第85話 白い魔石、ラドのこころ
「ラド……」
アベルは、右手に持った白い魔石を握りしめる。そして、キッと国王・フレデリクと背後にいる『輪廻の理』をにらみつける。ラドが消えてしまった――その怒りが、沸々とアベルの心に湧き上がる。
アベルは床に落ちていた魔剣・デュランダルを拾い、階段上にいる敵に向かって駆けだす。
ガッシャン!!
走り始めたアベルだが、足がもつれて転び、床に突っ伏する。何かがおかしい。足が重い。剣も持てない。体が、言うことを聞かない。――まるで、自分の身体じゃないみたいだ。
「アベル!!」
倒れたアベルに、ティナが近づいてくる。心配そうな顔で、アベルの体をさする。一方のアベルは、立ち上がることが出来ない。
「『輪廻の理』が……」
不意に、セシリアの声が広間に響く。アベルは、小刻みに震えながら顔を上げ、視界に『輪廻の理』を捉える。すると、傷ついた『輪廻の理』が、国王の背後から離れ、宙へ浮かんでいく。3メートルほどゆっくりと上昇した後、フッとその姿を消す。その直後、国王がドサッと床に倒れ込む。
「逃げた……?」
ティナが小さな声で呟く。その直後、アベルの視界が真っ暗になる。そのまま、アベルは再び気を失っていった。
◇◆◇◆
目を開けると、視界に飛び込んでくるのは白い天井。フカフカのベッドに、暖かい布団。起きあがろうとすると、体中に激痛が走る。アベルは顔を歪ませながら、上半身を起こす。広く、整理整頓された部屋。まるで高級な宿のような空間。
アベルは、自分の右手に目をやる。いつも目を覚ますときは、右腕の上にモフモフの感触があった。だが、その感覚は今やない。ラドはもう、いないのだ。その代わりに、白い魔石がアベルの右手に握られている。
「アベル。やっと起きたわね」
ベッドの隣の椅子で、ティナが口を開く。ずっと看病してくれていたのだろうか。目の下には隈ができ、少し疲れた顔をしている。
「ありがと、ティナ。それで、ここは……」
「ここは、王宮の客間。あなたはあの後意識を失って、3日間目を覚まさなかったんだから。それで……」
ティナが、何かを言おうとして、言いづらそうに下を向いてしまう。黙り込む二人。そして、アベルが口を開く。
「ラドは、どうなったの?」
「……消えてしまったわ」
再び静寂が訪れる。アベルは右手を布団の中からだし、白い魔石をジッと見つめる。懐かしいような、悲しいような感情がアベルに湧き上がる。
「……それは?」
ティナがゆっくりと、静かに声を発する。
「ラドが落とした、白い魔石。ラドが言ってた。これは『こころ』なんだって」
「どういうこと?」
「最後にね、ラドが言ったんだ。『ラドのこころは、ずっと僕の傍にいる』って。だから、これは『ラドのこころ』」
「アベルとラドらしいわね。言葉を交わさなくても、いつも分かりあっちゃうんだから」
ティナが優しそうな表情を浮かべながら、アベルの右手にある白い魔石を見つめている。そして、ティナは静かに言葉を続ける。
「アベルが勇者で、ラドが魔王。二人がずっと闘い続けてきたって聞いて、わたし思ったの。だから、出会ったころのアベルはああだったんだな、って」
ひと呼吸おいて、ティナは話を続ける。
「出会ったころのアベルはね、本当に他人のことばかり考えてたわ。自分が助けなきゃ、自分がなんとかしなきゃ、みんなを守るにはどうすればって。周りを頼らないで、全部自分で背負い込んで。……でもね、やっとわかったの。あれは、魂の呪縛なんだ、ってね」
魂の呪縛。ラドもそんなことを言っていた。
「アベルはずーっと勇者で、何百年も世界のために戦いを繰り返して。自分を犠牲にして、親友のラドとも戦って……ずっと、みんなのために闘ってきたのよね。その歴史が、アベルの魂に刻まれてるんだなって、そう思ったの」
ティナが少し伏し目がちになったかと思うと、顔を上げ、アベルの目をジッと見つめてくる。
「だからね。わたし、なおさら嬉しかったの。わたしとラドが、あなたを変えたこと。今のアベルは、わたしたちを頼ってくれる。守り守られる関係じゃなくて、お互い頼り合う関係。あなたの魂の呪縛を、わたしたち二人が解いたんだって!……そして、今度はラドの番じゃないかなって、そう思ったの」
ティナの言葉に、アベルがコクっとうなずく。ティナが何を言わんとしているのか、アベルにも分かっている。
「ラドにも、魂の呪縛があるんじゃないかな、って。アベルを見るラドの目、覚えてる? 慈愛に満ちたような、それでいて寂しそうな、そんな目。ラドはずっと、アベルを守ろうとしてたんだなって」
「うん、分かるよ。……ちょっと悔しいよね」
ティナが大きく目を見開き、驚いた表情を浮かべる。そして、少し興奮した表情を浮かべる。
「そうなの! 悔しいの! やっとアベルが私たちを頼ってくれるようになったのに。それなのに、今度はラドがアベルを守るために勝手に消えちゃうんだもん!」
ティナが腕を組み、プンプンと怒っている。
「今度ラドに会ったら、『あんたはやっぱり何も分かってない』って言ってやるんだから! 私、決めたの! ラドを絶対に転生させて、文句言ってやるって!」
ティナの言葉に、アベルは驚きの表情を浮かべる。
「転生……」
つぶやくような、アベルの言葉。ティナがニヤっと口元を持ち上げる。
「そうよ。あなた達、今まで何度も転生してきたんでしょ? だから、今回のラドももしかしたら……」
確かに、ティナの言う通りだ。幻獣としてのラドは消えてしまったが、ラドの『こころ』はここに生きている。そうであれば――
アベルの目に力強い光が宿る。
「そうだね。ラドを転生させて、僕も一言言ってあげようかな。今回の件で、初めて分かったよ。頼ってもらえないのって、こんなに悔しいんだね」
アベルが優しく微笑みながら、そう言う。腕を組み、まだ少しプンプンと怒った様子でティナが声を上げる。
「そうよ! あなた達って、本当に似た者同士なんだから! 二人そろって同じことするんだもん!」
「今までごめんね、ティナ。そして、ありがとう」
そう言うと、アベルはゆっくりとベッドから起き上がる。足はがくがくし、体は鉛のように重い。アベルは何とかベッドから降り、よろよろと扉に向かい歩いていく。
「アベル? どこに行くの?」
くるっとティナに向かって振り返り、アベルははっきりとした口調で言う。
「みんなのところへ。……みんなに言わなくちゃいけないことがある。そして、みんなの力を借りたいんだ。ラドを、助けるために」
その言葉を聞いたティナが、ニコッと満面の笑みを浮かべる。
「それでこそ今のアベルね。みんなは今、会議をしてるわ。さあ、すぐに行きましょう!!」
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次回、『アベルの願い、ラドの願い』