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つまり網沢ほのかは女神である 3

 長話の担任が珍しくホームルームをすぐに終えてくれたおかげで、今日は10分も早く先輩に会いに行ける。

 るんるん気分で部室に入ると、中は真っ暗闇。

 遮光カーテンが窓を漆黒に覆い、開けた扉から伸びる一条の光だけが室内を照らしている。その光の中に、佇む姿がひとつ。

「だれだ、我が眠りを妨げるのは」

 いや、立ってただろ。心の中で突っ込みつつ、俺はぼけーっとその不審者の言葉の続きを待つ。いやまあリボンの色で一年ってのはわかるんだが。ゴシックに改造した制服と瞳を隠す前髪は不審者にしか見えない。

「我の名は瀬良唯。四賢者の一角にして悪魔と対峙する魔女……位階はセラフィム。混沌の支配者にして根源たる一。人間よ、我に平伏すがいい! ――って、あえ?」

 威勢のいい言葉とともにこちらに振り向き、瞬間、少女は目を見開き、若干頬を赤くしてフリーズ。

 ぎぎぎと錆びついた機械みたいに顔を逸らし、決めていたポーズを解く。

「す……すみません、お見苦しいところを。つい、友人が来たと思うまして」

 思うましたか。

「や、まあ、なんかすまん」

「え、あ、えーっと。……え、文芸部に御用で?」

「部員だが?」

 むしろ、お前がだれだよ、と視線を向けると、自称・混沌の支配者(笑)は気まずそうに頬をかく。

「あ、あー、そうだったんですね。や、えーっと、玲奈から新しい人が来たとは聞いてて……えっと、あ、カーテン! カーテン開けますね、暗いですよね、ごめんなさい!」

 熾天使(セラフィム)・瀬良唯がカーテンを開けると、斜陽が目に飛び込んできた。一瞬目がくらむ。太陽拳って天津飯の技じゃねえの? 悟空も熾天使も使えんの?

 瀬良はそろそろ羞恥も治ってきたのか、席に着く。それを見て、俺も斜向かいの席に座った。

 ……気まずい。何か話したほうがいいのだろうか。

「熾天使とか、階級高いな」

 コミュ障なりになんとか話そうと話題を捻り出した結果がこれでした。

 あーあ、これもうつまんない奴認定されて二度と話してくれなくなり、最終的にストーカー扱いされて教師呼び出されて俺が説教されるやつだ。それは中学のとき好きだった高嶺さんの話だろ。……あれ以来学校に行くのが本当に苦痛だった。ただでさえ学校なんてろくなところじゃなかったのに。

 トラウマの扉を開いて鬱りかけていると、瀬良は予想外にもぱっと顔を輝かせた。

「天上位階論!! 読んだことあるんですか?」

 最初だけやたらでかい声。あれか、普段話さない人間ががたまに声出すと思った以上にでかい声出てしまうやつか。わかる。

「読んだことはねえけど。まあ、聖書ネタは多少知ってる」

 三年前、つまり中学2年生のときに仕入れた知識なのでかなりうろ覚えだが。まあ、人生長いから、生きてたらいろんなジャンルに興味もっちゃうのは仕方ないことだよね! ファンタジー小説にのめり込みすぎてアマゾンでけばけばしい英語の魔導書買って辞書と睨めっこしながら読んでるうちにやたら英語の点数だけ上がったりすること、あるよね! レメゲトンはけっこう面白かったです。

 失恋トラウマに続いて厨二トラウマの扉まで開きそうになっていると、瀬良がぐいと距離を詰めてきた。

「じゃ、じゃあ、ソロモンの72悪魔とかは!?」

「あー……あれか。マルファスとか」

 カラスの挿絵かわいかったから覚えてる。

「序列39位、地獄の40の軍団を率いる大総帥ですね! いやあ、アスタロトとかの有名どころじゃない名前を出すあたり渋いですね!」

 アスタロトって有名なのか。はじめて知ったわ。

「じゃあデカンの32悪魔とか、キリスト以外の悪魔は!? ティアマトとかニドへグとか!?」

「こんにちはー。あら、二人ともいたのね」

 ほんわか愛らしい挨拶とともに入ってきたのはアテネにも匹敵する麗しき女神、ほのか先輩。

「あ、ほのか」

 先輩は入ってくるや瀬良をぎゅむっと抱きしめて頭をなでる。なんて羨ましい……俺も先輩に頭なでなでしてもらいたい。最終的には先輩の弟になっておはようから翌おはようまで一緒にいて甘やかされたい。

「唯、珍しいわね。今日はオカルト研究会のほうはいいの?」

「うん。向こうは顧問の先生の都合で休み」

「そう。座って待ってて。ココア入れるわね」

「あーとー」

 ほとんど言葉の原型を留めないお礼。

 こいつ、後輩であることを差し引いても幼すぎないか? あれか、ほのか先輩の母性は周囲の人間の精神年齢を下げてしまうのか。俺も幼児退行して甘えようかな。絶対引かれるだろうな。

 ていうか、こいつも文芸部メンバーなのか。じゃあ何か書くんかね。そう思っていると、瀬良はやたらでかい革装丁の本をどん!と音を立てて机に広げた。さらにカバンから羽ペンとインク壺を取り出し、さらさらと書き綴る。

「えーっと、何書いてるんでせう?」

「ふっ……人が深淵を覗く時、深淵もまた人を見ているのだ……汝、汝、えーっと」

「三笠だ」

「汝、三笠は果たして深淵に魅入られる覚悟ができているのか?」

「ココアできたわよー。あ、三笠くんは紅茶ね」

 かっと目を見開いて瀬良が決めポーズをとるのと同時、先輩がカップを三つ机に置いた。紅茶、ココア、コーヒーをそれぞれの席に配る。

 先輩は瀬良の隣、つまり俺の向かいの席に座った。チェスでいうオポジション、やばい、先輩に追い込まれる! 追い込まれたい!

「三笠くん、唯に好かれてるみたいね」

「……そうなんすか?」

「だって、このかっこいい口調、親しい相手にしかしないものね」

 これをかっこいいと表現してあげる先輩優しいなあ。

「べ、別に好いてなどいない。闇の世界の住人たる我に好き嫌いの感情などない」

「えー、じゃあ私のことも好きじゃないの?」

「それは……まあ、感情がないというのは決して嫌いという意味ではないし、堕天使でも長く一緒にいる人間には愛着のひとつも湧くというもの……」

 瀬良の困った反応を見て笑っている先輩は案外Sなんじゃないかと思うが、そういやこの人かなりアレな小説書いてたな。

 瀬良は咳払いひとつ、気を取り直して俺のほうを向いた。

「ところで三笠、我が深淵を覗く覚悟はできているのか!?」

 あれか、ようするに見てほしいのか。

 きらきらした目で禍々しいオーラの出る黒い革表紙の本を持っているあたり、たぶんこの選択肢はあっているはず。

「あー、見たい。超見たい」

「そうか。なら仕方ないな。あまり長く見すぎると喉を掻き切って自殺するかもしれんから注意しろよ」

「お前、ネクロノミコンでも書いてんの?」

「惜しいな! 無名祭祀書だ!」

 でーん、と広げられたそれは名状し難き冒涜的な魔道書だった。

 うねる毒蛇や人間と魚の混じったキメラのような挿絵、まるで意味を成さない文章、たぶん魔術師じゃないとこれの意味を読み解くことはできないのだろう。俺が魔術師じゃなくて本当によかった。

「ああ、なんというか……やべえな」

「然り。もっとじっくり読んでもよいぞ」

 自信満々の瀬良。呪文じみた文章はともかく絵は無駄にうまく、ファンタジー好きの心をくすぐるものがある。しばし読み進めていると、30ページほどで真っ白なページが出てきた。ぱらぱらーっとめくっていくと、ちょうど本の半ばから文章が再開されていた。

 出だしには『フォン・ユンツトの旅』とある。無名祭祀書の作者になりきって書いた自伝らしい。

 これもまたカオスなのかな、と思い読んでみると、意外と面白かった。

 出だしはヨーロッパの旅行記としてはじまっている。19世紀、ドイツはビスマルクの統治よろしきを得て紛争は落ち着き、活力に溢れ、近代化は推し進められながらも中世の魅力をいまだ失っていない。

 ドイツを出て東欧へ、さらに南下してギリシアへ入る。そこでユンツトは古代から脈々と続くバッカスの秘密の祭儀と出会う。ギリシアの森の奥深くで行われる、仄暗く、神秘的な儀式の光景。

「すげえ」

 思わず声が出た。幻想的な世界に没頭させる文章力、古代から続く魔術儀式の描写がロマンを掻き立てる。ようするに俺の好みドンピシャの作品だった。

「そ、そうか? すごいか!?」

「ああ。面白いな、これ」

「そうかそうか。汝、我が深淵を理解するか。よし、それはしばらく貸してやろう。どうせネタ切れでしばらく書くつもりなかったからな」

 最後の一言でいろいろ台無しだった。

 まあ、借りるけど。


ーーーーーー


 パソコンの画面に自分の小説を表示し、瀬良の文章と比べてみた。

 伝わりやすさ、語彙選びのセンス、世界観、どれをとっても見劣りする。というか、これこそが俺の書きたかったものではないかとすら思えてくる。

 ……いや、少し違うな。けどかなり近い。

 新しいウィンドウを開き、本の内容を書き写す。写経というのは聞いたことはあったが、するのははじめて。とりあえず冒頭から一言一句書き写していく。

 作業していると、いつのまにか部室に来ていた海堂が覗き込んできた。

「お、写経? ……って、これ唯の本じゃん」

「あー、まあ、ファンタジー描写の参考になるかなと」

「へー。唯、変わってるけど文章うまいもんね」

 たしかに変わってるが、お前もたいがいだと思うぞ。

「なるほどなるほど。唯のファン第一号ってわけだ」

 海堂は何やら納得しながらほのか先輩の隣に座り、自身のノートパソコンを開く。

 1時間ほど書き続けたところで集中力が切れる。椅子にもたれかかり、目頭をもんだ。

 軽い気持ちで写経などしてみたが、かなりキツイ。書けば書くほどに、格の違いを思い知らされる。

 わずか数語でも伝わってくる情景、雰囲気にぴたりと合致する言葉選び、作り込まれた世界観。

 こんなの書ける気がしねえ……。

 ちょっとした絶望を味わっていると、目の前にカップが置かれた。見れば、先輩が紅茶を淹れてくれたようだ。先輩は自分のコーヒーと海堂のお茶も置き、席に座った。

「進んだ?」

「まあ、半分くらいは」

「そう。三笠くんは写経、よくするの?」

「いえ、文章力の練習法としてあるのは知ってたんですけど、やってみたら難しいもんですね」

「ふふ。唯の文章って独特だから。最初はもっとクセのない文章ではじめたほうがいいと思うわ。三笠くん、ARKOFF Formulaって知ってるかしら?」

「あーこふ?」

 聞き返すと、先輩はうなずく。

「アクション、レボリューション、キリング、オラトリー、ファンタジー、フォーニケイション。創作物で人を惹きつける要素のこと」

「はあ」

 言われても、いまいちぴんと来ない。

「唯の文章で優れてるのはファンタジー。幻想的な世界の描写ね。けど、三笠くんの作品を読んでるとオラトリー、キャラクターの会話なんかが得意なの。言ってみれば唯ちゃんの作品は壮大な世界観で人を没入させる『アバター』で、三笠くんのは会話主導の『物語シリーズ』みたいなものね。そもそも作風が違うんだもの。真似するのは難しいと思うわ」

「あー、つまり自分のと似た文章の作品を写したほうがいいってことっすかね」

 問うと、先輩はこくりとうなずく。

「苦手分野をなくすのもひとつの方法とは思うけど、私は自分の得意を伸ばしたほうが楽しいと思うの」

 まあ、言わんとしていることはわかる。チェスだって相手の守りが薄いところ、攻めやすいところを攻撃する。がちがちに守られてるとこを攻めたって無闇に手番を重ねて戦力を浪費するだけ。

「それもそうっすね……。先輩の言う通りにします」

 言うと、先輩は笑顔で「がんばってね」と励ましてくれる。

 やっぱ天使だわ、この人。一生ついていこう。

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