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血で繋ぐ未来、の形

 突然だが、みんなは『献血』というものに参加したことはあるだろうか。


 献血とは、病気の治療や手術などで輸血などを必要としている患者のために、健康な人が自らの血液を無償で提供するボランティアだ。

 ボランティアとは言ってもまったく見返りがないわけではなく、献血に協力すると献血カードや表彰状、お菓子やジュースがもらえたり、献血を行った回数に応じて記念品がもらえたりする。ちなみに、献血手帳を持っていると自分やその家族が優先的に輸血を受けられるという『預血制度』は今から五十年近く前に無くなっており、輸血は料金を払えば誰でも平等に受けられるそうだ。血液の保存や売血も今は禁止されている。献血可能年齢は十六歳以上なので、高校生になったら是非参加してほしい。


「献血にご協力、よろしくおねがいしま~す」


 看板やグッズの入った箱を抱えた数人の男女が、爽やかな声で道行く人々に声をかけている。

 それを横目に、採血を終えた俺は近くのベンチに腰掛け、もらったスポーツドリンクで喉を潤す。

 採血後のこの時間はなかなか悪くないもので、こうして道行く人々を爽やかな心で眺めていると、なんとなく何かをやり遂げたような気分になる。

 そうして俺が小さな達成感に浸っていると、ふと、隣に上等なスーツに身を包んだ壮年の男性が腰を下ろした。

 ちらと視線を向けると、どことなくその背格好には見覚えがある。

 俺の視線に気づいたのか、彼もこちらに視線を向けた。


「おや、おかしなところで会ったね。君も献血が趣味の口かな?」


 我が校のボスとの二度目の邂逅(かいこう)は、こうしてまったく予期しない形で発生した。ランダムエンカウントだな。





「献血にはよく来るのかい?」

「ええまあ。誕生日が四月なんで、採血は五月くらいからですけど。ボス……じゃなくて、理事長もよく来るんですか?」


 あの時同様、何故かまたしても馴れ馴れしく話しかけられたので、無視するわけにもいかず、仕方がないので休憩がてら雑談に付き合う。


「まあね。もう十年以上通っているよ。……ま、趣味みたいなものさ」


 どこか遠くを見るような瞳だ。その奥に映る景色は俺には想像もつかないが、それでもボスにとっては何かあるのだろう。


「ところで、君は血液型は何型かな? ちなみに僕はAB型だよ」


 突然そう尋ねられる。


「いきなりですね……」

「いや、ふと気になってね。ほら、万が一の時に輸血できるかどうかは大切だ」


 どう考えても今すぐ輸血が必要になる機会などないと思うし、もしそうなったとしても血はすぐ目の前にたくさんあるだろ。いや、あれ使っていいのかは知らないが。というかこのおっさん、なぜそんな真面目な目ができる。本気で言ってんのか?


「俺はO型です」

「そうか。そういえばO型は蚊に刺されやすいらしいよ?」


 なぜ今そんな情報を言う。こいつケンカ売ってんのか?


「愛されてるんですよ。あと、血液型占いはバーナム効果が原因ですから俺はおおざっぱじゃないです」


 大多数の人間に当てはまるようなことを言って信じ込ませることだ。占いや詐欺の手口だから気を付けるといい。


「そうだね、僕も変わり者じゃないと思っているよ」


 いや、それは多分間違ってない。ちょっとだけ信じてしまいそうになるから、そこで全身の血まるっと入れ替えてきてもらえないだろうか。

 少しの沈黙。いきなり隣に腰かけられても特にこれといって話題がない。さっきのわけのわからない話は、そういう気遣いも含まれていたのかもしれない。

 べつにその沈黙をしんどく感じるほど軟ではないが、それでも我が校の優しいボスは気を遣ってくれたのか、冗談交じりにふと口元をほころばせる。


「それにしても、ボス……か。理事長と呼ばれるのも堅苦しくてかなわないが、よければお義父さんと呼んでくれてもいいんだよ? そういえば、この前は娘たちが世話になったね」


 話を振ってくれるのは構わないが、そんなどこに地雷が潜んでいるか分からないような話題はやめてもらいたい。というか、なぜ今その話を思いだす? 誓って娘さんには手を出していないと伝えなければ。……大丈夫? これ答え間違えたら俺、退学とかにならない?


「お義父さん、娘さんを俺にください」


 さすが俺だ。一切思考することなく、ぽっと口をついて軽口が出る。我ながらほんとに自分が怖くなってきた。


「ははは……、面白いね。君でなかったらどうなっていたか……」


 言いながら、だんだんとその声音が小さくなっていく。最後にぽつりと付け足された「…僕が」という言葉。

 怖い。一瞬その爽やかに微笑む瞳の奥が、ギラリと光ったことを見逃さなかった。……できれば見逃したかった。娘を思う父親の前では下手なことは口走れないな。


「あら? こんにちは、久しぶりねえ九十九君。今月も来てくれたの? 若いのに偉いわねえ」


 と、そんな妻の実家で義父と二人きりになってしまった時のような息苦しく重たい空気の中、そう言って俺に話しかけてくる陽気な声があった。

 俺は助けが来たとばかりにそちらに視線を向ける。


「お久しぶりです久子さん。いえ、俺はべつにただ血を抜いてもらってるだけですから。献血のボランティア活動までしている久子さんたちには頭があがりません」


 丸縁眼鏡の温和な女性。にっこりとこちらに笑みを向ける彼女は野村久子(のむらひさこ)さん。俺がこの駅の献血に通うようになってから毎月顔を合わせるようになった彼女は、初めてここを訪れたときからいろいろと話を聞かせてくれる、いわば俺の献血の師のような人物だ。


「うふふ、私はこれが趣味みたいなものだから。それに、あなたくらいの年の子がこうして休みの日まで通って来てくれるのはとても凄い事よ? 私があなたくらいの年の頃はそんなこと考えもしないで、毎日友達と遊びまわってたもの」


 冗談交じりに言って褒めてくれる久子さん。優しい。親戚のおばさんと話している気分だ。そんな親戚は俺にはいないが。

 日頃からあまり(………)褒められることがない俺は、毎月こうして久子さんに癒されている。

 そうして久子さんと話していると、ふと彼女の視線が俺の隣、先ほどから俺達の話を興味深そうに聞いていた理事長の方へと向く。


「あら、そちらの方は?」


 そう久子さんに尋ねられても、どう答えていいのか一瞬迷う。

 俺が「ええと…」と言葉を曇らせていると、さっと理事長が口を開いた。

 そして言った。信じられない一言を。


「こんにちは。申し遅れました、九十九万才の父の英司(えいじ)です。今日は息子が献血に行くと言うのでついてきたのですが、いつも息子がお世話になっているようで」

「はあっ⁉」


 当たり前のように父親を自称したボスは、自然な様子で笑顔とともに会釈する。その姿はどう見ても、言葉通りの父親の姿にしか見えない。

 俺は思わず声を上げるが、にこりと微笑んだ理事長にぐっと言葉を飲み込む。


「あっ、そうでしたか。いえいえ、こちらこそ息子さんにはいつも献血に参加していただいて。ボランティアをしている野村といいます」


 そんな理事長の言葉をすっかり信じ込んでしまった久子さんは、そのまま慣れた様子で挨拶する。

 それからしばらくの間、理事長と久子さんが話し込んでいるのを、俺は何とも言えない思いで眺めていた。話の内容は主に献血に来た時の俺の話なのだが、自然な様子で様々な情報を引き出す理事長と、それに疑いを持つことなく素直に答える久子さんという光景は、目の前で身内が詐欺に騙されている気分だった。





 しばらく話したあと、久子さんはまた献血ボランティアの活動に戻って行った。

 彼女が去ったあとに残るわずかな空気の淀みをかき消すように、理事長は口を開く。


「それにしても感心だね。野村さんも言っていたように、君の年代でこうして定期的に献血に通っている生徒はなかなか少ない。そういう意識を持った生徒が我が校にいるということが、私は嬉しいよ」


 素直な賞賛。

 ふと思ったが、そういえば初めて話したあの夜から、一度も理事長は俺を否定していない。それは俺にとっては珍しいことで、同時に僅かな心地悪さを感じた。

 だから俺はその理事長の言葉に素直に頷くことはできない。代わりに、俺は少し間を開けると、


「いえ、俺よりもずっと凄い人たちが目の前にいますから」


 言って、先ほど久子さんが去って行った方、『献血やってま~す』と人好きのする笑顔で道行く人々に声をかけているボランティアの人たちに視線を向ける。

 俺の言葉の意味を考え、そして次の言葉を待つように静かにそちらに視線を向ける理事長。


「……久子さんは、五年前に娘さんを亡くしているそうです。原因は心停止。当時六歳の娘さんは突然倒れて、そのまま――」


 静かに。静寂を噛み締めるように。三か月前、俺が初めて献血に訪れたときに彼女から聴いた話を理事長に話す。個人情報だが、久子さんはその経験を(おおやけ)に公表しており、彼女が校長をしている小学校の児童たちにも語っているそうなので、大丈夫だろう。


「その時の経験から、久子さんと旦那さんは献血活動を始めたそうです」


 何もできかった歯がゆさ。娘の成長を見届けられなかった後悔。

 それは俺も他人事ではない。俺が彼女を尊敬するのには、そういう理由も多分にあった。

 俺の話を聞いた理事長は、静かに、「そうだったんだね」と頷く。その瞳は、どこか俺のそれと似たような思いを含んでいるようだった。

 俺はそれから視線を切ると、ふっと目を閉じる。そして次に開いたときにはいつもの自嘲を伴う軽い調子で、


「ここにはそういう人たちがたくさんいるんです。――ほら、俺なんかよりよっぽど凄くてかっこいいでしょう?」


 本心だった。

 たとえそれがどのような思いからの行動であれ、それが誰かのためになっているのなら、それはとても立派なことだ。それは一ノ瀬から教わったこと。

 自らの辛い経験を未来の誰かのために役立てようと活動している彼女たちからすれば、俺なんて毛ほども偉くない。むしろ彼女たちの前でそんな風に褒められることが、心底むずがゆかった。

 しばらくの沈黙。

 理事長は静かに、どこか遠くを眺めている。

 そして重々しく口を開くと、


「思うに善意とは、その心の持ちようだと僕は考える。その心に従って行動した結果はすべて善行だと。たとえそれが、誰にとっても毒となる結果だったとしてもね」


 脈絡なくそう切り出される。


「それじゃあただの独りよがりの自己満足じゃないですか。それか自己陶酔に浸っているだけのキチガイだ」


 人は生きている限り、常に自分を戒めなければならない。自分が『善』とする行いや思想も、他の誰かにとっては『悪』であることもある。それを分からない人間がたくさんいるから世の中は曲がって見えて、そして今も誰かがどこかで傷ついている。それを良しと言ってしまったら、それはテロ屋と何も変わらない。


「そうだね。だから僕は、君が善行をしているとは言っていない。僕は()()()()をしているから君を褒めたわけじゃない。さっきの野村さんも、僕は彼女たちの行動を善意によるものだとは考えない」


 諭すような、けれどそれは押し付けているわけでもひけらかしているわけでもなく、俺に何かを求めるような声だ。


「ならなんだって言うんですか?」


 俺は理事長の話の意図が分からず、素直に問う。


「大切なのは善意とか善行とか、そういうことじゃない。褒めるべきは相手を思う心、()()()だよ。そして優しさとは相手への()()()だと僕は考える。そこに大小はない。だから野村さんがボランティア活動に参加する理由も、君が献血に参加する理由も、僕にとっては等しく尊敬に値することだよ」


 言って理事長は柔らかく()んだ。その目には確かな温かみが見てとれて、どこか本当に父親が向けるようなもののように見えた。


 今になって、先ほどからの理事長の言葉の意味を理解する。


「……謙遜したつもりだったんですけどね」


 むずがゆくなり、冗談でお茶を濁す。理事長はそれにふっと口元をほころばせて答えた。



 長いこと話し込んでいたが、いい加減時間も時間なので、それから少し言葉を交わしたのち、お互いその場を後にした。

 俺はそのまま駅に向かって歩き出す。理事長はそれとは反対に、近くのコインパーキングの方へと歩いて行った。どうやら献血に来たのは仕事の空きのついでらしく、先ほどからずっとあの黒い高級車を待たせているそうだ。運転手も大変だな。


 ――優しさとは相手への想像力である。


 俺の中にはなかった考え方だ。人はいつも自分にないものを教えてくれる。


 ……ふっ。思わず口元が緩む。

 まったく、我が校のゴッドファーザーは言うことが深いな。





「社長、彼が例の九十九万才君ですか?」


 万才と駅前で別れ、近くのコインパーキングで待たせていた社長車に乗り込んだ一ノ瀬英司(いちのせえいじ)に、その秘書である京陽彩かなどめひいろは尋ねる。


「ああ、献血には少し前から毎月通っているそうだ。偶然とはいえ、まさかこんな場所で会うとは思いもしなかったよ」


 それに英司は上機嫌に答える。


「そうですか。私もまさか、いつもの献血でこれほど待たされるとは思いもしませんでした」


 ちくりと棘を覗かせつつ、真面目ぶった口調で言う陽彩ひいろ

 それに英司は「ははは」と笑うばかり。陽彩ひいろもあきらめているのか、特段それに腹を立てることなく、ただ一つ「はあ」と小さな溜息をつく。

 車が発車し、少しの沈黙のあと、ふと英司は口を開く。


「ところでかなどめくん。君は僕の血液型を知っているかい?」


 突然そんな質問をされた彼女は、しかし慣れているのか特に反応をしめすことなく。


「たしかAB型だったと記憶していますが。……それが何か?」


 ただその真意は気になるのか、バックミラーを少しずらし、後ろの英司の表情を伺おうとする陽彩ひいろ。しかしちょうど英司が座っている位置は、いくらミラーを動かしても肩までしか見えず、その表情は伺い知れない。


「いや、ただふとね。……彼はO型なんだよ」

「彼、というのは、さっきまで話していた九十九君ですか?」


 筋の見えないぐだぐだな会話も慣れたもの。彼女は冷静さを崩すことなく言葉を繋ぐ。

 しかし英司はその陽彩ひいろの問いかけに答えることなく、


「お義父さん……か」


 そう独り言ちる。

 そんな態度にも動じず……いや、若干のいらつきをおぼえつつも、陽彩ひいろはその質問に対する答えが返ってくることをあきらめた。


「……家庭の事情に深入りするつもりはありませんが、奥様―――失礼。元奥様とはまだ、お会いになられないのですか?」


 話の延長戦で、一つ予防線を張りつつ尋ねようとした陽彩ひいろは、一瞬の空気の濁りを敏感に感じ取り、すぐに言葉を訂正し、続けた。

 沈黙が降り注ぐ。

 自らの運転する車の発する重低音を聞きながら、陽彩ひいろは先ほどの自らの質問を後悔した。

 十年弱、英司の秘書として働いている彼女は当然、英司の家庭事情もわずかにではあるが知っている。しかし詳しいことまではこの長い付き合いでも話されてはおらず、また英司自身がその手の話題は避けているようだった。いくら話の流れとはいえ、あまりに軽率な話題。陽彩は数分前の自分を恥じた。

 ちらとミラー越しに後ろを覗いても、やはり先ほどと同様、英司の顔色はうかがえない。

 そんな陽彩ひいろの内情を知ってか知らずか、少しの沈黙の後、英司は意図してか数段柔らかな声音を作る。


「娘たちとはうまくやっているよ」


 それはどう考えても陽彩ひいろの問いの答えとしては的外れなものであった。

 しかし、


「そうですか。それは良かったですね」


 陽彩ひいろは内心の焦りを悟らせないよう普段通りのクールな返答を返しつつ、英司の答えが沈黙ではなかったことに安堵した。


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