育才部と記憶の中の依頼人、の形
「なあ、お前はあいつのことをどう思う?」
いつだったか、夏休みに入る前、九十九さんが聞いてきた。
その時私は何と答えたのだったか。
「なあ皇、あいつのことをどう思う?」
華さんが去った後、少し時間を潰そうと提案した九十九さんは缶コーヒーをくぴりと飲みながら、いつかと同じような質問をしてきた。
「なんだか、懐かしい質問ですね」
「はは、そうだな。……皇、今の一ノ瀬を、お前はどう思う?」
九十九さんが授業をサボらせたお詫びだと言って買ってくれたレモンティーのペットボトルを飲みながら少しだけ冗談めかして言うと、僅かに頬を緩めた九十九さんは、すぐに真剣な瞳で問い直してくる。
一ノ瀬さん。一ノ瀬雅さん。
私たち育才部の部長で、私の二番目にできた友人で、血のつながった実の双子。
「私は出会った頃も今も、彼女に抱く印象はそんなに変わりませんよ? ……ただ、少しだけ今の一ノ瀬さんを見ていると心配になるときがあります」
正直に答えていた。
私なんかとは比べようもないほど多才な彼女なのに、なぜかいつも余裕がないように感じる。いつも何かに駆り立てられるように、あるようでないような、靄のような実体のない目標に向かって進み続けている、そんな印象を抱く。
「……俺の出した結論は、正しかったと思うか?」
私の答えを聞いてふっと目を伏せた九十九さんは、それ以上その話を続けようとせず、代わりにそう言って少しだけ不安そうな目で問うてきた。
ああ、本当にまったく。私の周りの人たちは優秀で何でもできるくせに不器用すぎる。
特に目の前の彼がそうだ。
一人で何でもできるくせに、出来ないふりをしてみたり。優しいくせに、自分でそれを否定してみたり。強さを隠そうとするくせに、結局誰かが困っていたら助けてくれたり。
本当にこの人たちは似た者同士だと思う。似た者同士で、だからいつもいがみ合って、そのくせお互いに相手を傷つけてしまったらすっごく気にしてこうして面倒くさく話をこじらせている。
頼りない彼の瞳を見つめ返しながら、私はなんだか年の近い弟ができたような気分だなと――
「? 俺は真面目に話しているつもりなんだが、俺の真面目な顔はそんなに変か?」
そんなことを考えていたからだろうか。ふっと笑みが漏れ出てしまい九十九さんが訝し気な視線を向けて来る。
「い、いえ、そういうわけじゃないんですけど。……ふふ、本当に、あなたは優しい人ですね。言ったでしょう? 九十九さん。あなたは怒っていいんです。あなたはあなたの感情を優先していいんです。私たちに気を遣う必要はないんですよ」
一ノ瀬さんを故意に傷つけたことで私が怒っているのではないかとか、そんなことを気にしているのなら、それは本当に九十九さんらしい。
でも考えすぎもいいところだ。いつもいつも、気にしすぎなんですよ、あなたは。
「いや、今日のはべつに怒ったわけじゃ」
「ええ、分かっています。でもやっぱり、あなたはもっと自分の気持ちを大切にしてください。そして、それでも私たちを思ってくれるのなら」
九十九さんが何かを言おうとしているのを遮るように彼の目をのぞき込んで言いながら、
「最後の最後まで、きちんと責任を取ってくださいね、少年!」
記憶の中の母に踏み込む勇気をもらって、すべて赦すと笑顔で告げた。
**
「最後の最後まで、きちんと責任を取ってくださいね、少年!」
目の前の少女はそう言って、母親にそっくりな笑顔で俺の目を見つめ返してきた。
その瞬間、俺の中で僅かに残っていた不安が跡形もなく消え去り、同時にずっと抱いていた思いが確信に変わった。
俺の期待通り、あの人は皇の中にいた。皇の中で、ずっと俺達を見守っていてくれた。
……華さんの前で息巻いた手前、本当に情けない話ではあるが、俺では今の一ノ瀬の魔法を解くことは出来ない。どんなに俺や華さんが足掻いても、女神でなければお姫様は救えない。
だからきっと、華さんは俺を待っていたのだ。自分では決して解くことができない妹の呪いを、彼女の母である綾さんが信じ託した俺になら解けるのではないかと期待して。
けれどいざその本人に会ってみれば、自分と同じで妹を傷つけることしかできない無能……いや、傷つけることすらできない。踏み込むことを恐れて逃げ回るただの臆病者。そのくせ自分と同じであいつの選んだその先を見てみたいと思うから、傷ついていると分かっていてもあいつのことを肯定して、それでも傷ついている一ノ瀬を見ると放っておけないから手を差し伸べて。結局、見守り続けることも関わり続けることもできなくて、あいつを傷つけてしまう。
それが分かっていたから、華さんは直接一ノ瀬と関わることをしなかった。踏み込んだことはせず、ただ時折水の張ったグラスをつつくように改善の意図を探すことに留めていた。自分が何かをしようとすれば必ずまたあいつが傷つくことになってしまうから、だから心配も不安もあの笑顔の裏に隠して、ずっと待ち続けた。
しかし俺はそんな彼女の意図も理解せず、一ノ瀬と中途半端に関わって、結局どっちも選べないから滅茶苦茶にして、……そしてこのありさまだ。
本当に、期待外れもいいところだ。きっと彼女は失望しただろう。母が託した最後の希望が、こんな情けない奴で。
けれど、華さんはそんな俺をまだ見限らず、信じると言ってくれた。こんなどうしようもない俺に期待して、助けてほしいと言ってきた。
だからあの人は言ったのだ。
『私は、君にあの子のことを見守ってあげていてほしいの』
これは覚悟を決めろという彼女のメッセージだった。自分の代わりに一ノ瀬の呪いを解いて、そのうえであいつなりのあいつ自身の結論を出してほしいと俺に依頼してきた。
だから俺は聞いたのだ。
『なぜ俺を信じられる?』
そして華さんは言った。
俺を信じているのではなく、俺を信じた綾さんを信じているのだ、と。
つまり、結局最初から答えは出ていた。
この魔法か呪いだか分からない一ノ瀬の抱える問題を解決できるのは、結局のところ一人しかいない。
そしてあいつを呪縛から解き放つことができる唯一の存在は、もう既にこの世にはいないのだ。
どれだけ彼女が仕草を真似ても、格好や髪形を真似ても、微笑みからまとう香りまでを完璧に真似たとしても、どうしたってあの人になることはできない。死んだ人間は二度と蘇ることはないし、どれだけ願ってももう二度と言葉を交わすことはできない。
あの人も、あいつも、そして俺も、みんなそれを分かっていて、それでも誰かにその面影を求めてしまう。それこそ、まるで呪いにでもかかっているかのように自分の意志ではどうにもできないほどに。
だからこそ、俺達は彼女に惹かれるのだろう。
華さんが期待したのは何も俺だけではない。
一ノ瀬の呪いを解けるのは母親である綾さんだけ。
けれど、片割れならば――……
俺は優しく微笑む彼女の目を見つめ返しながら、いつかの墓場の景色を脳裏に映して、
「皇、俺の依頼を聞いてくれ」
初めて見る俺の真剣な表情に驚いた様子の皇に、
「一ノ瀬を助けられるのは、お前しかいない」
綾さんに出会った頃では考えられないなと思いつつ、どうか頼むと頭を下げた。




