今一度三笠司は願いを抱く
朝9時55分。
俺と楓は駅の出口でそわそわしながら先輩を待っていた。
楓はばっちりメイクを決め、俺の髪まで整えられた。
階段から人が溢れてくる。人ごみの中、こっちへ駆け寄ってくる影が一つ。
「お待たせ。二人とも早いのね」
「いえ、ぜんぜん」
「はい! 約束10時でしたし」
俺、楓と首を横にふる。そうぜんぜんまったく待ってない。ちょっと2時間ばかり早く来てこの辺うろうろしてただけだ。
「ならよかった。行きましょうか」
言われ、俺たちは街で一番大きな書店に向かう。
しばし歩いていると、八階建てのビルが見えてきた。自動ドアをくぐると、アレキサンドリア図書館もかくやの、ぎっしりと本が詰まった空間。最近ネットで本を買う人が多くて書店の経営はピンチらしいが、このわくわく感を味わえるのは実店舗だけだろう。
すーはー、と知識に満ち溢れた場所の空気を吸う。……いい。古書店にこもったカビ臭い本の匂いもロマンくすぐられるが、近代的な建物に詰まった新刊もまたいいものだ。
「ほのかさん好きなのって、小説ですか?」
「ええ、そうね。おすすめだと……」
楽しげに会話する二人のあとを三歩離れて歩く。三人以上になると当たり前みたいに会話から弾かれるな、俺。
「あー、妹よ。俺ちょっと別んとこ見てくるから」
「はいはーい」
さっさとどっか行けよ、みたいな意思を強く感じる。
しばし離れたところで振り向くと、楓は「えいっ」と先輩の腕に抱きついていた。先輩は呆れたように笑いながら楓の頭を撫でている。
百合百合狂い咲き。
ーーーーーー
向かうのはラノベのコーナー。今日はガガガの発売日でも電撃の発売日でもないのだが、読みたい作品があった。
作品、というかジャンルというか……。恋愛、それも女の子同士のやつを。
認めるのは癪だが、楓の小説を読んで以来百合ものが気になって仕方ない。汚れなき純白の百合咲き乱れる世界、どうしてもプロの作品が読んでみたい。
どんなのがあるかなー、と期待に胸を膨らませながら歩いていると、囲碁・将棋のコーナーで見知った顔を見かけた。
瀬良だった。なにやら難しい顔をして本棚を見ている。
普段なら学校の知り合いなんて見たら即逃げ出すのだが、このジャンルならマウント取れそうなので話しかけることにした。
瀬良が見ていたのはチェス関連の本だ。将棋は何十冊とあるのに比べ、チェスは10冊くらいしかない。
その中の一冊「チェス戦略大全」と書かれた分厚い本に手をかける。
「それ、中級者向けのやつだぞ」
「はい……って、ああ、三笠先輩」
瀬良は少し驚いてから、本を戻す。
「すみません、表紙がかっこよかったのでつい」
「別に謝ることじゃねえけど。まあ、良書ではあるし」
「初心者向けのってどれがいいですかね?」
瀬良は真剣な顔で聞いてくる。ならこちらもちゃんと選ばねばなるまい。
俺がはじめたばかりのころ参考にしていた本があったのでそれを渡すと、瀬良は「わー」と目を輝かせて本をめくる。
初々しいなー。俺もはじめたころは定石覚えただけでテンションあがってたな。
いくつか定石を覚えて、対局して、負けて、問題も解いて……そうして繰り返しているうちにだんだんコツがわかってきて、大人にも勝てるようになって……有頂天になったときになぜか妹がチェスをはじめて、二ヶ月で追い抜かれ、三ヶ月もするころには一度も勝てないようになっており、満を辞して挑んだ大会の決勝で妹とぶつかってぼっこぼこにされ、二度とチェスを打ちたくなくなった。
……いやなことを思い出した。
「ありがとうございます! がんばります!」
「おー。がんばれー」
鬱々としていた心は、きらっきらな瀬良の声で少し回復。手を振って別れると、瀬良は急いでレジに駆け込んでいく。
俺も久しぶりに勉強しようかな。
瀬良が触っていた本と、その続編は読んでいたのだが、三冊目はまだ読んでいない。
「チェス戦略大全3」を手に取り、俺は予定通りラノベコーナーへ向かった。
ーーーーーーー
会計を済ませる。時間が気になり携帯を見ると、楓から連絡が来ていた。
『喫茶店いるから』
実に簡潔で言葉足らずな内容。
この建物はすべて本屋だが、2階には喫茶店があり、買った本を読みながらお茶ができる。おそらくはそこにいるということだろう。
エスカレーターで2階へ。見渡すと、すぐに二人の姿が見えた。
「あ、おにい」
「よ」
楓の隣に座ると、楓がコーヒーを差し出してきた。
「すぐ来ると思ってたのに、冷めちゃったじゃん」
「こりゃどうも」
ずず、と飲む。
「ほのかさん。ほのかさんって、自分ではどんな小説書くんですか?」
「そうねえ。私は……純愛ものが多いかしらね」
先輩はわずかに目をそらして言う。純愛ね……。
思い出すのは一度だけ読んだことのある先輩の作品。田舎貴族の娘が貴族くずれのマフィアの首領と結婚し、悲惨な目に合わされながらもやがて互いを愛するようになり、最後は組織を捨てて海外へ逃げようとするのだが、失敗してマフィアのもと部下に銃殺されるという話。
まあ、あれもひとつの愛の形だと捉えれば嘘ではないのかもしれない。
「へー。純愛……。ってことは学園ものとか?」
「ま、まあそうね。そんな感じかしら」
いや、それは嘘だ。あなたが書いているのは17世紀フランスマフィアものだ。
だが、「ほのかさん、ロマンティックで素敵……」ととろけた目をしている楓を見ると突っ込みづらい。なんか先輩、けっこうな形相でこっち見てるし。
いいませんよ、と小さく首を横にふると、先輩はほっと息をはく。
「ねえ、今度読ませてくれませんか!?」
「いえ!? それは、あの、そうね。いつか、いつかね」
「やった。ほのかさんの小説楽しみ」
うへへー、とふにゃけた顔をする楓。
「そ、そうだ。小説といえば三笠くんの小説はどう? 進んでる?」
お、露骨に話題を変えてきたな。まあいいけど。
「そうですね。だいたい順調ですかね。ただ、ちょっと文体変えようかなって」
「あら、どうかしたの?」
「読み返してみたらこう、……なんていうんですかね。レトリック使いまくりでごてごてした感じだったので、もっとシンプルに書こうかなって」
「そうなのね。でも、それをいうなら私もけっこうごてごてした文章よ?」
「……先輩は風格あるからいいじゃないっすか。俺のはちょっと安っぽいというか。へんにもって回った言い回ししてるだけでいまいち伝わりづらいというか」
「私だって、安っぽいとかよく言われたわよ? 文学作品の写経なんかして多少はマシになったけど、最後まで満足いくものは書けなかったわ」
「だれが安っぽいなんて言ったんですか!?」
「最後までって、今は書いてないんですか?」
楓が飛び掛かるような勢いで言い、俺も同時に聞き返す。
先輩は「どうどう」と楓を落ち着けてから話を続けた。
「去年まではネットに投稿してたの。優しいコメントもあったけど、批判もされたわ。文章が安っぽい、言い回しがくどくて読みにくい、とか内容に対してもいろいろね。それに対抗して文章の練習したり、物語作りの勉強したり、過激な描写は控えたりして、批判はなくなったのだけれど……なんだか自分の書きたいものじゃなくなって。なんで書いてるんだろうって考えるようになっちゃって、……いつのまにか、書かなくなってた」
とうとつと過去を語る先輩を見て、ハイテンションだった楓は縮こまり、気まずそうにこちらを見てくる。俺も似たような感じだったのだろう。先輩が俺たちを気遣ってか、声音を明るくする。
「でも、今は楽しいのよ! 批判に対抗してとはいえ、いろいろ知識もついたし。そのおかげで玲奈ちゃんや三笠くんにアドバイスもできるし。今は自分で書くより、書く人の力になりたいって気持ちのほうが大きいの」
「たしかに、先輩のおかげで書けるようにはなってきましたけど」
どうにも釈然としないが、本人がいいと言うなら俺がとやかく言うことはない。
やけに苦いコーヒーを飲み干し、喫茶店をあとにした。
ーーーーーーーーー
先輩と別れ、帰りの電車。買ったばかりの小説を読んでいると、楓が口を開いた。
「ねえ、おにい」
無言で先を促すと、楓は続ける。
「ほのかさんさ、今でも書きたいんじゃない?」
「そうかもな」
「……なんとかならないかな」
「さあな」
ぺらりとページをめくる。
「おにいってけっこう冷淡だよね」
「なにが」
「先輩のこと好きなんでしょ」
あまりに直裁なもの言いに、ページをめくる手がとまる。
「まあたしかにすげーいい人だし優しいし可愛いけど」
あと、おっぱいも大きい。
「けどそれだけだ。別に仲良くなりたいとかそういうのはねえよ」
「なんで」
「いいか、楓。モテない男子が女子と付き合おうってのは宝くじで億当てるのと同じなんだよ。当てたいとは思っても当たるわけないから買わないし、当たらないことを嘆いたりもしない」
「ふーん。……つまんな」
「うっせ。これ以上トラウマ増やしたくねえんだよ」
「それが本音じゃん。ビビり」
「だからなんだよ。つーかなんの話だったよ」
「ほのかさん、また書いてもらうにはどうしたらいいかなって話」
「別にどうもせん。頼まれてもないのに先輩個人の問題に踏み込むなんて越権行為だ」
「冷淡だなー、おにいは。どんな家庭環境で育ったらこんな人の温かみを知らない人間になるんだか」
皮肉めかして言う楓に、チョップをくれてやる。
「いたっ」
「いらんこと言うからだ」
楓はてへっと舌を出す。うわー、腹立つー。
「私はなんとかしてあげたいけどね。ネットで悪く言われたのがトラウマになって書けないっぽいじゃん? だから励ましたりしてトラウマ乗り越えれたらあの分厚いガードも緩みそうだし」
「それが理由かよ。クレバーなやつめ」
「おにいは直情型すぎ。どうせ昔の失恋だって好きになってろくに仲良くなりもしないうちに告ってフラれたんでしょ?」
「お前、ほんと容赦なく心の傷えぐってくるよな。人の心ないの? どう育てられたらそんな人の痛みがわからない人間になるの?」
妹というのはぼっちの心の傷をえぐるのが仕事なんだろう。人の痛みがわかる子になって欲しい。
「ねえ、勝負しようよ」
「……は?」
意味がわからず問い返すと、楓は不敵に笑っている。
「勝負内容はおにいが決めていいよ。いつやるかは……。おにいは準備万端にしたいだろうし、一ヶ月後」
「ちょちょちょい待て。意味がわからん。なに言ってんだお前は」
「負けたほうは勝ったほうの言うこと聞く。私が勝ったら、ほのかさんの件、協力してもらうから」
「いや、それ先輩に迷惑なのでは……?」
「迷惑かけるのびびってばっかじゃ、人間関係なんて進展しないよ?」
返す言葉が見つからない。
俺が黙っていると、楓は窓の外に視線を向ける。こいつは本当に、俺の性格をわかっている。
最後に人を好きになった時、これで最後にしようと思った。楓に言われた通り俺は感情を制御できなくて、相手との距離感など考えず突っ走ってしまう。
こっぴどく拒絶され、二度と恋愛なんて問題に足を踏み入れないと誓った。たとえ好きになっても行動に移さないと決めた。
けど、やはり俺はどうしようもなく愚かで、学習能力がない。
――やはり、俺は自分のことが嫌いだ。
あれだけ己を戒めてもなお、願いを捨てきれずにいるのだから。




