みんな、の形
夏休みが終わってさあこれから新学期だ。みんなと楽しい思い出いっぱい作っちゃうぞ♪
……そんな風に言える人間が、果たして世の中に何人いるのだろうか。生憎と井の中しか知らないちっぽけな蛙であるところの俺には、そんな高尚な思考回路など存在しない。
新学期が始まって早一週間が経ったが、長く体に染みついた習慣というのはなかなか落すのに苦労するもので、一学期同様教室の隅の席で一人静かに周囲の生徒たちを見回しても、未だに夏休み気分が抜けきっていないのは明らかだ。
かく言う俺ももちろんこの一か月、毎日のように繰り返した自堕落な生活習慣は見事に俺の社会復帰の妨げとなり、今朝も早くからまなみさんが郵便屋さんにこんにちは……ではなく、叩き起こしてくれなければいつかのように遅刻してまた甘地先生に絞られる羽目になっていたことだろう。それを思えば、このたんこぶの痛みも少しは和らぐ。
初登校からさっそく育才部には顔を出しており、もはやただの人見知りのたまり場と化したあの部屋で俺たちは常と変わらず、皇は一ノ瀬に勉強を見てもらい、俺はそんな二人を静かに見守りつつ途中軽口を挟んだりという、すっかり日常となった放課後の時間を過ごしていた。
「――それでは学活を始める。日直、頼む」
昼休みのチャイムが鳴り、それとほぼ同時に教室に入って来た甘地先生は一通り教室を見回した後、今日の日直である前の方の席の生徒に目配せする。
夏休み気分の抜けない気抜けした号令の後、おもむろに先生は教室に入った時から抱えていた数十枚ほどのA4用紙の束を最前列の生徒たちにそれぞれ適当な枚数ずつ配り始める。
「すまないが後ろの席の生徒はそれぞれ隣近所で調整してくれ」
配り終え、教卓に戻った先生はそう言って指示を飛ばす。
と、その拍子に先生と目が合った。しかし俺の顔が先生の言葉を聞いて若干引き攣っていたためか、少しだけ先生の眉根が下がったように見えた。不味いと思った俺はすぐににこりと頬を緩める。しかしその時には既に先生は俺から視線を切っており、その代わりに俺の前の席の生徒が突然意味もなく笑い出した俺に渡そうと伸ばしていた手を途中で止めて引いていた。新学期早々散々である。
……しょんぼり苺桜ちゃんちょっと可愛いかったな。
「先日のホームルームで伝えていた通り、今日のこの学活の時間は二学期の文化祭の出し物について話し合ってもらう」
先生の言葉に教室の空気がざわざわと騒がしいものになった。周囲の友人たちと私語に興じる生徒達。普段とは違う特別な授業。その非日常感に早くも興奮を隠しきれない様子だ。
静かに、喧騒をかき消すように言った先生は、教室が静かになるのを待ったあと、
「君たちにとってはこの学校に来て初めての文化祭。知っている生徒もいるだろうが、うちの文化祭は正しくは総合文化祭と言って、体育祭とまとめて総合文化祭という行事として行われることになっている。来賓も多く、例年それなりにレベルの高い催しが期待されているイベントだ。だからというわけではないが、せっかくのクラス一致団結の機会、面倒がらず、皆で協力してよりハイクオリティなものを目指してほしい」
言うと先生は先日のホームルームで決まった男女一名ずつ、文化祭、体育祭、それぞれの実行委員を呼んで教卓を譲る。
文化祭実行委員 男子 … 鈴宮真
女子 … 桐谷京子
体育祭実行委員 男子 … 宮地琢磨
女子 … 柳春奈
当然と言えば当然の結果。
特に立候補する者がいなかった文化委員はクラスのほぼ総意で鈴宮が推薦され、鈴宮が出るのならと桐谷さんが続いた。体育委員はミスター不憫、俺の心の親友宮地琢磨が立候補し、同じくバレー部でスポーツが得意だという柳さんが挙手。他に立候補者が現れなかったためそのまま就任ということになった。
「それじゃあみんな、まずはさっき甘地先生に配られた用紙の『総合文化祭 日程』の欄を見てくれ」
特に話会う様子もなく、鈴宮がさっそく仕切って話を進める。面白いことにそれに誰も異を唱える者はいなかった。誰もが鈴宮がこのクラスのリーダーであると認識し、四人の中で司会を務めるべき者が誰なのか、思考を挟む余地もなく無意識に解している。
それは俗にいうカリスマ性というもので、やはり鈴宮真という生徒には他の凡人とは一線を画する特別な何かがあるようだ。
「総合文化祭は十月の下旬と十一月の上旬、二週に分けてそれぞれ土曜日と日曜日の四日間行われることになっている。大体の予定はその下の予定表通りに進むみたいだけど、とりあえず十月は体育祭、翌週の十一月の頭は文化祭を行うみたいだ。昨日の委員会のときに少し聞いてみたけど、体育祭の方は正直そんなに力を入れているわけじゃないらしい。まだ細かい競技は発表されてないけど、例年はドッジボールやサッカー、バスケットなどクラス別、学年別の団体競技が多くて、個人競技はほとんどないと思っていい」
事前に調べていたのか、鈴宮は資料と口頭で一つ一つ丁寧に説明していく。体育祭については過去の競技内容を説明されたが、その限りでは体育祭というよりクラスマッチとかに近いイベントなのかもしれない。サッカーやバスケットの他、意外なものでは種類別格闘技大会や今流行のeスポーツ大会など、体育祭といえばこれ!という応援団や綱引きなどの競技はなく、あってもせいぜいクラス別や学年別のリレーくらいだ。正直体育祭独特の競技はあまり得意ではないので、適当に一つ二つに出場すれば終わりと聞いて助かった。
鈴宮の説明は簡潔で分かりやすく、適度に資料にない情報も含まれていたため聞いていてストレスのないものだった。クラスメイト達に目を向けても、みんな鈴宮の話に耳を傾けている。見た限りでは机の下でスマホをいじったり、机に突っ伏して居眠りしたりしている生徒もいない。先生からの説明がほとんどなく懸念していたが、その必要はなかったようだ。
「すまない、一つ言い忘れていたことがあった」
そんな鈴宮の様子を黙って見守っていた先生は、始めからそのつもりで黙っていたくせにそんな白々しいことを言って手を上げる。
「まあ、そんなに珍しいことじゃないんだが……」
先生は一つそう前置きすると、
「みんなも気になったと思うが、普通それぞれ別々に行われる体育祭と文化祭の学校行事を総合文化祭と一つにまとめて総称しているのは、我が校の体育祭と文化祭には特別な仕組みがあるからだ。当日はそれぞれ体育祭の成績や文化祭の収益などにそれぞれ点数がつけられ、最終的にそれらの点数を足した合計点でクラス、学年でランキングがつくことになっている。学年別とクラス別でそれぞれあるが、上位何位かは表彰され、嬉しい豪華景品がもらえるみたいだ。その内容については生徒会が二週間前に発表するまで言えないんだが……」
そこでふと間を置くと、内緒話をするようなもったいぶった様子を見せ、わざとらしく口元に手を当ててシーのポーズをとった先生は、若干その常にはきはきとした凛々しい声音をかすれさせると、
「正直、毎年相当な費用がかかっているものばかりだ」
にっこりと笑って、
「――期待しておくといい」
これからいたずらをしようとする小さな子供のような表情で言って、先生は後は任せると鈴宮に手をやる仕草をした。
教卓を降りる先生、それと入れ替わるようにクラスのあちこちからわっと歓声が上がった。
「マジすかっ⁉ 景品ってぶっちゃけどんなのだ?」
「ばっかそりゃお前、例えばクラス全員でハワイ旅行とか?」
「うわっ……、そこで真っ先にハワイとか言ってるのがもうダサい。てかきもい。どうせあんたは女子の水着のことしか考えてないんでしょ?」
「ひっでえ……っ! 俺がそんなことばっか考えてると思ったら大間違いだ。たまにはちゃんと考えることもあるんだぜ?」
「そうなん? なら沢っちハワイじゃないならほかにどんなんだと思う?」
「高級肉一年分とかどうだ!」
「あははっ、どこの商店街の福引だしっ。てか、一クラス四十人ちかくいるんだよ? 牛大虐殺じゃん」
「プハッ、なんだそれ。柳ってたまに変なこと言うよな。そんなんなら嬉しいけど、こういうので定番なのは打ち上げ費用学校が持ってくれるとかだろ?」
「うわ冷めるわ~(笑) 宮地君そいういうとこあるよねー」
「…………え?」
「ええっ⁉ おれ一回倒れるまで肉食ってみたかったんだけど」
「いや大げさすぎー、それくらい焼肉食べ放題いけばいいじゃん」
「……てか、いつまで肉の話してんの? あたし、どうせもらうならブランド物のバッグとかがいんだけど?」
「物欲女め、もっと夢見ろよ夢! あれだ、カボチャのバスだ」
「カボチャの馬車だよ。バスは猫。言ってもあれ魔法がかかってなかったらただのカボチャと、ネズミだからね?」
「なんで夢見ろって言ってシンデレラになるんだ……? 俺がおかしいのか……?」
「優斗うっさい。あたしあんま普段そういうの興味ないから自分で買おうとか思わないけど、もらえるんなら欲しいし」
「そういえば京子ちゃんってあんまそういうの気にしないよね? 服とかはすっごいお洒落なのに」
「だってバッグとか一つあればよくない? いっぱいあっても持っていくのは一つだし、それなら他のことにお金かけたいじゃん」
「京子って、そういうとこ見かけによらないよな?」
「んんー、でも人が選んだバッグとかネックレスって結構外れ多くない? ぶっちゃけブランド物でもダサいのとかヤだし、それなら商品券とか割引券とか? というか私、普通にアマゾンのギフト券でいいかも」
「柳さんそれ言ったらおしまいなやつ~」
「まあ、でもどうせバッグもらってもすぐメルカリで売ってお金に変えるから変わんないんだけどねー」
「「…………こわっ」」
何人かの生徒が集まってそれぞれ好き勝手盛り上がる。授業中にも関わらず席を立ってわざわざ仲のいい友人の席まで出張している生徒までいる。
甘地先生はそれに何も言わない。というか多分、あの人はこうなることを分かっていてあの場面であえて空気を弛緩させた。それが意味することはつまり――……
俺はその光景を一番後ろの壁際の席で一人、他人事のように眺めていた。席替えは何度か行われているのだが、基本自分で席を指定して重なったらじゃんけんという制度だったため、俺は誰にも迷惑をかけないであろう最後列の窓際の席を指定し続けて来た。教卓から一番遠い特等席であるところのこの席を希望する生徒は多いと思われるが、しかしはぐれ物の俺を掃き集めておくにはこれ以上ないほどの良物件だ。そのような空気が四月からずっと喚起もされずに停滞している我が1-4では、この席はみな無意識に始めから無いものとして扱っている。……ほら、主人公はみんなこの席だから。俺、ヒーローだから。……ヒーローはいつもボロボロだから。
こうして教室を外側から眺めてみると(? 内側から見ていたことが一度だってあっただろうか?)、いろいろとグループがあるんだな。
たとえばさっき焼肉がどうの、メルカリがどうのと話していたのはクラスカースト最上位の男女混合グループ、人呼んで鈴宮グループ(俺呼んで)。その当人は話に加わることなく教卓でただ騒がしい教室を観察するような視線で眺めているのだが、その取り巻きの生徒達、他の実行委員の連中は教卓から下りて友人達のもとへと赴いている。
その他、教室の前方では男子のみ、女子のみの数人のグループが鈴宮グループよりやや低いボリュームで話している。グループと言えるのかは分からないが、比較的大人しい生徒たちも、席を立つまでもはいかずとも、隣の友人らと楽し気に語らっている姿も見える。このクラスで鈴宮以外の唯一の知り合いと言っていい村崎さんも、遠慮がちにではあるが隣の席のおとなしそうな雰囲気の女子生徒と何か話しているのが見えた。
それぞれ当然の違いは多々あれど、誰も皆その声は弾んでいるように感じる。面倒だなんだと愚痴を言ってはいても、本気で言っているものはいない。俺と同じく誰とも会話に入れない一人ぼっちの生徒もいるかもしれないが、数か月観察した限りこの教室に俺以上のロンリーマスターはいなかった。みんな良い人ばかりで、最高のクラスです!
観察していると、コミュニケーションを積極的にとっている生徒の多くが口角が上がっていて、目元は半月のような円弧を描いている。聞いた話では霊長類の中には『笑う』という行動で服従やじゃれあいの合図など、相手との優位性を推し量っているものもいるらしい。つまり笑顔とはコミュニケーションの一つの道具なのかもしれない。そう仮定するなら、彼らのその仮面の奥にどのような感情が詰まっていたとしても、それを単純に嘘と呼ぶのはきっと間違っているのだろう。
そんな風に、人間のコミュニティーを観察していると、これまでの価値観を刺激するようなことがいろいろと見えてくる。
面白いことに、彼ら彼女らは人数が多いグループほど、一人一人が話す声量が大きくなっていた。
人が集団を作り、そして集団が人を作る。
ならば、本物の自分なんてどうやって見つければいいのだろうか。
その問いかけは、俺が昔諦めて、そして今彼女が挑み続けている難問だ。
……でも。こうして観察すればするほど、その答えが遠のいていくような気がしてならない。
「よしみんなっ、一旦席に戻ろうか。やるからには勝ちたいのはみんな同じだと思う。どんなご褒美があるのかは分からないけど、そういうことなら俄然優勝を目指したいからねっ! みんなで力を合わせて、楽しい思い出にしよう!」
声を張り上げた鈴宮に、おおーと声が上がった。集団の中にあっても鈴宮の声は透き通っていて自然と耳にとまる。
言葉選びが絶妙だ。鈴宮は「勝ちたい」「優勝したい」と言ったが、けして「絶対」などの断定的表現は使わなかった。そのどれもがしたい、やりたいなどの自身の要望で、命令として言ったのはあくまで思い出を作ろう。どんな人間であれ、見返すだけで吐き気がして、辛くて苦しくなるだけの真っ暗な思い出なんかより、見返す度楽しくて心温まる思い出のほうがいいに決まっている。意識的に言葉を選んでいるのか分からないが、鈴宮がリーダーである時点で既にこのクラスの文化祭は成功するのだろうと思えた。
「まだ体育祭の競技については生徒会からの発表があるまで検討のしようがないから、この時間はうちのクラスの文化祭の出し物について話し合おうか」
「今日の学活って二時間だっけ?」
「ああ。今日中に文化祭の出し物と、できれば役割まで決めてしまいたい」
言うと鈴宮は手持無沙汰にしている宮地にみんなからの意見を黒板に板書するように言って、柳さんに書記を頼む。
「今、何か文化祭でやりたいことを考えてるって人は挙手してくれ」
鈴宮の声に、数人が手を挙げた。
「やっぱ文化祭って言ったらメイド喫茶だろ!」
元気よく手を上げて言ったのは沢田優斗。こういう場面で真っ先に手を挙げてみんなが言いづらいであろう提案をためらいなく言えるあたり、やはり陽キャは強い。そんなキャラのくせに無駄に顔面が爽やかなだけに、そこまで不快感を抱かれないところが腹立たしい。
だがパイオニアはどのような分野であれ尊敬するべきであり、勇敢にも臆病な俺達に代わってそれを成してくれた彼には、よくやったと言うほかない。
「うわっ、きもっ……。あんたが言うとなんかイヤ」
そんなこともなかった。
教室中の男子が迷わず沢田のその勇ましい背中を追って同意しようとしたその瞬間、教卓から魔王桐谷さんの冷たい視線が我らの勇者を葬り去った。
魔王のその一言に、魔の手先たちも激しく同意を示す。
「最近は女装喫茶とかが流行ってるらしいよ?」
とか言い出した柳さんの一言に第三次世界大戦が勃発しそうになったので、選挙権すら持たない小市民の俺は隅っこでびくびくしていた。
「ま、まあ一つの意見として一応書いておこうか。他に意見はあるかな?」
冷戦を終結させた英雄鈴宮は困ったような顔で言いながら宮地に目をやると、黒板にチョークを走らせる音が聞こえ始めたのを確認し、またクラスに語り掛ける。
何人かの手が上がったが、今度は先ほどより数が少ない。図らずもさっきの一悶着はメイド喫茶だけでなく、それに似た誰かが恥ずかしい思いをするかもしれない出し物についての線引きとなってしまった。
・模擬飲食店
・お化け屋敷
・脱出ゲーム
・縁日
・占い喫茶
・ボードゲーム
一通り意見が出そろう。どれも高校の文化祭といえば、定番と言えば定番の特に新鮮味のないものばかりだ。それが悪いというわけではないが、売り上げ上位を狙うのであれば少々インパクト、話題性に欠ける。
そう思ったのは俺だけではないようで、クラスのあちこちから「うーん」や「ええー」といった悩ましい声が上がる。
「この中から多数決をとってもいいんだけど、個人の意見ばかりじゃ意見が偏ってしまうかもしれない。結構時間も余ってるし、一度近くの席で班を作ってみよう。そのなかで一つ案を出してもらって、もう少し選択肢を増やそうか」
できれば意外性があるものを考えてくれると嬉しい。
最後に鈴宮はそう締めくくると、早速、前から二列五~六人くらいで席をくっつけようか、と指示をとばした。
机や椅子が床とこすれるあの忌々しい音が教室中に響き渡る。喧騒とは違い、騒音だ。
それに俺は顔をしかめつつ、次々と変わっていくクラスメイトのフォーメーションを一人遠くから眺める。
こういうときどうするべきか、その答えは既にこれまでの学校生活を通して理解している。
「すみません先生。体調悪いんで保健室行ってきます」
全員が机を移動させ終わる前に、絶妙なタイミングを見計らって椅子を引いて席を立つ。
大は小を兼ねるのが世の理であり、大海原に雨粒が一滴落ちて生じる波紋は、それ以上の大波によって簡単に飲み込まれてしまう。それは始めからそんなもの存在していなかったかのように脆く儚く、美しく。
その理に乗っ取って、普段の退屈を絵に描いたような授業の最中であればたちまち注目を集めるだろう煩音はそれ以上の騒音によって打ち消され、俺は気配を殺して、廊下側の壁際に背を預け距離をとって生徒たちを見守る先生の下へと向かう。
「っ! ……なんだ、君か。わざわざこんな教室の隅で変な話しかけ方をするな」
突然話しかけられ一瞬ビクッと震えた先生は、呆れたように言って頭を抱える仕草をする。
「体調が悪い? ……君は嘘をつかないんじゃなかったのか?」
あっさりと見抜かれた俺の愚考。すっと細められた視線で言われ、数舜言葉に迷う。
「それは俺の担当じゃないですよ。俺は大人ですからね。ときに汚い嘘をつき、偽物で誤魔化し、目を逸らして聞かなかったふりをしいてててててっ」
嘲るような仕草で片頬を引きながら饒舌に語っていると、引いていた頬をぎゅうううっとつままれる。
「バカか君は? ……大人はみんな優しくて正しい。君の言っているのは大人になりきれない半人前だ」
「それなら世の中は子供の国ですね」
「大人になんかなりたくはないだろう?」
それはおもちゃの国だけどな。
ニッと口元に笑みを張り付けて冗談のように言う先生。
教室の喧騒に紛れるような誰の目にも止まらないつまらない会話。しかしいくら騒がしい教室の中とはいえ、こうして長く立ち話をしていてはすぐに注目を集めてしまうだろう。
「…………」
それ以上の会話を拒むように、俺は何も言わず、先生の「分かった」の一言を待つ。
「……はあ。……自分で招いた結末なら、君は受け入れると思っていたがね」
さっと何かを手放すような声だった。つまらないものを放り出すような、諦めたような声。すっと細められた目の奥には普段の温かみはない。
「っ……」
知らず自分の声がつまるのが分かった。
失望……されたのだろうか。お前にはがっかりだと、もう興味を失ったのだと、そう言外に伝えているのだろうか。
……いや、先生は俺とは違う。それが俺を試しているのだということくらい分かる。
「俺はっ……」
何と答えればいいだろう。どう返すのが正解だろう。
そうしている間にも次々と席は並べられていく。近くの席の生徒がちらとこちらを見ているのが分かった。
「……やっぱり治ったみたいです」
言って俺はおとなしく席に戻ろうと踵を返す。こんな一言でさえ、誰かと縁が切れるには十分なのだ。見捨てられることには慣れていると思っていたんだけどな。
後ろからふっといつもの涼やかな声が聞こえる。先生が一笑したのが分かった。
「随分と都合のいい身体だな!」
わざとらしく張った声。それはこの距離では十分すぎるほど大きな声で、その声に何人かの生徒たちがぎょっとした顔を向ける。
きっと先生は大人なんだろうな。
自席に戻ってさあ、これからどうしようかと考える。周囲の席の生徒たちは既に机を向かい合わせており、残されているのは俺だけ。何とも言えない視線が突き刺さる。
…………。
あいたたたー。やはりここは仮病を決め込もう。先生には悪いが、もう黙って出て行こう。確かにこれは因果応報であり、自業自得であり、間違いなく俺の招いた結末だ。しかし、それはそうとて、その結末にどう対処するかは俺の自由だと信じたい。
『君は受け入れると思っていたがね』
……………。
ふと先程の先生の言葉が頭をよぎる。そちらに視線を向けると、こちらを見ていた先生と目があった。その瞳にはもう先程の薄ら寒さはない。
「悪いが、席だけくっつけさせてくれ」
一言そう断りを入れ、がががッと席を移動させる。静かになった教室で俺一人が発するそれは酷くやかましく感じる。「あ、ああ」と苦々しい笑みを向けられるが、俺の前席の君は誰?
地蔵のような気持ちで俯いて班員たちの会話を右から左へ左から右へ聞き流していると、ふと机の木目に影がかかった。
「ちょっといいかい?」
鈴宮か。
声の方に視線を向けると、鈴宮が肩を叩いている。
「? 構わないが、いいのか?」
「平気だよ」
気を遣ってのいいのか?なのだが、クラスのあちこちから向けられる怪訝な視線を気にすることなく、言って鈴宮は親指で教室の後方を指さす。その口元には笑みが浮かんでいる。
「それで、わざわざどうした? 俺は今、絶賛落ち込み中なんだが」
教室の隅、後端の壁にもたれかかり冗談まじりに言う。
「ははは、君でもそういうときがあるのかい?」
俺の言葉をどうとらえたのか、鈴宮は気にすることなく笑い飛ばす。俺のことをどう思っているのか知らないが、そこまで冗談でもなかったんだがな。
「あれを見て、君はどう思う?」
俺の隣に立った鈴宮は黒板を指さす。
「どう?ってのは、どういう意味だ?」
「あの中から一つ出し物を選んだとして、売り上げ上位を狙えると思うかい?」
そんなことを俺に聞かれても分からないんだが。
「俺も文化祭なんて参加したことがないからなあ。というか、こういうクラスのイベント自体ほぼ経験がない。昔いろいろ調べたりはしたんだが、その知識から答えるならまあ、お前が言ってた通り定番どころばかりでインパクトは薄いな」
そんなこと聞くまでもなく分かっているだろうが、俺の薄い引き出しではその程度の回答しか用意できない。
「そうか。君が言うならそうなんだろうね」
鈴宮は納得したように言ってふと困ったような顔をする。
「何かいい案はあるかい?」
いや、俺に聞かれても困るんだが。
そう返そうと口を開きかけたところで、
「クラスの出し物はクラスのみんなの意見を尊重して決めるものだ。君も、クラスの一員だってことを忘れていないか?」
優しさの中に見える真剣な目が、俺に言葉を飲み込ませた。
なるほど、そういうことか。
ここに来て、なぜ鈴宮がわざわざ俺に話しかけて来たのか分かった。
「そのみんなは、俺を一員とは認めないだろうな」
何よりそう望んだのは俺で、この結末は甘地先生の言う通り俺が自ら作り上げたものだ。
俺の言葉に、鈴宮の瞳の奥が一瞬寂し気にゆらいだ。しかしそれはすぐに閉じられ、次の瞬間にはぱっと誰もが望む普段の涼し気なものになる。
「俺は君とも文化祭を楽しみたいよ」
純粋なその声に俺は一瞬言葉に詰まった。
良い奴だと思う。優しい奴だと思う。顔も性格も頭も運動も、理不尽なくらいにいい奴だと思う。
……ただ――。
「……まあ、無理強いするつもりはないけどね。何か案があれば発表してくれ」
黙ったまま何も言わない俺に、鈴宮は優しい声音で言って自席に戻っていく。
なんとなく俺はその背中を黙って見送った。帰って来た鈴宮を宮地たちが笑って迎え入れる。俺と話していたことに違和感があるだとかなんだとか言ってはいるが、思った以上に気にした雰囲気はない。鈴宮の性格も相まって、嫌われ者で手持無沙汰にしている俺を気遣っているとでも思われたのかもしれない。……いや、その通りなんだけどな。
「…………」
そんなことを考えていて引き際を見誤り、ただ一人、こちらに怪訝な視線を向けている生徒と目が合ってしまった。
急いで視線を逸らす。
『真の株落とさないで!』
あれ以来彼女とは一度も言葉を交わしていない。だがきっとその考えは変わっていないだろう。
席に戻ると一瞬それまでの会話が止まり、妙な空気が漂う。
それに居心地の悪さを感じつつ、その視線に心地よさを感じてしまう自分が――……
――俺には分からない。




