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かくして勝負は幕を開ける

 翌日。

 部室に全員が集まると、瀬良は部活をやめるよう言われたことをみんなに話した。

 瀬良の話を聞いた先輩は思案顔。先に海堂が口火をきる。

「そもそも、なんで唯のお母さんは部活やめろって言ってきたの?」

「実は……一学期の期末で赤点取った時くらいから、これ以上成績落ちるようならって仄めかされてて……。なんとかごまかしごまかしやってたんだけど、この前、オカ研の活動で帰り遅くなったのがとどめになったみたい」

 自業自得では?

 喉まででかかった言葉を飲み込む。だが海堂も似たようなことを考えていたらしい、言葉に詰まる。楓は人の身の上話には興味ないらしく、ぼけーっと外を眺めていた。

「とりあえず、お母さんと話させてもらえないかしら? 部長としてとして、部員が退部するならきちんと話をしたいのだけど」

「うん。ママに聞いてみる」

 瀬良は少し離れたところで電話をかける。母親と話しているのだろう。小声でのやり取りが続く。


 気づけば先輩がすぐそばに立っていた。

「三笠くん、どう思う?」

「どうとは?」

「唯にも非はあるかなってこと」

「さあ。非があるとかないとか、どっちが悪いってのとか関係ないと思いますよ。所詮、子供なんて親の所有物ですし。所有物が所有者に逆らえないのが道理でしょう」

 言うと、先輩は驚いたような顔をする。

 まずい、瀬良と話てたせいで口が軽くなってた。こんな腐った持論、先輩に聞かれたら、きっと嫌われる。

 嫌われる、嫌われる、嫌われる、嫌われる、嫌われる、嫌われる、嫌われる、嫌われる……………………別に、いいのか、嫌われても。脳内お姉ちゃんにだけ好かれてれば別に。現実なんて、どんなに辛くても、どうでもいい。


 思考が際限なく腐っていく。

 そっと、肩に手を置かれた。

「上下関係はあるかもしれないけど、逆らっちゃいけないって道理もないでしょ。革命って意外と成功するものよ」

 今度はこちらが驚く番だ。

 見上げると、先輩は笑う。いつのも慈愛に満ちた笑いじゃなくて、もっと勝ち気で、凶悪な、勝負師の笑み。

「三笠くん、頭いいし、行動力もある。ぶつかったって勝てるわよ」

「ほのか! ママが話してもいいって」

 俺が口を開くより早く、瀬良が携帯を差し出してきた。

「わかった。今行くわ」

 さっき触れられた肩がどうにもむずがゆい。けど嫌な感じじゃなくて、ずっと胸の内にあったよどみがほんの少し軽くなった気がした。


ーーーーーーーーーー


 机の上にスマホが置かれ、先輩と瀬良が並んで座る。スマホはカメラ通話になっており、相手は瀬良ママ。

 本人、部長、母親のリモート三者面談である。ハイテクだ。時代を感じる。


 先輩はそつなく挨拶を済ませると、本題を切り出す。

「唯さんは部活をやめたくないと言っています。学業に支障があるとのことですが、文芸部もオカルト研究部も決して厳しいクラブではありません。成績が改善するまでは部活動の時間を減らす、などではダメでしょうか?」

『網沢さんは厳しくない部活とおっしゃいますが、むしろ私はそのことを問題視しています』

「とおっしゃいますと?」

『文芸部にしろオカルトにしろ、唯が本気で取り組んでいるのなら試験の結果が多少悪くなってもかまいません。部活動と学業の両立というのは難しいものですから。私が案じているのは両方とも中途半端にして、部活も勉強も疎かにすることです』

 瀬良ママは相手が子供だからと言って自身の意見を押し通そうとすることなどなく、まして声を荒げることもせず、理論を組み立てる。

「たしかに色んなことに手をつけてすべてが中途半端、というのは良いことではありません。そのことはおっしゃる通りです。ですが勉強と部活動、どれを本気でするかは唯さん自身が選んではいけないのでしょうか?」

『学生の本分は勉強、なんて言ったら古臭い考えだと言われそうだけど、頑固者の老人の意見にだって根拠はあるのよ。私たちはこの考え方で成功してきたのだから。もちろん、時代が進めば最適な考え方も変わる。老人の考えは今の時代において最善ではないのかもしれない。けれど、最善でないだけである程度の有効性は保証されている。もしオカルトや、文芸が勉強よりも娘のためになるというのなら、その根拠を明示してもらえなければ、こちらとしても納得できないわ』

 ……強いな。

 てっきり「約束だから守りなさい」をえんえん連呼されると思っていた。先輩も似たような考えだったのだろう。だが蓋を開けてみれば瀬良ママはどこまでも論理的で、こちらの意見にきっちり反論してくる。

「勉強なんて意味ないし」

 弱々しく言葉を放ったのは瀬良だ。


 それまで黙っていた瀬良が、おずおずと画面の中の母親と目を合わせる。

「勉強なんて、なんの意味があるの……。私は立派な大学なんて行きたくないし、いい企業に行きたくもない。……楽しくやれたらそれでいいの」

『可能性を保持するためよ』

 瀬良の、あまりに子供じみた、それゆえに切実な疑問に、瀬良ママは刹那の逡巡もなく返す。

『現実はいろんな制約があるの。人は何かをしたいと思っても、思い通りにできるわけじゃない。お金が足りない、体が弱い、立場が弱い、出身地が不利、肌の色、宗教……そして学力が足りない。日本人として生まれたあなたは、出身地や宗教で制約されることはない。お金は今はどうしようもない。体の強さだって可能性を増やしてくれるけれど、あなた運動は嫌いでしょう? けれど、勉強はできる。大企業に勤めろとか、いい大学に行けとか、与えられた目標でもいい。それを達成するために身につけた学力は、将来あなたが障害にぶつかったとき、それを突破する助けになる。だからきとんとした目標と計画があれば文芸やオカルトだって構わない。もしあなたがそれを示すことができれば、ね』

 気づけば瀬良ママの言葉に聞き入っていた。

 うらやましい、と思ってしまった。自分の意見があって、それを言葉にしてくれる親をもった瀬良が、ひどくうらやましい。


 子供が何か言ったら「言い訳するな」「黙って従え」「誰のおかげで生きていけると思ってるんだ」と言って、最後には殴って黙らせる。そんなことを続けられるうちに、いつしか反論なんてしなくなった。なにを言っても無駄だと悟ったから。議論の余地などなく、そもそも対話が成立しない。

 だから憧れてもいた。親と話し合うということに。

「あの、ちょっといいっすかね」

 手を挙げると、視点が俺に集まった。海堂は目を見開き、楓は「へー」とにやにや笑い、瀬良は何が起こったのか理解しておらず、先輩はなぜだか嬉しそう。


 画面の前に移動する。瀬良ママは50代くらい、着物を着た凛々しい感じの人だ。

「えーっと、文芸部、二年の三笠陸です。学力うんぬんの話が出てたんですけど、そもそも頭のよさってなんですかね」

 きっと、うちの親ならブチ切れて即ゲンコツものの屁理屈じみた質問だ。

 けど、きっとこの人は答えてくれる。俺がどんなにバカな子供でも、この人は説明せずにはおられない性格だ。ここまでの会話でそう感じた。


 果たして瀬良ママは、俺の予想通り、実に論理的な答えを返してくれる。

『論理的な思考力、記憶、想像力。少し観念的になるけれど言語能力を加えてもいいかしらね』

 少々ぶっきらぼうな物言い。だが、俺の次の言葉で瀬良ママは真剣な表情に変わる。

「じゃあ文芸部のほうがいいですね」

『……どういうことかしら』

「俺って数学至上主義なんですよ。現代文でも物理の問題でも、数学で鍛えた論理的な思考力があればたいてい解くことができます。あとはちょっとばかし暗記すればどうとでもなる」

『私も数学は汎用性の高い学問だと思うわ。至上の学問かは知りませんけど』

「まあそれはあくまで俺の感想なんで。けど、文芸はもっと汎用性が高いんですよ。数学がカバーしてるのは論理、記憶、想像力ですけど、文芸はその三つとさらに言語能力までカバーできる。どうです? 最強じゃないですか?」

『よくわからないわね。言語能力と想像力だけだと思いますけど』

「いえいえ。作品の構造考える時ってすげー頭使うんですよ。ここでこのイベント起きたらこのあと起こるイベントと矛盾するなー、とか。そういう因果関係と、さらに個々のイベントが及ぼす長期的な影響まで考えるってなるともう“まるで将棋だな”って感じです。もちろん、物語全体を考えるにはそれを全部頭に入れとく記憶力も必要ですし。

 俺、昔ちょこーっとだけチェスやってたんですけど、創作で頭使ってるおかげでチェスの腕まで上達しまして。せっかくだから作中でも頭脳戦やってみたりして、それでさらにチェスも上手くなって正のスパイラルとまらないんですよ。あ、最近は娘さんにもチェス教えてましてね」

 調子良く話していると、画面越しにくすりと笑い声。

『ずいぶんよく回る舌ですこと。そうまで言うなら相応の実力なのでしょうね?』

「まあ、それなりには。やー、けどチェスのうまさとか、やってる人じゃないと説明できないんですよねー。レーティングってのがあるんですけど」

 急に後ろから引っ張られた。みれば、瀬良が不安顔で俺の裾をつかんでいる。

「やめた方がいいですよ、先輩!」

「なにが?」

「ママは棋士です! 趣味でチェスにも手を出してて……海外のプロと引き分けたこともあります」

「……マジで?」

 顔がひきつる。

 ゆっくりと画面に目を戻すと、瀬良ママは話を続けた。

『私も正式にレーティングを計ったことはありません。ですが、2000はあると自負していますよ』

 やばい。

 この可能性は考えてなかった。

 背中を脂汗が伝う。つとめて顔には出さないよう、ポーカーフェイスを維持する。


 視界の隅で楓が必死にスマホで調べ物をしているのが見えた。目だけを向ける。楓は「あった」と小さく呟き……目を合わせてうなずいた。

 楓が保証してくれた。なら、大丈夫だ。

「じゃあ瀬良さん、俺と勝負しませんか?」

『勝負?』

「ええ。お互い経験者だっていうなら、それが一番わかりやすいでしょう。創作で強くなった俺がプロであるあなたに勝てば、それは紛れもなく文芸活動がプラスに影響してるって証拠です。文芸がプラスになるなら、普通の勉強を重視する理由は無くなりますし、娘さんが文芸のほうが好きだっていうなら天秤はこっちに傾くでしょう。プラトンも言ってるじゃないですか。体育は強制させても効果があるが、学問は自発的にやるのでなければ効果が薄いって」

『出典は?』

 さすがにどの本かまでは覚えてない。

 刹那の逡巡。だが瀬良ママがそのことを指摘するより早く、楓が言葉を紡いだ。

「国家」

『……今のは?』

「妹です。文芸部であるからには古典作品も知っとくべきでしょう』

 自分が知らなかったことなどおくびにも出さず、俺も妹も当然知っていますよとばかりにブラフをかます。

「どうです? 俺が勝ったら文芸部を続けることを認めさせてください。負けたら責任持って退部させるんで」

『それだけかしら?』

「娘さんの目標は、文芸活動そのものではないですが、チェスで俺を倒すってことでどうです? プロの棋士であるあなたを倒した俺を倒すってのは、立派な目標じゃないですか? すでに瀬良は俺に師事してるので、もちろん俺を負かすまで教えます」

『たいした自信ですこと』

「自分を安売りするの嫌いなんで」

『私もそうよ。これでもプライドは高いの』

 視線をまっすぐにぶつけ合う。

 瀬良ママはすっと目を細め、俺の隣、ずっと黙って俺と母親のやり取りを聞いていた人物に水を向ける。

『唯』

「は、はい!」

『……チェス、楽しい?』

「は、……へ、はい。全然勝てないけど、楽しいよ」

『勝ちたいと思う?』

「もちろん! 勝ちたいと思ってやってる! ……ぜんぜん勝てそうにないけど」

『そう。三笠さん、といったかしら?」

「ええ」

『さっそく対局といきたいのですけど、今日はこれから用があるの。申し訳ないけれど』

「急に電話したのはこっちですから」

『休日でも構わないかしら?』

「問題ないです」

『では二週間後の土曜日、場所はうち。ボードなんかも用意しますから』

「大丈夫です」

『そう。では、二週間後に』

 俺と先輩が挨拶すると、電話は切れる。


ーーーーーーーーーー


 興奮状態の瀬良は海堂と先輩に任せ、俺と楓はひと足先に帰路につく。

 校門を出て、二人で並んで歩く。

 さっきは大見得きったが、はっきり言って俺がプロの棋士に勝てるわけがない。それでも自信のある態度を崩さず演技をすることができたのは、あの時こいつがうなずいてくれたからだ。

「……瀬良ママの棋譜、見たんだよな?」

「うん」

「俺は勝てると?」

「だっておにい、強いもん」

 相変わらずこいつは俺のことを過大評価している。こんな負けっぱなしの人間、ほかでもない妹に負かされ続けている人間、強いわけがない。

 きっと俺は勝てない。

 だから、俺は頼んだ。実の妹に。ずっと勝ちたいと願い、勝手にライバル視してきた相手に。

「手伝ってくれ」

「うん、いいよ」

 楓はなんの迷いもなくそう答えた。

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