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彼女の決意と続いていく日常、の形

 ――どんなあなたでも愛しています。


 あの時、綾さんは最後にそう言って俺を抱き寄せてくれた。初めて人に抱きしめられた瞬間だった。

 今になって、本当の意味で受け入れることができた。やっぱりこいつらはあの人の娘だ。俺に今の未来を与えてくれた恩人で、俺があの時捨てようとした軽いこの命を救いあげて、価値を与えてくれた。


 部屋の中で、一ノ瀬が泣き崩れる声がした。

 はっと我に返った俺は、しばらくその場に座り込んで、幼い少女の様に泣きわめく一ノ瀬の声を聞いていた。

 その間、皇は何も言うことなく一ノ瀬を抱きしめていた。


 そして次第に一ノ瀬の嗚咽が聞こえなくなってきて、気付けば6時限目の終わりを知らせるチャイムが廊下に響いていた。


 ……っ……よし。


 ドアに手をかけ数回深呼吸を済ませた後、意を決してドアを引いた。


「「っ」」


 当然、突然ドアが開いたことに彼女たちはビクッと身体を跳ねさせる。一ノ瀬なんてまだちょっと落ち着き切っていなかったようで、ぎゅっと皇の後ろに隠れるようにして縮こまっている。ちらとこちらを覗き見る目元は赤くなっていて、まだ若干涙が浮かんでいた。


「ちょ……っ、つ、九十九……さん?」


 そんな彼女達に何も言わずゆっくりと近づいて来る俺に、皇は困惑したように首を傾げている。

 しかし俺はそれを気にせず、皇の背に隠れる一ノ瀬の傍へと歩いていくと――


「「っ!」」


「ちょっ、九十九さん⁉ な、何をしているんですか⁉」


 ――抱きしめていた。


 ちょっとだけ強引に手を引いて立ち上がらせると、その小さな肩を抱き寄せた。

 二人とも何が起こったのか分からず狼狽した様子で、皇はわたわたと手のひらで口を覆ったり目を覆ったりしている。……でも指の隙間からはちゃっかり見ちゃってるあたり、こいつももしかしてムッツリなのか?


 困惑している二人だが、正直オレも何で自分がこんなことをしているのか分からなかった。ただ、触れ合った箇所からは否応なく一ノ瀬の存在が感じられて。その今にも崩れてしまいそうなほどに線の細い身体は少し力を込めると壊れてしまいそうで。女の子ってこんなに儚い存在だったんだなと思った。


 綾さんに抱きしめられたときとは違う、失くしてしまいそうな不安がぎゅっと腕に力を込めようとするのに抗う。

 突然のことに一ノ瀬も戸惑っているのか、トクントクンという鼓動は通常よりもずっと速い。

 お互いの心臓の音が重なって、どちらがどちらのものなのか分からない。


「っ……あ、あの……」


 消え入りそうな震える声が腕の中から聞こえる。

 何を言おうかと思った。何を言うべきかと思った。

 伝えるべき言葉はたくさんあった。伝えたいこともたくさんあった。


 勝手に俺と重ねてごめん。

 勝手な期待を押し付けてごめん。

 傷つけてごめん。

 約束を守れなくてごめん。

 俺なんかが一緒にいて、ごめん。


 でも、


「……俺もだ」

「っ」


 ごめんねの代わりに形になった言葉は、自分でも驚くほどシンプルだった。

 目を見開いた一ノ瀬は真っすぐに俺の目を見つめ返してくる。


「俺もだ。……俺も、どんなお前でも愛している」


 乗っかっただけの言葉だ。もう少しうまい言い方が他にあったはずだ。

 けれど直感的に、これが一番本心に近い言葉だと思った。


「どんなお前も、お前はお前だ。一ノ瀬雅は口が悪くて、コミュ障で、不器用で、辛辣で理不尽で、鬼みたいなやつだ」

「…………」


 一ノ瀬の涙がきゅっと引っ込んでしまった。


「あ、あはは……」


 眉根を寄せて皇は苦笑いしている。


「……でも根っこのところは優しくて、真っすぐで、誠実で。心から尊敬できる凄い奴だ。それは俺が誰よりも知っている」

「っ」


 俺の言葉なんてこいつには届かないと分かっていた。綾さんや皇の言葉以外では、こいつの呪いは解けないと分かっていた。

 けれど、俺には約束があった。他でもない、綾さんが俺に託してくれたものだ。

 知らず、胸のあたりが熱くなってきて、そのまま首元を過ぎて発する言葉が熱を帯びて来る。


「これから先、お前がどんな人間になっても、俺がずっと見守っている! ()()、それが一ノ瀬雅だと証明してやる!」


 あの時感じた温かさが伝わればいいと思った。俺の空っぽの胸の中なんかでは到底あの人の代わりは務まらないだろうけれど。俺なんかではあの人の代わりにお前たちの成長を見届けていくには相応しくないと分かっているけれど。


「そうすれば、お前が何と言おうと、俺の中での一ノ瀬雅の形は不変のものとして残り続ける」


 じわりと胸のあたりに湿った感触がした。気づくといつの間にか胸の中で一ノ瀬が泣いていて、嗚咽交じりに鼻をすする音がしばらく部室に響いた。



 *



 翌日。

 昨日はあの後、二人を家の近くの駅まで見送った。その間、俺たちの間に会話はなく、なんとなく居心地の良いような悪いような何とも言えない空気が終始漂っていた。

 けれど最後、別れ際、一ノ瀬は絞り出すように言った。


「……ま、……また明日」


 あの時の一ノ瀬の顔はたまらんかったなと後で皇にラインしてしばらく盛り上がったのは内緒だ。



「……ふふ、それにしても、昨日の九十九さんの言葉は愛の告白にしては少々重たい気もしますね」


 すこぶる気まずい空気の中、意を決した皇がそんないらんことを言って茶化してくる。少々心に来るものがあるが助かった。流石に昨日のは、俺達お互い笑い話にでもしなければ恥ずかしくて顔合わせられないからな。


「……そうね。ずっと見守っているなんて、随分堂々としたストーカー宣言ね。気持ち悪くて涙が出たわ」


 昨日散々泣いた後の目を見られるのが嫌なのか、今日は一日伊達メガネをかけている一ノ瀬がしれっと皇の背に隠れて視線を逸らしながら言う。

 結構真剣に言っただけにそんな風に言われると思いのほか恥ずかしいのだが、不思議とそんな物言いも不愉快だとは思わなかった。

 いつもの日常が戻って来たなと心中で安堵しつつ、


「……泣き虫」

「「っ!」」


「あああっ、謝ってください九十九さん! 一ノ瀬さんが立ち直れないくらい真っ赤になってますから! ていうかそんなに背中にくっつかれると…って痛いです痛いです! あのっ、このままじゃ私たち二人で一つになっちゃいますっ」


「わ、わるい冗談だ。冗談だからそんなにちっちゃくならなくて大丈夫だ。もうそのことについてはツッコまないから皇を開放してやってくれ一ノ瀬」


 こいつもけっこうギリギリの精神状態で悪態をついてきていたようで、今にも爆発しそうなほど顔を真っ赤にした一ノ瀬がそのまま皇の背中に埋まろうとするのを慌てて止める。

 しかし……。

 あらためて考えると本当に恥ずかしいな。恥ずかしいというか、どうしていいか分からないというのが正直なところだ。

 昨日はつい熱に浮かされて思い切った行動をしたが、こうしていつもの日常に戻ってみるとあの時の感情をどう説明したらいいのかいまいち分からない。

 できれば昨日の話は蒸し返さず、このまま新たな日常を綴っていけば楽なのだろうが……。


 でもやっぱり、それを許さないのがこいつだよな。


「……一ノ瀬さん。あらためて言います。お母さんは、もういません。完璧に囚われる必要もありません。そのうえで、あなたはどうしますか?」


 身を正した皇の言葉に、俺も一ノ瀬も自然と身を正して座りなおした。

 たぶん、これが最後の確認だ。

 一ノ瀬自身の言葉で過去と決別し、これからどうするのかを考える。その機会を最後に皇が与えてくれた。


 しばらくの間、一ノ瀬は考え込んでいた。昨日の今日で答えが見つかったのかは分からない。ただ、それでも一ノ瀬の口から聞いておきたかった。聞いておかなければいけなかった。

 俺たちはこれからどう向き合っていくのか。その答えを。


「……私は、」


 そこで言葉を区切った一ノ瀬は、真っすぐに俺たちの目を見返すと、


「――私は、私を否定しない! いつか私が何者なのか、きっと証明して見せる」


 嬉しかった。その言葉を聞いて、ホッとしている自分がいた。

 可笑しな話だ。やっと昨日、それを否定したはずなのに。それなのにどうしても一ノ瀬に求めてしまう自分がいる。どうしても曲がってほしくないと思ってしまう身勝手な自分がいる。


「それは、あなた自身の答えですか?」

「……ええ。これは、私が自分で考えて出した答え。……ごめんなさい。もう、私は母の死から逃げない。面影を追わない。言葉を求めない。今度こそ、偽物なんかじゃない。あなたに誇れる姉になるわ」


 ――ああ、優しい目になった。余裕なんてないはずなのに、以前の一ノ瀬より今の方がよっぽど強いものを感じる。揺らがない何かを手に入れたような、そんな感じだ。


「っそれは、……ふふ、頑張った甲斐がありました」


 そんな一ノ瀬を見て、皇は安心したように頬を緩めた。ここ数日間、ずっと気を張っていたからだろう。まったく姉妹揃って泣き虫なんて困った奴らだ。

 二人の間に昨日までの険悪な空気はない。


「……それと、九十九君。……ごめんなさいっ」


 俺に向き直った一ノ瀬は、そう言ってもう一度深く頭を下げた。


「っ……まさか、お前に謝罪される日が来るとはな」


 そんなことを言って取り繕ってはみたが、正直本気で驚いていた。

 一ノ瀬雅は自分を否定しない。否定できない。自分を肯定し続けることで、不変の形を保とうとしていたから。


「そうね。私も驚いているわ。……でもそれは、こうして謝ったことじゃなくて。なぜ今までこんな簡単な一言が言えなかったのかということによ。……これまでたくさん迷惑をかけてごめんなさい。痛い思いをさせてしまってごめんなさい。甘えてばかりで、自分のことばかりで、頼りきりにしてしまって、無理ばかりかけて、本当にごめんなさい」


 これが一ノ瀬の素直な気持ちだったのかと言葉にされて初めて気づいた。

 俺は一度もそれを責めたことはないし、迷惑をかけられたとも無理ばかりさせられたとも思ったことはない。

 俺にとって二人と関わるということは綾さんへの恩返しと罪滅ぼしの意味があるからだ。あの人に与えられたものをあの人の娘に返す。つまり俺はこいつらを利用していただけだ。

 だから一ノ瀬がこうして俺に謝る必要などない。

 そう伝えようとして、けれど流石にそれは間違いだということくらいは俺にも分かる。


「人間、ごめんなさいよりもありがとうって言われた方が嬉しいらしいぞ? ……それに鈴宮が言っていた。友人ってのは、ごめんねの数よりもありがとうの数の方が多いもんなんだ……ってな?」


 自分で言っていてしっくりきた。

 俺の人生はどうしようもないくらいにごめんなさいの言葉ばかりで、謝った回数も謝られた回数も同じくらいすこぶる多いクズみたいなものだが、俺は謝られたかったわけじゃない。謝罪の言葉が欲しかったわけじゃない。


 ――ありがとう。


 たった一言、それが言いたかった。言ってもらいたかった。


「「っ」」


 珍しく良いことを言ったからだろうか。二人そろってそっくりな顔で目をまん丸にして驚いていた。

 なんというか、そんな反応をされるとこちらも困るのだが。

 むずがゆくなってきたので言葉を行動に移そうと思った。何事も人に教えるときはまず自分がお手本を見せるべきだ。


「だから、……ありがとう、だ。俺と一緒にいてくれてありがとう。見限らないでくれてありがとう。もっと優しくしてほしいとか構ってほしいとか、言いたいことはたくさんあるが、……とにかく全部。俺と関わり続けてくれてありがとう」


 知らなかった。ごめんなさいの代わりにありがとうを伝えてみると、思っていた以上に上手く言葉にならないものだ。こんな気持ちはやっぱり、俺にはよく分からないな。


「っ……わたしも、わたしもありがとう、です! 友人と言ってくれてありがとう! いつも守ってくれてありがとう! 思い出をたくさん作ってくれてありがとう! たくさんたくさん、ありがとうございます!」

「……バカ。何泣いてんだ」

「だって~~~っ」


 不思議なことに皇さん号泣である。下手すれば昨日の一ノ瀬くらい泣いているな。


「ふふ。……見ていてね、九十九君」


 そんな俺達を眺めていた一ノ瀬は決意を込めた瞳で、


「いつか必ず、私は私を証明して見せるから。その時、あなたの目に映る私の形を覚えておいて。これからの私を覚えておいて。あなたの中での私が本当の私であれるように、いつかきっと見つけて見せる」

 だから、


「……ありがとう」


 まるでひび割れた氷塊の中から悠久の時を閉ざされたままで過ごした花が咲き誇るような、そんな言葉にし難い光景だった。

 その一言はとてもシンプルで、おそらく赤ん坊でも言える何よりも簡単な言葉。どこかの言語を学ぼうと思った時、一番始めに覚える基礎の基礎。

 それなのに、その一言を聞いたこの瞬間はこれまでこいつと話したどんな思い出よりも深く、俺の記憶に刻まれた。

 きっと一ノ瀬を思い浮かべた時、真っ先に思い浮かぶ顔は今のこの表情だと思った。


 カチリと埋り始めたピースにいつかの未来を想像して、どうか壊れないようにと神に祈った。


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