シスターズ、の形
俺の輝かしい人生の中で、人に呼び出されるということはあまりに日常だったため、今更その程度でどうこう思うことはない。職員室、生徒指導室、体育館裏に学校の屋上。ほかにもありとあらゆる人気のない場所やこわーい場所に呼び出され続けた俺は昔から、なぜか通っている学校のその手の場所は熟知していた。
中でも一番謎だったのは、体育倉庫に一人で呼び出されて、のこのこ言われた通りに向かったら、中央の跳び箱の上に数枚の諭吉さんと一緒に『いつも見てます、お礼です』と書かれた紙切れが置かれていたときだ。あの頃は問答無用で記憶から消去したが、今なら綾さんが『しばらく身の回りに気を付けてくださいね!』と念押ししてくれた理由が分かる。
閑話休題。
先輩と電話を終えてすぐに身支度し、極薄の財布と充電の怪しいスマホをひっつかんで出て来た俺は、馴染の店内でマスターと談笑で時間を潰す。どこのメーカーが新しいコーヒーメーカーを出しただとか、この前開拓したアフリカの方の豆はなかなかだったとか、プロのマスターに直接いろいろと教えてもらえるこの機会は、コーヒー通としては有意義な時間だ。
とはいえ、俺にとっては有意義な時間なのだが、いくら客がいないからといってこんな真昼間から俺と話し込んでいていいのだろうか。店の経営的に。
「というか、このバイトさっきからずっとサボってますけどいいんですか? マスター」
俺とマスターのコーヒー談義についていけず、きょろきょろと愛想笑いを浮かべている店のエプロン姿の鈴宮を指さし、冗談交じりに言う。
「……大丈夫、どうせ今日はお客さん来ないよ」
無駄に重苦しい口調でそう言って、マスターはフっと口端を吊り上げる。サングラスの向こうで目尻に皺が寄るのが分かった。見た目があれなせいで一々カッコいいのが腹立たしい。いや、サムズアップしてグッジョブじゃない! いいのかそれで? この店の経営が心配だ。
「あはは……、お客さんがいないときは基本何もすることがないからね。今日は俺とマスター二人だけだし、だいたいいつも平日のこの時間帯はこんな感じだよ」
困ったような笑みを張り付けて誤魔化す鈴宮。まあ、マスターがいいんならいいけどな。ただ労働時間は労働者が使用者の指揮命令下に置かれている時間のことを言うため、拘束時間から休憩時間を引いた時間、つまり就業中の休憩時間以外は一応賃金の発生する労働時間だ。俺なら使えるだけ使い潰すがな。……こういう考えのやつは一生平社員でいた方が会社のためだな。訴えられたらたまったものではない。
「それにしても随分と久しぶりだよね、万才。君とこうして会うのは。結局姉さんとのあれっきり、夏休み中は全然来なかったし、明日まで会えないと思っていたよ」
話題が変わったのを察し、鈴宮はそう切り出す。俺とマスターだけで盛り上がっていたさっきまでは話に入れず、気まずそうにしてたからな。
「なんだ、そんなに俺に会いたかったのか? 悪いが男に言われてもあんま嬉しくねえな。夏休み中は毎日部活で課題やってたんだよ。おかげで妹ともあんまり出かけられなかった」
まあ、姉さんと勉強勉強でまなみも忙しそうにしてたしな。
「そ、そうか。……ま、まあ来年はきっとたくさんでかけられるよ」
思い出してズーンと気落ちする俺を、鈴宮は困ったように励ましてくれる。
「……来年はあいつ受験生だ」
…………。
やめろっ! 優しく肩を叩くんじゃない! マスター! お題はいらないぜ!みたいにコーヒー差し出すんじゃない‼ ただで飲むコーヒー、マジ美味え……。
*
「ごめんね九十九君、突然呼び出しちゃって」
それから少しして、待ち合わせ時間より若干早く到着した月影先輩はカウンター席の俺に気づき、そう話しかけてきた。
「いえ、構いませんよ。俺も久しぶりに先輩と会えて嬉しいですし」
こんな愉快な人はそういないからな。この人と話してるときは何も考えなくていいからすこぶる楽だ。キャメル先輩だな。
「ウェッ! そ、そっか……。ふ、ふふ~ん、私も君に会えてとってもうれしいよ♪ なんて……」
ほらな? こういうところがとってもキュート。もう頭なでなでしておやつあげたい。
「それで、君が先輩の言っていた弟さんか? というか先輩、弟さんいたんですね」
急にお姉さんぶりだした先輩を無視して、先輩の後ろ。先ほどから俺と先輩のやりとりをどこか見定めるような、観察するような真剣な目でみつめていた、中世的な顔立ちのあどけなさの残る少年に視線を向ける。
「……っス、月影出雲っス」
探り探りするような視線で硬さのある声音。
「あなたが、姉ちゃんの言ってた九十九さんっスか?」
スススス……。なんだ? 運動部か?
「ウっス、オラ九十九万才ダス! ゴワス ゴワス」
「んなっ⁉ なっ、なんスかこの人っ! ばっ、バカにしてんスか‼」
「イエスイエス……あっ、間違えた、ノッスノッス……? なあ、違いますってうまい言い方ないか?」
ないっスないっスかな?
「「…………」」
憤る弟さんに誠心誠意謝罪する心優しい常識人であるところの俺。
うまい言い方が見つからず、鈴宮に尋ねようと視線を向けると、なんかもう信じられないものを見るような目を向けられた。先輩もなんか似たような目で見て来るし、マスターに至っては我関せず、そっと俺達から距離をとって新しくコーヒーを淹れていた。君子危うきに近寄らずとはこのことだな。
「……まったく、君はつくづく分からないな」
ため息交じりにいった鈴宮の声は、やけに大きく店内に響いた。
*
「そ、それじゃあ改めて。この子が弟の月影出雲。電話で伝えた通り、いま中学三年生で、来年『一ノ瀬』を受験するから、在校生である君に学校のことについていろいろ聞きたいらしいんだ」
重苦しい空気の中、気を取り直すように言った先輩は、隣に座る弟さんを俺たちに紹介する。
「きょ、今日は時間をとってもらってありがとうございまス」
それに緊張した様子でぺこりと頭を下げる弟さん。どことなくあどけなさの残る整った顔立ちに小柄な体躯。しかし歩き方などの一つ一つの所作や、服の上からでも分かる筋肉の発達具合から考えるに、何か体育系の部活に入っているのだろうか。スっススっス言ってるし。
そして気になるのは先ほどから向けられている、キッとこちらを観察するような視線。俺の一挙手一投足を慎重に見定め、何かを暴こうという思惑が言外に透けて見える。
俺に一ノ瀬(学校)のことを尋ねたいという本来の目的にはふさわしくないその視線が、俺をあのような奇行に走らせたということにしてもらいたい。
「それは構いませんが、たしか先輩も一ノ瀬の出身でしたよね? なら、普通に俺じゃなくて先輩にいろいろ聞けばよくないですか?」
というか、そもそもなぜ会ったこともない弟さんが俺のことを知っているんだ?
俺は弟さんではなく先輩に話を振る。
「私もそう思ったんだけど、でも私が通ってたのって四年くらい前だから、あんま参考になんないらしくて。それにこういうのって、同性に聞くのとじゃ全然印象違ったりするでしょ? あいにく私の知ってる人で、今一ノ瀬いってるのって君くらいでさ。ごめんね、夏休みの最後の日に呼び出しちゃって。お詫びにじゃんじゃん食べたいもの頼んで。私がおごるから!」
俺が乗り気じゃないと思ったのか、先輩は眉尻を下げて申し訳なさそうに言いつつ、手元のメニュー表を開いて差し出してくる。甘いな、こういうところがやっぱり先輩だなと思う。
「なるほど、理解しました。てか、そんなに気を遣わなくていいですよ、どうせ今日は暇してましたから。まあ、奢ってくれるっていうんならお言葉に甘えますけど」
やったラッキー、これでコーヒー以外も注文できるぜ。
俺はさっそく手を上げて、すっかり店員モードに切り替えた鈴宮を呼び、『当店一番のおすすめ!』と書かれた欄の、『贅沢! 苺たっぷりクレープ ~一夏の思い出~』という無駄に気取った名前のクレープを注文する。「えっ! せ、せんにひゃくえん‼」と余裕ぶっていいよいいよって言ったくせに、注文の確認の時に値段を聞いて思わずメニュー表を二度見している先輩は、愛らしいったらない。なんなの? ほんとに大学生? 親戚のクソガキよりよっぽど愛嬌があるぞ。母方の爺さんの葬式にジャージで出席した俺に、そいつの親父と一緒になってぐちぐちと説教してきたからな。あれ以来お年玉もらえなくなった。きっとあいつのせいだな。
*
「それじゃあなんでも聞いてくれ。俺とこいつが分かる範囲で答えるから」
鈴宮が俺たちの注文したメニューを運んできたタイミングを見計らい、俺は弟さんにそう切り出す。というかみんな少食だな、コーヒー以外注文してんの俺だけじゃねえか。
「ってちょっ! ば、万才……、俺いま一応仕事中なんだけど」
「まあまあ、もしかしたら来年から後輩になるかもしれないんだぞ? 先輩として、ここはしっかり我が校を宣伝しとこうぜ」
スマイル一つサービス♪ どうせ客もいないんだし構わないだろう。マスターに確認するように視線を向けると、グッと力強いサムズアップが帰って来た。
「あの、ちょっ、か、肩から手を離してくれないかな……? というか、君の笑顔をこんな形で見ることになるなんて思わなかったよ」
ふふふふ……。
苦々し気に俺の手を振りほどこうとする鈴宮だが、そう簡単には逃がさない。
「あの、さっきから気になってたんだけど、……スズミヤ君? ねねっ、君たちってどういう関係なの⁈」
俺たちのやり取りを、なぜか頬を赤らめ食い入るように見ていた先輩。ずずいっと顔をよせて興味津々に尋ねられる。
「え、ああ、そういえば鈴宮と先輩って初対面でしたね。あんまそこら辺考えてなかったんで、忘れてました。こいつは鈴宮真、俺の初めての男友達です。俺達と同じ一ノ瀬に通ってるんで、弟さんの相談にも乗れると思いますよ。俺一人の主観的意見だけじゃ相対的な評価はできないですからね。今日はたまたまこいつがバイトに入ってたみたいでラッキーでした。それからこの人は月影神楽耶先輩、関東教育大の学生で一ノ瀬のOBだ」
軽く鈴宮を紹介し、外堀を埋めていく。これでこいつは断れないだろう。
そんな俺の意図を察したのか、一瞬苦々し気に口元を引くつかせた鈴宮は、しかし次の瞬間にはぱっと普段学校で見せる非の打ちどころのない完璧な笑みを張り付けた。
「こんにちわ、万才の友人の鈴宮です。一ノ瀬の卒業生だから先輩なんですね。うちの高校のことなら俺も相談にのりますよ」
人当たりのよさそうな柔らかな声音で、にこりとスマイル一つプレゼント。
「っ! なっ、なに、このキラキライケメン⁉ 九十九君、まずいよ! なんだか隣にいる君が霞んで見えちゃうよっ‼」
こ、こいつ……。
「おい、そこの節操なし! いうてそんなに変わらんでしょう! 顔とか、ほら! 俺も容姿だけは昔から褒められますよ!」
「う、うーん……。たしかに顔はそんなに変わらないし、なんなら九十九君の方が私はタイプだけど……。でも、なんかこう、全身からあふれるオーラ? 的なものが圧倒的に負けてるよ! 蛍光灯と……街路樹?くらい違うよ! ……?」
悩ましそうに言って、先輩は自分でも言っている意味が分からなくなったのか、「んん?」とか「あれ?」とか言って小首をかしげている。
「良かったな。お前は今日から蛍光灯が名乗れるぞ」
将来ハゲたらただの悪口だな。
「あ、あまり嬉しくないんだけどね……。それより、今日相談があるのはそっちの弟さんなんですよね?」
そろそろ本題に入ってくれと弟さんに話を振る鈴宮。一斉に視線を向けられ、年上の俺たちの会話に居心地悪そうにしていた彼は一瞬、表情をこわばらせる。というか、いい加減俺への警戒心を解いてほしい。一々そんな目で見られては、せっかく第三者を巻き込んだのにうまい事コミュニケーションとれないだろ。
「えっと――」
「すみません先輩、ちょっとマスターにコーヒー注文して来てもらっていいですか?」
彼の言葉を遮るように、先輩に何でもないように告げる。
「え? べつにいいけど……」
「いや、それなら俺が行くよ、バイト中だし」
脈絡なく頼まれ、困惑しつつも席を立とうとする先輩に、代わりを申し出ようとする鈴宮。
だが、
「お前がいなくなったら質問に答えられないだろ。それじゃあすみませんが先輩、今飲んでるぶんのお代わりをお願いします。たぶんすぐ淹れ終わると思うんで、カウンターで受け取ってきてください」
席を立とうとする鈴宮を座らせ、先輩にメニュー表のコーヒーの欄を指さしお願いする。
「りょーかい」
特に気にした様子もなく、席を立ってマスターのいるカウンターの方へと向かう先輩。
……………。
先輩が去った俺たちの間には、妙な沈黙が流れる。
「どういうことだい? わざわざ彼女に席をはずさせて」
鈴宮に小声で耳打ちされる。
「いや、本題に入る前に、いろいろ整理しといた方がいいかと思ってな」
それに俺はわざと声をすぼめることなく答える。視線は先ほどから変わらず、俺に意味深な視線を向けている弟さんを捉えている。そんな俺の様子に一瞬びくりと反応した彼だが、負けじとその視線を逸らそうとはしない。鈴宮はそんな俺達を見て、それ以上何かを言おうとはしなかった。
「それじゃあ改めて自己紹介でもするか。俺の名前は九十九万才、君のお姉さんの後輩だ」
「……月影出雲っス」
うん知ってる。……ふむ、まだ駄目か。
「もたもたしてると先輩が戻ってきてしまうから担当直入に聞くが、君は俺のことが嫌いか?」
「っ! な、なんでそんな……」
「聞き方が悪かったな。本当は今日、俺を呼び出した理由は、学校のこととはべつにあるんじゃないのか?」
「っ!」
「……べつに俺が年上とか、呼び出したのはそっちとか、そんなことは気にしなくていい。それに俺にも姉と妹がいるからな。君の気持ちはよく分かる」
俺は出来る限り声を和らげ、親しみやすい声を作る。
一瞬不思議そうな顔をした弟さんは、それから少し考える仕草をした後。
「……その、九十九……さん…は、具体的に姉ちゃんと、……その、どういう関係なんスか?」
詰まり詰まり、言いにくそうに視線をあっちこっちに巡らせながら、慎重に言葉を選ぶ弟さん。そんな彼の様子から俺の意図を察した鈴宮は、どこか微笑ましいものを見るような穏やかな視線で彼を眺めていた。
………フッ。思わず頬が緩んでしまった。
「安心しろ。俺と先輩は、君の思っているような関係じゃない。少し前に野暮用で、先輩の通っている大学を訪れた時に世話になっただけの、知り合い程度の関係だ」
純然たる事実を告げる。いろいろとインパクトがでかすぎて印象に残っていたが、こうして言葉にしてみると、想像以上に浅い関係なんだな。
俺の言葉に、まだ疑念は晴れないのか、どこか真意を伺うような視線を向ける弟さんに、俺は出来る限り誠実な視線を返す。
「……っ! そ、そうだったんですか……。すみません。オレ、なんか勘違いして……その、失礼な態度とってたかもしれません。……なんか、少し前から姉ちゃんの様子がおかしくて。大学入っていきなり金髪にしたときからあれだったんスけど、最近はずっとスマホ眺めて挙動不審になったり、かと思ったら突然独り言言い出して、照れたり笑ったり……」
ホッと胸をなでおろした弟さんは、先ほどまでの自分を恥じらうように、言い難そうに頭を下げる。それはそうと、彼が列挙した先輩の不審な言動は、俺からしたらいつもの先輩のそれで、特におかしなところはないように思うが、まあ、身内にしか分からない変化というものもあるのだろう。
「気にするな。そんなの、弟として当たり前のことだ。俺も妹の友人を取り調べしようとしてブチ切れられたことの二回や三回、当然のようにある。姉や妹に近づいてくる男を威嚇するのは、兄弟の義務だからな」
「っ……九十九さん……。いえっ、九十九せんぱい……っ‼」
「はは、そうだね。それは世界共通の常識だよ‼」
弟くん……いや、出雲君の中での俺の評価が跳ね上がっていた。鈴宮なんて何の疑いもない純粋な瞳で、声高らかに、爽やかに頷く。
知らず俺たちの間には一体感が生まれていた。
期せずして集まった三人の弟。男たちはその一点でのみ共感していた。シスコン三銃士、略してシスターズだ。……裏切られた気分だな。
「ええっと……――何これ?」
木製のトレーにコーヒーを載せて戻って来た先輩は、心底不思議そうな目をしていた。




