握られた拳、の形
――届かない。
涼し気な表情。つまらなそうにゆっくりと瞬きを繰り返す紅い瞳が、酷く印象的だった。
その瞬間。それまで負けなしだった俺の、人生で初めての黒星だった。
家が空手の道場だったこともあり、幼いころより父親から道場を継ぐための鍛錬を受けて来た俺は、地元の大会に出場しても負けることがなかった。小学生にして大人と互角に戦える俺に、勝てるような同年代の子供はそういなかったのだ。
何度も何度も拳を突き出した。その度に自分の拳が空を切る音と鈍い痛みが返ってくる。
何度伸ばしても俺の拳は空を切るばかりで、その涼し気な紅い瞳には何の変化も見られない。
いつの間にか周囲から音は消え、暗闇の中、俺の目には真っ赤なその瞳だけが映っていた。
自分の身体が自分のものでなくなって、すべてを放り出してしまいたくなるような心地よさにも似た感覚。
幼い俺にはそれが何なのか分からなかったが、本能がそれを拒絶した。それから逃れたくて、身にまとわりつく恐怖を振り払うように我武者羅に拳を繰り出した。その度に身体には鈍い痛みが返ってくるが、そんなものは気にもならなかった。いっそ逃げ出せたならよかったかもしれない。しかしそんな考えすら脳裏に浮かばぬほど、俺の頭の中は恐怖に支配されていた。
井の中の蛙大海を知らず。痛いほどに思い知らされた。
そのわずか数分は、俺の心に敗北の恐怖を深く深く刻みつけた。
何より悔しかったのは、目の前のその少年が手加減をしていることが、ありありと伝わってきたことだ。生殺与奪の権を握られたまま、最後まで意識を飛ばされなかった。胸を焼くような苦しみは涙となって、ぐちゃぐちゃの俺の心情を表すように、しばらく止むことはなかった。
試合後、がしがしといつも握られているその大きな手で乱暴に頭を撫でられる。
涙で歪んだ視界の中。俺と同じく涙でぐじゃぐじゃになった父親の顔が、孤独の恐怖から俺を遠ざけてくれた。




