ロミールと王
『小学校』というのは、第二〇三地下壕の整備ドックを切り取る形で、マスタービーグル社が使用している一角へつけられた呼び名だ。
ビニールシートで仕切られた内部には、タイゴンを整備するための機材に加え、多数のコンテナハウスが存在しており……。
貨物用のそれを改造した内部には、スタッフの居住施設などが用意されているのだ。
この『小学校』を仕切るチーフである王が今いるのも、そんなコンテナハウスの一つであり……。
内部には、通信設備が搭載されていた。
「そうですか。
彼女たちは、いい子にしていますか」
分厚いサングラスと真紅のスーツが特徴的な男は、モニターに向けてそう言い放つ。
『ああ、初日こそ、エキセントリックな立ち回りをして世間を騒がせてしまったがね……。
今は、手配したホテルで大人しくしてくれているよ』
画面に表示された通信相手は、ラフな格好をした男性であった。
飾り気のない髪型といい、手入れを怠っている無精髭といい、繁華街でも歩けばたちどころに埋没してしまいそうな人物である。
しかし、この人物こそは、本来マスタービーグル社の一社員ごときでは会話をする機会などない、要人中の要人なのだ。
――ロミール・レゼンスキー。
ライラ共和国の大統領が、画面の向こう側に存在した。
『と、いっても、いかに豪華とはいえ、限られた密閉空間であることに違いはない。
少々、退屈を持て余しているようだね』
危急の時にある国家を背負う身であるが、彼の前身はコメディアンである。
おどけた仕草を交えてしまうのは、その来歴が理由であるに違いない。
「彼女らは弊社が調整した人造兵士ですが、メンタルに関しては年頃の少女とさほど変わりません。
そういった環境での過ごし方に関しては、教えていませんしね」
『はっはっは!
確かに、私があの年頃だったなら、豪華なホテルよりも、バスケットコートの方がよほど嬉しかっただろうね!』
「ほう、大統領はバスケットをやられるのですか?」
『なあに、子供の頃に友達と遊んだだけさ。
私は、やろうと思ったことにはなんでも手を出す性分でね。
それで、コメディアンの世界に入り、今は国を背負っている』
「そのエネルギーにあふれた姿勢は、是非、見習わせて頂きたいところですな」
ひとしきりの世間話を終え、ふと、大統領が真顔となる。
『エネルギーに溢れているといえば、ヴァレン君のことは本当に残念だった。
彼女こそ、映画を通じて世論を変えられるエネルギーのある人物だったというのに……』
その表情は、沈痛そのものといったものだ。
今でこそ、政界に身を投じてはいるが、かつてコメディアンとして表現をしていた者としては、思うところがあるのだろう。
『遺作となる映画は、いつ頃完成する見込みかな?』
「遺されたスタッフたちは、意欲的に作業へ取りかかっているようです。
ヴァレン女史は何事にも前のめりな人物でしたが、こと映画制作においては、緻密な計画を立てる人物だったのも良かった。
完成そのものは、そこまで時間がかからないでしょう」
『ほう』
王の言葉に、大統領が身を乗り出す。
国力において圧倒的な差を誇るレソンが、なかなか共和国を攻めきれないのには、三つの理由がある。
一つは、これに危機感を抱いた自由民主主義勢力が、強力に共和国を支援していること……。
共和国軍は、本来の経済力で実現可能な以上の軍備を整えており、どうにか、恐るべき帝国国家と組み合うことができていた。
二つ目は、兵たちの士気が極めて高いことだ。
充実した兵器類と高い士気の兵が合わさることで、粘り強い抵抗を可能としているのである。
そして、三つ目が、このロミール大統領によるメディア攻勢であった。
テレビ、ラジオ、新聞、SNS……。
各種のメディアにおいて、彼の名や顔を見かけない日は存在しない。
大統領は、時に力強く、時に切々と帝政レソンの非道について語っており……。
それが、国際世論を強く後押しし、レソンに対する経済制裁などにつながっているのだ。
もちろん、レソンほどの大国ともなれば、容易に関係を断ち切らぬ国家や、逆につながりを深めようとする国家も存在する。
しかし、多数の国から貿易などを差し止められて痛みがないはずもなく、それはボディーブローのように、じわりとレソンの体力を奪っているのだ。
その弁舌――値千金。
言葉一つで、大国相手に戦略的な立ち回りをしているのが、ロミール・レゼンスキーという男なのである。
そんな大統領であるから、ヴァレン女史の遺作完成に期待を寄せるのは、当然のことであった。
銀幕を通じて反レソンの感情が高まれば、それだけ共和国が優位に立てるのである。
その気持ちはよく分かる王であったが、口から出たのはあいにくの言葉だ。
「ですが、公開の時期に関しては、弊社の方で慎重に検討しています。
何しろ、あれを公開するということは、JSの存在を明るみに出すということですから」
『ふむ……』
その言葉に、偉大な指導者は難しい顔で腕組みしてみせた。
『我が国としては、公開は早ければ早いほど喜ばしいのだがな……』
「致し方ないことです。
うるさ型の人道主義者が敵に回るのは確実としても、回し方というのは考えねばなりませんから。
下手をすれば、弊社にも貴国にも世論の矛先が向かいます」
『現実が見えず、文句だけは言い、具体的な方策は何も示さぬ……。
そういう輩は、どこにでもいる。困ったものだ』
果たして、思い浮かべているのはどのような顔であるのか……。
国家指導者が抱く苦悩の片鱗を見せた大統領に、ふと、気になったことを尋ねる。
「そういえば、映画内のインタビュー映像は拝見しましたが……。
大統領閣下は、JSに対して寛容的なのですね?」
『おお、あれを見たか?
どうだい? 表情にはこだわったんだが……。
いや、JSの話だったかな』
少しだけ笑みを見せた後、すぐに大統領は真顔となった。
『あのインタビューでも語った通りだよ。
人道というのは、確かに大事だ。
しかし、それを後生大事に抱えて、帝国主義国家に踏み潰されては、元も子もない』
腕組みを解いた大統領が、深く椅子に腰かける。
『人造的に生み出した存在への忌避感を語るなら、ナンセンスの一言で一蹴できる。
ポストヒューマン時代の到来など、旧世紀の物理学者、ポール・デイヴィスが予見しているのだから……。
むしろ、我々は過酷で広大な宇宙に対し、これまで生身でよくやってきたよ』
「そう言って頂けると、ありがたいですね。
自由民主主義の盾となり、帝政レソンを退ける……。
その実績があれば、JSの売り出しも順調にいくでしょうから」
『そして、君の目的にも一歩、近づくというわけだ……。
映画もそうだが、私は、君にも早く立ってほしいのだがね。
その時、我が国は全面的に君を支援するだろう』
「時期尚早ですな。
何をするにも、力というものが必要ですから」
サングラスの下で瞳と本心を隠しながら、王は淡々とそう告げた。
そんな一会社員の言葉に、大統領は軽くうなずいてみせる。
『その力が、彼女たちか……。
さしあたっての問題は、君のキュートな兵士たちの士気が落ちないよう、どうするかだな』
「何か、方策があるのですか?」
王の言葉に、大統領はにやりと笑う。
『ニホンのことわざに、こういったものがある。
木を隠すなら、森の中……。
他に子供たちが大勢いる中へ埋没してしまえば、あれこれと騒がれる心配もないさ。
もっとも、多少の変装は必要となるだろうがね』
そう言って、大統領が考えを語る。
それは、羽のばしとするには、いささか固い内容であったが……。
しかし、ホテルの一室へ閉じこもり続けるよりはマシであろうと考え、王はそれを了承したのであった。




