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ロートレックの掻痒

作者: kamakura betty

その軌道は合っているか?

1 雨滴の軌道


アクセルを踏み込むとフロントガラスに残った一滴の滴が傾斜に沿って伝い落ちていく。真っ平らなガラス面のはずだが、それは右下へ向っている。山間を抜け大きな谷にかかった橋に差し掛かったからだろう、左からの風を受け滴は軌道を変えたのだ。ガラス越しに見る景色は木々の揺らぎすら感じられない。滴は規定概念を超え、意に反した形で不規則運動を行なったわけだ。この雫を真っ直ぐ下に滑らせるには…、風の速度に合わせあらかじめ左に滴らせることによって叶うことになる。しかも、風は一定である場合だけだ。 単調なフレーズを静かに繰り返すピアノの調べが車内を包む。調温調湿されたこの移動空間の凛とした清浄な空気が静かに震える。モーター走行のおかげでわずかなロードノイズ以外、車が発する音は10ヶ所に配されたスピーカーからの音楽だけだ。御殿場に近づくにつれ車が増えると、流れに合わせ速度設定し自動運転に切り替える。ハンドルに軽く手を添える。景色だけがロードムービーのように変化していくと、頭の中に散らかしてきたものたちがテロップのように順番に意識の中に表示されていく。出口の見えない迷路に立ち止まったり、手変え品変え試してみたり、先送りにしたり…、それらをひとつずつ仕分けしていくがどれも靄の中のままだ。車はナビに従って車線の白線内を器用にカーブに合わせてはみ出すことなく目的地へ向かってトレースし続ける。恵比寿を出てから3時間経ちどうにか冷静さを取り戻したがまだ現実は受け入れ難く、このままこの繭のような静謐な密室に身を置きずっと高速を走り続けたい気持ちが強くなっていく。田巻照也はナビを一旦リセットし伊豆縦貫道へ入らず直進した。


2 コルクの軌道


「お前のボールは何か仕掛けでも入ってるんじゃないか? あの16番のロングパットは圧巻だったな。あれで優勝が決まったようなもんだ。下りのラインであんなに左右からうねってるのに涼しい顔してカップにまっすぐ向かっていくんだからな。ボールがGPSに従って自分で運転しているみたいなんだよな」

「そんなことできたら苦労しないよ。とにかく水が流れるような道を見つけて送り出すだけだよ。あとは勝手に目的地に向かってくれる」

「ずいぶん手のかからないボールだな」

同期でプロ合格した福田則夫がそう言いながら帰り支度を済ませ先にロッカールームを出ていった。今日最終日最終組で一緒に回ったが、彼に2打差をつけて競り勝った。ここで弾みをつけると今期賞金王も現実味が増してくる。国内大会で一番歴史あるこの一戦はどうしても勝っておきたかったのだ。田巻はサッとシャワーを浴び、クラブハウス2階の部屋で待つゴルフ週刊誌のインタビューへと向かった。


中学までは軟式テニスに明け暮れたが高校ではゴルフ部に入った。子供ながらにあるひとつのことに引っかかって路線変更したのだ。それはコートをフルに使いボールを返し合うのがテニスというスポーツだが、力比べの綱引きのように打ち合うボールの威力で勝敗が決まるのではなく、空いたスペースに打ち込み相手を走らせ、混乱させることでポイントを重ねていくその一種意地悪な駆け引きにずっと違和感を感じてきたからだ。さらにペアと二人連携して前衛後衛の持ち場で力を尽くすというそのもどかしさも気になり始め、硬式テニスのシングルスを試してみても駆け引きと混乱を要求されることに変わりはなく、やはりのめりこめなかった。ゴルフに乗り換えた高校では練習場が充実していることもあり早朝と放課後はひたすらボールを打った。テニス独特の癖が邪魔をしつつも全身についていた体幹は役に立った。テニスのように瞬時の判断と場当たりの対応を繰り返す必要はなく、自分のペースで目の前のボールに働きかけられる。体の動き、クラブの操作、どこにどう着地させるかの計画、それらを自分の納得のいくタイミングで実行できるゴルフに完全に相性が合ったのだ。1年秋の県大会で新人賞を取るとその後は県内には敵なし、関東、東日本、そして全国でも頭角を現していき、大学2年の時にプロに合格した。それでも田巻はそれには何の感情も働かなかった。ある意味自分の努力で取得していく資格のような感覚だったからだ。プロになってからは有資格者たちの優劣が現れる世界になる。より心身が優れた者、よりコースを熟知した者、より気象を読めた者が最少スコアを出す。それだけのことだ。


「田巻さんのパターは精度が格段に違うのですが何か秘訣はあるのですか?」

ゴルフ週刊誌の記者が今日の試合について大体聞き終えたあとにテクニックについて質問してきた。

「これをやったら入る、とか絶対ないですよ。転がった球がカップのほうに寄って行って入るだけのこと。その軌道をイメージできるかどうか、その軌道に適切な力感で送り出してあげられるかどうかだけのことですよ」

「だけ、と言われてもなかなかアマチュアはできないんですよねぇ」

「経験の少ない方は結構いろんなことが邪魔しているんです。ボールの行方が見たくなってインパクトの瞬間に体動かしちゃったら絶対狙ったほうに行くわけがないですよね。決められたフォームなんてないんです、ただ、決まっている軌道にきちんと乗せなければいけないことは間違いないです」

「カップを超えちゃ嫌だなってインパクトの時に力が緩むなんてことも結構あるんですが…」

「カップまで小川が流れていて、そこに笹舟を浮かべたらどんなスピードで流れていくかイメージしてみてください。入る気しかしないでしょう。逆に上りのラインなら”届かないものは入りようがない”と心に言い聞かせて覚悟を決めて送り出してください」

言葉では何とでもいえると田巻は思っていながらも体に染みついた距離感や力感は自分で身に着けるしかないからそのくらいしか話せない。言葉で物理学のようなことを並べても、所詮個々人の骨格は違うわけだから動きはそれぞれ変えざるを得ない。笹舟を送り出すまでの動き、言い換えると所作は自分流しかないのである。それに気づくまでひたすら打つのみだ。

「今日はお時間いただきありがとうございました。先ほどの表彰式でのお写真もメールでお送りしておきますのでご覧ください」

クラブハウスを出ながら確認したスマートフォンには優勝を決めた後、福田たちがシャンパン掛けで祝福してくれている写真が届いていた。コルク栓が泡を延ばしながらきれいな放物線の軌道を描いていた。


3 計画の軌道


12月上旬の最終戦を終えオフシーズンに入った。今季は5勝を上げ昨年に続き賞金王を獲得した。パターの精度もさる事ながら今季はショットが冴えた。フェアウェイやグリーン上空の予想を超えた風に影響を受けた以外は狙いを外さなかったのが勝因だ。ドライバーによるティーショットでも落とし所は広いとはいえ闇雲に距離を出せばいいものではなく、次の2打目を考慮するとかなり正確に運ぶ必要がある。男子プロは大体300ヤード弱飛ばすのだが、手元で1度違う角度の方向に打ち出したとすると300ヤード先では左右数メートルの違いになってしまう。場合によってはバンカーに入ったり、大きく枝を伸ばした木が邪魔になったりと、その誤差が次のショットにより負担をかけるのだ。しかし今28歳の田巻には危うさもなくその精度が備わっていた。


ゴルフは茶道に似ている。茶道が総合芸術と言われる所以は、その周辺の理解が必須だからである。茶室の建築、露地の植栽、床間の掛け物、炭に薫く香、茶碗をはじめとする道具、所作、もてなし他、極めるほどに尽きることはない。ではゴルフはどうだ。技術、体のメカニズム、ギア、ゴルフ場独自のセッティング、当日の風、気象、ルール、振る舞い、気遣い…。大人になるほどハマるのはそういった理由がある。激しい動作の無いスポーツだけに年配者のためのものというイメージがあるが生涯をかけて習得していくに値するいわば“芝道”なのである。より少ない打数でカップに入れるだけの行為ではあるが、その周辺で皆立ち止まり苦悩し人生を台無しにする者までいる。大自然に作られたコースを歩き目の前に美しい日本の四季が間近に広がっていながら、小さなボールからカップへの軌道しか視界に入っていない者たちが大半だ。本来は木々の植生を味わい土壌や風導をイメージし、コース設計者の意図を読むことでその日のラウンドは格段に充実する。また、失敗に荒ぶることなく同組のメンバーとの貴重な1日を穏やかに楽しむことができたら完璧だ。


「新しいアイアンはどうだった? 前回のものよりギリギリまでボールの接触を感じられるような鉄にしてあるんだけど」

田巻が大学選手権を勝った時からスポンサーについてくれているメーカーの担当者・鶴岡が自信ありげな感じで聞いてくる。鶴岡は自身も大学までゴルフを続け卒業後からここで働いている。ゴルフを科学的に解釈していくのが得意で、ゴルフ雑誌に“軌道調理教室”なるコラムも書いている。道具を駆使して最高の軌道を作る持論を展開しているのだ。

「ツルさん、毎度気にしてもらって悪いね。こんな試合でもないところにも来てくれるんだからね。でもツルさんのこだわりはやっぱすごいよ。これ、使い初めのころは前の癖が残っていてちょっと苦労したけど、3戦目くらいからは馴染んで来てそこからの感触はジャストだったよ。ボールを下手投げで放るときって方向と距離合わせの微妙な調整は中指でやるわけだけど、まさにあの感じ。アイアンのフェースが自分の中指の延長みたいな感じがするんだよね。カップの真上まで中指が伸びていくようなイメージね」

「田巻さんたちはアイアンで距離を稼ぐ必要はないわけだから徹底的に操作性を追求して、鉄を大胆に柔かくしたんだよ。そしておっしゃる通り、それぞれの指でテーブルをタップしてみるとわかりやすいんだけど、指ごとに動かしやすさや力の入れやすさが違うわけだから、その加減がしっかり伝わるようにシャフトのほうも硬さ、重さ、調子を田巻さん向けに調整したんだ。だからグリップの握りを少しだけ強めると鉄本来の硬さで弾くし、握りを緩めるとより鉄を柔らかくしてる分ボールが接するときの圧を吸収できるようにしてあるんだ。まさに手のような感触だからボールを包むように運べるわけ」

「フェースの溝もスピンがかかりやすいような形に刻んであるしね。ゴルフは道具ありきのスポーツだから、こだわってもらうのは本当にありがたい。これからもよろしく頼むよ!」

「まかしとけ。パターも中指みたいなの作ってるからお楽しみに!」

鶴岡はそう言ってドライビングレンジを去っていった。


「中指の感触ねえ。私なんかは少しでも目標の場所に飛ばすのに精一杯だよお」

隣の打席で二人の話を聞きながら打っていた小林が話しかけてきた。この日は田巻のスポンサーである設備会社の上層部との懇親ラウンドで、小林はその会社の常務だ。ゴルフを始めて30年経つが50歳を超えてスコア90を切ることがめっきり減っていた。

「小林さんは大学まで野球やってたから体の軸がしっかりしてるじゃないですか。それが一番大事なんですよ。体の正面のボールを左に飛ばそうとするわけだから、どうしても気が逸っちゃってボールを打つ前から体の正面が左に向かっていっちゃうんですね。ボールにクラブが接して弾かれた瞬間どの向きに離れるかで軌道が決定するわけですから、気は急いても落ち着いてインパクトを作るんです。軸がしっかりしているとその落ち着きを持つことができるんです」

「そんなもんかねえ…」

田巻の言う通りに体幹を整えて軸を意識して構えると小林はいつもよりゆったりと体を動かした。ドライバーは澄んだ音を立てボールは200ヤードのサインボードを優に超えていった。

「あれー、今日イチがコースに出る前から出ちゃったわ」

「なぁに、軸を忘れなきゃ毎回出ますよ」

その後も気持ちいい音を何発もさせてすっかり満足げな小林はクラブを置いて、手袋を外しながら改まった感じで話を始めた。

「ところで田巻さんは西伊豆の件聞いてる?」

「いえ、何ですか?」

「松崎の岬に大きな発電場があるでしょ」

「あの風力発電のですよね」

「そうそう、あれがもっと増設されることになったんだ」

「車やコンピュータなんかで電気の需要が高まっていますからね」

「それはいいんだが、あれができると景観や音の関係で近くには住宅は立たんようになるから、ただでさえ電車の走ってない松崎あたりは戦々恐々だ」

「どのくらい増えるんですか?」

「海岸に沿って延べ5㎞くらいは並ぶようだ」

「白いモアイ像みたいですね」

「笑ってもいられないわ。地元にはそういった意味で国から金は落ちるんだが観光的には大打撃だよ。そうだろ、あんなもんがずらっと並んだ景色は美しくはないわな」

「いいじゃないですか21世紀のモアイ像なんて」

「冗談じゃなくてさ、そんなことなら別な方法で人を呼ぼうかって話しているんだ」

「私に話すってことは、もしかしてゴルフ場?」

「さすが鋭い! あの海岸線は切り立っているが登り切ったら辺りは草原が広がっているんだ。しかも結構背の低い草原がな」

「リンクスですね」

「さすがですな。しかも電線一つない完璧な荒野だ。令和になって新たにゴルフ場を造成する話なんて全国どこにもないから、ゼロから最新の計画を立てられる。どうだ?」

「どうだって?」

「開発に加わらんか?」


4 風の軌道


「しかし相当な風ですね。風力発電の地に選ばれるんだからもっともだけど。それにしても強烈だ。こんなところでプレーすると思うとぞっとする」

小林に案内された田巻は風力発電予定地の荒野ぶりに圧倒されている。2年前に設置された4基の発電機のプロペラはゆったり回り続けている。伊豆半島の海岸線はほぼ海面から山へと立ち上がる地形のため、山地が占める割合が圧倒的に大きい。それゆえ開発も劇的には進まず本来の自然が残る。同じ半島である房総は航空地図で見ると半島の至る所に鱈の白子のような形状の地形が点在する。ゴルフ場だ。房総半島の広さは5000平方㎞に対して、伊豆半島は1500平方㎞なので3倍以上広くはあるが、ゴルフ場の数はその数倍多い。低山ばかりの房総半島は適度なアップダウンとしてそのまま起伏を活用できるため、アクアライン開通もありどんどんコースが造られた。一方伊豆半島は天城をはじめ半島全体が山深く開発はままならないため、わずかな地形を選びゴルフ場を造ってきた。


風の流れをプロペラで受け止めることで、普段はあまり耳にすることのないような低音が発生し一帯に響く。

「まあそう言いなさんな。緑のじゅうたんがまっすぐ伸びたまったく風のない林間コースじゃあんたたちは物足りないだろ。全英オープン並みのポッドバンカーを沢山作って、プロでも手を焼く日本一の難コースにしたいものだわ」

「そんなんじゃあアマチュアの人は来ないんじゃないですか?」

「おいおい、南の離島や東北や北海道のリンクスを知ってるだろ? 最近はそういったコースのほうがひそかに人気なんだよ」

「みんなマゾですね」

たしかにここはそのまま土地の形状を活かせそうだが、あまりに荒々しい自然がむき出しで、不気味な低音と相まって自ら自分が苦しむ処刑場を作ろうとしているような嫌な気持ちがむくむく自分を支配していく。今、1月下旬の松崎は平均気温5.5℃、温暖ではあるがこの岬は吹きっさらしになるため始終風が吹きつける。

「常時発電するには風速6mは欲しいんだけど、それがここは備わっているんだ。そのくらいだとボールの弾道に影響が出るレベルになるんだよ。難易度がキープできていいだろ?」

「そうなると風を読める選手じゃないと勝てないですよね。あのボサボサの草も残すとしたら、ちょっと曲がって入ったら即アンプレ(アブル)決定だし」

「まあ、そういう障害物をなくすも残すもあなた次第だ。存分に自分のやりたいコースを考えてみてよ。どうせ発電機が立ち並んでからの着工になるから、3年は先だと思うよ」

「わかりました。ゴルファーのゴルファーによるゴルファーのための自虐的なコース考えてみます」


新たなシーズンが始まり田巻の勢いは変わらず続いた。初戦をプレーオフで制すると、続く2戦、3戦も最終組でプレーし、3位には収まってきた。

「ツルさん、このパターばっちりだよ。ボールが太いタイヤになったみたいに感じられて曲がる気がしない。言ってた通り中指でカップの入り口まで転がしてるような感じなんだよな」

「でしょ。田巻さんの動きにシンクロして乱れのない振り子になるような形状にしたんです。フェースもアイアン同様指先の感触が伝わるような繊細な硬さにしてあるから弾かないし吸収しないジャストな感触のはずですよ」

パターは短距離を転がすだけのものと思われるが、傾斜や硬さ芝の向き長さなどセッティングした者との知恵比べなので繊細さは最優先だ。ヘッドの重さやグリップの太さ、ボールが接する面の材質や形状などこだわるべき要素が満載なのだ。まさに業界でも数本の指に入る鶴岡のギアへの執着のなせる技だ。

「ところで、先週最終日の後半、けっこうティーショットに苦しんでなかったですか? なんというか、ボールが右に出がちというか…」

鶴岡はギアの性能が引き出せてない状況に敏感に気がつくから、選手のコンディションの変化にすぐに反応するのだ。

「まったくツルさんにはかなわないなぁ。確かに、自分でもよくわからないんだけど右足に違和感があったんだよ。いつもなら拇指球でグッと地面をつかんでテイクバックするんだけど、なにか踏ん張りきれないというか、左足に比べて長さが短いような感じなんだよ。それでわずかに体軸が右に傾いちゃったんだろうね。なんとか意識的にまっすぐ立つようにして続けたんだけど、あれ以来ずっと違和感を感じてるんだよね」

「まあバリバリの賞金王に言うのも何なのですが、体のメンテナンスはギアと同じくらい大事ですから。僕はそっちの方は専門じゃないので、早め早めに気にかけていってくださいね」

「わかってるよ。今シーズンはまだ始まったばかりだからな」


田巻の違和感はストレッチでもマッサージでも消えなかった。連戦ごとに強くなっていっているとも言える。痛いわけではないが柔軟性がなくなっていることだけは確かだった。

「あなた最近右足をかばうような歩き方をするけどどうしたの?」

絵理子と結婚した3年前は賞金ランクが上がってきたときで、学生の時以上に専属のトレーナーによる指導で筋力が最高潮と言える状態だった。それによって引き出しうるパワーを1打ごと発揮してきたことで翌年賞金王を掴み取ることができたのだ。

「ここのところ連戦で疲れが溜まっているんだろ。次の試合が終わったら温泉でも行こうか」

「疲れは早め早めにとらなきゃいけないのよ。今日はお風呂にゆっくり浸かって早く寝てね」

「そうするよ」

田巻は無意識に足をかばっていることはあまり気に留めていなかったが、人からも分かるようなら気を付けなくてはいけないと思った。


今シーズンも上位をキープできているので当分気は抜けない。コンディション維持のため、試合のない日もある程度ボールを打つようにしていたが8月のある日、いつものドライビングレンジでロングアイアンを打ってるときに右股関節に痛みが走った。筋肉の痛みとは違う。支えている土台が一瞬ぐらっと崩れるような感じ。自身の感覚からすると骨がダメージを負っているような、いずれにしても嫌な感じがする。  ”大腿骨の疲労骨折か?”  もう一球セットしアドレスしてみるが、いつものように両足でしっかりと地面をつかむことができない。ましてやそこからクラブを右に引いてのテークバックで右足に体重を乗せていくことは痛みがより増していく。この動作を省いてゴルフを行うことはできないので完全にお手上げになってしまう。これまでも多少のけがや筋肉痛、腰痛などは経験してきたが、これは異質だ。痛み止めの薬を飲みながら試合へは出続けた。さすがに大会4日間の3日目からは痛みは薬でもなかなか和らがない。クラブを杖にしながら歩かざるを得ない。

「相当痛そうですね。それでも予選通過するんですからすごいですよ。まだまだ明日明後日と続きますが大丈夫ですか?」

同組で回る選手からも同情の声がかかる。

「田巻さんのグリップエンド、ボロボロっすね」

平坦な芝の上はまだしも、上り傾斜やカート道を歩くときは杖で支えないと衝撃が強く痛いのだ。おのずとクラブを杖代わりしていると地面に接するグリップの端がすり減っていく。カップインしたボールももはや前のようには拾えず、両ひざをついてカップに手を伸ばす姿に、キャディがいつも駆け寄っていた。  ”このシーズンを何とか戦い切りたい”  11月に入るとさすがに予選通過もすれすれになってきた。ついに本戦に進めなかったその月の末、先輩選手の紹介で病院の門をたたいた。


5 イメージの軌道


「変形性股関節症。つまり右股関節の軟骨がすり減り続けることで無くなって、骨がぶつかり合って擦れ合ってる状態ですね」

シニアツアーを回る大学の先輩の紹介でここへ来たわけだが、先輩は早期に処置をしたのでその後ツアーを転戦できているが、田巻はついつい先送りにしてきた。シーズンを折り返すころ右股関節に違和感が出た時に病院へ行かなかったことを心の底から後悔した。

「結構進んでるから相当痛いままプレーしてきたんじゃないですか? 放っておくとどんどん擦り合い続けて、しまいには骨がつぶれていって足の長さが見た目にも左右違ってきてしまいますよ。そうなると無事な足が庇うことになるので負担がかかって、脊椎間狭窄症やヘルニアなんかを誘発しやすくなるんです。そして今度は神経系の痛みが常に付きまとうようになるんです。患者さんによっては夜も寝られなくて夜中に布団から這い出して強い座薬でしのぐなんて人もいます。口から摂取するとあまりに成分が強いので胃を痛めるほどの薬なんです」

「そんなことになるのは本当に耐えられないです。先生どうしたらいいでしょうか?ゴルフで生活してるんでまだこれからも動き続けなきゃいけないんです。どんな手段でもいいので治していただけないでしょか?」

「ここまで症状が進んでると骨に手を加えるとかの保存処置をするというより、股関節ごと人工関節にするということになるでしょうね。実例はたくさんあるので心配はいりませんよ」

「そんな大きな手術となると長期間動けないですよね?」

「術後なるべく早くには歩行訓練は始めてもらいますが、ゴルフを再開できるのは半年から1年後と考えてください。なあに、オフシーズンを手術とリハビリに当てたら犠牲になる期間も少しは減るでしょ」

「全く打たずにツアーに戻っても戦えるものじゃないですからね。ひとシーズンは休まなくてはいけないことになると翌年のシード権は失ってしまう…」

「座薬でしのぎながら骨をつぶし続けていくのと、しっかり処置をして新たなスタートを始めるのと、どっちがいいですか?」

「まあ確かにそうではありますが…。人工関節ってのも万全ではないのでしょう? デメリットはないんですか?」

「それは異物を体に入れるわけですから、完全に元の体と同じ状態に戻るってことはないですよ。ごくまれにですが体質に合わないこともありますし、人工関節と付き合い続けるにあたっては脱臼はいつも注意しておかなくてはいけないですね。特に内側に向かう力がかかると脱臼になりやすいんです」

「何かを気にしながら動かなくてはいけないんですか…」

「病気ではあるわけですから何かは犠牲にしないと。参考までにもう一つ手はないことはないのですが…」

「何ですか?」

「幹細胞の再生医療です。」


田巻は自身の細胞が股関節包の中で傷ついた個所を蘇生修復するのを待つしかなかった。12月に自身の体脂肪を採取し、間葉かんよう幹細胞が1億個になるまで1か月ほど培養し、1月末に患部の右股関節を包む関節包の中に注入した。間葉幹細胞は特定の細胞に限らず様々に分化する細胞だ。あとは擦り傷が自然治癒するように、摺り合いざらつく骨の表面を蘇生円滑化させ、さらに消滅した軟骨を昔の形に戻すよう働くことになっている。細胞注入後数ケ月でその効果が出てくるといわれているが、2月になっても痛みに変化はない。 ”明日は少しは痛みがなくなるのでは? 来月には昔のように4日間回れるようになるのでは?” と気持ちばかりが焦る。そしてちょっと前まで一緒に戦っていた選手たちのことを思うと一人取り残される気持ちがどんどん強くなり、ついつい気晴らしのため酒に手が伸びる。骨の軋みに耐えられず家に居がちになっていた。ただ、小林に依頼された松崎のコース計画に意識を向けていると没頭することができ、その間は痛みや焦りを忘れることができた。子供のころから絵を描くのが好きだったのでコースのイメージスケッチは何枚でも書くことは苦にならなかった。18ホールの俯瞰図や、各ホールのティーショットから2打目やアプローチの流れ、グリーンの形状、池やバンカーや植栽の配置など頭の中ではいくらでもイメージが浮かぶのですべて絵にして残していく。 実際にそこを回っているかのような喜びを味わうことができた。

「あなた、本当に絵の才能もあったのね。ずっとそんなの見る機会がなかったから本当に意外。それにしてもタッチが独特なのよね。その景色の中に人を一人描いたらただの風景画ではなくて何か感情みたいなものを感じるというか…、そうアンドリュー・ワイエスの画みたいに」

「確かにワイエスの画はリンクスみたいな草原が印象的だよな。その絵の中にいる人は何かにすがろうとしているような感情が嫌でも伝わってくる」

「でも、あなたの場合は足に悩みを抱えてひたすらお酒と絵に溺れてる、間違いなくロートレックよ」

「ロートレックかぁ」


6 ミクロの軌道


「まだ関節の方は変化ないのか?」

転戦で日に焼けた福田は次の試合までの合間の夜、田巻をいつものバーに呼び出した。次のシーズンが始まってしまったがいっこうに田巻の名前が参加者名簿に出てこないことを心配していた。

「あんまり変わってはいないな。増殖させた細胞を関節に戻してから、ひと月くらいで痛みが薄らぐケースもあるらしいんだけど、俺の場合はまだまだだな」

「結構痛むのか?」

「そうだな、寝返りで無理な形になると目覚めるから寝る前と、外出する日は出る前に痛み止めを飲んで何とか凌いでいる。医者は“個人差があるから半年は焦らず関節をなるべく動かして、注入した細胞を活性化させるように“というから、リハビリみたいに毎日決まった体操をやるんだけど、その動きですらまだ痛いから可動域がなかなか広がらないんだよな」

福田はその痛さを想像しスコッチの入ったロックグラスを両方の手で包み首をうな垂れる。かける言葉がなかなか見つからない感じで、しばらくグラスの氷をまわしていたが、

「幹細胞の再生治療って始まったばかりだからな…。交通事故で脊椎損傷して半身不随になった人がその治療で歩けるようになったニュースを前にテレビで見たよ。医療の進歩と未来の明るさを感じたな」

「それを見て俺もやってみることに決めたんだ。事故の後、早めに施したのがよかったらしいな。俺のはその人に比べたら痛いだけだから弱音を吐いてはいられないよな」

「いやそんなことないぞ、あるべき軟骨がなくなっているんだからそんな軽いもんじゃない。しかも賞金王のプレーを楽しみにしている人もたくさんいることを忘れちゃいけない。俺も早くお前と戦いたいしな」

「ありがとう」

田巻はこれまでもちょくちょく福田には元気づけられてきた。それにはとても感謝している。しかし、今回ばかりは置いていかれる感情がどうにもならないくらい大きくなっており、酒が入るにつれ福田の順調さに反比例するように気弱になっていく。

「不思議なんだけどさ、注入した細胞は確かに俺のもののはずなんだけど、他人のものみたいな気分なんだ。早く働いてくれよ、軟骨を作ってくれよって痛みがでるたびにそうやって発破かけるんだ」

「自分の細胞が一生懸命体の中で働いてくれているんだよ。田巻、今は自分を信じるしかないだろ」

「それが歯痒いんだよ」

もちろん私は私を生きるしかない。浮くも沈むも自分次第だ。動かなくては事は前に進まない。ゆりかごの赤ん坊のように身の回りが周囲の手によって快適に整い、危機とは無縁な状態でひたすら身を任せればいい環境などどこにもないのだ。知っても知らなくてもついつい火に近づいたり、悪の誘いに乗ってしまったり、絶望のどん底にはまってしまったりしながらも、知恵を付け知識と意思で前に向かって進むしかないのだ。そして自分でそれに気づくしかない.

「来シーズンは待ってるぞ」

そう言って福田は帰っていった。


夏が近づいたころ、半年の経過観察の日を迎えた。指定の施設でMRIを撮り恵比寿のクリニックに向かう。痛みは言われているほどに軽減することはなく、相変わらず痛み止めだのみだ。こんな調子では来シーズンの復帰も真っ暗闇だ。MRIのROMを受付に渡し順番を待つと、奥の部屋に呼び出された。

「田巻さん、残念ながら思ったほど変化は出てないですね…」

「軟骨の再生という意味ですか?」

「それより前に、接触している骨の接点もざらつきが今ひとつなめらかになってないですね」

痛みはあっても何かの前進は期待していただけにこれまでの期間を思うと心を穏やかにしてはいられなかった。

「先生、半年経てばゴルフもできるようになるっておっしゃってましたよね。なのにいまだ痛みも全然ひいていないって、一体どういうことなんですか!」

「こればっかりは、個々人の体質によって違うんですよ。ご理解ください」

「そんなわけにはいかないんです。生活が懸かってるんです、いち早くコースに戻らなきゃいけないんです!」

医師に食いつく田巻の勢いに、そばにいた看護婦が警戒してぐっと近づく。それを制して医師がゆっくりとした口調で、

「田巻さん、誰だって生活は懸かってるんじゃないですか?」

「私は家族や応援してくれている人たちがいる…」

田巻は感情のやり場のなさに混乱し始めた。そんな納得のいってない様子に医師は

「細胞を入れてからは動いちゃいけないなんて言ってないですよね?」

「そんなことを言ったって痛くて動けないんですよ。頑張ってコースに出てみてもカートなしじゃあ2ホールももたない。痛み止めをスタート前と昼休みに飲んでも、1打ごとにカートに戻るのがやっとだ」

「それならもっと強い痛み止めをお出しします」

薬頼みではきっと内臓に負担がかかる一方だろうし、なによりまだまだこの痛みと付き合っていかなくてはいけないかと思うと、絶望が全身に沸き上がり自暴自棄になり口調も荒々しくなっていくなっていく。

「大体、自分の細胞とはいえ体の体重を支えるほどの軟骨を再生させるなんて無理があるし、歴史もない治療だから確かなのかどうかもあてにならないじゃないか。これが効くんだったら人類全員が不老不死ってことになるだろ。都合がよすぎるんだよ、細胞を戻すだけ、なんてのは」

再生医療が認可されて間もないことで、こういった患者からの訴えには医師もある程度慣れてはいた。

「あなたが擦り傷を作ったら、それはずっとそのままですか?いつかは跡形もなく治ってしまうでしょ。それはあなた自身が行ったことなんです。あなたの細胞はちゃんと働く力を持っているということなんです。確かに歴史は浅いですが、この間葉幹細胞は数々の再生効果を実証してきたから、近年認可され施術されているんです。不老不死とまではいかないですが、劇的に寿命を延ばすことができる可能性を感じ、私たちも日々取り組んでいます。焦らずに自分を信じてください。あなたが痛いと思っているところは、あなた自身が解決していきます。ただし、そのスピードもあなた次第です。その細胞が痛みと戦いやすい環境、つまり細胞の活性を高めるような体の状態を作り続けることが大事なんです。夜更かしや暴飲暴食やさらにメンタル的な自暴自棄なんかは細胞にいい環境を与えられないんです」

「そんなことで本当に変わるんですか?」

「自分を信じてください」


7 別世界の軌道


「コースを歩くのは大変だろうから、シュミレーションでも行かないか?」

福田がゴルフクラブでスクリーンに向かって実際にボールを打って擬似プレーをするシュミレーションゴルフに誘ってきた。 まだまだスウィングするのも痛いが、医者からは患部をなるべく動かすよう指示されている。ぶつかり合う骨の損傷箇所やそれを庇う事で負担がかかり炎症の起きている筋肉などの修復には、注入した細胞を刺激するために、しっかり患部を動かし膠着しないようにしなければいけない。カートでのラウンドも月に二日ほどやるようにしているが、ツアーフル出場の福田とはなかなか時間が合わなかった。

「お前とはやっぱりコースで回りたいが、せめてこんなところでも一緒にプレーしたくてな」

「ありがとう。どんどんショットの感が鈍っていくのがもどかしいよ。足を庇いながらのスイングばかりやっていても気休めにしかならない」

「まあ焦らずじっくり行こうよ。ところで、ここに誘ったのは一緒にシュミレーションをやりたいからだけじゃなくて、このあいだメーカーの人に教えてもらったこれを試してもらいたくてな」

福田はコントローラーを動かしスクリーンの設定画面を出し、選択カーソルを右下のマークに合わせた。それは白いゴルフボールを輪っかが取り囲む土星のようなデザインになっている。

「それってただの画面上のデザインじゃなかったのか?」

「まあ見てろって」

福田がそのマークをクリックすると、IDとパスワードの画面が出現した。忘れないようにメモしてきたのであろう、スマホの画面を見ながらアルファベットと数字を入力していく。

「おお~っ。あの小さなマークはなんと秘密の扉なんじゃないか!」

そこにはツアーさながらにリアルタイムでプレーヤーの順位が動くリーダーボードが英語で映し出された。しかもその参加人数はおそらく数百以上いるようで、まさにいつものツアーとは桁違いで、さまざまな国の国旗が各プレーヤーの名前のとなりに表示されるのを見ると相当多くの国から参加しているようだ。

「簡単にいえばワールドワイドのネットゲームみたいなもんだが、よくぞこれだけの国からこれだけの人が参加したもんだ」

「こんなに参加しているのに、なぜ一般には知られていないんだ?」

「まだまだクラブライフみたいな環境の中にいたいんだな彼らは」

「彼らというのは?」

「もともとクラブ会員だったけど体の都合でコースを回れなくなった人たちなんだ。それも各国で相当な名門コースのね」

各プレーヤーの名前をクリックすると、プロフィールやスタッツが表示された。

「たしかにゴルフキャリアのある人たちだけにみんな高齢だな。ただし中には若いのもいるみたいだが…」

「回りたくても回れない今のおまえみたいな人たちだ。こうしてスクリーンに向かって実際にクラブでボールを打ってプレーする人もいるし、PCゲームみたいにコントローラーだけで体を動かさずに、ギアを選んで方向や強さを設定してONボタンを押してプレーする人もいる。圧倒的に後者が多い」

スコアボードにはクラブマークとコントローラーマークの人が混在しているが、コントローラーマークのほうが確かに多い。

「実際のコースで気象条件と戦い、地形と戦うのがいわゆる一般的なゴルフだが、こうしてギアとそれを動かす物理的力学の理論値で18ホールを組み立てていくのもゴルフと言えるんじゃないか?」

確かに気持ちよくスイートスポットでとらえたボールがきれいに飛んでいく快感は何物にも代えがたいものではあるが、いろいろな条件を総合した判断で好スコアを得るのもゴルフの醍醐味だ。

「これなら体に障害を持つ人でも遠方にいる人でも、まさに通信環境さえあれば世界のゴルファーとプレーができるじゃないか。デジタル上だからお互いの言語に変換されて対話ができるだろうから、ラウンド以外の交流もストレスなしだ。まさに真のクラブライフなんじゃないか」

「これがメタバースだよ。そのコミュニティに参加しているのは自分であり、考え方によっては自分の分身、つまりアバターであり…。例えば、うまくいかず絶望の淵にいて死にたいとまで思っている人がいるとする。その人がまったく新しくやり直せる世界があるとしたらどうだ?」

「生まれ変わったような気持ちになるかもな。俺もそのスクリーンの中でのラウンドなら、賞金王のプライドや痛さを感じずに戦えるような気がするな」

「だろう。世間ではVRだARだと立体画像が見える眼鏡を付けてゲームみたいなことを体験するのがメタバースみたいに言われているが、メタバースはゲームやエンタテイメントではなく、もっというとただの仮想現実でもないんだ。最新テクノロジーが生み出したもうひとつの人生なんだ」

福田はこの機能を知ってから、自分なりにかなりいろんなことを考えてきたんだなと田巻は思った。ゴルフの未来、人間の未来、そして私の未来のことまで…。

「ありがとう、また福田に勇気づけられたよ」

「ゴルフなんて一人でやってもつまらないからな。まして人生なんてもっとそうだ。ゆっくり治して必ず戻ってこいよ、強いままでな」

「強い、かぁ…」

ショットが力強いだけがゴルフじゃない、今は不安もなくしっかりそう思うことができた。


9 轍の軌道


「おい、君にこんな才能があったとはな」

小林はオフィスの常務室に来てくれた田巻を前に、書き溜めてきたスケッチを次々とめくっていく。

「あの荒野のような松崎の岬がこんな景色になるのか? しかもほとんど自然に手を加えずに。これじゃあ風力発電のほうがよっぽど自然破壊になるじゃないか。設置工事はなるべく荒らさないようにやってもらわなきゃなぁ」

田巻には小林の興奮が手に取るように分かった。ラウンド中のナイスプレーが出た時の何度も小刻みにうなずくようなしぐさだ。さっきからそのうなずきは続いていた。

「それにしてもこのレイアウト、見るからにプレーヤー泣かせだな。先のホールまでしっかり開けていて見渡せるんだけど、その荒野のどこに落とせばいいのか全く見当がつかん。しかもどのショットも相当ピンスポットに狙わなきゃいけないな。それを上から見下ろす発電機たちは白いモアイじゃなくてまさに水子供養の風車ならぬ予選脱落者供養のようだな」

「白く大きなプロペラはただただ黙々と回るんです。プレーヤー泣かせの強い風で」

「田巻君もサドだな。自分はその唯一の落としどころを知ってるわけだからな。ところで、足の具合はどうなんだ? ずいぶんツアーを休んでいるが」

「今私の細胞が体の中で頑張ってくれてるところなんですが、なかなかすぐには」

「まあ焦ることはない。しばらく賞金王は誰かにくれてやれ!その代わり数年後はその賞金王なる男もこのリンクスに悩ませられるだろうからな」

「ツアーコースにするつもりなんですか?」

「もちろん、世界のな」


          ***


松崎の岬に白い風車が並んだ姿はまさに異次元のようだ。岬のカーブに沿って柱の作る縦ストライプが狭くなりやがて重なり、その先でまた広がっていく。地上の人工造形としてはかなり大きな部類になるが、さらにオブジェのような一種の美しさを纏っている。岬の地盤は固い岩で難航が予想されたが、最新の掘削機で何の事なく土台の穴を掘り下げ発電機は周囲の環境を大きく荒らすことなく設置できた。先に稼働していた4基に加え、今回の工事で新たに11基が置かれ15基が述べ5㎞に渡って連なり、海からの風を受けてゆっくりと回っていた。

「出来ちゃいましたね。これだけのものになるとそう簡単には朽ちないから、半世紀以上はこの景色は変わらないことになるんでしょうね」

「ここに風が吹くうちは朽ちないように維持していくだろうよ。ほらあの仁科灯台、今は使ってないけどああしてずっと残ってる」

「これから作るリンクスも残り続けてくれるかなぁ」

「難しければ難しいほど残っていくだろうよ。制覇出来ないプレーヤーたちを供養し続けてな」

「私は恨まれ役ですね」

15基の風車を掘削機の轍がくっきりと繋いでいる。

”あそこは砂利道で残そう。足の悪いプレーヤーがいつでもカートを走らせられるように…”

両足でしっかりとした足取りで歩きながら田巻はそう独り言ちた。   


(完)



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