顔合わせ、の形
「あー、軽い脱臼だね。完全な脱臼とまではいかないけど、亜脱臼って言って。……まあこの程度ならすぐに治るよ」
ここに来た経緯を聞かれ、コケて手をついた拍子に捻ったと説明すると、先生はそう言ってニッと白い歯を見せて笑った。
絶対に病院に行ってください!と皇にしつこく言われ、あれよあれよという間にタクシーで近くの総合病院、というか『皇総合病院』って看板がでかでかと掲げられた皇の親父さんの経営する病院に連れてこられた俺は、整形外科で受診し、どことなく軽い感じのお姉さんから治療を受けている。
「あれ? これ骨の場所ずれてないみたいだけど。……君、自分で治しちゃった?」
さっき撮ったレントゲンと俺の肩の状態を見比べて、首を傾げる先生。
「ええまあ。連れがうるさいんで一応先生に診てもらおうと」
来る途中こっそり皇の目を盗んで治療しておいたことを指摘されたので正直に答える。
やってしまった瞬間は少し焦ったが、その後の痛みや状態を見て自分で治せる程度だと判断した俺はもともと医者を訪れるつもりがなかったのだが、皇がそれを許してくれなかったのだ。
「うわっ。てか今もだけど、普通脱臼しちゃったら軽いやつでも結構痛いんだけど……。君、よくそんな平気そうな顔してんね」
ひいっと顔をしかめて呆れた様に言う先生。
「まだ少し痛みは感じますけど、身体の痛みは我慢できますから」
言うと、先生も助手の看護師さんも理解できないという表情で若干引いているのが分かった。そこまで露骨に異常者扱いされると、肩より心の方が痛いんですが。このあと精神科にも行ってみようか。
「うーん……。まあちゃんときれいに戻ってるみたいだし、奇跡的に他の繊維の損傷もほとんどないみたいだから今回はいいけど、あんまり素人が自分でやっちゃだめだよ? じゃあちょっとテーピングと三角巾で固定しとくから二~三週間はそのままで過ごしてね。まあ君がすぐに処置したおかげで一週間くらいで元通り動けるようになるとは思うけど、しばらくは安静にしときなさい」
諭すように言って看護師さんからテーピングと三角巾を受け取る先生。
「ウス。……あの、あんまり大袈裟に見えないようにお願いできますか?」
「ん? ああ、たしかにあんまり目立つと学校の友達にからかわれちゃうもんね」
了解了解と察してくれる先生だが、すみません。俺にそんな友人はいないんです。こんなことを言うと精神科医行けと言われてしまうかもしれないので曖昧に頷いておく。
「でも安静にはしなきゃだめだよ? この分だと痛み自体はすぐに引くと思うけど、最低でも一週間は重いものとか持たないでね」
先生の忠告に俺は素直に「はい」と答える。
上半身の服を脱いだ状態で腕と肩を固定されていく。
「いい身体してんね~。運動部?」
俺の身体をまじまじと見た先生はからかうように言って「部活動してて怪我しちゃったんだ」と察したように言う。というか普通にセクハラなのだが。
「いえ、そういうわけじゃないんですけど」
「ありゃ、そうなんだ」
どちらでもよかったが、会話を続けるために訂正すると、先生は手慣れた様子でテーピングを剝がしながら「てっきりスポーツマンだと思ったんだけどなー」と笑う。
「そういえば待合室で声をかけた時あなたキララちゃんと一緒にいたけど、もしかしてキララちゃんのお友達?」
俺の肩を動かないように固定していた看護師のお姉さんが興味深そうに聞いてくる。
「えっ⁉ なになにっ⁉ どゆことどゆこと⁉」
いててててて。
発情期か?
なんで興奮してるのか分からないが、お願いだからもう少し優しく扱ってほしい。普通にしているから忘れられてるかもしれないけど、痛いのは変わんないんですよ?
「ええ、まあ皇とは部活が同じ友人です。それがどうかしましたか?」
とぼけたように言ってみるが、皇の話を聞く限り幼い頃からこの病院で入院していたらしい彼女のことをこの病院で働くこの人たちが知っていても不思議ではない。ただどうしてか皇の話をしたときの看護師さんと、そして先生の様子が気になった。
「いや~あはは……。ごめん、こういうの柄じゃないのは分かってんだけどね……」
俺の言葉にふと呆けたように一瞬ぴたりと止まった先生は、目尻にジワリとこぼれそうになる雫に気づき、慌てて両目を覆ってさっと顔を逸らせる。そして恥ずかしさをこらえるようにいやいやいやと首を振って言い訳がましい声であははと笑う。その声はなんだか優しくて、その声から幼い頃の皇がこの病院でどのように過ごしていたのか少しだけ分かったような気がした。
「先生……。ええ、とても喜ばしいことです」
そんな先生の様子をどこか温かい目で見守りながら、それまで硬かった表情をふっとほころばせる看護師さん。
「あっ、診察の途中でごめんね。はいっ、処置終了! 私が言うことでもないんだけど……、できればキララちゃんと仲良くしてあげてね。あの子、かわいいしとってもいい子だから!」
そう言ってニッコリと笑った先生は、バシンと力強く俺の背中を叩く。ピキッと嫌な音が鳴ったのは気のせいだろう。
……やべ、またこれ治さないといけないな。
診察に来たはずなのに悪化するとは、俺の悪運もここまでくると運命かもしれないな。
診察を終えて待合室に向かうと、知り合いだろうか。受付で気のよさそうなおばさんと話していた皇がこちらに気づいて、おばさんに断って早い足取りでこちらに歩み寄ってくる。
「お疲れ様です九十九さん! その……、どうでした?」
聞きづらそうに上目遣いに尋ねられる。べつに皇が負い目を感じる必要はまったくないのだが、あまりそう心配されると申し訳ない。
「心配するな。すぐに治るってさ。だからそんな深刻に考えなくて大丈夫だ」
安心させようとできるだけ普段通りを装う。
あの藪医者お姉さんのおかげでここに来た時よりも数段強い痛みを感じるような気がするが、これくらいなら耐えられる範囲だ。
「そ、そうですか。……ふう、ならよかったです!」
それまでどこか陰っていた皇の表情が、雲が晴れたようにいくらか明るくなった。安心したようにほっと息を吐くその表情を見ていると、不思議と身体から痛みが引いていく。良薬は口に苦しと言うが、これは異世界転生でよく見るエリクサーなみの特効薬だな。
皇に元気をもらった俺は、さて、とこの後家に帰ってからのことを考える。頼んでおいたおかげか固定された腕は服の上からはそれほど違和感はない……こともない。それを期待していたのだが、やはり世の中そう思い通りにはいかないらしい。できるかぎり大袈裟にならないようにしてくれたみたいだが、それでも腕を肩から固定しているため、怪我をしていることは服の上からでも分かるだろう。きっと帰ってまなみたちに見られたらすぐにばれてしまうな。これまでがこれまでなだけに、あまり家族に心配をかけさせるようなことはしたくないのだが……。
うーん。うーん。と、うなっていても仕方ないか。一通り考えてもよいアイディアが浮かばなかったので、帰りながら考えるかと皇に向き直る。
「悪かったな、心配かけて。それじゃあ帰るか」
「……はい、では帰りましょうか」
「――ん、流星、来ていたのか。今日は予定日ではなかったはずだが……ん? なんだ君は?」
出口に向かって歩き出そうとした俺達に、そう言って声をかけてくる白衣姿の男性。皇に向かって妙に親し気に近づいてきたので、思わずさっと前に出て手で制す俺を、男性は怪訝な表情で睨んできた。
「あなたこそどちら様ですか? 見たところお医者さんみたいですが」
この人物が誰か薄々察しはついているが、条件反射で手が出てしまった手前押し通すしかない。
俺が強気に聞き返すと、男性の眉間に皺が寄る。睨む眼光がより鋭くなった。
ヒリヒリと身を刺す、射抜かれそうな眼力だが、不思議と既視感のようなものを感じる。
「私はここの医院長の――」
「すみません九十九さん。この方は私の父です」
男性が言いかけた言葉にかぶせるように、皇が俺と男性の間に入ってくる。
薄々感づいてはいたが、やはりそうか。
あらためて男性を観察する。細身の長身。俺より少し目線の位置が高い。白衣の隙間からチラと覗くきめ細かな一目で上質なものだと分かるスーツ、手入れの行き届いた年代物の革靴、皺ひとつない白衣は神経質そうなその眼光と相まって、よりいっそう威圧感を漂わせる。というか、この人さっきから俺を見る度どんどん眉間の皺が深くなっているんだけど。何? 普段からそんな感じなの? この人に診察される患者は不整脈起こしそうだな。たぶん今俺の脈拍測ったら凄いと思うぞ。
「どうも、娘さんと部活メイトの九十九です」
皇にそう紹介されてはいや違うとは言えない。というか言う意味が分からない。
どう考えても親父さんは俺を好意的には感じていないだろうが、礼儀として一応きちんと名乗っておく。
「部活メイト……。そうか、君がキララの言っていた……。先ほどは失礼した。私は皇真人、皇流星の父だ」
しげしげと俺を観察するように、というか見定めるように眺めた親父さんは、ふむと一つ頷くとそう言って硬い表情を崩す。いや、あんまり崩れてないな。眉間の皺は深いままだ。
重い空気が俺たちの間に流れる。
……やだなー。帰りたいな~。
「そ、それでは行きましょうか九十九さん。じゃあまたあとでね、お父さん」
その考えが伝わったのか分からないが、いや伝わっちゃダメだろ。
皇はこの場から俺を遠ざける様に行きましょう行きましょうと俺の背を押して出口へと向かわせる。どうでもいいがあんまり肩の方を掴まれるとちょっとピリッと痛むんだが。もう少し下の方を持ってくれると嬉しいです。
そんな俺達を親父さんはただ黙って見送っていた。というか俺たちが病院から出た後もガラス越しにこちらを見ている人影があったが、あの人いったいいつまで見ていたんだろうな。ちょっとしたスリリングだ。
「よかったのか? 随分と心配していたみたいだが」
病院から出て、駅まで送りますと言う皇をなんとか押しとどめ、その代わりに少し話でもと近くの公園に寄った俺たちは、お互い自販機で買ったレモンティー片手にベンチに腰掛ける。
「あはは……。お父さんは昔から父親としてだけでなく、お医者さんとしても私のことを知っていますから。これまで学校にも行けなかった私の初めての友人ということもあって、少し九十九さんに厳しい態度をとってしまったのかもしれません」
――気を悪くしないでいただけると嬉しいです。
眉を八の字にして申し訳なさそうに笑う皇。
「お前が気にすることはない。俺は腫物扱いされることには慣れているからな」
冗談めかして言ってみる。特に深い意味はなかったが、一瞬皇の表情が硬くなるのが分かった。
「……あなたがそれに慣れていたとしても、誰かがあなたを傷つけていいなんてことはないんです。たとえそれが私や一ノ瀬さんであったとしても。……あなたはもっと怒るべきです」
お互い腰かけているベンチ。人一人分ほど空いていた距離を詰め、ぎゅっと俺の制服の裾を握った皇は、言い聞かせるように俺の目を見つめる。
皇の言いたいことは分かっていた。病院に行くまでの間も、病院の中でも、今も、皇が何を伝えようとしてくれているのか。何をそんなに我慢しているのか。堪えようとしているのか。すべて分かっていた。
「……このくらい、俺にとってはどうってことない怪我だ。こんなもんでいちいち怒ったりしないよ」
分かっていて、それでもそれに対する回答を持っていなくて、俺は今日何度目かになる気にするなの言葉を返す。
「っ……ほんとうにっ、……あなたは優しい人ですね」
じっと俺の目を見つめた後、何かを手放すように俺から距離を取った皇は、呆れにも似た笑顔を浮かべる。
「それより明日は一ノ瀬と仲直りしろよ? 俺の怪我なんかでお前たちの仲を壊したくはないからな」
「……さあ、それはどうでしょうね」
自信なさげな表情で、しかし自分を曲げる気のない強気な声だ。
ペットボトルの中身を飲み干した皇はベンチから腰を上げると、んん~っと大きく伸びをして、それからベンチ横のゴミ箱に空になったそれを放り込む。
さよならの前の合図だろう。
俺も空になったペットボトルを、ラベルを剥がしたりして手元で弄ぶ。同じタイミングで席を立ってはタイミングが悪いだろうと思った。
「では九十九さん、また明日。安静にしてくださいね」
すっと空を見上げて呼吸を整えた皇は、にっこりと可愛らしい笑みを浮かべると、元気よく言って去っていく。
その背中にああだのううだの分からない声とともに「またな」の一言を返して、俺もまたベンチから腰を上げる。その拍子にちくりと左の肩に痛みを感じた。ズキズキと間を置かず感じる違和感。気づけば額が少し汗ばんでいるのが分かった。気づかれないよう注意はしていたが、あまり長い事一緒にいたら気づかれてしまっていたかもしれない。
「~~~っ」
根性で痛みに無理矢理身体を慣れさせて、普段より気持ちやんわりとゴミ箱に飲み終わったレモンティーのペットボトルを放り込む。
秋の夜の涼やかな風は、痛みを忘れるには少し熱気が足りなかった。




