家庭の事情、の形
「こんにちは、一ノ瀬さん」
「ええ、こんにちは、皇さん」
日曜日。
待ち合わせ場所の駅前に到着した私は、先に来て待っていてくれた一ノ瀬さんに挨拶します。
「すみません、お待たせしてしまって。相談しているのは私なので、本来なら私の方が待っているべきなのですが」
「いいえ、気にする必要はないは。それにまだ約束の時間まで三十分近くあるもの」
……私も大概ですけど、一ノ瀬さんはそれ以上だと思います。
「それにしても早いですね。一体いつぐらいに来ていたんですか?」
待たせてしまった立場とはいえ、どうしても気になります。
「……別に、今来たところよ」
そう言った一ノ瀬さんの鞄の中には、半分ほどに減ってしまっている紅茶のペットボトルがあります。
……明らかに嘘ですが、それを言っても意味はないですね。
そういえば、私も誰かと外出する経験は初めてですが一ノ瀬さんもそうだと言っていました。
あれ? もしかして私が間違えたのでしょうか? ネットには待ち合わせは五分、十分前行動が基本だと書いてあったのですが。
「あの、私、もしかして常識を間違えましたか?」
「いえ、まあ、間違ったかと言われればきっと間違ったのではないかと思わなくもないわね」
「そ、そうですか……」
自覚はありましたがやはりそうでしたか。これでもかなり調べたのですが。
もう少し常識を身に着けようと思います。
「それより、まだ待ち合わせの時間には早いけれど」
「ええ、早いですけど」
「「…………」」
そこから先の提案をそろって言い出せない私たち。
私もですが、一ノ瀬さんも相当なコミュニケーション下手です。
こういうとき、どういう風に提案したらいいのかなど知りません。これからの時代、学校の授業でもコミュニケーション学科は必須だと思います。良く分からない実験をするよりもよほど実用的なのではないでしょうか。……それは学校というか更生施設のようですね。
「……えっと」
「……ええっと」
「「…………」」
それから数十分。
せっかく早く来て合流した私たちですが、結局待ち合わせ時間になるまでただ黙って時間が過ぎるのを待つのでした。
*
「では改めて。こんにちは、皇さん」
「はい、こんにちは、一ノ瀬さん」
待ち合わせ時間になった瞬間、一ノ瀬さんは待ってましたとばかりに口を開きます。
「……では早速行きましょうか?」
「は、はい……。よろしくお願いします」
その一言が数十分前に出ていればこれほど待つこともなかったのですが。
これは要改善点ですね。
それはそうと、やっと今日の目的の場所へ行けます。
ですが、
「そういえば、九十九さんには伝えなくて良かったんですか? 同じ『育才部』の部員では?」
「……あんな性犯罪者、しばらく顔を見るのもごめんよ」
「あ、ああ……あはは。まあ、それには少なからず同意します」
確かにこの前の彼の言動は、流石に冗談にしてもデリカシーがなさすぎます。いくらお友達でも彼にはしばらく反省してもらいたいですね。……いえ、ですが、私が知らないだけで、もしかして友人間のやり取りではああいったことは当たり前なのでしょうか? なにぶんそういった相手はこれまでいなかったものですから、間違えているのは私の方ではないのかと秘かに内心ドッキドキです。もしそうなら今度、彼に会った時に謝らないといけませんね。
それはそうと、やはり一ノ瀬さんは可愛いですね。聞いた私が言うのも何なのですが、一ノ瀬さんなら彼に「もう二度と会いたくないわ」くらいは言うと思ったのですが……なるほど。しばらく、ですか。
ふふ、やっぱり口では何と言っても、本当に彼のことを嫌っているわけではないみたいです。……少し彼に妬けちゃいますね。
「それに……。いくら部活動だからってこんなこと、他人には言えないでしょう。これは本来、私たち家族の問題なのだから」
目的地へと向かう電車の中。それなりに込み合っている車内でなんとか席に座れた私たちですが、突然、先ほどの話の続きなのでしょうか。一ノ瀬さんがふと思い出したように言います。
「……ええ、そうですね。確かにこんな話、そうそう人には言えません」
そう、他人。いくら信用できる人でも、いくら友達でも、いくら部員の仲間でも。彼と私たちは他人です。
彼は気が向いたら相談してくれと言ってくれたけれど、やはり一ノ瀬さんは言いませんでした。
結局、先日も私たちがキレて有耶無耶になってしまったけれど、それでもやはり……言えませんよね。
言ってもきっと信じられません。
実は、――私たち二人が双子だなんて。
*
それは先週の火曜日へと遡ります。
「――では一ノ瀬さん、聞いていただけますか?」
「ええ、それがこの部の活動だもの」
九十九さんが出て行ったあと、私は一ノ瀬さんに今日この場を訪れた要件を話します。
「で、一体何の話なのかしら? このところちょくちょく私の周りをうろついていたようだけど」
「っ! き、気づいていたんですか?」
「まあ、そういうのには慣れているから、自然とね」
慣れている。言った彼女の雰囲気はどこか寂し気でした。
「……すみません。気に障ったのなら謝ります。別にそういうつもりはなかったのですが」
「いえ、構わないわ。気になっていたけれど、この部に来たのなら理由は分かったもの」
言って、一ノ瀬さんは気にすることはないと首を振ります。
「それに、私の方こそ悪かったわね。気づいていたのだけれど、……その、私あまり知らない人と話すのは」
「い、いえ、分かります、ええ。私も苦手ですので」
いつも凛々しい高嶺の花だと思っていた一ノ瀬さんは、今日の九十九さんとのやり取りで、不器用で可愛い普通の女の子だということが分かりました。萌えですね。
それにしても、知らない人ですか。……これから相談することを考えると少し思うところはありますが――
「まあいいわ。それで、いい加減そろそろ本題に入ってもらえるかしら? もう時間もないことだし」
時計を見ると、もうすぐ十八時になるところでした。
一ノ瀬さんは席を立ち、戸締りを始めます。私もそれに倣って反対側の窓を閉めながら話を続けます。
「は、はい。ですがその前に、これから話す話。驚くかもしれませんが、すべて事実だということは理解しておいてください」
「? ええ、分かったわ。けれど、もう本当に時間もないから要件だけお願い。詳しい話は明日また聞くから」
せっかく勇気を出したところだったのですが……。まあ、仕方ないですね。
「分かりました。では、率直に言います。――一ノ瀬綾香さん、彼女の居場所を教えて下さい」
「っ――!」
言った瞬間、戸締りしていた一ノ瀬さんの手がピタリと止まりました。
「続きは明日話します」
「ま、待ちなさい! あなた、一体何者? 何故その名を知っているの?」
「ですからそれはまた明日お話しします。……ですがその前に」
私としたことが、すっかり忘れていました。
「あなた、どこまで知っていますか? あなたの家族のことについて」
私のことは本当に知らないようです。ということはやはり、あのことについては何も――
「……それは今言わなければいけないことかしら? 悪いけど今の言葉を聞いた以上、あなたの正体が正確に分からない今、何も言える事はないわ。また明日、あなたの話を聞いてから考えさせてちょうだい」
最後の窓を閉めた一ノ瀬さんは私の方を向き直って、少し警戒したような声で言います。
「……分かりました。けれど、一ノ瀬さん。これだけは聞かせてください。有耶無耶なまま、その先を話すわけにはいきませんので」
そう、これはとても大事な話。万が一語る順番を誤れば、彼女の家庭をメチャクチャにしてしまいます。
「あなたの父親、実父ではありませんよね?」
「っ⁉ ……ええ、私が幼い頃に母が再婚した相手だと聞いたわ。……幼いころの記憶はないから本当の父の顔は知らないけど」
「なるほど。わかりました。それでは、また明日」
「……ええ、また明日」
最後に彼女は鍵を私に渡すと、帰ってきた九十九さんに渡すように言ってそのまま教室を出て行きました。
「さて、九十九さんに連絡しないといけませんね」
携帯のアプリを立ち上げて、始めに目に入った名前。『万才』と、なんの捻りもない、それでいてとても変わった名前を見て、私の頬は自然と緩みます。
今日初めて出会った、男の子。そして私の人生で初めての友人。まさか初めてのお友達が男の子になるとは夢にも思いませんでした。きっと彼女に伝えたら「今日はお赤飯よ♪」なんて言ったかもしれませんね。
「っ――」
そんな考えがふと頭に浮かんで、私は言いようのない胸の痛みを感じます。波打つ私の心臓の鼓動はその存在感をさらに増し、私は首を振ってその想像をかき消しました。けれど、この胸の痛みは決して嫌なものではないはずです。だってこれは、
――私の恩人が、最後に残してくれたものなのだから。
それにしても、変な出会いではあったけれど、何故か彼とは初めて会った気がしません。
メッセージを送った後、ふとそんなことを思って、そしてそれはないなと首を振ります。
今日はいつもより携帯が重たく感じました。
*
さて、今日は昨日の翌日。つまり水曜日の放課後です。
九十九さんが追い出――もとい、出て行かれて、教室には私と一ノ瀬さんの二人だけ。
昨日と同じ構図です。
「さて、昨日の続きをする前に言っておきたいのだけれど」
「ええ」
気まずい空気の中、慣れてきたからでしょうか。一ノ瀬さんが先に口を開きました。
「……さっきのこと、あれは一旦忘れましょう」
「ええ、激しく同意します。それが賢明ですね」
どうやら私と考えていたことは同じだったようです。
まあ、流石に先ほどの空気を引きずったままシリアスな話はできませんものね。
……九十九さんなら関係なく続けてしまいそうですが。
「で、では、昨日の続き、話してもらえるかしら?」
「はい。では改めて、よろしくお願いします」
言って、私はもう一度姿勢を正して挨拶します。
長くなってしまいましたが、ここからが本題なのです。
*
「昨日もお話ししましたが、改めて。私の相談とは、一ノ瀬綾香さん。彼女の居場所を教えていただきたいというものです」
私は昨日帰り際に話したことをもう一度話します。
「それは、……どちらの意味で言っているの?」
疑るような目。そんな目を向けられるのは少し悲しいですけど、まあこんな面倒な言い回しをすれば警戒されるのも仕方ありませんね。
「……あなたの思っている通りの意味ですよ」
言葉を濁します。事実は事実ですが、あまりそれを口に出すことは憚られます。……いえ、正直に言えば、私がそれを口に出したくないのです。
「……なるほど。それについては理解したわ。少なくともあなたは私の家庭についてそれなりに知っているようね」
「ええ、少なくともあなたよりは理解しています」
「っ、……それは私を怒らせたいのかしら?」
「え? ……あっ、い、いえ、そういうつもりで言ったのではありません。すみません、誤解させるつもりはなかったのですが」
出来るだけ早く信用を得たかったので、つい言葉が足りませんでした。
「そう。いえ、こちらこそつい突っかかった言い方をしてしまったわね」
素直に謝罪を返してくれる一ノ瀬さん。どうやら私の話を聞く意思はあるようです。
「あの、おそらく今、一ノ瀬さんは私が何者で、どうして彼女のことを知っているのか、あなたの家庭はあなたの知らないところでどうなっているのか、そのような疑問でいっぱいだと思います。なのでまずは私の話を聞いてください。そしてその後に私が信用できたなら、彼女の、綾さんの居場所を教えてください」
もともとそのつもりでした。
私がいきなり彼女の居場所を聞いたとしても、きっと警戒されて教えてはもらえない。なのでその前にすべてを。あなたの知らない、あなたの家族の秘密を伝えなければならない。
その覚悟を決めるまでに、二カ月もかかってしまいました。ですが、これで決着をつけます。
「……分かったわ。正直まだ半信半疑な部分も多いけど、とりあえずあなたの話を聞かせてもらってから、その後のことは考える。それでいいでしょう」
良かった。これで断られてはすべて台無しです。
「では、その前に、まずはあれですね」
そう言って、私は席を立ち、机を回って一ノ瀬さんの傍へと向かいます。
「? 何かしら?」
これはずっと始めから決めていたことです。一ノ瀬さんに話す時はまず、彼女の挨拶から。それは二カ月どころか二年前。この心臓をもらったときから決めていました。
一ノ瀬さんに近づいた私は困惑する彼女を無視して、そのままそっと抱きしめます。
「ちょっ⁉」
「しっ! 少しこのまま、静かに」
「っ!」
ドクン………ドクン………ドクン………ドクンッ
「な、なに……? 一体何のつもり?」
「分かりませんか? この鼓動。あなたは昔、少なくとも二年以上前までは何度も、何度も聞いたことがあるはずです」
「鼓動? 心臓の――……ッ⁉ まさか――っ」
「気づきましたか? そう、この鼓動、私のこの心臓。これはあなたの母親、一ノ瀬綾香さんのものです。そして彼女のその前の名は、皇綾香。つまり、私とあなたは双子の姉妹なんです」
では、お話ししましょう。私が知る限りの、あなたの家族の物語を。




