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困った時の先生頼み、の形

「先生かあ、……やっぱあの人しかいないよなあ」


 生徒にさえ知り合いの少ない俺が唯一顔見知りである先生、そんな人は一人しかいない。


「甘地先生に断られたらマジで廃部だな」


 まあ、彼女ならきっと引き受けてくれるだろうが。

 そんなことを考えながらまなみ特製、愛情たっぷり愛妹弁当をいただく。

 エビフライやコロッケなどごちそうが並ぶ中、一際目を引くのはホカホカの白米の上に桜でんぶをふんだんに使った真っピンクの大きなハート。その他のコロッケやサラダの中のキュウリでさえほとんどハート型をしている。エビフライの尻尾はハートの形をしているからそれもある。


 この前の映画館プチデート以来、妹の愛情がとどまるところを知らない。こちらの兄妹もあの姉妹とは違う意味でヤバい気がするな。


「……まあ、何とかなるだろ」


 あえて楽観的に考えることは長生きの秘訣だ。気が強すぎる人間は早死にするという研究結果もあるくらいだからな。ストレスはある程度は大事だがため過ぎないに越したことはない。


 ふと顔を上げると目に入ったのはここ数カ月で、もはや見慣れさえした梅の木だ。梅の実の収穫時期は六月から七月らしい。この中庭に植えられている梅は花梅なのだが、それでもその枝には小さく実をつけている。

 梅の種類は三千種類以上あると言われていて、その系統は四つに分けられる。この中庭にはその中の花梅である三つのうちの二つの系統、緋梅系(ひばいけい)豊後系(ぶんごけい)が植えられている。

 『馥郁たる梅の花の香り』と言うが、俺は生の梅の木をきちんと観察したことがない。今はまだつぼみだが、来年の春先、こいつらが千紫万紅咲き乱れるさまを見るのが今からとても楽しみだ。


「……ん? あれは」


 俺がそんなことを考えていると、ちょうど渡り廊下を向かいから歩いてくる女子生徒と目が合った。

 気まずくなる前に逸らそうとした俺だったが、その女子生徒には見覚えがあり、その上彼女は俺と目があうと何かに気づいたように俺に近寄って来た。


「おや、あなたは確か育才部の……。先日はどうも。例の件は順調でしょうか?」


 今日も隙なくキッチリと制服を着用した彼女はそう言って軽く会釈する。


「え……、ええ、まあ、順調かと言われればきっとなんとなかるだろうと思ってますよ。引き受けてくれそうな先生については大体の目星はついていますし」


 まあ、言い方を変えれば、その人に断られたら確定で無理っすね、という状況だがな。


「そうですか。それは何よりです。何かそれ以外で困ったことがあったらいつでも聞いてくださいね」


「はい、そのときはよろしく………え?」


「? どうしました」


「いえ、てっきり先輩はあの部の活動について反対していると思っていたので」


 昨日、部活動での先輩はまったく表情が読めなかった。それで廃部がどうのという話をしていたので、先輩自身も俺たちの部があることについて何か不満を持っているものだと思っていたのだが……。


「ああ、すみません。一応昨日のは生徒会の役員としての仕事ですので、できる限り私情を持ち込まないように努めていたんです。私個人としては、できることならあなた方の部活動も廃部になどしたくはないのですが、……生憎と仕事ですので。ですが、存続のため、力になれることなら何なりとおっしゃってください。生徒会はどの部活動、どの生徒に対しても味方ですので」


 そう語る先輩の視線は先ほどの俺と同じ、まだつぼみのままの花梅の木を見ている。


「……なんか、すみませんでした。俺たち、多分昨日先輩のこと誤解してました」

「いえ、構いませんよ。こういった憎まれ役も生徒会の仕事ですので」


 本当に気にしていないように先輩は言う。

 そんな先輩を見て、俺はただ思ったことを口に出す。


「かっこいいですね」


「……はい?」


 俺のつぶやきが聞こえたのか、上を向いていた先輩の目が俺の方を向く。相変わらず鋭い瞳。けれど俺は先輩のその眼鏡の奥の鋭い瞳に、今は少しだけ優しい色を見た気がした。


「誰かのために、いや、皆のためにいつも頑張って。俺たちのお手本になるために私生活からきちんとして。生徒誰一人無下に扱わないようにこんな俺にまで丁寧に接してくれる」


「……それは生徒会の役員という立場を担う者として当然の義務ですので」


「ええ、けどしなくてもいいはずだ。今回の憎まれ役だって自分の代わりに引き受けてくれる人は他にもいるでしょう? けど先輩は自分が嫌われることなんてお構いなしに俺たちに事実だけを伝えてくれた」


 結果が変わらないのに下手に同情されて言われてしまうと情報が正確に伝わらないことだってある。そういう意味では、先輩の淡々とした伝え方はそれだけ追い込まれているのだということをよく認識できた。

 大丈夫だろと楽観視せずにこうしてどうしようかとすぐに取り組めているのはそのおかげでもある。


「…………」


「自分の努力が認められなくても、それを仕方ないと受け入れて、それでも俺たちに親身になってくれる先輩は、やっぱりかっこいいですよ」


 人は普通嫌われたくない生き物だ。どれだけ自分に関係のない他人でも、自分のことを否定されたくないと思う。

 だから否定されないように、相手を否定しないように努める。否定されるようなことからは距離を取る。

 けれど先輩は、否定されても構わず自分の努力を続ける。その上、否定した奴らのために努力している。

 そんな先輩は、やっぱり誰がどう見てもカッコいいだろ?


「……これは口説かれているのでしょうか? いくら私を褒めても贔屓(ひいき)は出来ませんよ」


 おっと、確かに思ったことを伝えただけだが、聞く方からしたら口説いているように映るかもしれない。


「いや、そんなこと考えてませんよ。ただ俺が先輩のことをかっこいいなって思ったから、それを伝えたかっただけです。正直尊敬したまであります」


「そうですか。生徒会として生徒の模範となれたのであれば光栄です」


 変わらない無表情でそう言って先輩はその場を後にする。



「……生徒会として当たり前ではありますが、それでも私の努力を誰かに褒められるのも、悪くはありませんね」


 去り際。そう言った彼女の口元は、心なしか少しだけ緩んでいたような気がした。


 先輩が去った後、俺はもう一度梅の木を見上げる。


「そういえば梅の木の花言葉って確か――」


 ――高潔、気品、優美――


 来年の開花がより待ち遠しく感じた。





 放課後。

 いつもならこのまま教室を出た後、そのまま育才部へと直行するのだが、今日は少しやることがある。


「――では、これでホームルームを終了する。日直」


 凛々しい声とともに指示を受け、今日の日直が号令をかける。


「起立! 礼!」


 まとまりのない挨拶とともに、ガラガラとあちこちから椅子を引く音がする。

 人は音というものにストレスを感じる生き物だ。ある研究では夜の住宅街程度の音でも人間の耳には不快に感じるという結果もあるらしい。

 そして俺はこのホームルーム終了後などのこのまとまりのない椅子や机を引きずる音がとても苦手だ。いつもは大抵耳を塞ぐか誰よりも早く椅子を引いて教室を出るのだが、今日はもう少し残らなければならない。



「よっしゃ、やっと終わったー! どうする、今日? 帰りどっか寄ってく?」

「ん~、いや、今月ピンチだから今日はいいや。また今度な」

「俺も今日は部活だから無理だな」

「マジかよ~~、なら俺も帰るかー」


「え~~~! 葵ちゃんそのスマホカバー超可愛くない⁉」

「だよね? これこの前通販で見つけて一目ぼれだったんだー」

「うわ、確かにそれ可愛いな。……それより今日みんなでどっか」

「へえー、確かにいいわね、それ。どこのやつ? ね、真もいいと思うでしょ?」

「ああ、お洒落な上にいろんな柄もあって男女どちらも使えるな。そうだ、なら今度それの色違いをみんなで買ってお揃いにしないか?」

「ちょっ、流石にそれは恥ずかし」

「うっさい! ……それいいねー! ならあたしこのピンクのやつー」

「なら私は――」



 どうやら今日は休みの部活動が多いらしい。いつもならリア充だろうがなんだろうが大抵放課後はすぐに部活動へと直行するためこれほど騒がしくないのだが、今日はその喧騒がなかなかおさまらない。

 そんな中、俺は目的を果たすため教卓の方を確認する。


 ……いた。いや、今教室のドアを開けている。


 俺は急いで席を立つと目的の人物、甘地先生の下へと急いだ。


「待って先生~! 大事なものが奪われそうなんです~~」





「……なるほど。私に君たちの部の顧問を引き受けてほしいと」


 普通教室棟の屋上。

 一通りの話を聞き終えた先生はそう言ってベンチに腰掛けた。


「ええ、一ノ瀬や皇も心当たりを探すと言っていましたけど、多分無理だと思うので。先生しか頼れないんです」


 取り繕っても仕方ないので正直に話す。


「そうか……。ふふ、それにしても君に何かを頼られるとは思わなかった。それは成長かな?」


 言って先生は俺にさっき買ったコーヒーの缶を投げて渡す。


「っと。すみません、いつも奢ってもらってばっかで」

「なに、構わないさ。ただこのことは他の生徒には内緒だぞ?」


 言いながら、先生は口元に人差し指を当てる仕草をした。とても色っぽい。

 子供のような仕草なのに何故先生がやるとこうなってしまうのだろう? 論文書こうかな?


「はい。……まあ、これが成長なのかは分からないですけど、俺一人じゃ解決できないこともあるってことは分かりました」


「そうか」


 俺の言葉に先生は頷く。何故だか先生は嬉しげだ。



「……私個人としてはもちろん大事な生徒の頼みだ。できるなら引き受けさせてもらいたい」


 ……ん? 妙に引っかかる言い方だな。


「では、引き受けてくれるんですね?」


 特に気にすることなくそう尋ねる俺。

 しかし嫌な予感程良く当たるものだ。


「……だがすまない、九十九。君の頼みだ。できるだけ応えたいのはやまやまなんだが……悪い」

「っ、そうですか……」


 終わったな。先生に断られてはあの部は終わりだ。

 さて、どうしたもんかな。


「ちなみに引き受けてもらえない理由って聞いていいですか? 俺たちが嫌いとか俺たちの部の活動が気に入らないとか」


 とりあえず先生に罪悪感を与えてしまわないよう冗談めかして言う。


「そ、それは違う! 私は君たちの部の活動内容はとても素晴らしいと思っている。君のことだって好――嫌いじゃない!」

「そ、そうですか。……ではなぜ?」


 思いのほか強く否定した先生。途中何か面白いところがあったが、そこをツッコむときっと後戻りができなくなる気がするので聞き流して話を進める。行きはよいよい帰りは……ない。蟻地獄より怖そうだ。


「……知っているかもしれないがこの学校は基本的に部活動の顧問をするかしないかは教員の自由ということになっている。だからいくつ掛け持ちしても特に問題はない。外部コーチや監督を部費で雇っている部もあるから教員が必ず顧問として受け持つ必要はないからな」

「ええ、文化部にはどっかの大学の教授なんかに研究するための部屋や道具を貸し出す代わりに顧問や講演をしてもらったりしてる部もあるんですよね?」


 確かそんなこともしおりに書いてあった。まったく俺に関係ない話だと思っていたが、まさかその知識が役に立つ日が来るとは。


「ああ、だから普通なら私が君たちの部の顧問を引き受けることは何も問題ないんだ」

「なるほど、つまり先生はその普通じゃないからできないと?」


「……実は私は生徒会の顧問をしているんだ」

「っ、マジですか?」

「ああ、マジだ。この学校は基本的に教員が部活動の顧問を掛け持ちしても何ら問題は無い。けれど、生徒会だけは別だ。生徒会の顧問を受け持つ教員は他の部の顧問を引き受けることはできない」


 なるほど。それならどうしようもない。

 先生が悔しそうに言う。


「……正直、彼女達は私がいてもいなくても変わらないくらい優秀なんだがな。まあ、そういうわけだからすまない、九十九。私の方でも何人かあてを探してみる」

「い、いえ、先生が悪く思う必要なんてないですよ。むしろ俺達じゃ知りあいの先生なんてほぼいないんで助かります」

「そう言ってもらえると助かるよ。それじゃあ私は行く。他に困ったことがあるなら何でも言ってほしい」


 言って先生は屋上を出た。

 その背中を見送った後、俺も部活へと向かうため歩き出す。


「……終わったな」


 去り際。もう一度頭の中で今の状況を整理した俺は、ふと漏れ出た自分の声の空虚さをコーヒーの苦みで塗りつぶした。


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