カサンドラになったから遺書を書いてみた
20代で、友達が大好きで、仕事の楽しさも知っていて、お酒が大好きで、旅行が大好きな私が、一度だけ遺書を書いたことがある。
書いてみたら、気持ちがとても楽になった。
残すものを残したから、これで安心して、いつでも思ったときに死んで楽になれると思ったから。
そんなこと、彼と結婚するまで考えたことがなかった。でも、結婚をしたら考えるようになった。
不思議なことに、壮絶な結婚生活を思い出すことはできない。ショックのせいだと医者は言っていた。
ただ、遺書を書いて楽になった感覚だけは鮮明に覚えている。
それでも彼のことは今でも嫌いになれない。
嫌いになることは一生ないと思う。
私にとっては、一緒にいたかったのに、いられなかった人だ。
その理由を説明するのは、本当に大変。
面倒くさい。
でも知ってほしいと思ってしまう。
人間の感情って本当に天の邪鬼だなと改めて思う。
私は結婚して、カサンドラになった。
カサンドラという単語は結婚してから知った。そもそも結婚しなかったら知ることもなかっただろう。
この単語を聞いて分かる人は、きっと今胸が締め付けられたことだと思う。知らない人は、一生理解はできないが、1つのただの情報として知るんだろうと思う。
まぁ、それでもいいか。
カサンドラってこんなに大変なんだよ、ということをここで説明することは、とても苦痛だ。また思い出さなくてはならないから。かなり簡単に言えば、悪意と自覚のないモラハラに、誰からも理解されず、一人孤独に耐える辛さだろうか。
私にとって遺書を書くことは、1つの精神安定剤だった。だれにも理解されず、誤解され、孤独に生きていた私にとっては、とても素直に自分を表現できる方法の1つだったから。
最初に述べたように、自分の思いを残したから、いつでも死ねると思った安心感がなにより私を救ってくれた。逆を言えば、それだけ思い詰められていた。
ただ不思議なことに、人は、いや、やたらと我慢強い私だけかもしれないが、ここまで追い詰められているということに、身体を完全に壊すまでは気付かないのだ。
そんな最中に書いた遺書。
実は未だに見返すことは出来ない。
当時の自分に戻りそうで怖いから。
しかし、長年の通院と、彼と離れたことで、随分と元の自分には戻れた。よく食べ、寝て、仕事ができる。こんな当たり前だったことができなくなっていたのだ。そして、この経験でなにより得て良かったものは、自分の人生と生き方を見直せたことだ。
周りは「一度経験したから、次からは色々気をつけられるね」と、つまりは男性選びを気をつけられねという意味で私に言ってくることがある。
しかし、そんな浅い話ではない。
なぜ私があの時、あのような考えで、あの状況で彼を選び結婚し、壮絶な結婚生活を送っていたのか。
それは、幼少からの自分を取り巻く環境にも大きく関係していたこと。子供の頃から感じていた生きづらさの原因を知り、それが結婚にも繋がっていたこと。
もっと子供の頃からこういう考えをもって生きていたら楽だったのに!と気付けたこと。
勉強し、経験し、知ったことはたくさんあった。
少々遅かったかもしれないが、20代のうちに知れたことは良かったと思う。
知れた今、結婚生活の数年なんかじゃなく、これまでの人生の伏線回収をし、まるで生まれ変わったかのような気分になれた。
これからの生き方は、とても楽になると思う。
そんな希望を、今日まで生きていて初めて持てた。
変わらず友達でいてくれる人に感謝したい。
この経験を無駄にしたくないと勉強し新たに資格も得た自分に感謝したい。
私は一度遺書を書いた人間。
それなのに、今では人生に希望を持てている。
色々な人と出会い、人生の面白さも痛感している。
当時、遺書を書いている自分に言ってあげたい。
勇気を出して彼と離れる決断をしてくれてありがとう。
1年後、あなたは色々な人と出会い、昔から変わらない友人達にも助けられて、笑って週末を過ごしているよと。
なんだ、遺書を書くまで追い詰められても、なんだかんだでなんとかなるのか。
って、これを読んで何人の人が思ってくれるんだろう。そんな新たな種類の希望をここで持てた。
自分が思っている以上に、人間には希望を持つための手段が色々あるんだなぁ。
とにかく思いつたことをやってみる。
面倒くさいんだけどね。
遺書を書くという安心を得る希望から、生まれ変わって新たな人生への希望へ変わった私のお話。
カサンドラになったお話。
今は思ったことをただ書いただけのお話。
まとまりのないお話。
全然私の思いや細かいことは伝えきれてはないない。
もっと詳しく書きたいな、と、ここまで書いていて欲が出てきた。ほら、何かやってみると、次は、次はと希望が出てくる。願望が出てくる。
そうやってワクワクの更新をしながら生きたい。