いつだって三笠司はあがいている 2
それからの二週間は、人生で一番濃い時間だったかもしれない。
瀬良ママの打ち筋をトレースした楓とひたすら早指し。俺が一手うつたびに指摘が飛び、修正しても別のところで足をすくわれる。布団に入ってもチェス盤が頭から離れず、夢の中でも対局していた。
結果、寝不足である。
普段は飲まないエナドリでドーピングしまくり、決戦の日。
俺、楓、先輩、海堂の四人は瀬良の家の前で立ち尽くしていた。
対局を行うのは瀬良の家、なのだが。
「でけえ……」
思わず呟いた。
2メートルはある塀。柵の隙間から見える敷地内には緑が広がり、池も見える。建物は和風の二階建て。
瀬良は身長も胸も小さいのに家だけはでかかった。
「おにい。私将来こういう家に住みたい!」
「そうか。俺は山奥に引き篭もりたい。買い物は全部通販で済ませる」
「はー? 山とか虫出るじゃん。無理。却下」
「まあ山じゃなくても人気がなければ……逆に家の周辺爆撃して更地にしたらいいのでは?」
「おー。おにい逆転の発想。マジコペルニクス」
「将来も一緒に住んでる前提なんだな」
楓と話していると海堂が呆れていた。なぜだ……ぼっちの聖典『俺ガイル』にも妹とは生涯添い遂げるべきって書いてあるだろ。
うちの妹も家事できたらなあ……。
などとやっていると、石畳に下駄がぶつかる小気味いい音が聞こえた。
「あ、唯ー」
海堂が手を振ると、こちらにやってきていた瀬良は小さく手を振ってくる。
「お待たせしました」
内側から鍵を開け、俺たちを招き入れた。
「……瀬良、なんかキャラ違うくないか?」
「お家に来た時はあんな感じよ」
普段は人見知り、仲間内では厨二病、家では清楚なお嬢様。
瀬良って多重人格なんじゃないだろうか。
ーーーーーーーーーー
無駄に長い檜の廊下を渡り、座敷に通される。一枚板のテーブルにはお茶菓子と煎茶、そして真ん中には駒の並べ終わったチェス盤と対局用の時計。
敵地だが俺は武士ではないので、完全に気を緩めて遠慮なくお菓子をばくばく食べる。
隣では楓も煎茶に口をつけて「あちっ」と舌を出していた。
「あ、おにい。このおかきおいしい」
「マジか。くれ」
「なにこのちっちゃいお団子。超かわいいんですけど」
「あんたら人んちよ、ここ」
「まあまあいいじゃない。たくさん食べるほうが大きくなるわよ」
「ほのかは三笠兄妹の保護者かなんかなの?」
そうだなー。ほのかママが本当のママだったらよかったのになー。
煎茶を飲み干したところで、襖が開いた。立っているのは着物に身を包んだ和風美人、瀬良マッマである。
瀬良ママは挨拶もそこそこにテーブルに座った。
「お願いします」
「あ、お、お願いします」
礼儀正しく礼をする瀬良ママにつられ、こちらも背筋が伸びる。
瀬良ママは両手に駒をひとつずつ持ちこちらに差し出してきた。左手に触れると、中には黒い駒。
後手か。
瀬良ママは白盤を自身に向け、e4を指す。こちらはc3、シシリアンを選択。
かくして試合ははじまった。
しばらくは駒の取り合いは発生せず、より優位な場所を占めるための攻防が続く。
瀬良ママはすまし顔だが、こっちは緊張で胃がねじ切れそうだった。
冷や汗が背中を伝い、一手打つごとに精神が削れていく。
均衡を打ち破ったのは瀬良ママ。ポーンをd5へと進めた。
思わず舌打ち。手は、なくはない。だがかかるだろうか。見破られれば今度こそ積む。
ナイトに手を伸ばす。けれど不安が勝り、緩手に逃げたくなる。そんなことをしたって意味はないのに。
昔の癖で爪を噛んだ。それを見た海堂が楓に問いかける。
「三笠、負けてんの?」
しかし、楓は無言。かわりに瀬良が自信なさげに答えた。
「少しだけ……。ママのd5のポーンが強力なので」
「どういうこと?」
「ポーンは相手陣地の一番奥まで進めると他の駒に成れるんです。だから5ランクまで到達したポーンは取り除かないと、エンディングに差し掛かって駒が減るときまで残ってると大きな脅威になります」
海堂は「へー……」と明かに理解していない様子だが、瀬良ママが娘の言葉に反応した。
「唯、あなたわかるの?」
「は、はい! 教えてもらいました……三笠先輩に」
「そう」
瀬良ママはこちらに視線を向ける。
「なかなか上手に教えてるようですね」
「……ええ、まあ。苦心してますよ」
「三笠さん自身も相当お強い」
「はっ。お世辞言わんでください才能ないのは自覚してるんで」
「あまり才能なんて言葉使わないほうがいいわ。それよりどうすれば上達するかを考えるべきよ」
諭すような言葉。
勝負で熱くなっていた頭が急速に冷える。
何遍も言われてきた言葉だ。「もっと努力しろ」「言い訳するな」「才能なんてない」けど、本当にそうだろうか。
ちらと妹のほうを見る。すでにこのあとの展開は予想がついているのか、つまらなそうに爪をいじっては携帯を入れたポケットのあたりをさすっていた。
天才は存在する。
親のいる道場で、ほとんど練習らしい練習もせず、たまに来たと思えば30分ほど組手だけして帰っていく。それでいて、大会に出れば連戦連勝。
俺は毎日通い、他の子たちが帰った後も何時間も練習させられ、一度も結果を残せなかった。
定石を覚えることもなく、人の対局をいくつか見ただけで「私もやってみたい」と言って、簡単にプロを打ち負かす。俺は二年やっても“そこそこうまい”どまりだったのに。
天才は存在する。
同じ人間。同じ器官を、同じ構造の脳を持つはずなのに、明かに凡人とは一線を確する人間が。
あがいて努力し工夫を凝らし、死力を尽くしても、足元にすら辿り着けない、化け物が。
俺はそんな天才と、17年間一緒に暮らしてきた。
勝てないはずはないと努力して、いつかきっと勝てると夢を見て、勝てないとわかっても、一矢報いるため足掻き続けた。
すっぽんがどれだけ足をばたつかせたって月に届く道理はない。
それでも見上げてるだけなんて嫌だから。勝機はなく、辿り着く方法すらなくても、何もせずに腐っていくことなんて認められないから。
――ナイトをh5へ。
つまらなそうなため息。
「娘にチェスを教えてくれたことには感謝します。けど、約束は約束。わかっていますね?」
無言でいると、瀬良ママはビショップで俺のナイトをとった。ポーンで取り返すが、これによってhファイルにポーンが二つ並ぶ。
息を飲む音。見れば、瀬良が絶望的な表情をしていた。その隣ではさっきまではつまらなそうにしていた顔を楓が、顔を隠すようにうつむいている。
「え、まずいの?」
「ダブルポーン……ポーンが二つ並ぶのは弱い形なんです。それも端なので余計に」
瀬良の言葉は正しい。だからこそ瀬良ママは勝利を確信したのだろう。
クイーンを出して攻撃するも、敵の守りは固い。さらに残っていたもう一つのナイトをg4に寄せた。放置すればメイトにもっていける形だ。
瀬良ママはすぐに気づき、自身のナイトで黒ナイトを取る。
俺はさっきhファイルに置いたポーンでナイトを取り返した。
瀬良ママの眉根がぴくりと動く。
そう、これで端のダブルポーンは解消。さらにクイーンも置いていたことで、キングサイドはこちらが支配し、盤面は互角に。
瀬良ママはビショップでカウンターをうってくる。
俺はクイーンで攻撃された駒を守りつつ、逆に敵のビショップを攻撃。
ここでビショップを落とせば不利になる。瀬良ママはビショップを逃す一手。
だがビショップが逃げ切る前に、俺はポーンをh5に置いて退路を断つ。これで白のビショップはポーンに囲まれて逃げ場を失い、無力化。瀬良ママの戦力が一気に削がれる。
瀬良ママは口元に手を当て、長考に入った。ここでビショップを逃がそうとすればこっちにはメイトの手がある。さりとてクイーンサイドから有効な攻撃もできない。
時計の針が振れ、瀬良ママの持ち時間は削れていく。
「……わざとだったの? あれ」
「ええ、まあ、わざとというか」
俺が言い淀んでいると、さっきまでうつむいていた楓がくつくつと笑い出した。
「ごめん、おにい……。もう我慢できない」
そう言って、大声で笑い始める。
「あー、これ、俺が昔、妹に使ってぼこられた手なんすよ」
思いだすのは高校一年のときに出た大会。
俺はチェス歴3年目にして日本一を狙える位置にあり、対する楓がチェスをはじめたのは3ヶ月前。
優勝者が決する戦いで、俺は完膚なきまでに叩きのめされた。
思いだすのも辛い記憶。だが、だからこそ、夜な夜な思い出しては“どうすれば勝てたのか”と考え続けてきた。
一年間、考え続けてきた手だ。
瀬良ママがナイトをとった時点で、このトラップを使おうと思っていた。見破られれば危なかったが、賭けは成功した。
チェスをやめた直接のきっかけになった試合だが、今回ばかりは役に立ったようだ。
話しながらも手を考えていたのだろう、瀬良ママは迷いながらも盤へと手を伸ばす。
楓は勝負はついたと見たのか、携帯をいじりはじめた。
――不意に、廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
和室のふすまが開かれる。
「ゆいゆい! 収益化通ったよ!」
入ってきたのは赤髪のイングランド少女、リサたん。
「あ、リサのマムも。オカ研のYouTubeチャンネル収益化したです。オカ研の活動は勉強にはならないかもですけど、お金にはなるので、立派な自己投資です!」
瀬良はぱあっと顔を輝かせ、感極まって抱きついた。リサたんに。
「おーほほう。熱烈なハグですね! ゆいゆいかわいい!」
リサたんは嬉しそうに抱き返す。
あれー? 俺もがんばったんだけどなー、ハグまだかなー。いや、されても困るんですけども。
瀬良ママは唖然とし、すぐにはっとしてこちらを向く。
これは以前の電話会談で、瀬良ママが言っていたことだ。勉強は未来の可能性を増やすため。もしオカルトや文芸も未来の役に立つというのなら、証拠を見せろと。
俺は文芸が学力に繋がることを説き、瀬良ママに勝てばそれを認めるよう強引に取り付けた。
対するリサたんはオカ研の活動が収益になることで、金銭という形で未来の選択肢を増やすことを示した。
瀬良ママは呆れたようにため息をつく。
「オカルト研究部のかたと話た記憶はないのですけれど……。だれの入れ知恵?」
問われ、俺と楓は咄嗟に目を逸らす。
「本当に子供って……大人の想像だにしない解決策を持ち出してきて……私の頭ももう固いわね」
瀬良ママは自身のキングをそっと倒す。投了だ。
「唯」
優しい声音。瀬良はリサから離れる。
瀬良ママはそっと瀬良の頭をなでた。
「こんなすごいお友達に囲まれて……。いい環境にいるのね」
「えっと……はい。みんな、すごい、です」
「留年だけはしないようにね……あれ、けっこう辛いから」
「そうなんですか?」
「そうなのよ! 一年っていっても高校時代の一年って大きいじゃない! それまで『瀬良先輩』って慕ってくれてた子が同じ教室で授業受けるようになって。『瀬良ちゃんは将棋強いし、学校の勉強できなくても……ね?』なんてよくわからない慰められ方をして、いっそもうバカにしてって思ったわよ!」
あー、なるほど。19歳で高校卒業した勢ですか……。そりゃ娘に同じ道辿らせたくないよね。必死にもなるわ。
「私みたいな人間にはならないでね」
「そんな! 私将来はお母さんみたいになりたいです!」
「唯、あなた……」
遠い目をしていた瀬良ママがばっと涙ぐむ。
「だってお母さん可愛いじゃないですか! いまだに日曜の朝8時にアニメ見てきゃっきゃ言ってるし熊のぬいぐるみ抱いて寝てるし! お酒飲んだらぽわぽわーってなって甘えてくるし!」
瀬良ママはさっきまでとは違う涙を湛えていた。
「そんなこと人様の前で言わないでー! ああ、もう! はずかしい!!」
あーあー、完全にオーバーキル。
瀬良ママは「うわーん」と泣きながら走り去っていった。
ーーーーーーーーーー
瀬良家を出てしばらく歩き、学校の前で先輩たちと別れた。
黄昏の光が影を伸ばす道を、楓と二人で歩く。
「イギリス人呼んだの、いいタイミングたったな」
「でしょー」
楓は携帯をもてあそびながら答える。リサたんの飛びだすタイミングは重要だったが、さすがに俺が対局中に呼び出すわけにもいかなかったからな。
勝利の余韻に浸っていると、ふと別の勝負のことを思い出した。
「あー、楓。ちょうど今日だろ。一ヶ月」
それだけの言葉で楓は察したらしい。不敵な笑みを浮かべる。
「うん。勝負内容決めた?」
一ヶ月前、楓が提案してきたことだ。
勝負をして、負けたほうは勝ったほうの言うことを聞く。
財布から500円玉を取り出した。
「投げたら表か裏か、言ってくれ」
「マジ?」
楓は怪訝な目を向けてくる。
「おにい、運ゲー嫌いかと思ってた」
「お前に勝つには運ゲーくらいしかないと思ってな。チェスならレーティング差は勝率は2割もない。50パーで勝てるならいいもんだろ」
楓は俺の言葉を聞きながらも、周囲を見回し、コインをまじまじと観察。
何も見つからないだろう。当然だ。何も仕掛けてないんだから。
というか、妹にここまで疑われるとか、俺って相当性格悪いのでは?
「ん。いいよ」
楓が承諾するのを見て、俺はコインを弾いた。
「裏」
2秒ほど宙を舞ったコインは高い音を立てて地面に転がる。楓のほうへ転がり、小石にぶつかるとその場でくるくると回る。やがて回転は勢いを失い、表でとまった。
「……マジか」
楓が呆然とする。
俺は小さく拳を握った。
第一部完的な感じです。気が向いたら続き書きます。




