俺はお兄ちゃんだがロリコンではない!、の形
週末。
新学期が始まって初めての休日だ。夏休みのうちはどうせ明日も休みだからと気にも留めなかったカレンダーの赤文字が、学校が始まると途端にポケモンセンターのように見えてくる。
多少のわだかまりを残しつつも、先日の一件で俺たちの部は一通りの落ち着きを取り戻した。とは言っても、もちろん以前の様に一ノ瀬と皇がベタベタするような光景は見られず、どうにかこうにかお互いに取り繕ったような態度で接している姿が最近の俺達だ。
依頼の話やこれからの二人のことを考えるとこのままではいけないという思いが募るが、正直な話、俺にはどうすることもできない。
そして何よりも、あの一ノ瀬の誤魔化すような、空気を読んで人を気遣うような態度を見ていると、どうにも俺自身、落ち着かないと感じてしまう。
出会った当初の彼女は言いたいことははっきり言うし、正しい事のためなら取り繕わず戦おうとする人間だったはずだ。少なくとも俺はそう思っていた。
それなのに今の一ノ瀬は……。
すっかりと変ってしまった関係に、俺も戸惑っているのかもしれない。
お兄ちゃんへ
今日は参観日で私とお母さんいないから、お昼は自分で作るか外で食べてね。
て言っても、冷蔵庫の中は卵とハムくらいしかないから、たいしたものつくれないけど。
あっ、もし外出するなら買い出しお願い。このメモの後ろに欲しいもの書いとくから。
お姉ちゃんは今日は休みらしいけど、お兄ちゃんと二人きりって言ったらなんか着替えて学校行っちゃったから、たぶんいないと思うよ。
それじゃ、いってきま~す。
久しぶりに昼前に起床し、家の中を徘徊して誰もいないことを確認した俺は、妹のまなみがリビングの机の上に残して行ったノートの切れ端メモに目を通す。
なるほど。状況は理解した。
しかしなぜまなみちゃんは姉さんの話をこんなにしっかり教えてくれたのだろうか? べつにそんなに分かりやすく書かなくてよくない? お兄ちゃん、朝からちょっとまぶたが重いです。
「……げっ、ほんとに何もないな。……さすがまなみ、無駄がない」
いちおう冷蔵庫の中身を確認してみるが、まなみのメモの通り、本当にハムと卵しかない。しかもこのハム、賞味期限昨日だし……。
「はむっ、…はむはむはむ……」
とりあえず賞味期限の切れたハムをはむはむと口に放り込み、今日の気分に合わせたコーヒーを沸かす。こうした妹のうっかりミスの対処も、お兄ちゃんの役目だ。おかげで随分と俺の胃も鍛えられた。……必要に迫られてと言った方が正しい気もするが。主に母さんの手料理によって。
「……なるほど。今日はカレーか」
豚肉、ジャガイモ、ニンジン、ピーマンなどと書かれたメモを見て、そう結論付ける。
強い酸味とコーヒー独特の香りに、意識が覚醒する。
ハムと卵、米があれば腹を満たすことは可能だが、しかしせっかくの休日にそれはどうなのかと少し考える。この頃は妙に空腹を感じる機会も増えてきた。秋渇きというやつだろう。はたしてそれだけの食事で足りるだろうか?
どうせ早く飯を済ませたところでとくにこれといって予定はない。久しぶりにとりためたアニメを消化しようかとも思ったが、先日まで夏休みだったため、オタク趣味も大して残っていない。
となると、この場合の最適解は絞られるわけだが……
「よし、ラーメンだな」
残りのコーヒーをぐいっと飲んで、勢いよくソファーから立ち上がる。
スマートフォンで近くのラーメン屋を探しながら、久しぶりのラーメンに胸の高鳴りを感じていた。
*
「ふ~、美味かったな」
店を出て少し歩いたところに小さな市民公園があったので、そこの自販機で食後のコーヒーを購入した俺は、公園の備え付けの遊具を眺めながらそう独り言ちる。
食べログの評価的にはあまりよいとは言えなかったが、実際に食べてみるとなかなか悪くない味だった。
俺は昔からラーメンと言ったら醤油派なのだが、今回は思い切って豚骨に手を出してみた。若い時に食べておかないと、年を取るときつくなるという話を前にテレビで聞いたからだ。
濃厚なスープがのどに絡みつき、お冷をお代わりしてしまった。店を出た今でも少し喉に違和感を感じるが、ブレスケアは大丈夫だろうか。一応お会計の時にもらった飴玉を舐めておこう。
コロコロコロコロバキッ……ガリッガリッ。
飴玉っていつ食べても噛み時が分からない。いつの間にか噛み砕いていて、気付いたら口の中から消えている。それはまるで泡沫のごとく。
「うわーん! まあまああああ!」
コーヒーで喉の上書をしていると、ふいに何か獣が騒ぐような奇声が聞こえて来た。
不思議に思って警戒しつつあたりを見回す。
………?
とくに何も怪しいものは見当たらない。強いて言うならなぜか公園の前を通りかかった人々が俺に変な視線を向けてくるくらいだ。その視線はまるで俺がその声元を探そうと向けているような……。
「うわあああん! おかあさああん!」
「ちょっ、おい落ち着け。俺はお前のお母さんじゃない。というか、服を掴むな、シワになるだろ」
「うわああああああ」
「ちょっ、一旦泣き止め。というか離せ! 俺の服をつかんだまま泣くんじゃない! 何か嫌な予感が……っち、ちがいます! これは誘拐とかではなくって、ちょっとそこ! なに通報しようと――」
大惨事である。
どうやら迷い子らしき少女が、なぜか俺のズボンの端をぎゅっと掴んだまま大泣きしていた。
飴を噛んでいたらいつの間にかこんな状況になっていたのだが、こういうときはどうしたらいいのだろうか? さすがに俺も初めての状況だ。
「と、とにかく落ち着け。な? 俺もこれまでいろんな女の子にナンパされてきたが、流石にこの年の差は……いや、綾さんはもっと年の差がある俺に話しかけて来たな。ということはこれも合法なのか?」
「……おい、まさかこんな幼気な少女に手を出すとは。覚悟はできているんだろうな?」
俺がどうしていいか分からず、とりあえずこの迷子を泣き止ませようとあたふたしていると、酷く怒気を孕んだ声が上の方から聞こえて来た。
瞬間、ぞっと俺の背筋を悪寒が走る。冷や汗あぶら汗いやな汗。さっき食べた豚骨スープが体から搾り取られていく。
「お……おかあさま……?」
「(にっこり)」
ははは……。
ギギギと変な音を立てながら俺がそちらに視線を向けると、それはもう笑顔の甘地先生が拳を振り上げて微笑んでいた。




