狩る者たち
カルナ・ルーベンス少尉にとって、その呼び出しはまったくもって意外なものであった。
士官とはいえ、カルナはしょせん一パイロットに過ぎぬ少尉である。
それが、ヴィーター・ゲシモフに代わって新たな師団長となった人物――マルティン・オークロク中将から直々に呼び出されるとは。
――果たして、いかなる用向きなのか。
疑念は抱いたものの、もとより断れるはずもない。
ともかく、この野戦陣地でマルティンが執務用に使用しているテントへと、馳せ参じたのであった。
「カルナ・ルーベンス少尉です。
呼ばれたと聞き、駆けつけました」
「ご苦労、中尉。
まあ、かけたまえ」
たかが野戦陣地だというのに、よくもこれだけの調度品を持ち込んだものだ。
一つ一つが、カルナの年給に匹敵するか上回るだろう品々に目を奪われながら、言われた通りこれも高価そうな椅子に座る。
マルティン中将は、そんな自分に対し、分厚く年季の入った執務机越しから値踏みするような視線を向けていた。
アイスブルーの瞳に宿った目力へ多少圧倒されるものを感じながらも、まず疑問に思ったことを尋ねる。
「中尉、でありますか……?」
「君の聞き間違いではないよ。
私の権限で、昇進させてもらった。
正式な事例や階級章などに関しては、後で事務まで取りに行きたまえ」
銀髪の中将は、なんでもないことのように答えながら、席を立つ。
何をするのかと思っていれば、彼はテントの隅に存在するカプセル式のティーマシンを使い、お茶を入れ始めたのである。
「まあ、リラックスしたまえ。
このテントは、前任のヴィーター中将が使っていたのをそのまま使っているが、彼は調度品に関するセンスだけはなかなかものがあるな。
もっとも、それを戦場に持ち込むところが指揮官としての難点であったが」
ヴィーター中将の死は、公的には作戦失敗と戦力損失に責任を感じての自決とされていた。
しかし、あの見苦しいブタがそのように潔い死に方を選ぶはずもなく、彼の死と同日に着任したマルティン中将が手を下したのは、火を見るよりも明らかである。
恐るべきなのは、自ら殺害した男の遺物を平然と使い続けているその胆力であろう。
いや、あるいは、彼を殺したことに関して何一つ感じるところがないのか……。
自分たち若手士官の間では、マルティン中将をマシーンとあだ名しているが、案外、それは的を射ているのかもしれない。
皇帝の意へ忠実に従い、一切、感情が揺れ動くことがない冷徹な機械……。
おそらく、それがマルティン・オークロクという男なのだ。
「どうぞ」
「頂きます」
ソーサーごと渡されたティーカップを受け取る。
これを置くべきテーブルは存在しないが、その程度のことを気にする必要はあるまい。
「このように安物の紅茶であっても、飲めば心安らぐものだな」
席に戻り、自分のティーカップに口をつけたマルティン中将が、言葉と裏腹に表情一つ変えないままそうつぶやく。
「とはいえ、このような紅茶くらいしか嗜好品が存在しないのは、我が軍の問題点であるな。
それもこれも、前任者のような一部の大貴族が私腹を肥やし、先に行われた再度の砲撃作戦のように、無益な軍事行動へ湯水のように金を使うからであるが……」
「はあ……」
祖国への堂々たる批判に、肯定も否定もできず曖昧な言葉を返す。
何しろ、目の前にいる男は情報将校上がりであり、裏では督戦隊のごとき働きをしているという噂もある。
極端な話、これが一種の誘導尋問であり、同意を示した瞬間に反逆罪を言い渡される可能性も考えられるのだ。
何しろ、自分は先の砲撃作戦に同行した戦人部隊唯一の生き残りであり、生存できた理由が、敵とつながっていたからだと判断されてもおかしくはないのである。
しかし、今回に関していえば、それは心配しすぎであったようだ。
「まあ、物資の乏しさに苦しんでいるのは、ネズミのように地下へ潜伏している者たちもまた同様だ。
――例えば、医薬品」
マルティン中将は、そう言いながらカップの縁をついとなぞり、こちらに視線を向けたのである。
「ロベの街に建造された広大な地下壕……敵ながら見事なものであるが、私の掴んだ情報によれば、特に基礎疾患のそれに対する医療品が不足している。
そして、飢えたネズミというものはそれに耐えきれず、穴ぐらから外へ出てくるものだ。必ずな」
果たして、いかなる手段によってそのような情報を得たのか……。
それを聞くほど、カルナは愚かではない。
水面下における戦いは平時と戦時の区別なく行われるものであり、おそらく、目の前にいる人物はこうして前線の指揮を執りながらも、それに関わり続けているのである。
「つまり、中将閣下は、敵が不足している物資を求めて、作戦行動を起こすと読んでおられるのですね?」
「話が早くて助かる。
そこで、中尉には新たに編成する戦人小隊を率い、その阻止へ当たってもらいたい」
「自分が、でありますか?」
「うむ……」
マルティン中将が、手元の端末を操作した。
こちらからではうかがう術はないが、そこに何が表示されているのか推測することはたやすい。
「君の経歴を見せてもらったが、なかなかのものではないか。
そう……地に足のついた経歴だ」
やはり、自分の経歴を表示させていたのである。
「ありふれた、つまらない経歴ですよ。
田舎の三男坊が、食うに困らないからという理由で士官学校に入り、今はこうして前線で戦っている。
その戦歴も、別に華やかなものじゃない。
自分より戦果を上げているパイロットは、いくらでもいます」
「しかし、JSと戦って生き残ったパイロットは、君だけだ」
「JS……で、ありますか?」
突如として差し込まれた聞き慣れぬ単語に、思わずそう尋ねてしまう。
すると、中将はタブレットとしても使用可能な端末のモニターを取り外し、何やら操作した後、画面をこちらに向けてくれた。
「これは……!」
表示されたものを見て、息を呑む。
そこに映された戦人の姿を、忘れるはずもない。
トミーガンとは比べるべくもない、陸上選手のようにすらりとしたフォルム……。
四つものカメラアイを搭載し、マシンには不要なはずの口部クラッシャーを取り付けられた趣味的な造形の頭部……。
あの夜、自分以外の戦人をことごとく撃墜し、砲撃作戦を失敗に終わらせた死神が、そこに映されていた。
「説明するまでもあるまい。
こちらの戦人は、貴官の戦友たちを亡き者としたマスタービーグル社の新型機だ。
得られた情報によれば、機体名はタイゴン。
そして、これに搭乗する専属パイロットに与えられたコードネームが、JSだそうだ」
「タイゴン……JS……」
反芻するように、その名をつぶやく。
「タイゴンというのは、虎の母にライオンの父をかけ合わせた雑種の名だな。
JSというのはなんの略称か分からないが、どうも、当たり前のパイロットではなさそうだ」
「中将閣下は、そのJSたちが出撃してくると予見されたのですか?」
「まず、間違いあるまい」
タブレットにしていたモニターを元の位置へ戻し、カップに口をつけながら中将がうなずいた。
「事実として、このJSというパイロットたちは、密かにロベを脱しての奇襲作戦を見事に成功させている。
今度もまた、新型の機動力にモノを言わせてくるのは、容易に想像がつくというものだ」
「そこを叩く、と?
しかし、自分の腕でそれがかなうとは思いませんが?」
それは、臆病風に吹かれての言葉ではなく、客観的な見解である。
タイゴンというらしい新型機の、圧倒的な運動性能……。
いや、単純なパイロットとしての技量においても、そのJSという者たちに勝てるとは思えなかった。
「自分はしょせん、運がよくて助かっただけです」
「その運が欲しい」
カップを置いたマルティン中将が、まっすぐな眼差しをこちらに向ける。
「幸運である、というのも戦場における大切な資質だ。
どれだけ腕が良かろうとも、ツキのない者には任せられない仕事がある」
それは、マシーンとあだ名される男が告げたとは思えない、意外な言葉であった。
「私のような男がこんなことを言うのは、意外かね?」
「いえ、それは……。
正直に申し上げれば、そう思いました」
嘘を言ったところで見抜かれているので、正直にそう答える。
すると、中将は唇の端をごくわずかに持ち上げながら、こう語ったのだ。
「私とて、戦場に出た経験がないわけではない。
あの場所における、独自の力学というものは十分に承知しているつもりだ。
それと照らし合わせた上で、貴官が最適であると判断した」
元より、断れる立場にあるわけではないが……。
そう言われては、その気も起こらない。
仮に、これが人をたらしこめるための言葉であったならば、意図通りにたらしこまれるのも悪くはないと思えた。
ゆえに、カルナ・ルーベンス中尉は、ティーカップを片手に敬礼してみせたのである。
「……拝命します」
その言葉と敬礼を受けて、中将は軽くうなずいた。
「うむ。
ところで、貴君の隊に配備するトミーガンであるが、これには独自の新装備を用意してある」
「新装備でありますか?」
「タイゴンなる新型機と、トミーガンとの性能差は明らかであるからな。
その差を、少しでも埋め合わせようという配慮だ。
使いこなしてみせよ」
中将はそう言いながら、再びタブレットとして取り外したモニターの画面をみせる。
「ほお……!」
そして、そこに表示された新装備のスペックは、確かにあの敵――JSに対して勝機を感じさせるものだったのだ。




