マルティン・オークロク
急ごしらえの野戦陣地というものは、要するに大規模なテント村と呼ぶべき代物で、快適さとは無縁の存在である。
特に、帝政レソンでもそれと知られた名家の出身であるヴィーター・ゲシモフにとっては、油断すればすぐに血を吸ってくる蚊も、陣地内に漂う油の臭いも、到底、耐えがたいものであった。
――いつまでも、こんな所で暮らしてはいられない。
――さっさとロベを攻略してしまわなければ。
大規模にロケット弾を購入しての砲撃は、その一心から提言したものだったのである。
そんな彼であるから、深夜に叩き起こされた時には、不快感を隠そうともしなかったものだ。
しかし、秘書官から起こされた理由を聞くと、さすがに顔面蒼白となって司令部に向かったのである。
「砲撃部隊が三つとも壊滅したというのは、本当か!?」
敬礼して出迎えた幕僚たちへ、怒鳴り込むようにそう尋ねた。
その剣幕に、彼らは目を見合わせたが……。
「中将閣下、恐れながら……。
事実でございます」
意を決した――あるいは観念した一人が、そう答えたのである。
「バカな!
どの陣地にも、戦人小隊を二個ずつ……合計で二個中隊もの戦力を割いていたのだぞ!?
パイロット共は、一体何をしていたのだ!?」
「閣下、誠に残念ながら……。
護衛任務に当たっていた戦人部隊も、全機が撃破されました。
かろうじて、パイロット一人が生き残ったのみです」
「がっ……あっ……」
人間は、許容量以上の怒りに見舞われると言葉を発することすらできなくなるものであり、この時のヴィーターがまさにそういう状態であった。
「い、一体、敵はどれほどの大部隊を投入してきたというのだ!?」
幕僚たちや無能なパイロットをののしる言葉ではなく、敵戦力を知るための言葉が出てきたのは、平時のヴィーターではありえぬことだ。
ある意味、錯乱した結果であるといえた。
「三――」
「――三個大隊か!?
それとも、中隊か!?」
言葉を遮っての問いかけに、その士官は口ごもる。
そして、言いづらそうにしながら、再度口を開いたのだ。
「閣下、申し上げづらいのですが、そのどちらでもありません」
「では、まさか……三個小隊だというのか!?」
驚愕しながら叫ぶ。
しかし、その士官は力なく首を横に振ったのである。
「三機です」
「はっ……?」
言葉の意味は分かれども、それを飲み込むことができずに間抜けな声を上げてしまう。
そんなヴィーターに、士官は再度同じ内容を口にした。
「三機の戦人によって、部隊は壊滅しました。
しかも、敵の攻撃は三つの砲撃実施地点へ同時に行われたため、一箇所につき一機の戦人が攻撃してきたことになります」
「で、では……たった一機の戦人が二個小隊ものトミーガンを蹴散らし、砲撃も防いだというのか!?」
「生き残りの兵から証言が取れています。
信じがたいことですが、間違いありません」
その瞬間、ヴィーターの膝から力が抜け落ちた。
幸運にも背後に椅子がなければ、地面へ倒れてしまったことだろう。
「なんということだ……。
なんということだ……!
生き残ったという兵の、見間違いではないのか!?」
「撃破された機体のレコーダーに、映像が残されています」
幕僚の一人がそう言いながら、司令部内の端末を操作する。
すると、襲撃されたトミーガンの捉えた映像が、モニターに流れた。
ある機体は、銃剣を装備した機体に撃破され……。
別の場所へ配備されていた機体は、二刀流のカタナを使う機体に切り刻まれる……。
最後の一箇所に配備されていた機体は、敵機の姿を確認することすらできず、どこか遠方から発射されたビームによって撃ち抜かれていた。
「これが、マスタービーグル社の投入した新型機だというのか……!
おのれ! たかだか武器商人風情が!
普段から武器を買ってやっている恩を忘れたか!」
わめいたところで、当のマスタービーグル社に届くわけでもなく……。
ただただ、司令部の幕僚たちが身を縮こまらせるのみだ。
「どうすればいいのだ……!
こんな失態、皇帝陛下になんと説明すれば……!」
「別に、説明する必要はありません。
すでに、陛下は全てをご存じです」
聞いた者の背筋を震わせるような、冷たく硬質な声が響いたのはその時である。
見れば、いつの間にそこへ居たのか……。
一人の将校が、司令部の入り口に立っていた。
階級章を見れば、ヴィーターと同じ中将であると分かる。
しかし、身にまとった雰囲気はまったくの別物だ。
かつては情報将校として、敵地に長く潜伏していたこともあるという肉体は、細身でありながら鍛え抜かれており……。
後ろへ撫で付けられた銀の髪は、寸分の乱れもなくぴしりとまとまっている。
アイスブルーの瞳から向けられる視線は、心臓を射抜くような迫力があった。
帝政レソンの士官で、彼の名を知らぬ者はおるまい。
――マルティン・オークロク。
家柄は決して立派ではないものの、その実力と才覚によって、中将という地位にまで駆け上がった男である。
「こ、これはこれはマルティン中将……。
首都の参謀本部に詰めているはずのあなたが、どうしてここに……」
いつになくきびきびした動作で椅子から立ち上がったヴィーターが、そう尋ねた。
同じ中将という階級でありながら、少々へりくだった物言いなのは、それだけ両者の格がちがうことを表している。
「陛下の勅命でしてな。
急ぎ、この場へ馳せ参じた次第です」
涼しげな顔で答えるマルティンであったが、そうだとするなら尋常な速度ではない。
もし、今回の砲撃部隊壊滅を受けてここへ来たのならば、超音速機を急きょ用立てたことになるのだ。
さもなくば、最初からこの失敗を予想して、こちらに向かっていたか……。
司令部の幕僚たちは後者であることを直感していたが、ヴィーターのみはそれに気づかず、マルティンの言葉を鵜呑みにしたのである。
「へ、陛下はこのことをご存じとおっしゃっていたが、一体、どこまで話が伝わっているのですかな?」
大量の汗を流しながら問いかけるヴィーターに、マルティンは冷たい眼差しを向けた。
「おおよそ、全てと申し上げておきましょう。
今回の作戦に費やした莫大な費用……。
そして、犠牲となった将兵の数……。
その全てを、陛下は把握しておられます」
「す、全てを……」
その言葉に、ヴィーターが、一歩、二歩と後ずさる。
それは、事実上の死刑宣告に等しかった。
もし仮に、処刑を免れたとしても、その先にあるのは閑職として過ごす日々であり、由緒正しいゲシモフ家は取り潰されたに等しい扱いを受けるのだ。
「そう、全てです。
ヴィーター殿の功績も含めて、ね」
「こ、功績……?」
マルティンからこぼれた思わぬ言葉に、ヴィーターが首をかしげる。
一体、どのような功績を上げたというのか……?
当の本人ですら、思い浮かばなかったからだ。
まして、幕僚たちの困惑はそれ以上のものであった。
彼らは、常日頃からヴィーターの顔色をうかがい、乾坤一擲の砲撃作戦を実施中に就寝してしまう指揮官の代わりを務めているのだから、当然であろう。
「データですよ。
敵の――と、いうよりは、マスタービーグル社の新型機について、貴重なデータを得られました」
マルティンは機械のごとく感情を感じさせない表情で、ヴィーターの背後にあるモニターを見た。
そこには、撃破されたトミーガンのレコーダーに残された映像が流れ続けており……。
なるほど、考えようによっては、これまで謎とされてきた新型の貴重なデータといえなくもない。
「特に、荷電粒子兵器……。
俗にいうビーム兵器を、戦人が扱えるまでダウンサイジングしていたという情報は大きい。
敵がそれを扱うという前提の下では、部隊の運用も変わってきますからな」
「お、おお……。
おお! おお! そうとも!
全ては、敵の新型を驚異と判断した我が知略!
さすがは皇帝陛下! そこを見抜いてくださるとは!」
ヴィーターの歓喜する様は、さながらブタの躍りであり、あまりにも見苦しいものであった。
しかし、当人からすれば、まさしく地獄から天国へと状況が入れ替わったわけであるから、それも致し方なかろう。
もっとも、そう信じ込んでいるのは、当のヴィーターただ一人であったが……。
「そんなヴィーター中将に、陛下から贈り物があります」
「――ほうっ!?」
タコのように口をすぼめながら、ヴィーターが驚きの声を上げる。
「いや、まさかまさか……。
陛下から、褒美まで賜れるとは!
このヴィーター、望外の喜びですぞ!
それで、果たして贈り物とはなんなのですかな?」
きょろきょろと周囲を見回すヴィーターに、マルティンは変わらず冷たい眼差しのまま答えを告げた。
「自決する権利です」
「……はっ?」
「理解できませんでしたか?
陛下は寛大にも、あなたへ自決する権利を与えられたのです」
きょとんとするヴィーターに対し、マルティンは幼い子供へそうするようにゆっくりと告げた。
「これほどの損失をもたらした以上、本作戦を提言し、指揮したあなたは処刑を免れません。
しかし、陛下はただ一点……新型のデータを得たという功績を汲み、貴族らしい栄誉ある自決の権利を与えられたのです」
「……は? ……はあ?」
言葉の意味を飲み込むことができず、間抜けな声を上げ続けるヴィーターは無視し、マルティンがきびきびした動作で右手を上げる。
「総員、拍手!」
そう言われて、これまで中将二人のやり取りを見守り続けていた幕僚たちが、はっと我に返った。
そして、命じられるまま……全員で拍手をしたのだ。
ヴィーターが、冷たく硬質な拍手の雨に包まれる。
「な、何を……?
何を……?」
祝いの気持ちなど一切込められていない祝福の中で、肥満体の中将が周囲を見回しながら慌てふためく。
しかし、そんなことをしてみたところで、今この場に彼の味方は誰一人存在しなかった。
いるのは、残酷な死を宣告しに来た処刑人と、その取り巻きと化した者のみである。
「さあ、ヴィーター中将。腰の銃をお使いください。
僭越ながら、この私が見届け人の役割を努めましょう」
言いながら、マルティンがヴィーターの腰を見やった。
ガンホルスターに収められているのは、士官へ共通して支給される拳銃……。
これまで、身だしなみとして携帯したことはあれど、引き金を引いたことは一度としてない品である。
自らが、その最初にして最後の標的になれという……。
「う、うう……」
正面から自分を見据える、マルティンの冷たい眼差し……。
そして、周囲を囲う幕僚たちから発せられる異様な雰囲気に半ば流される形で、腰の銃を引き抜く。
口の中に銃をくわえ込むのではなく、額に銃口を押し当てるといういささか確実性に欠ける方法を取ったのは、ヴィーターの練度不足を端的に表していた。
そして、意を決し引き金を――引けない。
「――ぶは!
はあっ! はあっ!」
まるで、死そのものを経験したかのように、銃を投げ出したヴィーターが地面に手を付ける。
それは、東洋のドゲザというよりは、四つ足で這い回るブタのようであった。
「い、嫌だ! 死にたくない!
どうか、陛下にお口添えを――」
――パン!
……という、命が奪われたにしては、拍子抜けするほどあっけない音が司令部に響く。
同時に、ヴィーターの体から力が抜け、地面へうつ伏せに倒れる。
硝煙が漂うのは、マルティンが手にした拳銃……。
しかも、彼は無言のまま、倒れ伏すヴィーターへ歩み寄ると、二度、三度と銃撃を叩き込んだのだ。
確実なトドメを刺された用無しの中将が、びくり! びくり! とその身を震わせる。
「なかなか、見事な自決であったな?
そうだろう、諸君?」
銃を収めたマルティンが、問いかけながら見回すと、幕僚たちが一も二もなくうなずいた。
「今後、本師団は私が預かることとなる。
諸君らには、補佐として奮励することを期待する。
まずは――」
そこでマルティンが、ちらりと元師団長の死体を見やる。
「――誰か人を呼んで、彼の死体を片付けてくれ」
この命令は、速やかに実行へ移された。