俺を呼んで事実確認をしたり、こちらがお願いしているのだから彼女に非はないのに申し訳なさそうに謝罪したり。とても既婚者の男性と浮気をするような人間には見えない。
「ま、人間表だけがすべてじゃないからな」
そしてそれは誰よりも俺が一番よく知っている。
……というか俺、これから先生の浮気調査について考えないといけないんだよなあ。
今日は曇り。廊下の窓から見える空は雲に覆われていて、それは今の俺の心の中を見ているようだ。
「女心と梅雨の空、彼女の心は浮気模様」
なんてな。




