別れ……、少しの間だけ……
扉や窓が大きな音をたてている。
この小屋は元々そんなに立派な物でなかったが、それでも扉がこれだけ大きく揺れているのだから、外で相当強い風が吹いているのだろう事は、簡単に予想できた。
だが、それを気にしている者は中に誰もいない。
全員が、レンの説明に耳を集中させている。
そんな中、レンの説明は続く。
「妖精族だからこそ、できる方法……。他種族や他の聖獣でも不可能ではないが、成功率が低い……」
レンが提案したのは、ティスを妖精の卵に戻し、その状態で契約させる方法だった。
幼獣契約と同様に、契約者の魔力の成長と共に聖獣の能力も高まっていくというメリットはある。
その上、更に追加で特殊な能力を習得する場合があるとの事だった。
必ず習得する訳ではなく、どうすれば習得するのかも解明されていなかった。
「だが、私が調べた限りでは、今回のように生まれ変わりからの聖卵契約の場合は、殆ど特殊能力を習得している。ま、絶対数が少ないがな……」
レンはそれを元に仮説を立てていた。
「1つは、生まれ変わる前に、強くイメージを持って卵になった。だが……」
一つ目の仮説を説明しながらも、レンはそれには否定的な様子を見せる。
イメージだけで能力を得る事ができるなら、妖精族は全て聖獣として生まれ変わっているはずだと……
「ま、こちらも仮説の域を出ないがな……」
と、もう一つの説を話し始める。
卵状態の聖獣との契約である聖卵契約。
この契約時の卵、特に生まれ変わりからの聖卵は、一般的な卵生の生物のそれとは異なり、産まれる前の状態ではないのではないかという事だ。
「どういう事だ?」
ラスの疑問の言葉。
その疑問を持ったのはラスだけではなく、皆が、レンに視線を向けて返答を待つ。
「その聖卵の中に別の世界があるのではないかと、私は考えた……」
「別の世界?」
「そうだ。そして、その異世界で聖獣になるための準備をしているのではないかと……」
予想外の説に、一同が戸惑う中、レンの説明は続いた。
その仮説に行きついた理由の一つが、生まれ変わり前の記憶を持って卵から孵る事。
そして、充分な判断力と思考力を持ち、産まれてすぐに能力を使う事が出来る。
それは、他の生物では考えられない事だとレンは言う。
「卵から産まれたばかりの聖獣を見た事がないからわからないけど、それが本当なら……」
あり得る事だと、リンも思えてきた。
「つまり……、その異世界での準備期間中に、特殊な能力を会得する何かをしているという事か?」
そのラスの質問に、レンは笑みを浮かべながら頷く。
「何度も言うが、仮説でしかない。全てを説明すると時間がかかってしまうから、今回はこれしか説明しないが、長年の研究からの持論だ。どうするか、結論は当人同士に決めるべきだが、私は今回は聖卵契約を奨める……」
そう言うと、レンは口元から笑みを消し、真剣な表情をアミスとティスに向けた。
「……」
「……」
アミスは少し呆然とした様子で、ティスは考え込む様子で、レンを見つめ返していた。
「この仮説が正しければ、ティスの懸念材料も解決して、アミスの希望にも添えると思うがな……」
「そ……そんな説が合ってるとは限らないじゃない……」
「……そうだな……」
レンは小さく溜息をついた。
やや呆れた様子を見せながら……
「……な、なによ? 言いたいことがあるなら、遠慮しないで言えばいいでしょ?」
レンの態度に少し苛立ちを見せながら、ティスはそう言い放つ。
そんなティスとは対照的に、レンは落ち着いた様子を崩さずに言葉を返す。
「元々、遠慮する気があるなら、こんな事は言わない。お前こそハッキリと言えばいいだろ?」
「な、何をよ?」
レンはアミスを指差し、やや冷たい口調で言う。
「こいつの為に努力するのは、もう疲れたと言えばいい……」
「そ、そんなことは……」
強く否定しようと言いかけたティスの言葉が、途中で止まる。
(否定できるの? 理由は違っても、アミちゃんの為に努力しない事には変わりないのに……)
「……」
「ティス……」
「? アミちゃん?」
迷いを見せたティス。
それに気づいてか、アミスが静かに口を開いた。
静かだが、強い意思を伺わせる表情だった。
「僕は、まだティスとお別れはしたくない……。だから、もう一度……、もう一度だけお願いするよ」
(何故、もう一度だけと限定する……?)
アミスの言葉に、心の中だけでツッコミを入れるレン。
その答えは直ぐにアミスの口から出てきた。
「これ以上、ティスを困らせたくはないから、最後にもう一度……」
「アミちゃん……」
「僕の聖獣として生きて欲しい……。力がどうとか、能力がどうとかは、僕にとって重要じゃないんだ。ただ……、側にいて欲しい……」
「……」
純粋な気持ちを乗せたその言葉は、迷うティスの心を揺さぶる。
(……でも)
「アミちゃん……、ごめんなさい……」
ティスは断りの言葉を口に出した。
らしくないぐらいに躊躇いながら……
「……うん」
そんな躊躇いを見せるティスに、アミスは笑顔を向ける。
「今まで、ありがとう……」
「アミちゃん……」
「おい、アミス……」
口を挟もうとしたレンを、アミスは手で制し、言葉を続けた。
それは、誰の目に見ても明らかな程、無理をした声。
「強くなって、ティスが居なくても大丈夫って所を見せなきゃ駄目だよね。これでも、成人した男なんだから……」
「……うん」
「これからは仲間のみんなと頑張って強くなるから、心配しないで……」
「……うん」
「聖獣も12体集めてみせます……」
「……うん」
「それから……」
そのまま、聞いてればどこまで続いていただろう。
キリが無いと判断したティスは、その言葉を止める言葉を発する。
「アミちゃん……、ごめん、そろそろ実体化は厳しい……。もう一回ぐらい力になれる力を残したいから……」
「!? ごめん、そうだよね……」
アミス自身に別れを引き延ばそうという考えがあって言葉を続けていたわけではなかったが、心の底にそういった思いが無いと否定しきることはできないだろう。
ハッとした表情を見せた後、悲しみと寂しさに支配されそうになる気持ちを必死に隠して、アミスは再度笑顔をティスに向ける。
「最後は、笑顔で……だよね?」
「うん、アミちゃん、それじゃ……」
「さよなら、ティス……、今までありがとう」
アミスは精一杯、明るく言い放った。
それを耳にして、ティスは、
(これで良かったの……、これでね……)
目を閉じて、決意を固めてから、最後の別れの言葉を言おうと、アミスを見つめた瞬間だった。
「!?」
出しかけたティスの言葉が止まった。
満面の笑みのアミスの瞳から、こぼれ落ちる一筋の涙で……
「ア、アミちゃん……」
「……?」
アミスは、戸惑うティスの表情に首を傾げる。
アミス自身は気づいてなかった。
自分の瞳から流れているそれに……
ただ、必死に笑顔を浮かべているつもりだった。
「アミちゃん……」
「? どうしたの、ティス?」
戸惑いの表情の浮かべているのはティスだけではない。
不安そうなリンに、静かに目を伏せるラス……
レンだけが、真剣な表情のままアミスをじっと見つめていた。
そして、少しの時を置きアミス自身も気づく、自分の頬を伝う涙に……
「あれ? え? あれ?」
アミスは咄嗟にその涙を手で拭ったが、それをきっかけにしたのか、涙が次から次へとこぼれ落ち始める。
必死に止めようとするが、止めることが出来ずに混乱するアミス。
そんなアミスを背中から優しく包む2つの手。
「無理に止める必要はないよ……」
アミスを優しく抱きしめて、リンは優しくそう言った。
その言葉で、アミスの涙は完全に止まらなくなった。
「大事な人とのお別れなんだから、悲しいのは当たり前、悲しいんだったら、我慢せずに泣いていいの……」
「でも……、でも……」
「いいの……、泣いていいの……」
強張っていたアミスの体から、力が抜けていくのを両手に感じ、リンは少し安心して、その目をティスに向ける。
その目も、決してティスを責めてはおらず、2人の関係からくるそれぞれの思いを尊重するつもりだった。
当然、リン自身に思う所が無いわけではないが、下手に口を出しても話を混乱させるだけと考え、言葉を飲み込んでいた。
それを感じ取っているのか、ティスはバツが悪そうに、目を逸らす。
「消えるなら、早めにした方が良いな……」
「え?」
レンが呟くように口に出した言葉に、ティスはすぐさま反応を返した。
「アミスの精神状態はもう限界だ。下手に期待させずにさっさと消えた方が良い……」
「こんな状態で……」
「実体化は厳しいのだろ? 最後の力を振るう為に早く消えるべきだ」
レンにその言葉に感情は籠っているようには感じなかった。
そんなレンを睨みつけていたティスだったが、反論の言葉が浮かばなかった。
「ごめん、ティス……、笑顔で送り出す約束だったのに、ごめん……」
そう言うアミスへと、ティスの視線は移る。
もう止める事が出来なくなった涙を流し続けるアミス。
そんな状態のアミスを抱きしめたまま、頭を優しく撫でるリン。
リンはアミスに泣いてもいいと言う。
ティスはアミスに泣いて欲しくはなかった。
いや、リンも泣いて欲しいわけではないだろう。
しかし、泣く事を肯定していることには変わりない。
だが、ティスは違う。
感受性豊かで、すぐに涙を流してしまうアミスの性格を嫌いなわけではなかったが、泣くという行為に対してのティスの考えは、少し厳しい。
だからこそ、主人であるアミスに対して、泣く事はダメと言い続けていた。
その最たるのが、『別れの時も笑顔で』という約束だった。
今回、その約束は破られた……
だが、それはティスも予想していたことだった。
誰よりもアミスのことは理解しているつもりだった。
しかし、それでも……
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
わかっていたはずなのに、その涙がティスの心に突き刺さる。
(でも……)
「いつまで無駄な時間を使う気だ……」
「な!?」
流石にレンのその言葉には、ティスも怒りの表情を浮かべる。
「どうした?」
「あなたには、人の情なんてわからないのね? 私がどんな気持ちで決断したのか……」
「情か……、その自分の情とやらを優先したら、アミスの気持ちに寄り添えるのか?」
「……え?」
ティスは、言葉に気持ちを乗せて、全てぶつけようとしていた。
しかし、レンのその言葉でそれは止まってしまう。
「……そ、それは……」
「中途半端な気持ちで、その残った魔力を消費するより、蓄えるべきだろ?」
「レンさん、やめてください。悪いのは僕なんですから!!」
アミスが静止に入る。
目に涙を溜めたまま……
「……約束を守らない僕なんですから……」
その涙が溢れる前に、その手で拭う。
「だから、ティスを責めないでください……」
拭っても、すぐにその瞳に涙が浮かんできていた。
「ア、アミちゃん……」
「……わかった。これ以上は何も言わない……」
レンはそう言うと、アミスとティスに背中を向けた。
そして、宣言した通り、それ以上は何も言わなかった。
部屋の中を静寂が包む。
「ティス、最後まで迷惑をかけてごめん。そろそろ、眠って力を蓄えて……」
次にティスが力を使う時は、もう消えてしまう時。
その時には別れを言う時間もないだろう。
つまり、今眠ると言うことは、別れを意味すること。
自ら別れへと誘う言葉を口にしながら、アミスの感情は再び昂っていく。
今にも溢れ落ちそうな量の涙がその両目に溜まってきていた。
「……………」
目を伏せるティス。
もうその決断を止めようとする者はいない。
「ティス……、じゃ、さよ……」
「〜〜〜〜〜〜〜」
ティスが突然言葉にならないうめき声を上げ出した。
それに驚き丸くしたアミスの目から、溜まっていたものが溢れ落ちる。
アミスがそれを咄嗟に拭う前に、ティスが叫ぶ。
「もぉぉぉぉぉ〜〜〜〜!!!」
「ティ、ティス?」
「もぉ〜! もぉ〜! もぉぉぉ〜!!」
何があったはわからずに戸惑うアミス。
驚きで涙も止まり、目は丸くしたままだ。
アミスを抱きしめていたリンも、驚き黙って見つめるしかできない。
その後ろでラスは軽く笑みを浮かべ、レンはそんなラスにチラッと視線を向けていた。
「もう、わかったわよぉ〜!!」
「え?」
「もう、聖獣にでも卵にでもなってあげるわよ!」
「ティス……?」
落ち込み、冷静な思考力を失っていたアミスは、その言葉の意味を理解するのに、時間を要した。
次第にわかり出し、驚きの表情に喜の感情が混じり出した。
「え? 本当に?」
「ホントに頼りないわね、私のご主人様は!」
「あは、ごめんね、ティス」
明るい表情で謝るアミスの目には、涙が溜まったままだ。
だが、涙の意味は先程までとは異なったもの……
「ありがとう……」
「お礼なんて、いらない……、だって、私だって、本当はアミちゃんと別れたくなかったんだから……」
ティスの瞳からも涙が溢れ出していた。
それは、決意した心を変えないために、じっと我慢していたもの……
「でも、少しの間待っててもらうことになるからね?」
「うん」
「力になれる能力を手に入れるまでは戻って来ないんだから」
「うん」
「すっごく、待たせるかもしれないわよ?」
「ティスと再会できるなら、待てるよ」
喜びの感情を溢れ出させながら、アミスは笑顔で答える。
「……凄い能力を手に入れてみせるから、私がいない間に死んだらダメだからね」
「うん、大丈夫だよ」
「あなた達も、私のご主人様を死なせたらダメだからね!」
と、ティスは、リン、ラス、レンと順々に指をさして言い放つ。
「勿論!」
アミスに負けないぐらいの笑顔で返すリン。
「言われずとも、そうするつもりだ」
ラスは、わずかに口元に笑みを浮かべて静かに返す。
「私は一緒に旅するわけではないぞ……」
そんなレンの言葉に、ティスはそう返ってくると分かっていながらも、不満げな表情を見せた。
「人を焚き付けるだけ焚き付けて、無責任ね」
ティスのその言葉に怒りの感情は籠ってはいない。
「私がアミスと一緒に行っても、アミスの成長の妨げにしかならない」
アミスの姉アーメルと同じ事を言うレン。
それは、最初にアミスと出会った時にも言った言葉だった。
ティスも、前にそれを聞いていたからこそ、レンがそう返すことは分かりきっていたのだ。
だが……
「ま、将来的にどうなるかはわからんがな……」
前回は言わなかった言葉が続いた。
アミスとティスは、僅かに驚きを見せる。
その言葉の真意を捉えかねていた。
「ま、それでも、この国から出て、一回ぐらい一緒に仕事しても面白そうだがな……」
続く言葉に、2人は更に驚く。
「……そう。ならそれまでは力になってあげてよ」
真意は理解できなかった。
それでも、ティスはそう願いの言葉を言い、リンとラスに笑顔で視線を向けた後、アミスへと向き直る。
「じゃ、またね、アミちゃん……」
「うん、またね、ティス……」
そう言ってお互いに笑顔で頷き合うと、ティスはそっと目を閉じて、術への集中を始めた。
それにより、ティスの体は光を放ち出し、その光に包まれていく。
「またね」
アミスから再度の言葉に静かに瞳を開くティス。
「みんなに、もう一つお願いがあるんでしょ? 遠慮せずに自分の口でハッキリとお願いしなきゃダメだよ」
と、ティスが満面の笑みを浮かべた瞬間、パッと光が強くなり、完全に光の球への変化したそれは、アミスの杖の契聖石への吸い込まれていった。
「また……ね」
アミスは、静かにそう呟くと、軽く笑みを浮かべていたその顔を、決意の表情へと変化させた。
そして、自分を包むリンの両腕を優しくほどくと、
「みなさんにお願いがあります!」
と、強く言葉を放つ。
「わかってるよ」
と、解かれた右手でアミスの頭を軽く撫でるリン。
ラスは無言で頷き、レンも……
「今回はお前のために力を奮ってやるよ……」
と、軽く笑みを浮かべた。
少し驚きの表情を見せたアミスだったが、再度強い決意の表情への戻すと、
「行きましょう! タリサさんを助けに!」
と、言い放った。
もう、誰も死なせない。
その思いを胸に……
次は戦闘がある予定です




