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お説教、の形

 教室から出て一ノ瀬の指示通りしっかりと鍵をかけた俺は、皇と並んで階段を下りた後、皇に先に玄関で待ってもらうように言って職員室に向かう。皇は、

「せっかくですから一緒に行きます!」

 と言ってくれていたが、それは断った。

 別に一緒に行っても良かったが、これは部員としての俺の初仕事だ。どうせなら一人でやり遂げたかった。と言っても、ただ鍵を返すだけなんだがな。


 コンコンコンコンコン


「失礼しま~す」


 職員室の前。ドアを開けて中を覗くと誰の姿も見受けられない。ほとんどの教師が今は部活動の顧問として出払っているのだろう。

 それでも一人もいないなんてことは珍しいな。

 適当な先生に声をかけて鍵を返したかったが、いないのでどうしようかと考えていると、ここ数日ですっかり慣れ親しんだ凛々しい声に呼び止められた。


「おや、九十九じゃないか。どうしたんだ、こんな時間に。いつもなら君はとっくに帰っている頃だろう?」


 ちょうど職員室内の隣の部屋と繋がるドアから出てきた甘地先生は片手を挙げて気さくに微笑むと、堂々とした足取りでこちらに近づいてくる。なんだろう? ただ歩いているだけなのにパリコレでも見ている気分だ。先生がモデルをしたら今年のトレンドは間違いないだろうな。きっとみんな買いあさるね。そしてあまりにもサイズが合わなくて、まだ新品同然のものがヤフオクのおすすめ商品を占めることになるに違いない。やっぱり服は何を着るかではなく誰が着るかだということか。悲しいな。


「ええ、いつもなら今頃は家でコンピューターと将棋でもして、人間様の力ってやつを分からせてやってる頃ですけどね。残念ながらこれからはその重大な仕事もできそうにないです。なぜなら俺は今日から『育才部』の部員として美少女たちとラブコメしないといけませんから」


 とはいえ、近年のコンピューターの成長は凄まじく、将棋もチェスも囲碁もオセロも、何をやっても手加減なしのモードだとせいぜい引き分けが精いっぱいだ。だってあいつら、ほぼすべての勝ち筋が見えてるんだもん。ホント、やんなっちゃうな。……ギャル風、九十九万才だ。気を悪くさせたなら申し訳ない。


「そ、そうか。まあ、それは良かった……のか? まあいい。そういえば君は今日から部活に入部したんだったな。私の中では君はいつも十七時前には帰っているイメージだったから、忘れていたよ。それでどうだ? 初めて部活動をした感想は?」


言われて俺は今日のことを思い返す。

美少女と友達になって、部長に罵倒されて、邪魔になったから追い出される。……なるほど。これが部活か。


「そうですね。まあ、今日は特に何をしたってわけでもないですかね。強いて言うなら人生で初めて友達ができました。しかも飛び切り美人の」

「ほう、それはめでたいな。だがよく彼女と仲良くなれたものだ。昨日はあれほど煙たがられていたと言うのに。じつは意外と君はプレイボーイなのかい?」

「まあ、俺がプレイボーイかどうかと聞かれれば、ベンチいりさえさせてもらえないくらいにはプレイしてますよ。なんなら三振することさえ出来ないです。立派なバットはあるんですけどね。きっと練習不足なんですよ」


 練習でできないことは本番でできないと言うからな。というか、出場する会場がないのがそもそもの問題だ。誰か大会とか開いてくれたらいいのにな。


「……君は職員室の真ん中で一体何の話をしているんだ、まったく……。だがそうか。なんにせよ良かったじゃないか? これで夏休み以降も掃除係にならないで済みそうだな」

「ええ、そうです――ん? 掃除? ……って、ああ、違います、先生。俺、友達は出来ましたけど一ノ瀬じゃないですよ。あいつとは今でもずっと舌戦を繰り広げてます。口を開くたびに核弾頭が飛んできますからね。まあ、だいたい、というかいつも俺がフルボッコにされた上に死体蹴りまで食らっているんですが」

「そ、そうか。それは大変だな。まあ、頑張ってくれ」


 先生の同情にハハハと空笑いを返す。


「……フム。では、君は一体誰と友達になったんだい? 少なくとも教室での君を見ている限り誰かと親しくしているようには見えないが。……君の悪評はそれなりに有名だからな」

「っ」


 先生の言葉に一瞬息が詰まる。


「……知ってたんですか」


 そういえば昨日俺が先生に呼び出されたのも、俺がいじめられているのではという内容だった。今考えると、ただテストの点数がおかしいというだけでそう考えるのは少し不自然だ。 

 だが先生が最初から俺の噂を知っていたのなら、何となく察することができる。


「まあ、これでも君たちの担任だからな。……この際だ。前々から聞いておきたかったのだが、あの話は本当なのか?」


 言った先生の言葉は少し低かった。その瞳は先ほどよりも鋭さが増しているように感じる。


「さあ、どうでしょうね? けど、俺以外が笑っていられるのなら、それはきっと真実ですよ。実際、俺が彼女を傷つけたのはまったくの事実ですから」


 俺は先ほどまでの軽口と同じような調子で言う。いくら日頃から空気が読めないと評判な俺でも、今がそんな雰囲気ではないことくらい分かる。それでも、俺はこういう言い方しかできない。本物を持たない哀れで臆病な俺は、こんなバカな言い方でもしないと何も話せない。

 知られているのなら仕方がない。どうせそのうち知られることだ。遅いか早いかの違いでしかないのなら、これ以上情が移る前に見捨てられてしまった方がいい。甘地先生はとても優しい人だが、あんな話を聞いたらきっと俺を軽蔑するだろう。ただでさえ事実が酷いのに、その上さらに尾ひれはひれがついているだろうからな。もはやその内容は想像もしたくないほど酷いことになっているはずだ。

 まさかこんなタイミングで先生との縁が切れるとは思っていなかった。無意識に俺の視線は下を向く。これ以上、先生を見ていることはできなかった。


「そうか。ならばやはりあの噂は事実なんだな?」


「………っ」


 リノリウムの床の靴の擦れ後をただ見つめることしかできない俺の頭上にふと、優しい声とともにそっと手が置かれた。


「フフ、そんな顔をするな。大丈夫。分かっているよ」

「……先生」

「君は不真面目で、適当で、嘘つきで、臆病で、甲斐性なしの童貞だ」

「……先生、さすがの俺も傷つきますよ?」


 いきなり始まった優しい声とは正反対の理不尽な罵倒。すべて本当のことなので言い返す言葉はないのだが、まさかこのタイミングで更なる追い打ちとは。先生が平氏だったらきっと歴史は変わっていただろう。


「ハハハ、……けど、それでも君は誰よりも人に誠実にあろうと、優しくあろうともがき続けいている。そんなことは、この二か月間に満たない短い付き合いでもよく分かっているつもりだ。だから、そんな君がただ恣意的に人を傷つけるようなことはしないということも知っているつもりだ。君が、自分が傷ついてまで人を傷つけたのだから、それにはきっと意味があったんだろう? 大丈夫、私は君を見捨てない。だいたい、今日も昨日もそれを知っていて私は君に何も言わなかっただろう? それがその証拠だ」


 言って先生はわしゃわしゃと乱暴に俺の頭をなでる。見上げた先生の顔にはいつもの凛々しい笑みが浮かぶばかりで、それを見ている俺はただただ自分はまだまだガキなんだということを痛感させられた。


「……やっぱり先生には敵いませんね」


 少しだけ心の靄が晴れるのが分かった。ただ、それでも俺のやったことは変わらない。


「確かに俺の行動には意味があります。……けど、それでも彼女を最初に傷つけたのは」

「ああ、それ以上言わなくてもちゃんと分かっている。それでも君は彼女のその後を守るために、より彼女を傷つける選択をしたのだろう?」


 どうやら先生にはすべてお見通しのようだ。俺は降参ですとばかりに白状する。


「……ええ、結果的に今彼女が笑っていられるのなら、それが一番ですから」


 教室で見かけるあの日俺が傷つけた女の子は、今ではクラスの人気者でいつも人に囲まれている。あの時のことがそうなるきっかけになったのは確かだろうが、それでも彼女はなるべくしてそうなったと言えるほど素敵な女の子だ。そんな彼女が笑っていられるのなら、俺がした行動にも意味があったのだと思える。


「……九十九、君が入学式の日にした選択は、確かに結果的に見れば彼女のためになったように思う。それは罪に対して十分すぎるほどの償いだろう。けれど、その結果君はどうなった? 今はそれほどでもないが、入学して間もなくの頃は本当に酷いものだった。教師である私でさえあれほど耳にすることがあったんだ。君の辛さはその比ではなかったはずだ。事実、入学して二か月も経った今でさえ、君はクラスの大半から嫌わ――距離を置かれている。それでも君はあの選択が最善だったと、後悔はないと、そう言えるのかい?」

「ええ、言えます。あのとき、もし違う選択をしていたら今の彼女の笑顔はなかった。その可能性があるだけで、俺はあれが最善の選択だったと胸を張って言える。二兎を追う者は一兎をも得ず。何かをつかむには何かを捨てなければならないのは当然のことです」


 何も捨てずに何かを得ようなどと、それこそ傲慢だ。泥棒をクズと罵るのなら、甘える心もまたクズだと否定するべきだ。


「だから君は彼女の未来と君の未来、どちらかを選んだ結果がそうだったと?」

「はい。あの子の未来と俺の未来、どちらを捨てるかなんて考えるまでもありませんから」


「……君は正しいな。君は賢く、そして優しい。けれど君は――惨忍(ざんにん)だ」


 俺の目を真っすぐ見つめる先生の瞳はどこか辛そうだ。そしてその瞳には見覚えがあった。昔何度も、何度も見てきた。その度に俺は幾度となくその答えを探した。

 けれど俺は未だに、その瞳の意味が分からない。


「確かに俺は惨忍かもしれませんね。どうやったって何かを傷つけることでしか、何も救うことができないんですから」


 俺は自嘲気味に言う。どうやったって俺は何かを壊すことしかできない。それは鬼だと言われても仕方ない。

 だが、先生は優しくそんな俺の言葉を否定した。


「違うよ、九十九。それもそうだが、私が言いたいのはもっと別のことだ」

「別の? ……すみません、どうやら俺には分かりそうにありませんね。なんたって俺は成績学年最下位の落ちこぼれですから」


 あっさりと匙を投げる俺だが、本当に分からないのだから仕方がない。軽口を言って答えを求めるが、先生はただ微笑むばかりで教えてはくれなかった。


「まあそのうち分かるさ。君の周りにはきっとこの先たくさんの出会いがある。部活動に入部したのはきっといい機会だろう。……ただ、私は君達の先生だからな。受け持つ生徒くらい、皆に幸せになってほしい。それだけさ」


 そう言って先生は俺の頭から手を放す。未だ残るその温もりは、どこかその答えにつながっている気がした。




「そういえば、君への説教ですっかり話が脱線してしまったな。確か友人ができたんだったか? 一ノ瀬でもない。クラスの人間でもない。とするといったい誰だ? いくらいろいろな文化に寛容になってきたこのご時世でも二次元に恋人や友人を求めるのはまだ早いんじゃないか?」

「違いますよ! 確かにアニメや漫画は好きですけど、それはあくまでも趣味の範疇です。それに二次元に求めるくらいなら求めること自体をやめるのが俺です。あまり俺を舐めないでください!」


 俺はこれだけは言っておかなければならないとばかりに声を荒げる。


「そ、そうか……。では一体誰なんだい? そんな君と友達になってくれた奇特な人物は?」

「奇特て……。一組の皇ですよ。皇流星。知りませんか? 変わった名前なんで覚えやすいと思うんですが」

「すめらぎ? フム……すめらぎ、すめらぎ、すめらぎ……」

「先生、そっちじゃなくて名前、キララってほうで考えた方がいいですよ」

「キララ……。ああっ、皇流星か! 流れ星と書いてキララと読む」


 先ほどまであれだけ考えても答えが出なかったのに、まさか一発でヒットするとは。流石だな。


「そう、そうです。そのキララです。キラキラネームのキララちゃんです」

「そうだそうだ、思い出したぞ。確かテストの順位を確認するとき君の名前の近くにそんな名があったな。変わった名前だったんでおぼえていた」

「今すっごい情報がありましたね。確か俺の成績って学年最下位でしたよね? ってことはあいつもその辺ってことですか? ……そうか、やっぱりあいつアホの子だったのか」

(へえ、やっぱり変わった名前は憶えやすいですよね。でもダメですよ先生。あいつキララちゃんって呼ばれるのめっちゃ嫌がってますんで。まあ、可愛いと思いますけどね、俺は)


「……九十九、本音と建前が逆になっているぞ」


 あらま、凄いね先生。エスパー? 悪タイプの俺はきっと先生に効果抜群だ。やったね。

 ……どちらかというと先生は格闘タイプだな。悪タイプには効果は抜群だ。納得。


「フム、しかしそうか。君の初めての友達と言うのは皇か。これはまた、えらく美人を侍らせたな。ハーレムラブコメの予感がするぞ」

「ええ、正直俺もめっちゃ期待してます。なんなら先生もどうですか?」

「フフ、そうだな。それも悪くなさそうだ」


 爽やかに笑う先生はとてもイケメンだ。……やっぱ先生はやめておこう。先生が入ってきたらきっと俺、主人公交代させられちゃう。

 まあ、俺はそんな由利百合しい展開も大好物だけどな。

 ……うん? すめらぎ? ……そういえば何か忘れているような……


「って、ああ‼ そうだ! 俺皇待たせたままじゃん‼」

「なにっ! 君がここへ来てもう三十分近くは経っているぞ!」

「ど、どうしましょう⁉ 先生。俺これまで友達に待ってもらっていることなんてなかったんで、すっかり忘れてました」

「仕方がない。それは後で埋め合わせするしかないだろうな。まあ、それは後だ。とにかく早く行け。暗い中、これ以上女の子一人待たせるわけにもいくまい」

「え、ええ。それじゃ先生、これ部室の鍵です。じゃあ、また。失礼しま~す」


 大慌てで俺は職員室を後にする。


「ああ、また明日。気を付けて帰れよ」


 律儀に廊下まで出て挨拶を返してくれる先生。俺はその声を背に受けながら俺の将来と同じくらい軽い鞄を背負いなおして廊下を急ぐ。

 昨日はあれだけ校舎の風景を鑑賞する余裕があったのに、一人でないと忙しいな。

 ただこの焦る気持ちが、何故だか不愉快だとは感じなかった。

 人を待たせておいてなんだが、待っていてくれる人がいるというのは存外悪くない。

 そう考えてふと先ほどの先生との会話を思い出す。


『まあ、そのうち分かるさ。君の周りにはきっとこの先たくさんの出会いがある。部活動に入部したのはきっといい機会だろう。……ただ、私は君達の先生だからな。受け持つ生徒くらい、皆に幸せになってほしい。それだけさ』


 その言葉の意味はやはりまだ分かりはしないが、それでも先生はフェアリータイプなのだということはよく分かった。

 少なくとも先生は、きっと変わらず俺を信じてくれる。

 そう思えることが、俺にとってはとても嬉しいことだから。


 ――俺には効果抜群だ。


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