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彼女の昔話、の形

 私はずっと一人でした。

 ずっとずっと一人。

 真っ白い部屋、ただ時間だけが過ぎていくだけの日々。

 毎日朝、昼、晩、食事と検査のために看護師さんや父が部屋を訪れるとき以外、私はいつも一人です。


 けれどそんなある日、私のもとをある美しい女性が訪れました。


 腰まである真っ黒な髪に整った目鼻立ち。目の下には私と同じ泣き黒子があり、息をのむほど美しい、むしろ怖いとさえ感じてしまうその美貌に優しげな印象が加わって、不思議と親しみが持てます。まさに完璧な『美』。絶世の美女とは彼女のことを言うのだと今でも私は思います。

 彼女の名前は一ノ瀬綾香さん。

 どこか懐かしい。とても温かく愛おしい。けれど知らない。そんな雰囲気を持つ彼女は開口一番言ったのです。


「こんにちは。早速ですが今日からあなたは私の娘です。私のことは気軽にママ、お母さん、マイスイートマム。エトセトラエトセトラ……。お好きなようにお呼びください」


「……へ?」


 ここまで間抜けな声が出てしまったのは初めてです。

 とりあえず良く分からなかったのでもう一度聞いてみます。


「わたしがあなたの子供? お姉さんは、わたしのお母さんなの?」


 幼いころの私はとても純粋で可愛らしいですね。普通だったら、突然現れた見知らぬお姉さんがいきなり自分の母親を名乗ったりしたら、問答無用でナースコールするところです。


「ふむ。登場シーンなのでインパクトを出すために我ながら結構おかしなことを口走ったつもりでしたが、これで動じないとはなかなか大物ですね」


 自覚はあったようです。というかいくら回想だからって登場シーンとか言うのはやめてください。一気に話が軽くなってしまいます。


「すみません。ではもう一度、今度は始めから真面目にお話しします」


 どうせなら始めからそうして欲しかったのですが……。まあ、もういいでしょう。


「では改めて。こんにちは、私はあなたのお母さんです。気軽に大好きなママ、とお呼びください」


 ストップ。まったく始めから進んでいない上に図々しく要求を増やしてきました。

 というかもういい加減話を進めたいのですが。


「やっぱり♪ あなたわたしのママなの? 嬉しい♪ やっと会いに来てくれたんだね?」


 喜ぶ私。天使ですね。


「っ……。いえ、私はあなたの実母ではありません。今日からあなたのママになる綾お姉さんです」


 言ってサムズアップするお姉さん。悪魔ですね。

 というかあれだけお母さんお母さんと言っておいて実母じゃないんですか⁉

 もう何が何だかわかりません。


「え、……そうなんだ。やっぱりママじゃないんだね。……やっと会えたと思ったのに」


 落ち込む私。

 さっきまでの笑顔が嘘のようです。


「………」


「……あ、ごめんね、お姉さん。お姉さんに会えたのは嬉しいんだ。……でも、わたし、今まで一度もお母さんと会ったことなくて――」

「っ!」


 ――お母さんはわたしのこと、……嫌いなのかな。


「いえっ、それは違います!」


 幼い私の言葉を遮ってお姉さんはきっぱりと言い切ります。


「すみません、少々冗談が過ぎてしまいました。あなたを傷つける気はなかったんです。本当に、……そんな言葉を言わせたかったわけではないんです」


 心なしかお姉さんの声は震えているようでした。


「お姉さん?」


 心配そうに声をかける幼い私。


「いえ、そもそも今さら私が母親を名乗ること自体図々しいですね」

「?」


 先ほどまで相当図々しい態度をとっておきながらどの口が言っているのでしょう。

 まあ、そんな冗談を言える空気ではありませんが。


「すみません。先ほどまでの話、あれは冗談です。私はあなたのお母さんではありませんし、これからママと呼ぶこともしなくて構いません。もちろんマイスイートマムも」


 それは始めから呼ぶ気はありません。


「改めて、私の名前はすめ――一ノ瀬綾香(いちのせあやか)。わけあってあなたの話し相手をすることになった、謎の美人なお姉さんです。これから私を呼ぶときは綾さん、綾お姉ちゃん、へいそこの美人。エトセトラエトセトラ……。お好きなようにどうぞ。ちなみに私のおすすめはへいそこの――」


 先ほどと似たような紹介。けれどもうその言葉のどこにも『母』の文字はありません。


「綾お姉さんだね♪ 私の名前は皇キララです。よろしくお願いします」


 言ってちょこんとお辞儀をする私。もうほんと食べちゃいたいくらい可愛いですね。

 キララというキラキラネームもこの頃は恥ずかしいとは思いませんでした。


「美人……まあいいです。こちらこそよろしくお願いします。では、私はあなたを呼ぶときはキーちゃんと呼びますね」

「キーちゃん? わたしキーちゃん♪ えへへ♪」


 今なら全力で断るのですが、その頃の私はもちろんそんなことしません。それどころか「キーちゃん♪、キーちゃん♪」とまるで始めてもらったプレゼントを愛でるように、何度も何度も繰り返します。。

 まあ、これまでそんな愛称で呼ばれたことなどなかったので仕方ありませんが。



「さて、キーちゃん。自己紹介も済んだことですし、改めて言っておきますね」


 言ってお姉さん、綾さんは幼い私の前に彼女の右手の小指を差し出します。


「?」


 分からない私。


「うふふ、こういうときはこうするんです」


 綾さんは幼い私の右手をそっと握ると、その右手の小指に自分の小指を絡ませてきます。


()()()()()()、約束です」

「約束?」

「ええ。約束。私とあなたはこれから友――いえ、それはまだ将来に取っておきましょう。私とあなたはお話し相手です。週に数回、私はここを訪れてあなたとお話しします。だからあなたは毎週その日を楽しみにしていてください」


 自分と話すことを楽しみにしておけとは、物凄く図々しい人ですね。


「ほんとっ⁉ またこうして綾さんに会えるの⁉」


 まあ、幼い私にとってはそれが本当に楽しみになるのですが。


「ええ。あなたがいい子にしている限り、私は必ずあなたとお話ししにここへ来ます」

「~~~っ! うん‼ わたしいい子にする! だから綾さんも絶対来てね!」

「はい、約束です。その時はこうしてたくさんお話ししましょうね」

「うん、お話しする♪」

「ふふ、では、ゆび……」

「?」

「………切りません」

「え?」


 困惑する私をよそに、綾さんはそのままその繋がれた指を空いている左手で包み込むように握りしめると、


「こんなに可愛いあなたに針なんて飲ませられません」


 そう言って愛おしそうに、そして何故か何かを懺悔するようにその大きな胸で抱きしめるように包み込みます。


「やっぱり約束なんて破っても構いません。私を嫌いになっても構いません。ですがどうか元気で、元気な姿を見せ続けてください」

「?」


 幼い私にはその涙の意味など分かりませんでした。

 けれど、それでもその彼女の思いまで伝わらない程幼いわけでもありません。


「うん♪ やっぱり、約束! いつも元気に、楽しみに綾さんを待ってるから。だから綾さんも必ず会いに来てね! 絶対だよ!」


 言って幼い私は彼女の胸に飛び込みます。あまり激しく体を動かしてはいけないと言われているのですが、これは仕方ありませんね。


「っ!」

「エヘヘ~」


 以外にも困惑する彼女に私はその喜びを体中で表現するかのように微笑みかけます。


「……ふふ。ええ、ならばやはり約束ですね。これからずっと私はあなたに会いに来ます。ですのでどうか、どうかずっと笑って――」


 そこから先はもはや語る必要はないでしょう。

 これが私と彼女、綾さんとの出会いです。



 *



 長い話です。語り終えた私は一度一息つきます。


「……なるほど。まだはっきりとは分からない部分は多いけれど、あなたと母との関係については少し分かったわ。母が私たちの知らないところであなたと会っていたということには驚いたけれど」


 言って一ノ瀬さんは飲みかけだった紅茶を一口すする。


「でも、今の話だけではあなたと私の関係までは良く分からなかったわ」

「ええ、これはほんの前振りです。本題はこの後。これからお話しする話がまさにそのことについてなんです」


 と言っても、私もそれについてはあとになって父から聞いたことがほとんどなのですが。


「そう。では疲れるでしょうけれどもう少しだけお願いできるかしら?」

「ええ、そのためにここにいますので」


 まだまだ時間はあります。外で待っていただいている九十九さんには申し訳ありませんが、また長い話を聞いてください。



 *



 まずは私のことについてお話しします。

 実は私、高校生となって一ノ瀬学園へ入学するまで、一度も学校というものにきちんと通ったことがありませんでした。昨日少し九十九さんにも聞かれてはぐらかしてしまったのですが、私に友達がいなかったことも、他の人より常識が欠けていることも、それらはその事が大きな原因なのです。……それから、あまり成績が良くないのも。嘘じゃありませんよ? ……ちょっと、いい訳でもありますが。

 とはいえ、多少のズルはしたとはいえ一応一ノ瀬学園に合格できたわけですから、まったく勉強をしていなかったわけではありません。直接学校には通っていませんが、義務教育で教わる内容はそれなりに勉強していました。そしてそれを教えてくれていたのが、週に何度か私の部屋を訪れては話をしてくれる美人なお姉さんなのです。


 私は幼いころから体が弱く、そのうえ心臓を患っていたため、生まれてからずっと父が経営する総合病院の病室から出たことはありませんでした。外出もあまりできなかったのは父の心配性な部分も大きいのですが。

 ある日、いつもと様子が違う父が涙を流ながら言いました。


「成人式、君の晴れ舞台は見られないかもしれない」


 すまないと。私は娘一人救えないダメな父親だと。そう言って嗚咽(おえつ)を漏らす父。いつも患者さんに慕われるその偉大な背中はまるで弱弱しく、私は父のそんな姿をこれまでに見たことがありませんでした。


「泣かないで、お父さん。……ごめんね、強く生まれてこられなくて。私が病気じゃなかったら、お父さんも泣かなくて良かったのに。そしたらきっと、お母さんも会いに来てくれたのに」


 別に寂しかったわけではありません。悲しかったわけでもありません。

 ただ見たくなかった。笑っていて欲しかった。

 だってこれまで見た父の笑顔はすべて何かをこらえて、泣きそうな顔を必死で取り繕っているようだったから。


 今思えば、私は私の死に無関心だったと思います。別にいつ死んでも構わなかった。

 なのでそう言われた時、私が最初に抱いた感情はそれでした。


 そんな私を父は複雑そうな、何かをかみ殺したような表情で、けれど必死に笑顔を作って頭をなでてくれました。

 そんな表情、させたいわけではありません。それなのに私は父の笑顔を奪うばかりで何もできない。

 やっぱり、私は生まれてこなければ良かったのでしょうか?


 その頃の私はそんなことばかり考えていました。


 さて、そんな私ですが、小学校に入学する年の春だったでしょうか。一人の恩人との出会いによって私の毎日が一変します。

 それが先ほど語った一ノ瀬綾香(いちのせあやか)さんとの出会いです。


 その日から、私は私になりました。

 それからの毎日は楽しかった。

 毎日ではないけれど、毎週末には必ず彼女は来てくれます。

 私は週末を心待ちにするようになりました。


 それまで検査や手術の予定ばかりで見ることもしなかったカレンダーを毎日見ては一日千秋待ち遠しく。月曜日を忌々しく感じ、金曜日を特に嬉しく感じる。まるで普通の学校に通う女の子のようです。


 ある時から、学校に通えない私に彼女は勉強を教えてくれるようになりました。いつか病気が良くなった時、私が学校に通えるようにと。


 彼女の来ない平日に問題集を解いては、分からないところを週末に聞きます。

 勉強は難しかったけれど、そんな日々が楽しかった。


 勉強の合間に彼女が話してくれる外の話はとても面白く、ついつい勉強の手がとまってしまいます。

 ただの他愛ない話でも、それまで話し相手などいなかった私にとってはそれだけで幸せでした。


 ……正直、最初はこの病室から出られない私がいくら勉強したところで、意味はないと思っていました。

 けれど、彼女に勉強を教わるうち、何故だかそれまで考えもしなかった未来のことについて思いをはせるようになりました。それと同時に、学校というものにそれまでなかった大きな興味を抱くようにも。


 いつかこんな日々を積み重ねていった先、もしかしたら私はみんなと同じように、同じ教室で同じ青春の日々を過ごし、友人とくだらない話で盛り上がり、テストのたびに勉強しなかった自分を叱咤し苦しみ、放課後にはお疲れ様会と称してカラオケでテストの答案を破く。時に苦しく、そしてそれ以上に毎日が楽しく輝いている。


 そんな本の中でしか見たことのない、夢のような日々を送れる日が来るのではないか。いつの間にか綾さんと過ごす日々は私にとって未来への希望になっていました。


 ……ですが、その分だけ。未来を望めば望むほど、それまであまり気にしていなかった私の病気の重さを、私は知ることになります。



 同学年の子供たちは中学生になる年の春。

 その日は彼女の来ない平日でした。

 お昼の検診を受けた後、昼食を、と言っても栄養食なのであまり味はしませんが、食べた私は彼女から渡された問題集を手に取り今日の分のページをめくりました。


 ――それは何の前触れもなく、私に現実の恐ろしさを突きつけてきます。


 プリントの端をつまむため伸ばした右手。おかしな違和感。なぜだかその手がぼやけて見えて、それにいつもより視界が歪んでいます。心なしか体も重いような――


 ビ――――――…………


 遠のく意識のなか、何とかナースコールを鳴らした私の意識はそのままプツリと途切れました。


 それから私が目を覚ましたのはその日の夜でした。

 検査の結果、原因は成長期の体の発達に臓器の発達が追い付いていないことだと分かりました。倒れたこと、それ自体は大したことではありません。いつでもこうなる可能性はあると言われていましたし、実際このようなことになったのも一度や二度ではありません。


 もともと体の弱かった私ですが、それに加えて心臓に先天性の病気を患っていて、そのためこれまで学校にも行けずに入院していました。一度は人工心臓を入れることも検討されたのですが、それはその他の臓器への負担が大きいため保留されました。体の負担を考えると臓器移植手術でしか助かる術はないとのことです。

 けれどただでさえ相性などの問題もあり、尚且つ数に限りのある臓器で、しかも心臓となると私の命が尽きるまでに私に合う心臓が回ってくる可能性はとても少ない。実際、もしこのままドナーが現れなければ成人式は迎えられないと昔父に告げられました。


 けれど、それでも良かった。

 私が運よくそのドナーの方に巡り合えたとして、心臓を移植できたとして。それで私は本当にその価値に見合った生き方ができるだろうか?

 もし私にそれを渡さなければ他の人が助かるかもしれない。

 私の人生にその方の犠牲を背負うだけの価値があるだろうか? 

 ……いいや、ない。だから私は望まない。私が望まなければ他の誰かが助かる。だから私は助からなくていい。


 そう、そのはずです。それが正しい。私は別に生きなくていい。他の誰かを差し置いてまで生きながらえるほど、私の人生に価値はない。

 少なくとも幼い私はずっとそう思っていたし、今でもそれが正しい選択だと思います。

 ……けれど、それなのに。


『成人式、君の晴れ舞台は見られないかもしれない』


 なぜか今になってあの日の父の言葉を思い出します。

 あの時私はいつ死んでもいいと思っていた。それなのに――


 この毎日が終わってしまう。


 それを認識したとき、私の胸を言いようのない恐怖と焦りが襲いました。吐き気がして、怪我をしているわけでもないのに胸が締め付けられるように痛い。

 そして私は理解しました。今まで見ていたものはすべて私の希望が形作った甘い甘い夢の世界だったのだと。


 別にこういうことは昔からよくありました。今回のこともあくまで予想できていた範疇で、そこまで深刻になる必要はないのだと後から父も言っていました。特に幼い頃はしょっちゅう具合が悪くなっていましたし、倒れて意識を失ったことだって一度や二度ではありません。

 ただ、最近はあまりそういうこともなかった。大きくなっていくにつれ体も次第に丈夫になり、最近はあまり体調を崩して倒れてしまうようなことはなくなっていました。心臓の病気以外は同年代の普通の女の子達と変わりません。急にせき込んだりすることも以前に比べればずっと少なくなっているし、きっと外を走り回ることだってできます。


 だから、つい考えてしまっていたのです。

 もしかしたら私はこのまま生きられるのではないか。この病気もいつかは治って、いつか言った綾さんとの”自由”の約束を叶えられる日が来るのではないか。

 そんな甘い希望を、愚かにも抱いてしまっていたのです。


 その日から、それまでの楽しかった毎日は反転し、私に牙をむくようになりました。


 希望の糧だった勉強はペンを握れば握るだけ私を不安にさせていきます。

 あれだけ楽しみでならなかった綾さんとのお話も、あまり聞きたくなくなりました。

 いつしか勉強もしなくなり、綾さんにこの言いようのない不安をぶつけて八つ当たりしてしまったこともあります。

 自分でも最低だと分かっています。でもどうしてもだめでした。未来を見れば見るほど、私は不安で不安で仕方なかった。


 ある時、いつものように週末に私の病室を訪れた綾さんに、私はつい心にもないことを口走ってしまいました。


「もう来なくていいよ、綾さん。……綾さんと話すの、あんまり楽しくない」


 嘘です。

 本当は楽しかった。

 ずっとこのまま話していたかった。

 ずっとそばで頭をなでていて欲しかった。

 くだらない話をとぼけたことを口走りながら語っていて欲しかった。


 でも、それよりも辛かった。


 知らなかった。

 望んでも結果が分かっていることに執着することが、これほど辛い事だとは思わなかった。

 だからこれ以上は、これ以上は求めないでいようと思った。

 これ以上求めたら、耐えられないから。


 そんな私に彼女は言いました。


「……そうですか。すみません。楽しい思い出を作ると約束したのですが、どうやらできていなかったようですね」

「っ! ……そ、そうだよ。だからもう来ないで! わたしは一人でも平気だから!」


 泣くな。私。

 泣いてはいけない。

 必死に涙をこらえて私はありったけで彼女を拒絶します。


「分かりました」

「……っ」


 静かに、何かを決心したように綾さんは言います。


 ああ、これでもう嫌われてしまいましたね。

 知らず私の目からは一粒の雫がこぼれていました。

 今まで感じたことのないほど胸が痛く、苦しい。それはあの倒れた時に感じた痛みをはるかに超える、ずきずきと鼓動とともに私を追い立てます。


「――だが断る!」


「……え」


 突然大声を出した綾さんはおもむろに椅子から立ち上がると、いつかのようにその大きな胸に私を抱きます。


「な、なんで……っ」


 そんな彼女の言葉を私はすぐには理解できませんでした。

 その意味を理解したとき、一瞬ある期待が私の頭をよぎります。けれど私は知っています。それが甘い考えだということを。

 私はその思考を頭の隅に追いやって、忘れるために急いで口を開きます。


「っ……わ、分かったって言ったじゃないっ! もう来ないでって! お願いだから――っ」


 そこからは言葉が出てきませんでした。

 なぜでしょう? 彼女の鼓動を聞くたびに私の胸の痛みが引いていきます。


「ええ、言いました。あなたはもう来ないでと私に言って、私は分かりましたと答えました」


 優しい声。ともすればこのまま聞いていたいような。


「だったら!」


 その誘惑に何とか抗いながら私は言葉をつなげようとして、


「ですが」


 今度は優しく、そしてどこか力強い声に遮られます。


「私はあなたと会えなくなるのは嫌です。そんな生活は耐えられません。第一、これまで何年も私の週末の予定はあなたとのことで埋め尽くされていたのです。これから一体どうやってそれ以外の生活にもどれましょうか?」

「っ!」


 物凄く身勝手でわがままな言葉。

 けれど私は知っています。

 それが彼女の優しさであることを。

 私の気持ちをすべて察したうえで、それでも傍にいたいと伝えてくれているのだと。


「そ……、そんなの綾さんのわがままじゃん!」

「ええ。ですがキーちゃんは、私がわがままを言わなかったことがあると思いますか? いいえ、ありませんとも。私が傍にいると言った以上、仕方ないからいてやるよという男気、見せてくださいね」


 私は女の子なのですが。

 そんなことを考えてつい頬が緩んでしまいます。その拍子にまた一粒私の目から涙がこぼれます。


「……でもっ、……でも!」


 それでもいつか失くしてしまうのに。それを分かっていてこれ以上この胸の痛みに耐え続ける。それが自分にできるだろうか?


「……あなたは、あなたは自分が傷つくことばかり気にしていますが、私のことは考えないのですか? あなたがいなくなることで、他の誰かが傷つかないとでも?」


「っ!」


 初めてかけられる厳しい言葉。

 その言葉は重く、正しい。

 でもそれを口にする彼女の目は潤んでいて。彼女もまた何かを耐えながら、それでも優しい言葉をかけてくれているのだということが分かります。


「……すみません、少し厳しい言い方をしてしまいました。ですが、私はあなたがいなくなれば耐えられない程この胸は痛みますし、あなたがもう来ないでくれと言った時、その意味を分かっていてもこの胸は痛くて痛くて仕方ありませんでした」

「……綾さん」

「あなたの痛みは分かります。……ですが、それはあなただけではありません。あなたの未来が無くなると、まだ決まったわけではありません。一人で耐えられないのなら私がいます。あなたのお父さんだっています。……あなたが一人先にあきらめてしまうのは、そんなあなたの未来を信じている私たちを深く傷つけているのだと分かりませんか?」

「っ、……だって、……だって。~~~っ」


 厳しい言葉に優しく温かい声。

 私の胸を今度は先ほどとは違った痛みが襲います。

 胸が痛いわけではない。けれど苦しい。

 言い換えるなら胸がいっぱいになったというような。

 もう無理でした。私の目からは決壊したダムのように大粒の雫が溢れます。

 耐え切れなくなった私は彼女の胸に抱きつくと、幼い子供のように泣きじゃくります。


「ごめんねっ……。ごめんね綾さん!  わたし自分のことしか考えてなくて……っ。辛くて、痛くて、知らなくて……っ。一人だと思って……っ。ごめんね……っ。来ないでなんて言って。面白くないなんて……っ。……嘘だから! ぜんぶ、ぜんぶ嘘! ほんとはずっと来てほしい。面白くない話でも何でもいい、ずっとそばにいて――」


 涙とともに溢れる言葉。もう自分の気持ちに嘘なんて吐けませんでした。もう彼女を拒絶することなんてできませんでした。

 そんな私の頭を優しくなでながら、


「ええ。大丈夫、分かっています。分かっていますよ。大丈夫です。ずっと私が傍にいます。怖ければ手を握ります。不安になればこうして頭を撫でます。いつだって抱きしめます。あなたの未来を、私はあきらめません」


 そう言って私が泣き止むまで抱きしめ続けてくれました。


 ああ、きっと私はその言葉が聞きたかった。

 傍にいると、そう言って抱きしめて欲しかった。

 一人ではないと、それを形にしてほしかった。



 それからの日々を私は全力で生きました。

 一時期やめていた勉強はその分を取り戻そうと更に熱心に取り組み、週末には綾さんとのお話しを時間が許す限り目いっぱい楽しみます。


 あまりに時間がもったいなくて、ずっと口を動かし続けていたら、思わずせき込んで診察に来ていた父に心配されたこともありました。

 なぜだかその時父と顔を合わせた綾さんが複雑そうな表情をしていたのは不思議でした。そういえば私の前で二人が顔を合わせたのはあの時が最初で最後でしたね。


 そんな日々はこれまで以上に楽しく、未来のことなんて考える暇もありませんでした。ええ、きっと、その時々が私の未来だったのです。


 ですが、やはり私の残された時間は時々刻々と過ぎ去っていきます。

 綾さんとの毎日を楽しみながらも日々少しずつ、けれども確かに変わっていく体調の変化を私は必死で見ないようにしていました。食欲がない日が続いても、咳が止まらず眠れない夜があっても、突然体が動かなくなった時だって、私は必死で笑顔を作ります。


 夏が過ぎて秋が来て、昔、綾さんと約束した日、あの日青かった銀杏の木は黄蘗色(きはだいろ)に染まり、嫌でも時間の経過を教えてくれます。

 その頃にはいよいよ誤魔化しのきかなくなった私の容態は悪化の一途をたどり、ベッドから出られない日も少なくありませんでした。

 そんな私の様子に最後の時が近づいていることを察したのか、綾さんは週末だけではなく、平日もできるだけ私の病室を訪れてくれるようになりました。


 そしてその年の冬。クリスマスの日だったでしょうか。

 その日倒れた私は次に目を覚ました時、臓器移植手術が完了し、私の長年苦しみ続けた病は完治していました。



 **



「……え?」


 一通り私の話を聞き終えた私は絶句した。

 まさか今目の前で淡々と語っている彼女にそんな過去があったなんて思いもよらなかった。


 今まで学校に通ったことがなかった? 心臓が悪い? 成人式が迎えられない?


 彼女の話を聞いている間、私はその意味を理解することで精いっぱいだった。

 そんなテレビドラマのような話が本当にあるんだという感想と、ではなぜ今こうして彼女が私の前で話していられるのか? 私の母はなぜ彼女のところへ通い続けたのか? 私と彼女とが双子? その説明は?


 彼女の話はその話一つだけではとても理解し得ない内容で、私の頭の中はいくつもの疑問ではち切れそうだった。

 話をしているとき、彼女はただ穏やかに、けれど何かを我慢するように、必死に感情を押さえつけるように笑顔を作っていて、それを見て、この話は事実なんだと思った。そしてきっと、私は一生かかっても彼女のその心情を理解などし得ないだろうと思った。


「あなたの話、……その、申し訳ないのだけれど、こういう時どういう風に言えばいいのか私には分からなくて……」

「ええ、構いません。あなたが優しいことくらい、その目を見るまでもなく分かっていますので」


 目?

 言われて私は今自分の視界が歪んでいることに初めて気づいた。


「っ! ち、ちがうの! これはっ……、い、いえ、別に違うわけでは! ……ええと」


 否定しようとして、できなくて、そんな私に皇さんは嬉しそうに、


「フフ、ええ、すみません。あの、良かったらこれ使ってください」


 そう言って自分の鞄の中からハンカチを取り出して私に渡す。


「……悪いわね。その、……ありがとう」


 いつぶりだろう。人にちゃんとお礼を言ったのは。少し恥ずかしい気がする。


「はい、こちらこそ、こんな信じられないような話を最後まで聞いてくれてありがとうございます」

「? 信じられないような話?」

「……はい。さっきの話、すべて事実で私にとってはそれが当たり前の実話ですけど、でも普通に学校に通って普通の人生を、羨ま――いえ、当たり前の生活を送ってきた方にとってはとても信じられないような話です。それこそドラマや映画の話を聞いているような」


「…………」


 それは否定できない。事実私もさっき同じようなことを思った。


「だからずっと不安だったんです。まだ話していないことはありますけど、でもすべてを話したとき、あなたはそれを信じてくれるだろうか。私を家族と、双子の妹だと言って受け入れてくれるだろうか。そんなことを考えるとなかなか話せなくて」

「……なるほど、あなたがここに来るまでに二カ月もかかったというのも、何も人見知りだけが理由ではなかったのね」


 そして彼女が言っていた通り友人がいないのも、常識が抜けているのも。


「……はい。こんな突拍子もない話、聞いてくれただけで嬉しいんです。信じてもらえるなんてそれこそ夢のような」


 その気持ちは分かる。いくら事実でもこのような非現実的な、いえ、私たちのように普通の生活が、当たり前の毎日を送れている人間からしたら信じられないような話。それを話そうとして果たして相手が信じてくれるだろうか? 冗談だと思ってあしらわれることだってあるかもしれない。嘘だと言って責められることもあるだろう。そんなことを考えてしまう気持ちはよくわかる。

 けれど、


「あなたのその目。あなたは心臓の鼓動を聞かせてくれたけれど、けれどあなたのその目を見ればそれが嘘でないことなんてすぐにわかるわ」

「え?」


 言って私は彼女の目をしっかりと見つめる。


「私とあなたはよく似ている。改めて言われると確かに顔立ちや背格好は本当にそっくりね。まあ、あなたは病気のこともあって体が少し小さいけれど、それでも双子だと言われれば納得できるわ」

「は、はあ……」

「でも、あなたのその目は違う」

「?」

「あなたのその目の下の泣き黒子。母さんにもあったでしょう? その目を見れば分かるわ。そっくりだもの、あなたのその目。私はずっとその目に憧れていた」


 あなたは最初、彼女に会った時、怖いとさえ感じる美しさだと言ったけれど、その目の下の泣き黒子はそれを和らげているとも言った。

 けれど私は、私には……。


「私はよく怖いと言われていたから。というか今でも言われるわ。だから同じ目のはずなのに優しく見える母さんの目に、私は少し憧れていたの」


 まあ、彼女の背負ってきたものに比べたら私の苦労なんて本当にただのわがままでしかないけれど。……それでも。


「だから少しだけ、あなたが羨ましいわ」


「っ! ……ふふ、あはははは」


 少し本音を語ってみるとなぜだか皇さんは嬉しそうに笑いだす。


「?」

「い、いえ、特に意味はないのですが。なんだか嬉しくて」

「嬉しい? 目を褒められて?」


 その気持ちは分かるけれどそれほどだろうか?


「いえ、それもそうなのですが、……あなただからです」

「私だから?」


 なんだか分からずオウム返しする私。


「あなたに私が母に似ていることを羨ましいと言ってもらえた。それは私にとって友人ができたことと同じくらい嬉しい事です」

「?」


 良く分からないけれど今の彼女を笑顔に出来たのなら”姉”として嬉しいと思う。


「……そう。まあ、なんにしても私はあなたのさっきの話、一言一句すべて信じるわ。そしてごめんなさい。あなたの事情を知らなかったとはいえ疑ってしまって」


 言って私は頭を下げる。人に理不尽に嫌悪感を与えた以上、謝罪するのは当然だ。


「い、いえ、こちらこそ信じてくれてありがとうございます」



 彼女の話は信じる。それは確定だ。

 けれどまだその話の全てを理解できたわけではない。

 一つだけ。まだ疑問が渦巻く思考をなんとか押さえつけ、さっきの彼女の話でまだ気になっていることを尋ねる。


「最後、あなたの容態が悪化して冬が来て、その後は」

「はい。濁しました」


 私がそれを聞くことは予測していたと答える彼女。意図的に濁したのにはきっと理由があるのだろうがそれは今聞いてはだめなのだろうか? それにまだ具体的な彼女の病名や私たちの関係、綾さん、私の母との関係、なぜ彼女が今母の心臓を持っているのかなど、分からないことは沢山ある。そしてそれらはきっとその彼女の濁したところに関係している。


「……すみません。全てを話すと言ったのですがやはり今この場でこれ以上を伝えるわけにはいきません」

「それは、……私が関係しているの?」

「それもあります。けれどそれ以上に、この場でそれをすべて赤裸々に語って聞かせたとして、もしかしたらすべてをメチャクチャにしてしまうかもしれないからです」


「っ……」


「すみません、ですがこれ以上は」

「……分かったわ」


 彼女がそういうのであればきっとそうなのだろう。この話は彼女がすべてだ。彼女が言えないというのであれば聞けない。

 けれど、


「けれど、ここまで聞いた以上いつかすべてを知る必要がある。そのための覚悟はもうできているつもりよ」


 この話の全ては彼女だけれど、この問題の関係者は私と彼女、そして”私たち”の家族だ。

 これが私の問題である以上、私にはそのすべてを知る権利も義務もある。必要ならば責任を取る覚悟だって。


「一ノ瀬さん……」

「私は逃げない、何からも。だから今でなくていい。けれどいつか話して。きっと私は受け止めるから」


 薄々感づいてはいる。けれどそれは言葉には出さない。出してしまえば取り返しがつかなくなるから。だから彼女の言葉をすべて聞いてから考える。


「だからそれまで私とあなたはこれまで通り一ノ瀬雅と皇流星。いつか双子になるその日まで、私とあなたは赤の他人よ」


 厳しくつき放したように思われただろうか? 私が彼女との関わりを避けていると。けれどそれは違う。それだけは違うのだ。


「……分かりました。大丈夫です。私はちゃんと分かっています。あなたと私は似た者同士。そうでしょう?」


 ……どうやら心配はないようね。


「ええ、では改めてこれからよろしく。皇流星さん」


 そう言って私は右手を差し出す。


「はい、どうか末永くよろしくお願いします。一ノ瀬雅さん」


「いえ、末永くは無理ね」

「えっ⁉」


 彼女の差し出してきた右手をそっと躱して言う。

 あっさりと彼女の言葉を否定した私に泣きそうになりながら驚く彼女。


「うふふ、だっていつまでも()()のままなんて私は嫌だもの。ね?」


 さっきまで散々やられたので少しからかってみる。

 すると彼女はポカンとしていたけれど、少しして私の言葉の意味に気づいたのか再び少し悔しそうに微笑むと、


「はい、ではそれなりに短い間ではありますが、どうかよろしくお願いします。一ノ瀬さん」


 そう言っていつか見た母にそっくりの笑顔で私の右手を――いえ、正確には私の右手の小指を彼女の右手の小指でつかむと、


「”ゆびせんぼん”、です」


「……ええ、”ゆびせんぼん”、ね」


 私たち姉妹の関係が始まった瞬間だった。



 その後、どうせならということで、二人で母に会いに行くことになり、皇さんが彼に連絡して予定を確認していたら彼が入ってきたというわけだ。

 ちなみに、彼を追い出した木曜と金曜は彼女が家の用事で部を訪れなかったこともあり、日曜になるまで顔を合わせることはなかった。



 **



 電車を降りた後、近くのホームセンターで線香や菊の花、ろうそくに掃除道具等を購入した私たちは目的の場所に到着しました。


「ではこれは私が持っていくから、皇さんは買ってきたものを持って先に行って待っていてもらえるかしら?」


 ここまでずっと荷物を持っていてくれた一ノ瀬さんが買ってきたものが入っているビニール袋を私に差し出します。


「い、いえ、一ノ瀬さんだけに重たいものを持たせるわけには」

「構わないわ。というかその……、いえ、とにかく大丈夫よ、気にしなくていいわ」


 この前しばらくは他人として接すると言っていたけれど、やっぱり気を遣わせてしまっているようです。


「ですが」

「気にしなくていいと言っているでしょう。そもそもあなたは私の依頼人なの。客に荷物持ちさせるなんておかしいでしょ? まあ、そっちの袋は持ってもらうけれど」


 言って一ノ瀬さんは私にビニール袋を押し付けると、共同の手桶に水を汲み始めます。


「……分かりました。ではお言葉に甘えて先に行って掃除、始めておきますね」


 一ノ瀬さんが頑固者だということは既に理解しています。これ以上言っても変わらないので私は言われた通り荷物を持って先に向かいます。



 とは言ったものの、そもそも始めは場所だけ聞いて自分で行くつもりでしたが、一ノ瀬さんが同行してくださるということで、一ノ瀬さんに案内してもらうつもりでいたのでどこが綾さんの墓石か分かりません。

 私もですが、一ノ瀬さんも私に気を遣いすぎてすっかりそのことを失念していたようです。人に気を遣うなんてことにきっと慣れていないのでしょう。萌え萌えですね。


「それに私、お墓参り自体初めてなのですが」


 そう、散々言葉を濁したけれどきっともう既にお気づきだと思います。綾さん。私たちの母は私のドナーとなっている。その臓器は心臓。つまりそういうことです。

 そして今、私たちは彼女のお墓参りに来ています。私が一ノ瀬さんに彼女の居場所を聞いたのは二年間、会えなくなってから一度も行けなかった彼女のお墓参りに行きたかったからです。父に聞けば早かったのですが、それはしませんでした。……一ノ瀬さんにすべてを話すための口実が欲しかったというのもあります。そしてもし出来るなら、こうして二人で来たかった。なので、今日ここにこうして来られているのはとても嬉しいです。


 綾さんのお墓があるのは都内にある大きな霊園です。

 美しく陳列された墓石に草木の手入れなど、初めて霊園というものを訪れたのですが、確かに故人と再開するにふさわしい神聖な場所、という感じですね。

 あちこちから香る線香の匂いがよりそれを感じさせます。


「けれど本当に困りましたね。どこが彼女の墓石なのかまったくわかりません」


 この区にあるのは間違いないのですが。

 ちなみにこの区は京都をイメージした本格的な日本庭園が魅力で、秋には見渡す限りのもみじの絶景が美しいそうです。

 確かにこれぞ大和撫子という雰囲気だった彼女には合っていますね。まあ、彼女ならヨーロピアンでもなんでも似合うでしょうが。


「ああ、それにしてももう少し後にくれば良かったですかね。青いカエデの葉も美しいですが、やはりカエデといえば秋の紅葉でしょうか」


 彼女の名前を探しながらふとそんなことを思います。

 この区の売りであるカエデの葉々は残念ながら今は黄緑色です。

 これはこれで美しいですがやはり秋にくれば良かったなと少し思います。


「あれ? ……あれは」


 そんなことを考えながら歩いていると、墓石の前で目をとじ、合掌したままじっと立っている若い、……というか私たちと同じ年頃の男性が目に入ります。ご年配の方が多かったのもあるでしょうが、なぜだかその彼の背格好には見覚えがあるような。


「? ですがあれほど真剣に一体何を考えているのでしょうか……」


 このようなことを考えるのは失礼だということは分かっているのですが、その真剣な雰囲気になぜだかとても惹かれます。

 近づいてみると彼の顔が段々はっきりと見えてきます。

 とてもカッコいいですね。背が高くて、スタイルもいい。そしてとても整った目鼻立ち。


「ですが、どこか見覚えが」


 ふとそんな声が漏れます。

 いえ、私が知っている男性は九十九さんしかいません。

 しかもこれほどの美しい男性は……

 そんなことを考えていたからでしょうか。突然ぱちりと開いた彼の目。彼はそのまま少しだけ感傷に浸るよう空を仰ぎ見たかと思うと、おもむろに周囲に目を配り――


 目が合う私たち。


 おもわず見とれてしまった彼の目は美しい、それこそ秋のもみじの紅葉のようで、


「……え?」

「……え?」


 お互い間抜けな声が漏れます。

 そう、私が見とれていた男性の横顔は私の初めての友人にして、ついこの前私たちがキレて追い出してしまった人。


「「な、なんでここに皇(九十九さん)がっ‼」」


 お墓の前で大声を出した私たちはその後ぺこぺこと周囲の仏様たちに頭を下げるのでした。



 **



「へいへいそこの少年。暇なら私とお茶しませんか?」

「……連絡先を教えてあげるのでまた今度誘ってください」

「……少年、その連絡先は国民のほとんどが知っていますよ? 流石の私も驚きです」


 見知らぬお姉さんに話しかけられ、少年と呼ばれた小学生低学年くらいの少年は淡々とした声音で返す。


「知らない人に話しかけられたらこの番号を教えてあげなさいと先生が言っていたので」

「なるほど。確かにその先生は正しいですね。ですが今のあなたの選択は間違っています」


 言ってお姉さんはおもむろにピッと顔の前で人差し指を挙げると、


「綺麗なお姉さんに話しかけられたら「はい喜んで!」と付いて行くのがマナーです。その後、厳ついお兄さん達に高価な壺を買わされるまでがワンセットですね」


 さもそれが世界の常識であるかのように大真面目に言う。


「……ふむ、それは知らなかったですね。では、はい喜んで」


 疑うことなく言うとおりにする少年。

 思っていた反応と違ったお姉さんは少し深刻そうな顔で。


「……もしかすると私は今一人の少年の人生を捻じ曲げてしまったかもしれません」

「気にしなくていいですよ。僕の人生が曲がっていようが、僕はそれを探しているので」 

「? 良く分かりませんがあなたはなかなかに変わった少年ですね」


 いきなり小学生をナンパした変わったお姉さんに変わっていると言われる少年。

 だが彼はまったく気にした様子はなく当たり前のように返す。


「ええ、僕は鬼ですから。人と違うのは当然でしょう?」

「っ、……うふふ」


 平然と言う少年にお姉さんはニヤリと微笑む。

 初めてそれまでとぼけ顔だったお姉さんの表情が変わった。


「……なるほど。これはなかなか可愛い小鬼さんを見つけましたね」


 そんなお姉さんに彼は少し以外そうに言う。


「お姉さんもなかなか面白いですね。僕とちゃんと話してくれる人は珍しい」


 これを会話が成立していると考える少年。


「違います。私はお姉さんではなく綺麗なお姉さんです。亜種と希少種くらい違いますので間違わないように」

「? 確かにお姉さんはとてもきれいですね。体のすべてが黄金比に当てはまる」


 言うと少年は今まで見ていなかったとばかりにお姉さんの体を一通り見まわす。


「あまり女性の体をジロジロと見るのは非常識ですよ。まあ、褒めてくれるのならいいですけど」


 どの口が常識を語っているのか甚だ疑問だが、言っていることはもっともである。


「それはそうと、やっと私を見てくれましたね。少年」

「? 僕はずっとお姉さんを見ていますよ」


「……ふふ、やっぱり面白いですね」


 中身のあるようで無いような会話。それでも何故か二人は通じ合っていた。


 これは小学生の俺がある綺麗なお姉さんにナンパされたときの話だ。



 *



 家を出た後、昔の知り合いの墓参りに来ていた俺は、今俺の悩みの種であるところの少女達に質問攻めにあっていた。


「何故ここにあなたがいるの? ここは私の母のお墓よ」

「つ、九十九さん、さっきはすいませんでした。びっくりしてつい……。けれど一ノ瀬さんの言う通り何故あなたがここにいるんですか? まさか綾さんとお知り合いだとか」


 大声を出して仏様たちに謝った後、驚いて固まる俺達。すぐに手桶と柄杓(ひしゃく)を持った一ノ瀬も現れ、困惑したまま正気を取り戻した皇と一ノ瀬は俺に質問を繰り返す。


「ま、まあ待て。落ち着けお前ら。ほら、どーどー」


 荷物も置かずに話す二人をまずは落ち着かせる。


「とりあえず掃除なんかはもう済ませたからそれはいらないだろ?」


 言って俺は二人から荷物を預かると共同の手桶や柄杓を返しに行く。

 ひとまず彼女たちから距離をとる。この場に俺が居続けては落ち着けないだろう。



「それにしてもなんであいつら。……母さんとか言ってたな」

 何となく理解しつつもそれ以上の思考を止める。


「……何にしても、まずはこの前のことを謝らないとだな」


 先ほどまで懐かしかった霊園の景色は、今はより木々の青葉が際立って見えた。


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